21 / 54
第3章
第21話
しおりを挟む二年前の冬。
アイリンの東に位置するナトラ王国が、国境を越えて侵攻してきた。
その攻勢を正面から受け止める形になったのが、サリス子爵軍である。
宣戦布告もない突然の侵攻。
国境の城塞を一瞬で陥落させ、アイリン国内になだれ込むナトラ王国軍。
準備も何もない状態で、迎え撃たなくてはならない。
その任にあたったのがサリスであった。
時間稼ぎである。
アイリンの準備が整うまで、一日でも二日でも足止めする。
とはいえ、いち地方貴族の抱える私兵の数などたかが知れている。
実際、サリス子爵家の兵は三百に届くか届かないか、というレベルだった。
対するナトラ王国軍は五千を超える大軍勢。
とてもではないが勝負にならない。
一日どころか、半日だって支えられないだろう。
困じ果てたサリスは地元を根城にする冒険者たちに招集をかけ、傭兵として雇用しようとする。
しかし、その策は上手くいかなかった。
当然である。
戦って勝てる見込みはほとんどなく、それどころか、生きて帰れる可能性だってほとんどない。
危険に対して敏感な冒険者どもが、そんな話に乗るわけがないのだ。
むしろ、我先にとタイモールからの退去をはじめる始末だった。
そんな中、燃えるような赤毛をもった駆け出しの冒険者が敢然と名乗りを上げる。
年若い少女だ。
サリスはまったく期待などしなかった。
敵に向けて矢の一本も射てくれれば良い。
もとより全滅覚悟の一戦だ。
枯れ木も山の賑わい。この際は一人でも二人でも味方は欲しい。
その程度である。
認識が変わった、というより叩き壊されたのは、開戦直後のことだ。
赤い髪の少女が、軍列を飛び出して、敵陣に単騎突入を敢行したのである。
誰が見ても無謀。
数千の軍勢に、たった一人で挑むとは。
サリス軍の将兵は少女が切り刻まれる姿を幻視した。
しかしその想像は、現実のものにはならなかった。
強い。
否、強いという言葉すら追いつかない。
強弓から放たれた矢のような速度で突き進む一騎。
進むごとに敵が乱れる。
繰り出される槍を華麗にかわし、飛び来る矢を打ち払い。
一合でも交えることができた敵兵はいなかった。
戦場の狂風に舞う深紅の髪。
猛り狂う深紅の悍馬。
たった一人に出鼻を挫かれたナトラ軍がようやく秩序を取り戻したとき、赤毛の女騎士は、悠々と自陣へと引きあげていた。
部隊長クラスの首級を、六つほど掲げて。
慌てて駈けよったサリスが目を見張った。
ほどいた赤毛の美しさに。
燃えるような紅い瞳の激しさに。
衣服を染めた返り血の鮮やかさに。
「汝は人の子とも思えぬ。軍神の写し身なりや」
「然らず。我は竜王マルドゥクの弟子なり」
というやりとりが公式記録に残されている。
もっとも、サリスやセシルの為人を考えると、もっとずっとくだけた言葉が交わされたのだろう。
ともあれ、一撃で士気を粉砕されたナトラ軍は、その後、まったく良いところなく後退を重ね、三回の衝突ののちに国境線の外へと叩き出される。
未帰還者数、千名を超える大敗だ。
そしてサリス軍の戦死者はゼロ。
まさに完全試合であった。
この功績をもって、サリスは子爵から伯爵に昇爵し、タイモールを中心とした広大な土地を領有することとなった。
その武功の立役者がセシル。
最初の単騎突入に始まり、すべての戦いで味方を指揮して、ただひとりの戦死者を出すこともなく、完勝に導いてのけた。
兵士たちは熱狂して叫んだ。
深紅の夜叉公主、と。
「で、本当は?」
伯爵の元を辞し、商会へと戻る道すがら、ナイルが苦笑混じりに訊ねる。
「あのセシルの正体はお師匠さんだよー 名前と顔を売るチャンスじゃ、っていって、大暴れしたのさー」
「だろうと思ったよ」
どう考えても、人間に可能な活躍ではない。
数千の軍勢に単騎で突入して、敵をばったばったと薙ぎ倒して、大将首を獲るとか、ゲームかって話である。
「あたしは隠れて見てただけだよー」
「よくバレなかったな……」
「ちょっと複雑なのよー」
最初の単騎突入は、セシルに変身したマルドゥクがおこなった。
だが、馬まで無敵だったわけではない。
わりと致命傷に近い傷を負ってしまったのである。
もちろんマルドゥクが竜語魔法で回復させたが、すっかり怯えてしまい、ものの役に立たない。
仕方なくその馬は野に放し、マルドゥクが今度は馬に変身した。
つまり二戦目以降は、セシルがセシル役を演じていたのだ。
「じゃあセシルも勇戦したのか?」
「いんにゃっ あたしたちが突っ込むと、敵がわーって逃げたから、まったく戦ってないよっ」
「ダメぢゃんナトラ軍……」
ナイルが苦笑するが、まあこれは仕方ないだろう。
最初の印象が強すぎる。
一騎当千の猛者と命がけで戦いたい者など、いるわけもない。
「あと、お師匠さんの防御魔法が全体にかかってたからねっ 矢とか飛んできても大丈夫っ」
「なーる。戦死者ゼロのからくりはそれか」
おそらくセシルとマルドゥクは、技巧を凝らして敵も味方も騙してのけたのだろう。
竜や魔法など、まったく介在していないように。
「けどまあ、その後、よく軍には入れとか言われなかったな」
「あたしを部下にしちゃったら、イリューズさまはすぐに邪魔に感じるようになるよ」
聡明で武勇に優れた英雄。
領主より人気のある部下。
粛正コースまっしぐらである。
ゆえに、褒美をとらすと言われたとき、セシルは申し出た。
病弱な妹を抱えているので、危険のない安定した暮らしを求めて都に出てきた。領内で商売でもはじめたいと思うので、開業の許可が欲しい、と。
ときのサリス子爵は、自領に英雄が住んでくれることを喜び、かつ政治にも軍事にも口を挟まないことに安堵し、その申し出を快諾した。
こうしてセシル商会が誕生したのである。
開業と、商工会加盟に伴う諸手続と、資金提供は、すべてサリスが引き受けてくれた。
「その後は独立採算になっちゃったけどねっ」
「まあそりゃそうだな」
開業資金を出してくれただけでたいしたものである。
先の経営まで面倒を見てくれるとしたら、それはセシル商会ではなくサリス商会と名乗るべきだろう。
「そんなわけで、イリューズさまには、恩なり借りなりがあるから、断れないんだよねー」
「んだなぁ」
盗賊退治の話である。
サリス伯爵はものすごい期待をしているだろうが、残念ながら本物のセシルに反則級の戦闘力などない。
四十名の盗賊団に向かっていっても、ぷちっとつぶされて終わりだ。
またマルドゥクが変身するか、あるいは違う手を考えなくてはいけないだろう。
タイモール屈指の冒険者ギルドとサリス伯爵軍の混成部隊。
連携に難があったとは思わない。
何度も共闘しているし、それこそナトラ紛争だって、ともに生き抜いている。
「半数の兵力で勝っちゃうって、何者なんだろうねー」
「あ……」
「ん? どしたの? ナイル」
「セシル。ちょっと思い当たることがある。戦闘記録っていうのかな、どういう風に戦ったのか、資料みたいなのってないかな」
「あると思うよー? でもなんで?」
「どういう場所で戦ったのかと思ってな」
婉曲的なナイルの言葉。
少しだけ考える仕草をしたセシルが正解にたどり着く。
「堂々とした会戦じゃなかったってこと?」
「ああ。森とかを利用した戦い方ってのがあるんだ。森林地帯、盗賊、少数、これで勝ったってことは、たふん考えられる可能性はひとつだと思う」
「それは?」
「ゲリラ戦、さ」
0
あなたにおすすめの小説
【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。
竜皇女と呼ばれた娘
Aoi
ファンタジー
この世に生を授かり間もなくして捨てられしまった赤子は洞窟を棲み処にしていた竜イグニスに拾われヴァイオレットと名づけられ育てられた
ヴァイオレットはイグニスともう一頭の竜バシリッサの元でスクスクと育ち十六の歳になる
その歳まで人間と交流する機会がなかったヴァイオレットは友達を作る為に学校に通うことを望んだ
国で一番のグレディス魔法学校の入学試験を受け無事入学を果たし念願の友達も作れて順風満帆な生活を送っていたが、ある日衝撃の事実を告げられ……
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
男爵家の厄介者は賢者と呼ばれる
暇野無学
ファンタジー
魔法もスキルも授からなかったが、他人の魔法は俺のもの。な~んちゃって。
授けの儀で授かったのは魔法やスキルじゃなかった。神父様には読めなかったが、俺には馴染みの文字だが魔法とは違う。転移した世界は優しくない世界、殺される前に授かったものを利用して逃げ出す算段をする。魔法でないものを利用して魔法を使い熟し、やがては無敵の魔法使いになる。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる