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第2章
第17話
しおりを挟む振り向いた視線の先、幼女が嫌そうな顔をしていた。
汚物を見るような表情というのが、最も近いだろうか。
「どうしたんですか? お師匠さん?」
「……それ……我の皮じゃ……」
ぼそぼそと告げる。
「左様でございます。このローブは、マルドゥクさまより下賜された竜皮によって作り出された逸品にございます」
アントンが説明してくれる。
ものすごいドヤ顔だ。
そりゃ自慢もしたいだろう。
竜の中の竜。竜王たる黄金竜。その皮で作られた防具である。
並の剣では傷も付かないし、炎や水も弾き、攻撃魔法すら受け付けない。
竜の鱗は最強の鎧。
それは誇張ではあっても虚構ではない。
「すげえ……」
生唾を見込み、思わず手を伸ばすナイル。
ばしっと、その手をマルドゥクが叩いた。
「そんなばっちいものを触るでないっ ナイルよっ」
『ええっ!?』
セシルとナイルが驚愕の混声合唱を奏でる。
ばっちいて。
猫のフンを触ろうとした子供を叱る母親みたいだった。
「アントンもっ なんでそんなものを作るのじゃっ 捨てよと言うたではないかっ」
怒ってらっしゃる。
なんか良くわかんないけど、怒っていらっしゃる。
「あの……お師匠さん? 話が見えないんですけど……」
おそるおそるセシルが訊ねた。
愛弟子の言葉で幾分か冷静さを取り戻したのか、大きくマルドゥクが息を吐いた。
ドラゴンローブとアントンに注がれるのは、相変わらず汚物を見るような視線ではあったが。
「セシルや。我ら竜は脱皮するのじゃ」
「ええ。それは知ってますよ。蛇とかと一緒ですよね」
蛇でも蜥蜴でも竜でも良いが、成長するとき古い皮を脱ぎ捨てる。
「蛇や蜥蜴と同列に置かれるのは業腹じゃがな」
「人間だって、猿と同列に置かれたら腹が立ちますからね。でも、それがなんでばっちいって話になるんです?」
「ふむ……人の汝には、どう説明すれば判りやすいかの……」
やや考える仕草をする幼女。
「ようするに、我らが脱皮するのは老廃物を捨てるようなものなのじゃが……ああ、そうじゃ、汝には生理があろう?」
「そりゃありますよ。この歳でなかったら、そっちの方が怖いです」
「そのメカニズムを憶えておるか? 前に教えたと思うたが」
「はい。子供のためのベッドが使われなかったから排出されるってことですよね」
「然り。それが経血じゃな。では、たとえばその血を、聖水だ不老不死の霊薬だと有り難がっている連中を見たら、汝はどう思う?」
「気持ち悪いですね」
「うむ。で、ましてそれが自分の経血だったら、という話じゃ」
「理解しました。まごうことなき変態ですね」
頷いて、アントンに視線を投げるセシル。
と、その前にナイルの顔があった。
真っ赤っかになっている。
「あ……」
マルドゥクとの二人暮らしが長かったため、女性の話でもオープンに話す癖が付いてしまっていた。
いまは年頃の男の子がいるのに。
みるみる赤く染まってゆくセシルの顔。
さすがにこれは恥ずかしい。
「とにかくアントン。そんなものを売るでない。汚いであろうが」
「なにを仰います。陛下。陛下の御身に不浄なものなど、一片もありません」
「そんなわけがあるか。我だって生き物じゃ、飯も食えばトイレにも行くのじゃぞ」
「だとしても、陛下の美しさが損なわれるわけではありません。事実、このドラゴンローブは美しいと評判で、もう二十着ほど売れました」
ぐらりとよろめくマルドゥク。
慌てて駈けよったナイルが抱き留める。
「目眩が……」
「しっかりしろマルドゥク。傷は浅い」
「ちなみにアントンさん。それいくらなんです?」
商人に売るなというのは、死ねといっているのと同じだ。
ここは同じ商人として、セシルが助けるべきだろう。
買い占めてでも、という決意のもとに。
「四千八百です」
「…………」
無理でした。
在庫が何着あるのか判らないが、一着すら買えない。
「あんとん……汝という奴は……捨てておけといったもので阿漕な商売をしおって……」
「加工に、かなりの金がかかりましたので」
「そういう問題ではないわっ」
マルドゥクさま、ぶち切れ寸前です。
鷹揚で、人間に対して怒りを示すことのないドラゴンロードが。
まあ彼女もまた女だということであろう。
「だがマルドゥク。正直にいうけど、俺もあれは美しいと思う」
「ナイルや……」
「老廃物などとんでもない。強さを極めたとき、それは美しさと同じなんだと理解できるローブだと思った」
黄金の輝きこそ失われているが、シックにして優美。奇をてらわないデザインでありながら、どこか新しい。
そんな長衣。
「汚くないと申すか……」
「汚いもんか。とても手が出る値段じゃないのが残念だ」
「ぬう……やはり人間は良く判らぬな……」
「まあ、モンスターの死体から取った素材で、道具を作ったりもしますからね」
肩をすくめてみせるセシルだった。
利用できるものはなんでも利用する。
それが人間である。
「まあ良い」
ナイルの腕から降り、ひとつ頭を振るゴールドドラゴンの淑女。
「我が捨てたものをどう使おうが、それは拾った者の勝手じゃろうしな。じゃが、我は捨てよと命じた。再利用して良いとは言わなかったはずじゃな。アントンよ」
とことこと進み出る。
威に打たれたように、アントンが平伏した。
床につかんばかりに頭を下げる。
「とはいえ、捨てるところまで我は見ておらぬ。命令通り捨てたが、その後で拾った、などというトンチが成立する余地もあろうな」
男の後頭部を見おろしながら幼女が語る。
頭に足を乗せていないのが不思議なほどの光景だ。
「ゆえに、我の皮を勝手に加工して売った件については、ことさら罰しようとは思わぬ。次に脱皮したときは、処分を他人に任せず、閃光の吐息で焼いてしまおうと決意するのみじゃ」
「そんなもったいない……」
「なにか言うたかの?」
「いえっ なんでもありませんっ」
商魂たくましい中年である。
「ただの。笑って許してやるというのも、腹の虫がおさまらぬ。ゆえに、なんぞ罰は与えようと思うのじゃ。異論はあるか? アントンよ」
「……ございません」
「そうか。ではその気色の悪い衣をひとつ、ナイルにくれてやれ。それと、セシルの短刀も、そろそろ買い換え時じゃろう。一振りあつらえよ。むろん、その気色の悪い衣より安物、ということはあるまいな?」
ひどい話である。
竜衣の値段は金貨四千八百枚。
セシル商会の稼ぎの、ざっと二年分だ。
さらに、それよりも高い短刀を用意しろという。
悪代官かってくらいの要求だろう。
「ぎょぎょぎょ御意っ」
どもりながら承諾するアントン。
それで許してもらえるなら御の字だ。
ドラゴンロードの怒りは、充分に恐怖に値すると知っている彼であった。
「ていうかさ。四千八百以上もする短刀なんてあるんだねー」
「ああ。びっくりだ」
小声でセシルとナイルが会話を交わす。
いま現在セシルが使っている短刀だって安物ではない。ちゃんと銘の入った逸品で、値段としては金貨百枚をこえる。
かなりの高級品なのである。
竜衣と同等以上の価値の短刀となれば、魔力付与品か、伝説級の宝刀か。
そそくさと宝物庫へと走った中年が大事そうに箱を抱えて戻ってくる。
そしてセシルの前で開けられる蓋。
赤い天鵞絨に包まれて鎮座ましましていたのは、注文通り短刀だ。
鋼とも銀ともつかぬ風合い。
刃紋も美しく、まるで吸い込まれるようだ。
「きれい……」
思わず呟いてしまうセシルに、うむうむとアントンが頷く。
「そうでございましょう。黄金竜マルドゥクさまの爪より削りだした刃。名付けて竜爪刀。この世にふたつとない逸品にございます」
「……もしかしてこの出自って……」
「マルドゥクさまが脱皮なされたおり、偶然一本だけ落ちた爪を加工したものでございます。お値段は金貨一万」
蕩々と語る中年。
そんなものを、セシルは聞いてなかった。
危険を感じた猫のように、さっと床に伏せる。
「あーんーとーんーっ!!」
怒りの声とともに少女の頭上を金色の尻尾が通過し、愚かな中年男の尻を思い切りひっぱたいた。
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