軌跡

ななち

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軌跡②

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「ハァ、ハァ、ハァ………。」

 俺が立ち止ることができたのは、藤原を追いかけ初めて多分、2時間くらい経過した頃のことだと思う。だが、俺にとっては永遠に続いていくかのような時間であった。

 自分がどこに向かっているのか分からない。
 ゴールが分からない坂をひたすら登り続ける。

 その時間は、夢中に歩いてきた俺を心身ともに疲労させるのに充分なものだった。

「藤原、お前……。」

 登山者を休憩させるためだろう、開かれたスペースに辿り着くと、前を歩いていた藤原はやっと歩みを止めた。
 何とか奴の隣にまで足を進めた後、俺は膝に手をつき、呼吸を落ちつけた。
 その後、身体を起こし、藤原に教師らしく説教をしようとして……。

「…………。」

 藤原と視線を合わせるために上げた視線は、それよりももっと上へと釘づけになった。

「……………。」

 見上げた空には、満点の星々。

 幼い頃には何度も見た覚えがある、荘厳でいて雄大な世界は、夜のネオンに慣れ親しんだ瞳を圧倒させるものだった。

「すげぇ…………。」

 教師らしい説教が飛び出すはずの唇を震わせて出た言葉は、ただその感歎の言葉のみ。
 那由多に広がる光の粒子たちは、闇色に染まるはずの空を、白く輝かせている。

 ―――俺は中学校の先生かな?―――
 ―――え?マジか?お前が中学校の先生?―――
 ―――あははっ!!似合わねぇ!!―――
 ―――バカ、教師といえば公務員だぞ。安定職じゃないか。―――

「……………。」

 そんな会話を友人と交わしたのはいつのことだっただろう?
 同じような満天の星空の下。
 交わした会話に、本音と冗談を織り交ぜた。

「先生。」
「え……?」

 星の輝きに目を奪われ、通り過ぎた過去に想いを馳せた俺に、語りかけてくる声。
 声の主は、俺にコップを差し出してきていた。
 彼の手には、大きな水筒が握られている。

 藤原から差し出されたコップを見て、思い出した。寒さもさることながら、ひたすら歩いてきたから、喉がカラカラだ。

「ありがとう。」

 礼を述べて、藤原からコップを受け取る。
 口を付けて一口飲むと、それは温かい緑茶だった。

「…………。」

 二口、三口と飲むごとに、心も身体も落ち着いて、温かい気持ちになってくる。
 藤原の方を見ると、その場に座り込んで、同じようにコップに口を付けてお茶を飲んでいた。
 視線はすでに俺の方にはなく、彼は無限の空を眺めている。

「俺は、お前たちに『先生』って呼んでもらってもいい存在なのかな……?」

 彼の隣に腰を下ろした俺は、少年と同じように、輝く星々を見つめながら問いかけた。
 
別に藤原に応えてほしいと思った問いではなかった。
答えは求めていなかった。
それが分かっているかのように、藤原は俺の隣で沈黙を守っている。

 『教師』という職は、誰かを教え、導き、その者の発達を助け、促す存在。
 その『教師』を一生の職にしようと思ったのは中学生の頃だった。
 ちょうど隣に座る少年と同じ年齢であった時。

 自分自身も、家族も、友人も、この世界も全てがイヤになった時に出会った、1人の教師。

 ―――お~~、増田。おはよう。―――

 他校の生徒とケンカをしたり、家出をしてみたり、学校でタバコを吸ってみたり。
 色々やったけれど、彼はいつも笑顔で俺にあいさつをしてきた。
 説教ひとつ、彼の口から聞いたことはなかった。
 ただ、ぽつりぽつりと話す俺の話を静かに聞いてくれていた。

 ―――増田。ヤンチャするのはお前達の年齢の特権だ。多少のことはいい。だがな~…―――

 俺の話をひたすら聞いてくれた彼が俺に伝えてくれたこと。
 それは……

 ―――取り返しのつかないことだけはするな。何度も振り返る過去の中で、一生悔やみ続けるようなことはするなよ……―――

 彼が俺に対して『大人』として教えてくれたことはそれだけだった。
 そして、その言葉だけは俺の中にずっと残っていて。

 無事に大学を卒業し、これからを担う少年たちに教える立場にまでなることができた。

「…………。」

 あの言葉が無ければ。
 俺は今の俺になれていただろうか?

 小さな後悔を積み重ねてきた。
 だが、一生付きまとうような『罪』だけは犯さずに生きることができた。

 それは、きっと。
 あの時に出会った先生のおかげなのだ。

「偉そうにお前らを教えてやれるようなことなんて、何ひとつないのにな。」

 『大人』になれば。
 くだらないことで悩まない人間になれると思っていた。
 先生のように、笑顔を浮かべてなんでも受け入れられるようになれると思っていた。

 『教師』になれば。
 目標としていた先生のような教師に、なれると思っていた。
 正面から生徒に向き合うような熱血教師ではないけれど、生徒の心に残るような、そんな教師になれると思っていた。

 でも、実際、生徒たちから『先生』と呼ばれる立場になってみれば……。

「……結局、自分が一番大切なんだ……。」

 『教師』になれば、生徒を第一に考えてやれると思っていた。
 俺自身も、『先生』と呼ばれていた人達に迷惑をかけていた人間だ。
 思春期の生徒たちの気持ちが少しは分かる気がしていたのだ。

 でも、実際の子どもたちを見てみると。

 俺と似たようなタイプならなんとなく扱い方が分かる。
 だが、そんな性格の奴らの中でも、俺とは違う背景があるわけで。
しかも、そんな性格の奴らだけじゃないことも分かって。
 様々な価値観があることを、生徒達から逆に教わることになる。

 でも、その価値観を修正してやることが俺の仕事なのか……。
 それは俺のエゴにはなりはしないのか?

 だったら、その気持ちに寄り添ってやるべきなのか……。
 でも、それで道を外してしまう子どもたちがでてきてしまうのではないだろうか?

 そもそも、俺の中にない価値観を、全面的に受け止めてやることなんかできるわけがない。せいぜい分かったフリをしてやるくらいしか、俺にはできることがないではないか。

 そうして俺は、無難な教師になっている。

―――今、いる学校はいい学校だと、思う―――
―――学校での俺の立ち位置についても不満はない―――
―――熱血漢でもなければ暗いわけではない俺の性格―――
―――授業の進め方も、面白いと好評だ―――
―――古参の先生方には一部煙たがれているけれど、面と向かって何かを言われるわけでもない―――

 社会人となって三年。特に問題のない滑り出しで出発している。

―――そう、言い聞かせて、今まで来たけれど……―――

 俺が『教師』になった、理由は何だろう?

 理想は、あったというのに。

 それを友人に語ることは、恥だと思っていた。
 その『恥』だと思ったものは、俺が唯一この道を進んだ理由だというのに。
 俺は俺の想いさえも否定して……。

 そして、結局。中途半端な『教師』として生きている。

 ―――こんな人間が、あの先生のように誰かを導くことなんて、できるわけがない…―――

 それを『苦しい』と。思ったことは確かにあったはずなのだ。
 だが、どれほどもがき、悩んだところで。
 毎日の積み重ねの中で。
大量に積まれた仕事と、生徒たちとの毎日の中で。

 もういいか、と投げ出してしまった自分だって、いる。

 ―――あぁ、でも……―――

 でも、まだ。
 俺の中には、こんなにも今の俺を嘆く『俺』がいるんだ……。

「『教師』って、何なんだろうな……。」

 じわり、と星々を見つめる視界が滲む。

 今の俺を、否定するつもりはないけれど。
 今の生き方を、辞める勇気もないけれど。

 俺の内側にある、まだ俺を責める『俺』自身が、久しぶりに俺の前に現れた。
 そんな気がした。

 グッとこらえた瞳から零れ落ちそうなもの。
 それを、生徒である藤原に見せるような、そんな情けないことだけは、教師であるという矜持が最後まで許さなかった。

 そんな俺の隣でガサリ、と音が鳴った。

「ん?」

 隣を見ると、藤原が立ちあがっていた。

「もうすぐ、頂上です。」

 ポソリ、と。いつも通りの、静かな声で、彼はそう言った。

「夜明けも、間もなくです。」
「…………。」

 藤原の言葉を、口を開けたまま聞く、俺。
 多分、彼には間抜けな顔の教師の顔が映っていることだろう。
 だが、笑うことなく、彼は続ける。

「行きませんか?一緒に。」
「……おぉ。」

 本当は、俺は彼の危険な夜中の山登りをやめさせるためにここまで追ってきたんだ。
 訳のわからない道を、こいつの後をただひたすら追ってきたんだ。

 寒かった。
 疲れていた。
 ふざけるな、という怒りさえも抱いて、後を追ってきた。

「行こう。」

 でも、もう、止める理由がない気がした。

 もうすぐ頂上で。
 夜明け間近なのだとしたら。

 美しい星々と共に、明ける空も見てやろうと。
 そう思った。
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