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第4話 Side:F(フィン)

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 カーテンの向こうに日が射し始めた早朝のこと。ふと耳を掠めていった荒く熱い呼吸音で僕は目を覚ました。いつもは隣で寝ているミューが先に目を覚まして、「朝だぞ」って起こしてくれるはずだった。それですぐに起きず、朝からじゃれあうのが一つの楽しみだったのだけど、今日はそうはいかないようだ。起きたのは、どうやら僕が先らしい。

「はぁ、はっ、あ、ふ……ぅ、」

 ベッドの半分で丸くなっているミューは、強く僕の手を掴んでいた。しかしミューはまだ眠っているようでそれが無意識の行動だったとすぐに分かる。寝ているはずなのに、その吐息は酷く苦しそうで、必死に息を繋いでいた。そこには安らかな寝息は一つもない。

 ──また、見てしまったんだね。

 言葉には出さず、静かにミューの頬を伝っている涙を撫でる。それでも涙は次から次への溢れてきて、僕の手では受け止めきれなくなってしまう。悲しくて、怖くて、苦しい夢。ミューの泣く音で目覚めるのは、もう何度目だろう。

 あれからミューは悪夢に魘されるようになっていた。城に連れ戻したばかりの頃は、毎晩、夢を見る度に悪夢に魘されている様子で、眠っても何度も何度も目覚めては泣きながら僕の存在を確かめるようにしがみついてきたことはまだ記憶に新しい。眠ると悪夢を見るからと言って眠れなくなって、目の下に隈を作ったりもしていた。そんなミューのために僕が出来ることなんて少なくて、せめてと思って大きなベッドを部屋に入れて、城にいるときは必ず隣で眠るようにしてきた。ミューが不安で目を覚ました時、いつでも側にいられるように。

 あれから少し経って、少しは悪夢を見ることは減ってきたようだった。しかし、減りはしたがなくなった訳ではなく、こうやって魘される日々は続いていた。

「……ミュー、大丈夫だよ」

 変わらず耳に届くのは、苦しそうな呼吸の音。いつもそうだった。この悪夢を見ている時、ミューは強いストレスに晒されるのか、呼吸が安定しなくなっていく。一度起こしてあげなければ。このままにしておいたら、またいつかのように呼吸困難になってしまう。最初は酷いものだった。夢を見る度に呼吸の仕方を忘れ、青ざめて酸欠になっていた。見知らぬ人に触れられるのを恐れ、子どものように泣きじゃくっていたことが忘れられない。

「……ミュー、ミュー……、もう、大丈夫だよ。何も怖くないよ、ね?」

 起こすためにベッドの中から、そっとミューの体を揺する。涙が頬を伝っていくのを手の甲で拭ってあげると、ミューの瞼がゆっくりと持ち上がった。その目が瞬きをする度に涙が枕を濡らしていく。肩を揺らして深く呼吸をしているが、その呼吸はひゅーひゅーと不規則な呼吸のままだった。僕を視界に捉えてもそれは収まらず、むしろ激しくなっていく。呼吸の速度が早すぎる。それは、過呼吸になっている証だった。時折噎せるような苦しそうな咳を吐き出しながら早すぎる呼吸を繰り返す。ミューは自分の手をそっと口元にあてるが、落ち着く様子はない。安心させなければと、ミューの頭を強く抱き込む。

「大丈夫、落ち着いて? ゆっくり吸って、ちゃんと吐き出して」

 呼吸の仕方を忘れてしまったかのような状態にあるミューにそっと言葉をかける。ミューは言われたとおり、呼吸を落ち着かせようとするが、吸う量と吐く量が重ならない。片手で僕の服を掴んで、もう片方の手は口に翳したまま虚ろな目で僕を見上げる。一度起きたらどんな夢を見ていたかなんて思い出せなくなる。しかし夢は記憶を呼び起こすには十分だったのだろう。夢以上の現実の記憶が頭の中をかき乱している。

 僕は小さく震える背中に手を回して、子どもをあやすように擦る。ただ耳元で「大丈夫だよ」と繰り返し、ミューの呼吸が落ち着くのを待ち続ける。僕に出来ることと言ったらそれくらいしかないのだから。

「おーい、王子ー。起きてるー?」

 そうしてミューを抱き締めていると、ふと扉が開く音がした。入ってきたのはノイン。恐らく僕がいつまでも起きてこないから様子を見に来たのだろう。ノインはまだベッドの中にいるのを見てこちらに近づいてくるが、途中で足音が止まる。顔をあげてノインを見ると、ノインはミューの様子に気づいたらしく、素早く踵を返す。

「待ってて、水取ってくる」

 それだけ言ってノインは部屋を飛び出していく。ノインとアイハにはミューのこの症状を伝えてある。僕はいつも必ず城にいるわけではなかった。遠征や偵察だったり、城下の検察のために外出することが度々あった。それにミューを連れて行くわけにはいかないし、かといって行かないというわけにもいかないから。そんな時に城には必ずノインかアイハのどちらかが残るようにしていた。

 二人は、僕とミューがどちらも信頼をおいている限られた存在だった。他に頼れる人間もいない故に、二人とは出来るだけ情報の共有をするようにしており、その二人には歩けないミューの身の回りの世話も頼んでいた。

 気の利くノインのこと、恐らくアイハにも状況を伝えてくれるだろう。上手く騒ぎにせず、身内だけで済ませてくれるはず。ミューは見知らぬ人間に触れられることを極端に嫌がるから。こうやって弱っていることを知られることも怖がった。

「はーっ、はっ、ふ、ふぃ……ん、っは、ふーっ……」

「うん、大丈夫だよ。ここにいるから」

 縋るように震える指先が頰に伸びてくる。指にはほとんど力が入っていないようだった。脳に酸素が足りていないから、神経も麻痺しているのだろう。その手に僕の手を重ねて、しっかり頰に触れさせる。その手を握りながら頭を少し丸めてミューと額を合わせる。涙で前はほとんど見えていないだろうから、耳と肌に存在を伝える。そうすると、少しだけ安心したように頬を緩ませるのが見えた。いつもそうやって笑えたらいいのに。ミューは結局、僕の気持ちに対して一度も首を縦に振ってくれたことはなかった。

 それからノインが水を持ってきてくれて、数十分する頃にようやく呼吸は安定した。それでも朝から体力を使ってしまったミューは朝食も摂らずにまた眠ってしまった。隣についていたいところだけど、僕には別に仕事がある。それにいつまでもここにいると城中の人間にミューに何かあったと知らせるようなものである。ミューのことはノインと一緒に様子を見にきてくれたアイハに任せて僕はノインと部屋を出る。

「……王子、隊長がまだ魘されてるのは、」

「分かってるよ。……分かってる」

 傍らを歩いていたノインがこちらを見ずに呟いた。分かっている。ノインが何を言おうとしたのか。どうしてミューがまだ過去に囚われているのか。ノインは横目に僕を見たが、何も言わずに先を歩き始めた。

 僕だって理解している。それは、ミューにあれ以降の記憶に残る出来事がないからだ。僕が部屋から出さないから。新しい思い出がないから。きっと、何か気晴らしにさせたり、思い悩む時間もないほど連れ回したりしたらもう少し悪夢を見る回数は減るだろう。でも、僕がそれを出来なかった。

 あの部屋にずっと閉じ込めておくのは、いくらなんでも可哀想なのではないかと、みんなそう言ってきた。確かに僕が部屋に戻ると、ミューはいつもつまらなそうに外を眺めているかベッドで寝ているかしかなかった。退屈なのだろうなとは思っていた。ただ、それでも、外に出すことはしたくなかった。出来なかった。それはあの日のことがあるから。

 やっと収容所を見つけて、ミューを助け出した日のこと。あの光景が、今でも目の裏に焼き付いて離れない。……一生忘れることはないだろう。
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