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日本征覇史#03 何故、日本語は漢字(仮名文字を含)で記録するのか? 教育は最強の武器

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日本征覇史#03 何故、日本語は漢字(仮名文字を含)で記録するのか?

 日本語が漢字で記録されたのは、「教育」を武器とした、日本征覇の達成にありました。

 日本ヤマトは、ケルトと同じ記憶伝承文化であり、記録を残すということを、元々してこなかったという背景があります。

 大和郡山で、毎年開催される、記憶力大会は、記憶による歴史伝承を担ってきた、稗田一族の阿礼あれが口述したモノを筆記したのが、古事記であります。膨大な記憶を伝承してきた稗田一族の記憶を、“万葉仮名”という外来文字で記述し、日本ヤマトは、記憶から記録文化へと移行していった。

 古事記は、口述した和音に、漢字を用いて当て字にした、“万葉仮名”の形で記述される。人名戸籍等の確認が必要となっていって、記憶量が多岐に渡り、膨大な量を記憶しなければならなくなり、日本ヤマトは、噺の音韻を、“万葉仮名”を用いて、記録する方法をとった。稗田一族は、猿田君と同じく、天鈿女命を祖とする、巫女一族と巫女を支える司一族であった。

 超記憶症候群Hyperthymesiaの対象者は、見たこと聴いたことを、記憶することができる。稗田一族や猿田君を含めて、超記憶症候群Hyperthymesiaの能力を持った一族であったのです。

 日本ヤマトが拡大していくにつれて、官僚機構が拡大していって、記憶するだけでは問題が生じるようになりました。さらに、海外からの亡命者が増加し、記憶による統治に限界が生じるようになったのです。日本ヤマトの官僚達は、記録する方法を、必要としていました。
 しかしながら、記憶せずに記録することは、日本ヤマトでは、仕事のできない人無能力者を意味します。
 記録に“万葉仮名”を使用した理由は、日本ヤマトに存在し無い、外来の“万葉仮名”を用いることで、記憶から記録に移行する言い訳にしたのです。
 「帝紀」や「先代旧辞」は、記憶と記録の双方で、残されていた。

 言葉だけでなく、恐らくは、記録するための文字についても、日本ヤマトより古くからあるやしろでは、幾つかの形式で記録されていた。
 つまり、日本ヤマトは、記憶文化であったが、日本ヤマトが征覇した地域には、記録文化があったのである。神代文字といった、古代文字は、日本ヤマトにとっての記録文字ではなく、日本ヤマト以前の文化によって育まれたモノである。
 また、うみなんちゅうの記録方法として、刺突ハジチがあり、西南諸島から九州、陸奥から蝦夷にかけては、刺突ハジチだけでなく、文様Wampumによる記録文化が残っハジチ》だけでなく、文様Wampumによる記録文化が残っていた。

 太古から続くやしろに残る、石碑に記された記号や残された文様Wampumを封印するために、日本に存在し無かった文字“万葉仮名”を用いたのである。


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 日本征覇の経緯は、国府の設置によって確認でき、征覇の達成は国分寺の建立と風土記の編纂によってである。
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 日本ヤマトは、すべての地域を、日本ヤマトに実装するために、国分寺や国分尼寺を中心として、官僚としての男性、子供の母親を対象として、「教育」を進めたのである。
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