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第2章
第12話
しおりを挟むマルドゥクの話が続く。
多くは失敗に終わったが、それでも幾人かは彼らの手を取ってくれた。
なるべく争わず、平和に生きたいと思う人たちだ。
「物語の主人公になるような者たちではない。敵役を演じるほどの者でもない。なんといったかの……ああ、モブじゃ」
主役でも悪役でもないその他大勢。
非常に露悪的な表現だが、彼はそう評していた。
その他大勢の共同体だと。
「じゃが、現実にそれぞれが力を持った連中じゃ。集団になってしまえば、それだけで警戒されてしまうのは自明のこと」
街に住むことはできない。
どこか、人里離れた場所でひっそりと暮らすしかなかった。
苦難に満ちた旅のすえ、山々に囲まれたこの盆地を発見したのは、マルドゥクが彼と出会ってから二十年以上が経過した後のことだった。
青年から中年の域に達した彼と、付き従う者たち。
ささやかな集落が作られた。
日本から持ち込まれた知識や技術、さまざまな道具などを用いて。
彼らは常に守ってくれたマルドゥクに最大限の感謝を捧げ、王の座を用意した。
もちろん黄金竜は固辞する。
「そんな面倒くさい役回りはごめんこうむる、と、我は言ったのじゃがな……」
目を細める。
はるかな昔を懐かしむように。
彼らの故郷にも王はいたが、統治はしない。
象徴として君臨するだけ。
結局、押し切られるかたちでマルドゥクは王位に就く。
集落の運営に口を出さない王だ。
いつしか集落は村という規模になり、街という規模になっていった。
命短き者たちが手を取り合い、ときに角を突きあわせながら試行錯誤を繰り返し、竜の郷は作られてゆく。
「そして数百年、か……」
ふう、と、ナイルが息を吐いた。
気の遠くなるような話だ。
「最初の百年が一番つらかったのう。次々に知己が死んでゆくのじゃからな」
だが、と、付け加えるマルドゥク。
知己の子や孫、曾孫や玄孫を見守ってゆくというのも、けっこう乙なものだと思うようになったと。
「あ、もしかしてお師匠さんって、その彼のことが好きだったんですかー?」
まったく空気を読んでいない発言をセシルがした。
黄金竜の淑女は怒らず、曖昧な笑みを向ける。
「どうじゃろうな。種族が違うし、子を成すこともできぬでな。恋愛感情が生まれるには、やや難しい環境じゃろうよ」
「ですが、彼は生涯独身を貫きました」
不意にかかる声。
衛士長のシュウである。
「そうなの? 衛士長さん」
「ああ。晩年になって近侍の者にどうして結婚しなかったのかと問われ、好きな相手がいなかったわけではないと寂しそうに微笑した、という伝承が残っているな」
それなら両想いである。
互いに惹かれ合いつつ、ついに結ばれることのなかった人間と竜。
「ひょーっ ロマンチックーっ」
「痴れ者が」
弟子の頭に、ごっちんと鉄拳を落とすマルドゥク。
視線を転じて、衛士長を見る。
「なにか用があったのではないかの? シュウや」
「失礼いたしました。浴室の準備が整いましたので、ご報告に」
「大儀であった」
鷹揚にねぎらってマルドゥクが立ちあがった。
「セシル。ナイル。旅の垢を落とすとするかの」
石造りの立派な浴室。
竜の頭を模した噴き出し口からは間断なくお湯が溢れ、湯船に注いでいる。
同時に十人くらいは入浴できそうな広さ。
もうもうと立ちこめる湯気。硫黄の香り。
転生してから沐浴と水浴びくらいしか経験したことのないナイルが目を見張った。
「すごいな……」
「これもニッポンの文化なのじゃろう?」
温泉が湧いていると知ったとき、この地に移り住んだ異世界人たちは非常に喜んだ。
狂喜乱舞といっても良いほどだった。
なにしろ最初に造られた建造物は、住居ではなく政庁ですらなく、公衆浴場であるという逸話が残っている。
「風呂とメシにかけるニッポンびとの執念には、我ですら呆れるものがあったの」
「たしかにお風呂は気持ちいいですからねー」
呆けているナイルの背を押して浴室を出るセシル。
さすがに服を着たまま入浴はできない。
脱衣所も石造りで、床には麻を編んだ敷物が敷かれ、細い木で作られたと思しき脱衣籠も置かれている。
三つ。
「…………」
「はいナイル。脱いで脱いで」
「……セシル。男湯はどこだろうか?」
「あるわけないじゃん? ここはお師匠さん専用の浴室だよ?」
セシルとナイルはお相伴にあずかるという格好だ。
笑いながら、ソフトレザーで作られた胸鎧の留め金を外してゆくセシル。
「お、俺は郷の公衆浴場を使わせてもらえれば……」
「王の厚意を断るとか、ナイルは大物だねー」
「ぐ……」
言葉に詰まる。
彼だってこの地で十五年の時を生きてきた。
王とか領主とかの命令の重さ、というものも理解している。
「恥ずかしいのはお互い様さー あたしだって男の人と一緒にお風呂なんて、はじめての経験だよー」
ごくわずかに頬を染めながら、セシルが鞘ごと外したダガーを置いた。
髪を結っている紐をほどいてゆく。
覚悟を決めるナイル。
ここでへたれるのは、あまりにも情けなさすぎる。
マントを外し、腰の剣を置き、服に手をかける。
「そーいやー ナイルは防具を身につけてないんだねー」
ずぼっと貫頭衣を脱ぎ、肌着姿にブーツというなかなかマニアックな格好になったセシル。ふと心づいて訊ねた。
「合うサイズがなかったんだ。剣は適当なのを拾ったけど」
「ああー 盗品だったねー ぜんぶー」
馬車強盗で手に入れたものである。
剣もマントも。
さすがに防具だけは自分の身体に合ったものでなくては意味がない。
「そのうち新調しないとねー」
「そうだな」
応えつつ、ナイルの視線はついセシルを追ってしまう。
見ないよう理性が必死に命令を下しているのだが、本能が抗うのだ。
青少年だから!
「よっと……く、これは……」
ブーツを脱いだセシルが顔をしかめる。
「どうした?」
「くさい」
「は?」
「ブーツが臭い。蒸れちゃってるからなー」
ほれ、とか言いつつ、ナイルの顔に近づけたりして。
何ともいえないかぐわしい香りが漂う。
喜ぶのは、かなりコアな趣味の持ち主だけだろう。
「やめろってっ」
鼻をつまんで後退する。
「ふっふっふー ナイルの足もきっと似たような状態だよー」
「哀しくなるようなことを言うなよ……」
きゃっきゃっとはしゃぎながら、肌着を脱ぎ捨てる赤毛の少女。
スレンダーな身体。露わになった双丘は大きすぎず小さすぎず、理想的な曲線を描いている。
透けるように白い肌には傷ひとつない。
釘付けになる少年の目。
「見とれてないで、ナイルも脱いだ脱いだ」
「お、おう……」
とはいうものの、最後の一枚はなかなか脱げない。
「なにさ? 恥ずかしいの?」
「そりゃそうだろうが……」
「大丈夫だよー どこに出しても恥ずかしくないくらいの状態になってるからー」
「女の子がそういうこというんじゃありませんっ」
思わず突っ込んでしまうナイルだった。
「騒いでないで、とっとと入らんと風邪を引いてしまうぞ?」
マルドゥクが声をかける。
すでに全裸だった。
これ以上ないくらいの全裸だった。
まったく、これっぽっちも女性を感じさせない肢体であった。
草原を吹き抜ける風のように、ナイルが冷静さを取り戻してゆく。
まあ、十歳くらいにしかみえない女の子に欲情するとしたら、彼はかなり病んでいるだろう。
「現金な奴じゃ。これはこれで腹が立つの」
「はいはい。じゃあお師匠さん。いきますよー」
セシルもまた最後の一枚を脱ぎ捨て、師匠の背を押しながら浴室に入ってゆく。
やれやれと肩をすくめたナイルも続いた。
バスタイムである。
しっかりと垢を落とし、しっとりつやつやになった三人が、ふたたび部屋に戻ったのは、約二時間後のことだった。
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