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外伝 平家物語異聞
平家物語異聞 鎌倉行幸、戦の残滓
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講談師、見て来たように、嘘を吐くであります。
見事に、見せつけました、京洛行幸は、今は亡き重盛と為朝と共に外ツ国へと旅に出た渡辺玲が、霊代として仕掛けた策でございました。維盛の弟資盛が、宗実の旗持ちで源氏日章を掲げていたのであります。平家日章は、嵯峨源氏源融が流れ、渡辺省が、滝口武者として源氏を率いての行幸でありました。
京洛伏見より、御狐玉藻御前が、慣行として御所に入る伏見の御狐還幸が、伏見から祇園八坂の杜湯を抜けて、途中より行幸へと加わり、京洛杜湯御狐行列は、毎年見事な還幸行列を為していたものの、源義仲が、京洛に攻め入った時に、湯屋狐に対しても乱暴狼藉を働いたがために、湯屋狐をすべて伏見へと引き上げさせることとなった。
此度の還幸行列は、杜湯開きとなった。御狐行列は、伏見より、八坂杜湯から御所杜湯に向かうところでありました。これはまた、湯屋御厨の復活でもあり、京洛にとっては、日常が戻る契機でもあったのであります。
上皇様へ、主上から神鏡剣璽を返還し、退位の意志を示されたことで、京洛が主導となって、尊成親王を次の主上へと決めることができるようになりました。ただ、未だ御年四つの子でもあり、正月を待っての即位と決められました。平家のためとは言え、主上をみだりに京洛からお連れしたを罪として、建礼門院様、二位尼様の二人が、伊豆配流となったのであります。
夕方には、見事な行幸行列は、錦の御旗をお返しして、平宗実が白字笹竜胆の旗を持ち、源一が紅字揚羽蝶の旗を持って、源平幟を立てて、御所から建礼門院、二位尼様を守護するように、京橋へと向かったのでありました。この時、建礼門院様の御車に子が一緒に乗っていたようだとの噂は、流れたのでありますが、あくまでも噂にございました。
御所から京橋へ着くまでは、急ぎではない感じの道行きでございましたが、京橋から川船に乗ってからは、凄まじい勢いで、川を下り、宵闇の難波湊で、伊豆帆無八丈大船へと乗り換えて、出港したのでありました。
義経が、京洛へ帰還したのが、その五日後で在り、勝者として歓迎はされたのでありますが、
「画竜点睛を欠くとは、まさしく、義経がことのようだ」との噂が流れたのでございました。
結果として、論功行賞に響くことになったのであります。
史実において、1185年4月25日に壇ノ浦の合戦が起きて、京洛へとって返して、その日の内に出港した満月の夜であった記述されていることから、4月30日と推定されております。およそ三日で壇ノ浦より難波湊へと返したことになります。
伊豆帆無八丈大船、「癸巳」に乗り込んで宵闇に出港し、紀伊水道を超えたあたりで、ようやくミヅチ衆から帆走へと切り替えた。
「一。しばらくは、ゆっくり進めるか」
「大丈夫だ、宗実。「癸巳」だが、帆走でも、この風ならそこらの船には追い付けぬよ」
一は、紅錦金糸鋼小札大鎧女仕立てと、見事な美しさを持った鎧を着けていた。兜を脱いで、髪が海風に流れる一の姿を見ていて宗実が、
「良かった。今日は、本当に綺麗だったよ、一」
そう宗実に言われて、真っ赤になった一は、
「なぁ、なにをぉ、、、宗実だって、、、綺麗だ」
一は、宗実をうっとりと眺めるようなくらいであった。
宗実もまた、白錦銀糸鋼小札大鎧男仕立てで、紅白の鎧を互いに着ける艶姿でありました。一の女仕立ては、大きな胸乳に合わせて、鋼小札を見事に編み込んで在り、腰に絞り込むような造りは、身体の線に合わせた見事なつくりとなっていた。また、宗実の男仕立ても、小柄ながら鍛え上げられた身体に合わせて造られているため、二人が並ぶと、本当に夫妻鎧と呼ばれるにふさわしい仕立てとなっておりました。
そこへ
「本当に見事なものよ、宗実。一姫。亡き父上に見せたかったぞ」
「す、資盛兄上」
「義兄上様、、、」
「ははは、よいよい。そうでございましょう叔母上」
「ほほほ、そうですね。本当に、ご苦労様でございました。平家は敗れたとは言え、負け方を魅せることができたのは、ほんに亡き兄上のお陰でございましょうな」
「宗実。一姫。この資盛とて、平家の水軍を率いる身じゃ、多少の心得はある。塩飽の者も、そなたらを休めるならば、我の下知に従ってくれると言うてくれた」
「あ、兄上」
「一姫は、ミヅチ衆を率いて連日、水先を務めておる、休ませるがよかろう」
「義兄上。この程度で、一は倒れませぬ」
「なんの、一姫。しばらくは引き受けても、海が荒れれば一姫に頼らねばならぬ。休める時に休むのも武士の勤めぞ」
「は、はい、、、ありがとうございます」
「ほら、宗実も」
「は、はい」
二人が、仲良く、艫屋形へと入っていくと、
「資盛。まこと、これで良かったのかの、御子を連れ出して」
「心配は、いり申さん。すでに権威とて無い御子に、なんの力がありましょうや」
「しかしのぉ、心配なのじゃ、鎌倉へ行くなど」
「この資盛。命に代えても、御子をお守り致します」
「妾は、伊豆で待っていれば、御子に逢えような」
「はい。伊豆の三嶋大社へお連れするとの話でありました」
「三嶋の社は、確か、伊豆衆が社であったか」
「はい、伊豆の南に点在する島々の大社が、伊豆三嶋と聞いております」
「それでは」
「はい。一姫が、弟為頼を含め、和田義盛、大庭景親ら伊豆衆にて御守りすると」
「一姫や宗実はどうするのじゃ」
「日ノ本におっては、面倒が増えるから、父様へ挨拶するに外ツ国へ向かうと」
「為朝に出された、父相国が命令は、外ツ国勝手次第であったか」
「はい。真に、勝手次第をなされて、宋国が皇子を南方の島に匿ったそうです」
「ほぉ、かの水滸の英傑が、護るという島か」
「凌振は、難波で宋国よりの者達を受け入れたそうですが、宋ヶ島に祖霊を祀るとされて、御子の父上が名で綸旨がだされ、許されております」
「島は、嵯峨院大覚寺への寄進であったな」
「はい。なんぞ、三嶋で不都合があっても、御子を連れて、為頼殿が宋ヶ島へお連れし、追うようなことであれば、さらに外ツ国へお連れするとの手筈です」
「海を越えるは、凄いものよな。父相国が憧れておったのも良く判るのぉ」
「はい。この資盛も、御子や叔母上をお連れしての旅なれば、面白いものと思います」
「そうじゃな、それも、面白かろうな」
「叔母上も、お休みなされませ。後は、この資盛が、引き受けまする」
「すまぬのぉ」
建礼門院様が、艫屋形へ下がられた。一つの決意を秘めた、武士を残して。
順風満帆とまでは言えぬまでも、順調に黒潮の流れに乗って紀伊半島を周回して、黒潮を離れて、三河、遠江、駿河、伊豆と船を走らせていった。沼津への到着が下弦の月とあるので、5月7日と推定されています。三嶋大社へ建礼門院様、二位尼様を預けると、為頼が伊豆衆が長として国府へと入った。伊豆国司は、平宗実で在り、宗実の代官として、源為頼があたった。
後に、為頼が、伊豆守護職に北条義時、伊豆地頭職に伊豆為頼として就くこととなるが、不在国司ではあるが、平宗実のままであった。
伊豆から江の島へ大船を着けて、資盛は、宗実や一とも別れ、御子を連れて鎌倉への道行きとなった。
鎌倉府にては、頼朝らの詰問に対して、見事なまでに反論し、資盛は、
「ははは、鎌倉殿。戦の勝敗は武家の習いなれば、この平資盛。負けてこの地に参ったにすぎませぬ」
平家の責について問いかけると、鎌倉御家人衆が集まる中で、
「平家が始まりは、祖父清盛相国が魁。嫡子重盛が嫡男維盛を始め、平家諸将は、敗れた責に置いて、壇ノ浦にて自害して果て申した。ならば、この資盛が、平家が罪を背負って鎌倉殿が罪を断じられましたが故に自害いたす」
そう言って、帯の小太刀を抜いて、自己が腹に突き立てると、
「されど、この資盛が死を持って、平家の最期として、他の者が罪を問わぬとの約定を致しそうらえ」
そういったのであります。
「見事なり、これ以上、平家との罪は問わぬ、主上が下に、この頼朝が約定す」
この資盛自害を持って、源平合戦の終焉とするが、後世歴史家の定説となっております。西国を含めて、日ノ本六十余州ことごとくに、頼朝が下知に従うこととなったのでありました。
京洛にて、主上即位がなされたのが、文治元年正月となりますので、それまでに、主上が下知として、全国への守護・地頭の設置が認められ、頼朝政権が日ノ本全域へと広がったこととなります。
義経が、鎌倉に着いた時には、すべての事が済み、御子は、三嶋大社預かりとなった後でございました。
義経が、後白河院の要望である、御子の京洛返還と、壇ノ浦の戦場を荒らした、宗実と一の断罪を求めたものの、
「既に、壇ノ浦に、平家一門宗盛が死に維盛や知盛が自害して果て、この鎌倉にて、資盛が自害して果てた。これ以上の平家の追討は要らぬ」
「し、しかしッ」
「三嶋大社におられるは、尊き血を流れを持つが主上に非ず、御子なれば、京洛に返す言われなし、これ以上の論議無用ッ」
この命令に、しぶしぶ従うものの、三嶋大社へと向かうと、伊豆為頼、和田義盛、大庭景親らが兵を率いて警護し、鎌倉殿が下知以外は聞かずと宣言した。
宗実と一姫は、下田から父為朝へ挨拶に向かうと弟為頼に書き残して、南方へと旅立ったのでありました。
これにて、平家物語異聞の幕引きとあいなります。
見事に、見せつけました、京洛行幸は、今は亡き重盛と為朝と共に外ツ国へと旅に出た渡辺玲が、霊代として仕掛けた策でございました。維盛の弟資盛が、宗実の旗持ちで源氏日章を掲げていたのであります。平家日章は、嵯峨源氏源融が流れ、渡辺省が、滝口武者として源氏を率いての行幸でありました。
京洛伏見より、御狐玉藻御前が、慣行として御所に入る伏見の御狐還幸が、伏見から祇園八坂の杜湯を抜けて、途中より行幸へと加わり、京洛杜湯御狐行列は、毎年見事な還幸行列を為していたものの、源義仲が、京洛に攻め入った時に、湯屋狐に対しても乱暴狼藉を働いたがために、湯屋狐をすべて伏見へと引き上げさせることとなった。
此度の還幸行列は、杜湯開きとなった。御狐行列は、伏見より、八坂杜湯から御所杜湯に向かうところでありました。これはまた、湯屋御厨の復活でもあり、京洛にとっては、日常が戻る契機でもあったのであります。
上皇様へ、主上から神鏡剣璽を返還し、退位の意志を示されたことで、京洛が主導となって、尊成親王を次の主上へと決めることができるようになりました。ただ、未だ御年四つの子でもあり、正月を待っての即位と決められました。平家のためとは言え、主上をみだりに京洛からお連れしたを罪として、建礼門院様、二位尼様の二人が、伊豆配流となったのであります。
夕方には、見事な行幸行列は、錦の御旗をお返しして、平宗実が白字笹竜胆の旗を持ち、源一が紅字揚羽蝶の旗を持って、源平幟を立てて、御所から建礼門院、二位尼様を守護するように、京橋へと向かったのでありました。この時、建礼門院様の御車に子が一緒に乗っていたようだとの噂は、流れたのでありますが、あくまでも噂にございました。
御所から京橋へ着くまでは、急ぎではない感じの道行きでございましたが、京橋から川船に乗ってからは、凄まじい勢いで、川を下り、宵闇の難波湊で、伊豆帆無八丈大船へと乗り換えて、出港したのでありました。
義経が、京洛へ帰還したのが、その五日後で在り、勝者として歓迎はされたのでありますが、
「画竜点睛を欠くとは、まさしく、義経がことのようだ」との噂が流れたのでございました。
結果として、論功行賞に響くことになったのであります。
史実において、1185年4月25日に壇ノ浦の合戦が起きて、京洛へとって返して、その日の内に出港した満月の夜であった記述されていることから、4月30日と推定されております。およそ三日で壇ノ浦より難波湊へと返したことになります。
伊豆帆無八丈大船、「癸巳」に乗り込んで宵闇に出港し、紀伊水道を超えたあたりで、ようやくミヅチ衆から帆走へと切り替えた。
「一。しばらくは、ゆっくり進めるか」
「大丈夫だ、宗実。「癸巳」だが、帆走でも、この風ならそこらの船には追い付けぬよ」
一は、紅錦金糸鋼小札大鎧女仕立てと、見事な美しさを持った鎧を着けていた。兜を脱いで、髪が海風に流れる一の姿を見ていて宗実が、
「良かった。今日は、本当に綺麗だったよ、一」
そう宗実に言われて、真っ赤になった一は、
「なぁ、なにをぉ、、、宗実だって、、、綺麗だ」
一は、宗実をうっとりと眺めるようなくらいであった。
宗実もまた、白錦銀糸鋼小札大鎧男仕立てで、紅白の鎧を互いに着ける艶姿でありました。一の女仕立ては、大きな胸乳に合わせて、鋼小札を見事に編み込んで在り、腰に絞り込むような造りは、身体の線に合わせた見事なつくりとなっていた。また、宗実の男仕立ても、小柄ながら鍛え上げられた身体に合わせて造られているため、二人が並ぶと、本当に夫妻鎧と呼ばれるにふさわしい仕立てとなっておりました。
そこへ
「本当に見事なものよ、宗実。一姫。亡き父上に見せたかったぞ」
「す、資盛兄上」
「義兄上様、、、」
「ははは、よいよい。そうでございましょう叔母上」
「ほほほ、そうですね。本当に、ご苦労様でございました。平家は敗れたとは言え、負け方を魅せることができたのは、ほんに亡き兄上のお陰でございましょうな」
「宗実。一姫。この資盛とて、平家の水軍を率いる身じゃ、多少の心得はある。塩飽の者も、そなたらを休めるならば、我の下知に従ってくれると言うてくれた」
「あ、兄上」
「一姫は、ミヅチ衆を率いて連日、水先を務めておる、休ませるがよかろう」
「義兄上。この程度で、一は倒れませぬ」
「なんの、一姫。しばらくは引き受けても、海が荒れれば一姫に頼らねばならぬ。休める時に休むのも武士の勤めぞ」
「は、はい、、、ありがとうございます」
「ほら、宗実も」
「は、はい」
二人が、仲良く、艫屋形へと入っていくと、
「資盛。まこと、これで良かったのかの、御子を連れ出して」
「心配は、いり申さん。すでに権威とて無い御子に、なんの力がありましょうや」
「しかしのぉ、心配なのじゃ、鎌倉へ行くなど」
「この資盛。命に代えても、御子をお守り致します」
「妾は、伊豆で待っていれば、御子に逢えような」
「はい。伊豆の三嶋大社へお連れするとの話でありました」
「三嶋の社は、確か、伊豆衆が社であったか」
「はい、伊豆の南に点在する島々の大社が、伊豆三嶋と聞いております」
「それでは」
「はい。一姫が、弟為頼を含め、和田義盛、大庭景親ら伊豆衆にて御守りすると」
「一姫や宗実はどうするのじゃ」
「日ノ本におっては、面倒が増えるから、父様へ挨拶するに外ツ国へ向かうと」
「為朝に出された、父相国が命令は、外ツ国勝手次第であったか」
「はい。真に、勝手次第をなされて、宋国が皇子を南方の島に匿ったそうです」
「ほぉ、かの水滸の英傑が、護るという島か」
「凌振は、難波で宋国よりの者達を受け入れたそうですが、宋ヶ島に祖霊を祀るとされて、御子の父上が名で綸旨がだされ、許されております」
「島は、嵯峨院大覚寺への寄進であったな」
「はい。なんぞ、三嶋で不都合があっても、御子を連れて、為頼殿が宋ヶ島へお連れし、追うようなことであれば、さらに外ツ国へお連れするとの手筈です」
「海を越えるは、凄いものよな。父相国が憧れておったのも良く判るのぉ」
「はい。この資盛も、御子や叔母上をお連れしての旅なれば、面白いものと思います」
「そうじゃな、それも、面白かろうな」
「叔母上も、お休みなされませ。後は、この資盛が、引き受けまする」
「すまぬのぉ」
建礼門院様が、艫屋形へ下がられた。一つの決意を秘めた、武士を残して。
順風満帆とまでは言えぬまでも、順調に黒潮の流れに乗って紀伊半島を周回して、黒潮を離れて、三河、遠江、駿河、伊豆と船を走らせていった。沼津への到着が下弦の月とあるので、5月7日と推定されています。三嶋大社へ建礼門院様、二位尼様を預けると、為頼が伊豆衆が長として国府へと入った。伊豆国司は、平宗実で在り、宗実の代官として、源為頼があたった。
後に、為頼が、伊豆守護職に北条義時、伊豆地頭職に伊豆為頼として就くこととなるが、不在国司ではあるが、平宗実のままであった。
伊豆から江の島へ大船を着けて、資盛は、宗実や一とも別れ、御子を連れて鎌倉への道行きとなった。
鎌倉府にては、頼朝らの詰問に対して、見事なまでに反論し、資盛は、
「ははは、鎌倉殿。戦の勝敗は武家の習いなれば、この平資盛。負けてこの地に参ったにすぎませぬ」
平家の責について問いかけると、鎌倉御家人衆が集まる中で、
「平家が始まりは、祖父清盛相国が魁。嫡子重盛が嫡男維盛を始め、平家諸将は、敗れた責に置いて、壇ノ浦にて自害して果て申した。ならば、この資盛が、平家が罪を背負って鎌倉殿が罪を断じられましたが故に自害いたす」
そう言って、帯の小太刀を抜いて、自己が腹に突き立てると、
「されど、この資盛が死を持って、平家の最期として、他の者が罪を問わぬとの約定を致しそうらえ」
そういったのであります。
「見事なり、これ以上、平家との罪は問わぬ、主上が下に、この頼朝が約定す」
この資盛自害を持って、源平合戦の終焉とするが、後世歴史家の定説となっております。西国を含めて、日ノ本六十余州ことごとくに、頼朝が下知に従うこととなったのでありました。
京洛にて、主上即位がなされたのが、文治元年正月となりますので、それまでに、主上が下知として、全国への守護・地頭の設置が認められ、頼朝政権が日ノ本全域へと広がったこととなります。
義経が、鎌倉に着いた時には、すべての事が済み、御子は、三嶋大社預かりとなった後でございました。
義経が、後白河院の要望である、御子の京洛返還と、壇ノ浦の戦場を荒らした、宗実と一の断罪を求めたものの、
「既に、壇ノ浦に、平家一門宗盛が死に維盛や知盛が自害して果て、この鎌倉にて、資盛が自害して果てた。これ以上の平家の追討は要らぬ」
「し、しかしッ」
「三嶋大社におられるは、尊き血を流れを持つが主上に非ず、御子なれば、京洛に返す言われなし、これ以上の論議無用ッ」
この命令に、しぶしぶ従うものの、三嶋大社へと向かうと、伊豆為頼、和田義盛、大庭景親らが兵を率いて警護し、鎌倉殿が下知以外は聞かずと宣言した。
宗実と一姫は、下田から父為朝へ挨拶に向かうと弟為頼に書き残して、南方へと旅立ったのでありました。
これにて、平家物語異聞の幕引きとあいなります。
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