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3600回のプロポーズ
しおりを挟む「ソフィア、大きくなったら結婚しよう?」
「え……?」
美味しいお菓子が沢山食べられるよと両親に言われてソフィアは人生初めてのお茶会に参加した。
しかし周囲の煌びやかな雰囲気に圧倒されて、そこから逃げるように人気のない場所で時間を潰していた。
ソフィアは自他ともに認める陰キャである。
でも一人で見知らぬ場所にいるのは心細かったし、とても寂しかった。
そこに物静かそうな年下の男の子が来たから、つい話しかけてしまったのだ。
そして数時間後、その子からプロポーズされた。
「ねえ、お願い」
天使のように愛らしい男の子が小さく首を傾げて見上げてくる。
あまりの可愛さに頷きそうになって、慌てて首を横に降った。
「その約束はできないわ」
「どうして?」
純真無垢な瞳に見つめられ、思わず目を逸らす。
お互いのためにもここは幼い彼でも納得できる理由を提示しなければいけない。
必死で考えた末、ソフィアは一つの嘘を思いついた。
「私の家は少し特殊で、一日一回ずつで合計三六〇〇回プロポーズされないと結婚できない決まりなのよ」
申し訳なさそうに言うと、男の子は綺麗な瞳をまん丸にさせた。
十年間殆ど毎日私ごときにそこまで尽くしてくれる男なんているはずがない。
そんな自虐的な傲りから生まれた嘘だった。
途方もない数字に絶望して、すっぱり諦めてくれると思ったのだが。
「分かった。じゃあ今日は一回目だね」
男の子はそう言って嬉しそうに笑った。
予想外の反応に驚きはしたが、この時のソフィアはまだ楽観的に捉えていた。
(どうせ私のことなんて一週間後には忘れてるでしょ)
九年の月日が経ち、ソフィアは十八歳になった。
しかし彼女にはまだ婚約者どころか恋人すらできたことがない。
由緒正しい伯爵家の長女であるにも関わらず、お見合いの申し込みが一件もこないのだ。
その原因は────
「おはよう、ソフィア。今日も可愛いね。結婚しよう」
早朝から嫌になるほど麗しい笑顔を見せたのは、この国の第一皇子であるランスロットだ。
信じられないことに、あの年下の男の子は皇子殿下だったのだ。
華やかな金髪に甘そうな琥珀色の瞳。
凛々しく整った顔立ちに加え、学業や武術も非常に優秀らしく、極めて将来有望な男だ。
それなら尚更結婚の話はなくなるだろうと思っていたのだが。
「これで三二八〇回。そろそろ結婚式の準備を始めようか?」
「始めません」
「でもあと一年しかないよ?」
「その間プロポーズが続いたらの話ですよね」
「死が僕たちを分かつまで続けるから安心して」
さらっと激重なセリフを吐かれて、咄嗟に言葉が出なかった。
(なぜここまで皇子に執着されてしまったのかしら……)
ソフィアには心当たりが全くなかった。
学園の生徒たちがこの光景を見慣れすぎて、毎日注目を浴びなくなっただけまだいい方だ。
引っ込み思案な彼女にとって、才色兼備な皇子からプロポーズを受ける日々は大きな悩みの種だった。
先日は美しい公爵令嬢から釘を刺された。
『貴方と殿下ではどう考えても不釣り合いですわ』
そんなことは言われなくても自覚していた。
「どうしたら私との結婚を諦めてくださるのかしら」
「……ソフィアこそ、まだ殿下から逃げられると思ってるの?」
呆れたような顔をするエレナの両手を掴む。
彼女は数少ない友人の一人で、一番頼りになる存在だった。
「お願いエレナ。一緒に方法を考えてくれない?」
「絶対に無駄だと思うわよ」
「このまま何もせず皇子妃になるより何倍もいいわ」
必死に懇願すると、エレナは仕方なさそうに小さく溜息をついた。
優しい友人に笑顔でお礼を言うと、「結果の保証はできないからね」と再度伝えられる。
過去の失敗で、皇子がいかに手強いかは実感している。
それでもギリギリまで諦めたくなかった。
「要は殿下に嫌われるようなことをすればいいのよ」
「例えば?」
「身分が低い令嬢を虐めたり、色んな令息に粉をかけたり」
名案とばかりに胸をはるエレナに、思わず眉根を寄せた。
流行りの恋愛小説に出てくる悪役令嬢のようなことをリアルでやるということだろうか。
「誰かを虐めるのは流石にまずいんじゃない?」
「じゃあ優良物件の令息たちを積極的に狙うしかないわね」
「狙うって、少しハードルが高すぎない?」
「…………ソフィア、皇子妃になりたいの?」
「私、頑張るわ!」
拳を握って立ち上がると、エレナから拍手が送られる。
皇子との結婚を阻止するためにはなりふり構っていられないのだ。
弟や幼馴染以外の男子と関わったことすらないが、ここは腹を括るしかないだろう。
「イーサン、今日一緒に帰らない?」
早速その日の放課後から作戦を実行に移した。
初対面の男子に話しかける勇気が出なかったため、幼馴染の伯爵令息に声をかけたのだが。
自然な笑顔で尋ねると、イーサンは明らかに警戒したような表情を見せた。
「学校では他人のフリをするように言ったよな?」
「そんな寂しいこと言わないでよ。私たち昔は大の仲良しだったじゃないの」
「マジでやめろ。俺が殿下に目を付けられたらどうしてくれるんだ」
「その時は二人で駆け落ちでもする?」
「お前、冗談でもそういうことは」
顔を近づけてヒソヒソと話していると、突然イーサンの言葉が止まった。
彼がソフィアの背後を見て、顔を青ざめさせる。
「殿下、違います。ソフィア嬢が、突然話しかけてきたんです」
ぎこちない笑みを浮かべながら、立ち去ろうとするイーサン。
「ええ、全部見ていたから大丈夫ですよ」
心なしか温度のない声に、背筋が凍った。
皇子に頭を下げて背中を向けたイーサンを追いかけようとすると、後ろから大きな身体に抱きしめられる。
気がつくと教室のなかにはソフィアと皇子しかいなくなっている。
(皆、空気読み上手すぎるでしょ……)
長い沈黙の間そんなことを考えていると、
「僕は三二八〇回プロポーズしても手すら繋いでもらえないのに、彼とはキスできそうな距離で喋るんだね」
拗ねたような声に胸がざわつく。
確かに九年間もプロポーズさせ続けておいて、浮気のようなことをしたのは申し訳なかったかもしれない。
「……ごめんなさい」
心からの謝罪を口にすると、皇子は小さく笑った。
「これからはランスって呼んでくれるなら許す」
彼の表情は見えないが、何かを期待して楽しそうな雰囲気は伝わってくる。
皇子であることを知ってからは強請られても殿下呼びを徹底していたが、今回ばかりは罪悪感に負けてしまった。
「ランス……」
「なあに、ソフィー」
甘えるようなランスロットの声に、顔が赤くなるのがわかった。
(このバカップルみたいな空気感はなんなの……!?)
ソフィアが一人で羞恥心に悶えていると、頬に優しく口付けされた。
「え、いま、なにを?」
「三六〇〇回目のプロポーズの時は、『ランス、好き』って言ってソフィアからキスしてほしいな」
驚いて振り返ると、幸せそうに笑うランスロットがいた。
九年前の咄嗟の嘘から始まった彼との奇妙な関係。
不釣り合いなことを理由にこれまで逃げ回ってきたが、その笑顔がソフィアだけに向けられているという事実がどうしようもないほど嬉しかった。
「…………三六〇〇回目は、期待してくれていいわよ」
恥ずかしさのあまり、無意識に偉そうな口調になってしまう。
(私ってやっぱり可愛くない……)
自己嫌悪に陥りながらランスロットの様子を伺うと、片手を目元に当てて天を仰いでいた。
「楽しみにしてる」
少し赤みがかった顔で言う彼に、胸が高鳴る。
約束の三六〇〇回まで、あと三二〇回。
残り少ないようで、まだまだ遠くにも感じられた。
願わくば、一年後も彼と──────
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