木野友則の悪意

水沢ながる

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エピローグ

終幕 県総祭が開かれる

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「犯人は──君だな」

 探偵の指は、真っ直ぐ彼を指していた。それは、探偵と共にずっと事件を追って来たはずの新聞記者だった。
 探偵はおもむろに、彼の使ったトリックを一つずつ暴いて行った。探偵の台詞が進むに連れて空間には闇が忍び寄り、スポットが当たっているのは探偵と犯人、ただ二人だけとなる。
「ただし……私にもただ一つ、どうしても判らないことがある。動機だ──それだけが判らない。それだけが、私の敗北」
「敗北? あなたは──何も判ってはいない」
 犯人はゆがんだ笑いを作って、探偵に背を向けた。
「僕はずっとあなたを見て来た。あなたのことなら何でも知っている。あなたは天性のハンターだ。あなたが見ているのは犯罪だけで、謎を解くことこそを喜びとする。あなたに見てもらうには、これしかなかった。僕は……あなたのために最高の謎と犯罪を用意した!」
 犯人は探偵の方へ向き直り、ふらふらと近づいた。眼に狂気の色さえ帯びさせて。
「あなたのために……あなたにしか解けない謎を用意したんだ! あなたを……」
 愛おしそうに、そっとその顔に手をやる。

「……愛しているから」

 不思議と違和感は感じなかった。彼等の演技に引き込まれていたせいもあった。けれど最大の理由は、犯人役の彼がその瞬間凄絶なまでに──綺麗だったからだ。
 しかし。探偵はその手を無常に振りほどいた。
「私にしか解けない謎? 莫迦を言うな」
 探偵は冷たく言い放った。

「あんなものは、謎ですらない」

 ……この時の探偵の表情には、覚えがある。あの時も、これとまったく同じ表情で、彼はあの人を崩壊に追い込んだのだ。
 犯人はその場に崩れ落ちた。探偵は、そんな犯人に背を向けて去って行く。刑事が手錠をかけようと、犯人を手荒く引き起こした。犯人は探偵の背に向かって絶望の叫び声を上げ──

 ──それと共に、幕は降りた。

    ☆

「やってしまった……思わず熱演してしまった、風評被害出てたのに! これで俺の風評被害が他校にまで広がってしまう!」
 大江さんはテーブルに突っ伏して叫んだ。
 ここは会場内に特設されたカフェスペースだ。この店の収益は、事件の発端になった台風で被災した人達への義援金にあてられることになっている。そしてこのテーブルには、あの日閉じ込められたメンバーが──柴田さんを除いて──全員そろっている。
 県総祭は盛況だった。皮肉にも、あの殺人事件が宣伝効果を上げて、例年の倍くらいの人出になっている。その中で八人分の席を取れたのは奇跡的と言っていい。
「確かに、倒錯芝居って言われた意味はよく判ったよ」
 三沢さんが言った。
 星風演劇部の公演は、さっき終わったばかりだった。舞台に立っていた時は役になり切っていた大江さんだったが、終わった途端にこの有様だ。
「でもまあ、名探偵がいる世界観を逆手に取ったオチとしては、興味深かったな」
「俺はねえ、『黒蜥蜴』みたいな犯人と探偵の妖しいラブストーリーがバックに見え隠れしてるイメージ抱えてあの脚本書いたんですよ! それなのにこの人が強引に俺を犯人役にしちゃって、色々意味が違っちゃってるじゃないですか!」
 指差された「この人」こと原案兼演出の木野さんは平然として、
「三島由紀夫の戯曲版『黒蜥蜴』は、美輪明宏の当たり役なんだよなあ」
 などと関係なさげなことを言っている。
「そーゆー話じゃないでしょう! あれの初演の時、ヒートアップした一部女子が俺とあんたのえげつないBL同人誌まで出したのを、よもや忘れたとは言わせませんよ! 俺あんたにやられてたよ!」
「…………あー、そんなこともあったなぁ」
 間があった。
 横に座っていた戸田さんが、ちろ、と彼を横目でにらんだ。
「忘れてたな」
「えーえー、あんたはそういう奴ですよ」
 空気の抜けた風船人形みたいに、大江さんはへなっと肩を落とした。それにしても、どうしてこの人達がしゃべり出すと、いつもトリオ漫才になってしまうんだろう。
 ちなみにここで明記しておくと、大江さんにはすごくかわいい幼馴染の彼女がいて、男性には恋愛的な意味での興味はまったくない。むしろその容姿のせいで、そういう方面での嫌な思いもあれこれして来ているらしい。
「まーな、俺も最初は犯人役を女で考えてたんだけど、あーゆーオチなら男の方が意外性あるかなーと思っちまってな。男相手でも、どうせなら美人の方が嬉しいし」
「あれは計画犯だね」
 こそっと、明智さんが三沢さんにささやいた。三沢さんもうなずいて、
「同感だな。ついでに言うと、あのオチを県総祭の舞台でやっちまうあたり、相当な確信犯だよ」
 僕も二人に賛成だ。木野さんは多分、最初から大江さんを犯人役にするつもりでいたに違いない。大江さんの内にある、狂気を孕んだ美貌を引き出すために。
 もっとも、部員探しと称して校内でオーディションを行い、その結果集まったメンバーでプロを狙ってる明智さんや、学校のコンピュータをハッキングまがいの真似までして無断借用し、自作の特撮ビデオの合成と編集をやってしまった三沢さんも、かなりの確信犯だと思うけど。
 僕は気の毒な大江さんのために、話題を変えることにした。
「それより、木野さんの探偵役、あれは地ですよね?」
「そーそー、あれって柴田を追い詰めた時の木野とそっくりだったもんな。絶対地だって」
「で、でも、すごいですよね、あんな短い時間で全部謎が解けちゃうんですもん。ホントに名探偵みたいだ」
 寺内君の言葉に、木野さんはフッと奇妙な微笑みを浮かべた。何か……これは……菅原さんに似ている。菅原さんに、失ってしまった過去を聞いた時の、困ったような表情に。
「あの探偵の台詞じゃねーけど……あんなもんは謎じゃねーよ。本当の謎は──ここにある」
 と、木野さんは自分の頭をつついた。
「俺も実は、ある時期の記憶がないんだ。小学校一年の頃だったかな」
 戸田さんが無言でうなずいた。
「あの時、俺の精神は粉々に砕けた。何が俺の精神を壊したのかは判らない。ただ、身を引き裂くような、全てに対する絶望感だけは覚えてる。それが俺にとっての謎さ。──それ以来、俺の内部には暗闇があるんだ。深い深い、真っ暗な闇が」
 手にしたコーヒーの紙コップを、ぎゅっと握り締める。
「こんな俺でも、なんだか慕ってくれる奴がいる。はたから見ると俺がみんなを支えてるように見えるらしいが、その実俺がみんなに支えられてるんだ。仲間がいるから、俺は立ってられる」
 それを聞いて、戸田さんは照れたようにぷいっとそっぽを向き、大江さんは柔らかく微笑んだ。
「だから──仲間を傷つける奴は俺の敵なんだ。俺を敵に回した者は……全力をもって叩き潰す」
 一瞬、木野さんの双眸に、とてつもなく凶悪な光がよぎった。彼の内部の深淵を、ほんの少しだけ垣間見た気がした。彼の言葉が真実であることを、僕らはこの眼で目撃している。
「あの、ちょっと疑問があるんですけど」
 僕は以前はぐらかされてしまったことを尋ねた。
「柴田さんが戸田さんの髪を抜いた時点で真相に気づいてたんなら、どうしてわざわざ一日も待ってから明かしたんですか?」
「裏を取るためじゃないの?」
「あー……ま、それもあるがな。あれも俺の悪意のうちなんだよな」
 と、木野さんは隣にいた戸田さんの頭をぱしぱしはたきながら、
「もし俺が最後まで何も言わなかったら、柴田の計画は成功してたかも知れないわけだろ? 今頃こいつ、しょっ引かれてたりしてな」
「いてーな、こんにゃろ」
「ま、実際は警察が来たら、あの程度の小細工なんざすぐバレるだろうけどさ。それでも救助が来たあの時は、柴田にとっては計画が成功しかけてホッとしてた時だ。そこを狙って、一気に地獄へ突き落とす。あの場ですぐ暴いちまうより、よっぽど効果的じゃねえか」
 木野さんはケラケラと笑った。
「俺は演出家だからな、何事も効果的にやんないと気がすまないのさ。それに、その方が面白いだろ?」
 僕ら一同、あっけに取られた。わざわざそのために救助が来るまで待ってたのか、この人は!
「やっぱ俺なんかより性悪だわ、あんたは」
 大江さんがやれやれ、という風に言う。と、戸田さんが首を振った。
「違うな。こいつは性悪じゃない」
 この人らしからぬ言葉に、みんな怪訝な顔をした。戸田さんはすかさずこう続けた。
「こいつみたいなのは、“悪魔のような奴”って言うんだよ」
 悪魔は、に、といたずらっぽい微笑みを浮かべて、紙コップに残ったコーヒーを飲み干した。
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