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宵闇胡蝶綺譚:はじまりの転生者 渡辺綱
はじまりの転生者 渡辺綱 血族の拡大は、利権の分散
しおりを挟む後代の歴史で、難波を地盤とした、嵯峨源氏の武家であった、渡辺党は、難波に確固たる地盤を築いていた。しかしながら、時代の流れの中で、二流の存在で、大きくなれなかったと知られている。難波港の港湾利権、淡路・塩飽といった、瀬戸内島嶼確保と航行権益、淀川水系の川筋利権、河内湖一帯の開墾事業、大和川掘削事業、各地の港湾荷役や「瘴気祓い」など、非常に多くの利権を獲得していた。
しかしながら、惣官家は、松浦党を始めとする、各地の渡辺党に利権が分割されていって、難波の利権も、坐摩、露天、住吉と分かれ、惣官家には、上町台地の渡辺館を中心とする、「なにわ」の利権と権威だけが残った。北が淀川、東は平野川、南は大和川と、上町台地を中心とした「なにわ」の市街区。渡辺党にとって、「なにわ」を守るのはともかく、攻めるに向かない気風が出来上がっていた。
「なにわ」は、摂津や河内の、大江御厨であり、主上の直轄地でもあった。承久の乱でも、御所警護に人を出して、上皇に味方せず、主上を護ったのである。ただ、負け組の扱いとなり、「なにわ」近郊以外の川筋の利権を失っていた。
鎌倉崩壊の時には、主上の命もあって、難波宮を再興し、難波斎宮院家に主上の嫡女護良皇女を迎え、斎宮院家守護職となった。室町との争いの中で、「なにわ」以外の利権を失ったのである。
惣官家は、難波斎宮院家守護職として、権威は高く、「なにわ」を攻めようとするものは、「なにわ」町衆二十万を敵に回す覚悟を必要とした。平家、北条、足利と、「なにわ」を攻めては、敗れていったのである。
平家は、多田源氏をから淡路を奪って、瀬戸内利権を確立し、大陸からの海洋利権を、大輪田泊に集めて、事実上渡辺党を配下とした。北条や足利としても、「なにわ」へ逃げ込んだ主上を、宥め賺して、京洛へと戻しては、渡辺党を配下に戻して、主上を怒らせて「なにわ」に逃げられていた。ある時、性懲りも無く「なにわ」に主上が逃げると、渡辺典は主上守護のために、全国へ勅命を奉じて、渡辺一門だけでなく、全国の港湾荷役衆や街道の荷役衆も集結して、百万を号してそのまま京洛に押し出して、御所にお還しして、引き上げていったのである。
渡辺党は、常備可能な兵は三千程で、渡辺館を護るにも厳しい兵数でしかなかった。町衆や荷役から、兵を動員すると十万を超えて、兵粮等から軍を三日維持するのがやっとであった。
渡辺党は、一所懸命の武家であり、本領である渡辺惣で戦えば、圧倒的に強かったが、本領を離れて戦えぬ一族でもあった。鎌倉末期、主上の我が儘に付き合わされて、ロクな目に合わなかったことも、天下を傍観する結果となったのである。
平家、源氏、北条、足利を敵にしながら、本領安堵を勝ち取り続けた、渡辺惣官家は、今も「なにわ」に残り、全国渡辺党本家当主である。
琉爺著「渡辺党は、何故、天下を取れなかったか」
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