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宵闇背景綺談
平安洗浄事情
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講釈師は、見てきたように嘘を吐く。これが基本ではありますが、まぁ現実があまりにも小説より奇なりというか、様々な事情というのは、困ったものだなぁというところが、平安期にはあります。
テンプレな転移モノでは、洗剤というものとして、ムクロジやサイカチ、木灰に米糠が使われていたりします。
実際の鎌倉時代1200年頃に描かれた記述。
道元禅師が記した「正法眼蔵」では、
ご不浄と呼ばれるトイレに行く時は、手拭を持って、長い袈裟であれば、外して手拭と一緒にして竿に掛ける。手桶に水を入れて、厠の入り口で履物を換える。桶の水を少し使って便器を清め、桶を正面に置いて、両足で台を踏み、用便を行う。
このように記述されている。
この中で、トイレでしてはイケないことととして、「あたりを汚す」「歌を詠う」「唾を吐く」「落書きをする」という風に記載されている。ここらへんは、逆に言うならば、禁止事項として書かなければならないくらいに、やってしまう人が多かったということなのではないだろうか。
用便が済むと、紙か竹べらで拭いて、手桶の水を左手で受けて洗う。外へ出て、灰で三度荒い、土団子で三度、サイカチで一度手を洗って最期に水で清めると描かれている。
平安期に途絶した、便所が建てられるようになったのは、先に記述したように、平安後期から鎌倉時代の頃ということなので、厠ではなく、東司とか西浄と呼ばれていた。寺の建物として配置から、東にあるか西にあるかで、名称が異なっていたようである。
現在見ることが出来るのは、東福寺東司のもので室町時代の建物である。
<東福寺東司>
中を見ると、良く判るが、だだっ広い場所に穴が開けられていて、そこに壺を置いて用を足していたものと思われる。
湯屋の構造についても同じである。湯舟に入る人は、入口から入った板間が脱衣所となっていて、その奥に小さな入り口が設けられた湯屋が造られていた。そして、反対側に釜があり、作業員の作業場所と一緒になっていた。このあたりの構造は、あまり変わっていないようである。
防府市資料写真(阿弥陀寺の湯屋で検索すると出てくる?)の構造からすると、湯舟は小さなもので、身体をつけるものではなく、湯気で噴き出た汗と垢を洗い流すモノであったようである。ここでの洗いように使われたのが、サイカチやムクロジといった粉である。髪を洗う際には、米糠なんかも使われていたようである。
宵闇では、ムクロジやサイカチの木を湯屋の周りに植えている。
寺の伽藍構造からすると、東司や湯司は、並んで配置されていることが多い。これは、現代でも同じだが、給排水の構造上から生じる配置だと思われる。この状況から、修正史実として、人がつかれる湯舟や水が流れる河屋としてのトイレといった機能を実装すると、家屋敷の構造は、事実上、給排水機能を優先して構造として配置せざるを得なくなる。結果的には、火災等の緊急時にも対応できるように、高めに設置した水瓶を中心とした御厨構造が生まれると考えられる。土地や水利状況によっては、水車等を用いた、上水構造が思いつかれて設置すると推定できる。
テンプレな転移モノでは、洗剤というものとして、ムクロジやサイカチ、木灰に米糠が使われていたりします。
実際の鎌倉時代1200年頃に描かれた記述。
道元禅師が記した「正法眼蔵」では、
ご不浄と呼ばれるトイレに行く時は、手拭を持って、長い袈裟であれば、外して手拭と一緒にして竿に掛ける。手桶に水を入れて、厠の入り口で履物を換える。桶の水を少し使って便器を清め、桶を正面に置いて、両足で台を踏み、用便を行う。
このように記述されている。
この中で、トイレでしてはイケないことととして、「あたりを汚す」「歌を詠う」「唾を吐く」「落書きをする」という風に記載されている。ここらへんは、逆に言うならば、禁止事項として書かなければならないくらいに、やってしまう人が多かったということなのではないだろうか。
用便が済むと、紙か竹べらで拭いて、手桶の水を左手で受けて洗う。外へ出て、灰で三度荒い、土団子で三度、サイカチで一度手を洗って最期に水で清めると描かれている。
平安期に途絶した、便所が建てられるようになったのは、先に記述したように、平安後期から鎌倉時代の頃ということなので、厠ではなく、東司とか西浄と呼ばれていた。寺の建物として配置から、東にあるか西にあるかで、名称が異なっていたようである。
現在見ることが出来るのは、東福寺東司のもので室町時代の建物である。
<東福寺東司>
中を見ると、良く判るが、だだっ広い場所に穴が開けられていて、そこに壺を置いて用を足していたものと思われる。
湯屋の構造についても同じである。湯舟に入る人は、入口から入った板間が脱衣所となっていて、その奥に小さな入り口が設けられた湯屋が造られていた。そして、反対側に釜があり、作業員の作業場所と一緒になっていた。このあたりの構造は、あまり変わっていないようである。
防府市資料写真(阿弥陀寺の湯屋で検索すると出てくる?)の構造からすると、湯舟は小さなもので、身体をつけるものではなく、湯気で噴き出た汗と垢を洗い流すモノであったようである。ここでの洗いように使われたのが、サイカチやムクロジといった粉である。髪を洗う際には、米糠なんかも使われていたようである。
宵闇では、ムクロジやサイカチの木を湯屋の周りに植えている。
寺の伽藍構造からすると、東司や湯司は、並んで配置されていることが多い。これは、現代でも同じだが、給排水の構造上から生じる配置だと思われる。この状況から、修正史実として、人がつかれる湯舟や水が流れる河屋としてのトイレといった機能を実装すると、家屋敷の構造は、事実上、給排水機能を優先して構造として配置せざるを得なくなる。結果的には、火災等の緊急時にも対応できるように、高めに設置した水瓶を中心とした御厨構造が生まれると考えられる。土地や水利状況によっては、水車等を用いた、上水構造が思いつかれて設置すると推定できる。
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