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第4章
第30話
しおりを挟む夜陰に紛れた飛行。
秋から冬へと季節が移り変わりつつあるなか、気温はかなり低いが背の上はそよとも風が吹かない。
「前も思ったけど、羽ばたいて飛んでるわけじゃないんだな。ドラゴンって」
「魔法で飛んでるんだってさー」
マルドゥクの体長は三十メートルほど。
両翼は七十メートルほどもあるが、飛行中ほとんど翼を動かすことはない。
姿勢制御や方向転換のために軽く動かす程度だ。
「灯りが見えてきたぞ」
前方を指さすテリオス。
月明かりの下、セシルが地図を確認した。
「飛び立ってから二時間。そろそろオルトの王都だねー」
王都アイリーンからオルトの国境まで徒歩で十日。そこからオルト王都まではさらに五日。
距離にするとざっと六百キロほどだ。
それを二時間で踏破してしまうのだから、竜の翼は一日に千里を翔るという伝承も、あながち間違ってはいない。
「一度通過して、反対側から王都に入ろうー」
もちろんアイリン王国の人間だと思われないための小細工である。
効果があるかは判らないが、気休め程度にはなるだろう。
着陸したのは、オルトの王都からやや離れた森だ。
木々を倒さぬよう、ぎりぎりまで高度を下げた状態で変身する。
空中に投げ出される三人。
動揺するほど可愛げのあるような連中ではない。
ナイルは精神魔術で、セシルとテリオスは身体能力を駆使して、宙に浮かんだり木を伝ったりしながら地上に降り立つ。
そして近衛騎士が幼女状態になったマルドゥクを抱き留めた。
「うむ。ご苦労」
「は。光栄の極み」
「テオ。その言葉遣い、王都に入ったら直さないとだよー」
物見遊山に訪れた外国の商人の娘セシルと、その妹のマリィ。
護衛の冒険者であるテオとナイル。
街に入るには、そういう設定を使う。
依頼人相手とはいえ、あまり丁寧すぎる言葉を使っていては奇異に思われるだろう。
「しかし……竜王さまに失礼な口をきくのは……」
「ナイルのようにため口で話せというのではない。ほどほどに丁寧にしておけばよいのじゃ。テオは顔立ちも上品ゆえ、見栄えがするじゃろう」
「どうせ俺はイナカモノですよ」
王都で生まれ育ったテリオスと寒村生まれのナイル。
そりゃ差だってつくだろう。
「では、マリィさま、と」
「なのに姉のあたしが呼び捨てっておかしくないー?」
「おかしくない」
断言したりして。
なかなかめんどくさいナイトである。
「いいけどさ。くれぐれもぼろを出さないでね?」
「任せておけ」
「不安しかないぞ。俺は」
セシルとテリオスのやりとりに、やれやれと肩をすくめるナイルだった。
オルト王国というのは、べつに特筆するようなこともない普通の国だ。
軍事国家というわけでもないし、極端な恐怖政治を敷いているわけでもない。
過去、幾度もアイリン王国と矛を交えているが、これは隣り合う国同士であれば珍しくもないことである。
どこのどんな国だって、隣国のもつ利権や財貨を狙っているものだからだ。
国王はユハイムという人物で、年齢は五十代の半ば。
若くはないが、とくに老齢ということもない。
名君ではないが、とりたてて暗君というわけでもない。
むしろ民にとってはありがたい人物像だ。
なまじ才気に溢れて野心と向上心のある君主だと、なかなか民は平和に生きられないから。
風向きが変わったのは二年ほど前。
ユハイムが病に倒れ、摂政のサトリスなる男が実権を握ってからだ。
次々と新たな政策が打ち出され、オルト王国に空前の富をもたらした。
斬新な農地改革。
軍事教練の充実。
商工業のドラスティックな再編。
技術革新に、教育制度の導入など。
当初は非難も浴びたが、サトリスは武断的な処置で断行した。
結果、オルトは二年の間にめざましい発展を遂げ、国力も増大してゆく。
「という触れ込みなんだけど、どーだろーねー」
王都を散策しながら、セシルが肩をすくめた。
たしかに栄えてはいるのだろうが、あまり雰囲気が良くない。
「なーんか歪な気がするんだよねー」
「だろうな。経済格差のせいだと思う」
腕を組んだナイルが応える。
情報収集を兼ねて、ふたりで街に出たのだ。
マルドゥクとテリオスは、宿でくつろいでいる。
まあ、なにかと目立つ二人なので、あまり偵察任務には向かないから。
「けーざいかくさ?」
「富める者はますます富み、貧しい者はいつまでも貧しく。というやつさ」
人間の経済が貨幣によって回り始めると、多かれ少なかれそういうことになってゆくものだ。
ただ、オルトの場合は急激すぎる。
「たとえば、産業革命後のイギリスみたいにな」
「え? なに?」
耳慣れない単語に、少女がきょとんとした。
「いや、セシルが知らなくても当たり前なんだ。こいつは俺の領分だからな」
「どういうこと?」
「たぶん、摂政のサトリスってのは、日本からの転生者か転移者だ」
「解説よろしくー」
「俺が読んでいた物語だと、けっこうよくある展開なんだ」
異世界に転生なり転移なりして、現代日本の知識を使って、街や国を富ませてゆく。
たいていは何もかも上手く運ぶのだ。
軋轢も生まれず、国は栄え、主人公は民から無限の感謝をされる。
「ふーん?」
胡乱げなセシルの表情。
彼女の見るところ、オルトの民が、全員サトリスを称揚しているようには思えなかった。
むしろ貧困にあえいでいる者の方が多いように感じる。
「当然のことなんだ。それは」
「そうなの?」
「ああ」
左手である看板を指す。
酒場だ。
長い話になると察したセシルが、軽く頷いた。
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