木野友則の悪意

水沢ながる

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番外編 友を悼む

友を悼む・前編

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 秋空は何処までも高く、青かった。昨日の天気予報では多少天気が崩れるようなことを言っていたが、どうやら外れたようだ。
 集合場所は星風高校の校門の前だった。俺が次美つぐみと一緒に来た時には、すでに何人か人が集まっていた。
「やあ、大江君、三枝さえぐささん」
 引率係の芦田先生が声をかけて来た。
 普段はネクタイを締めてるところなんか見たことないけど、さすがに今日ばかりはそうは行かず、黒のスーツに黒のネクタイを締めている。もともと背の高いのにあいまって、シャープな喪服姿の芦田先生はいつもよりさらにひょろ長い感じがした。
「晴れましたね」
「人を……菅原君を送るには、ちょうどいい天気ですよ」
 俺はまわりを見回した。集まっているのは、演劇部のメンバーや同じクラスの人達だけではなかった。目立たないし控えめな性格だけれどみんなに慕われている。菅原拓巳は、そういう人だった。俺だって菅原さんのことは好きだったし、次美だってそうだ。ここにいる全員、そうだろう。
 ……あれ、でも、肝心な人がいないな。
「木野さんは? 来てないんですか?」
「渋ってるみたいね、来るのを」
 答えたのは先生ではなく、うちの演劇部のNo.3にして要である(何せ部長と副部長があれなので)河村朝子かわむらあさこさんだ。おっとりとしたお嬢様に見えるけれど、それだけの人ならうちの演劇部でメインは張れない。朝子さんは、今朝戸田さんから「木野が行きたくないとぐずってる」と連絡を受けたんだそうだ。
「え、じゃ、来ないんですか木野さん?」
 次美が訊いた。木野さんと菅原さん、あんなに仲良かったのに。
「来るわよ。戸田君『絶対引っ張って来る』って言ってたから」
「手がかかるなあ、あの人も」
「噂をすれば、来たようですよ」
 向こうから目立つ二人組が歩いて来るのが見えた。金髪に近い薄い色のくせっ毛の人と、それに引きずられるようにしてるつり気味の目の人。
「ほら、さっさと歩け」
「だーかーらー、俺湿っぽいの苦手なんだよ」
「んなことで部長が欠席したらダメだろが。最後の別れなんだから、おまえがいなくてどうする」
 どんな時でも、全く変わらないなこの人達。戸田さんは木野さんを引きずって、俺達のところまでやって来た。
「待たせたな、みんな。遅れてすまん」
「集合時間過ぎてねーもん俺遅刻してねーもん」
 木野さんは両手をポケットに入れ、ふてくされたような態度で言った。
「ガキかおまえは。つーかおまえがグズグズしてるからだろ」
「はいはい。二人とも、斎場ではほどほどにしてね」
 さすがに朝子さんは手慣れている。まあ、俺や次美だって、この程度の会話は聞き流せるくらいには良くも悪くも慣れてしまっているんだけど。
 木野さんのこの態度はお子ちゃまとしか言いようがない。でも木野さんも、決して菅原さんに対して真摯な気持ちがないわけではない。いつもは適当に着崩している制服を、今日はきちんと着ている。
 星風の制服は、全体的に落ち着いた色合いになっている。濃紺のブレザー、白のカッターシャツ、臙脂に斜めにストライプの入ったネクタイ、チャコールグレーのチェックのズボン。女子は同じく濃紺のブレザー、白のブラウス、ネクタイと同じ色合いのリボン、チェックのスカート。基本はこんな感じだ。地味ではあるがデザインとしては悪くないと思う。
 木野さんの着こなしは、上着もズボンも何となくダボッとした感じで、何か借り物のように見える。サイズ間違えたんだろうか。
「木野君達で最後ですね。じゃ、そろそろ行きましょうか」
 先生の言葉で、俺達は連れ立って葬儀の会場へ向かった。

 葬儀会場は街の外れにある会館だ。人数がいるとか、少し学校から遠いとか、色々な理由で小型バスをチャーターして会場へ向かう。その途中、前の席に座っていた木野さんが、隣に座っていた芦田先生にぼそりと声をかけた。
「なあ、あっしー」
「何ですか? 木野君」
反魂はんごんって、出来るのかな」
 ハンゴン。「反魂」という漢字を思い浮かべるのに、少しだけ時間がかかった。
「……それは、世の中のことわりに反することですよ」
 芦田先生は静かに言った。
「──わかってる」
 木野さんは窓の外を見ながら答えた。
「別に今の拓の体に拓の魂を戻そうとは思ってねえよ。拓の体は、今日焼かれて骨になる。それを止めることは俺には出来ないし、止める気もない。──俺のやりたい反魂は、もっと別の形だ」
「君だったら、舞台の上でなら何でも出来るんじゃないですか?」
 先生の言葉は、優しいようで容赦ない。
「……だといいけどな」
 木野さんは、何処か遠くを見たまま、言った。
「県総祭、やるかどうか判んねーし」

 バスが止まり、生徒達が出て来た途端、カメラのフラッシュが焚かれた。葬儀会場の前には新聞やテレビの報道陣も来ている。バスをチャーターしたのは、このためでもあるのだ。
 今日ここで葬儀が行われる菅原さんは、殺人事件の被害者だ。県総祭──県内の高校生が自主的に運営する総合文化祭という県内の一大イベント──の下準備のために遠出していた時にたまたま台風による災害が起こり、俺、木野さん、戸田さん、菅原さんの四人はその場で足止めを食らって──そこで菅原さんは殺された。木野さんの活躍で犯人はすぐに捕まったが、事件の影響は思った以上に大きく、県総祭の開催すら危ぶまれている。
 実行委員の人達は何とか県総祭の中止は食い止めようとしているし、俺達も菅原さんが関わった最後の舞台をこのままなかったことにはしたくない。が、未だ災害の傷跡は癒えず、事件も半ばセンセーショナルに扱われていて風当たりは強い。出来ることはしているつもりだけど、なかなか難しい。
 木野さんが今日ずっと不機嫌そうなのも、それが原因なのかも知れない。その不機嫌な人がマスコミのカメラに向かって中指立ててるのを、俺は見ないふりをした。まあ直後に戸田さんに頭はたかれてたからいいか。
 芦田先生に連れられ、俺達は葬儀の会場に入って行った。一同を代表して先生が受付で挨拶し、上背を丸めるようにして記帳する。先生の字は綺麗で読みやすい。授業中の板書も見やすくて書き取りやすいと、生徒にも好評だ。
「俺も、名前書いていいかな?」
 不意に、木野さんが言った。先生は黒縁眼鏡の奥から数秒木野さんを見つめ、わずかに微笑むようにして答えた。
「いいですよ。どうぞ」
 受付にいた若い女性から筆ペンを受け取り、木野さんは黒々と自分の名前を書いた。木野友則。
「どうも」
 ……あの、木野さん。葬儀の場で、受付のお姉さんにキラースマイル炸裂させるのはどうかと思いますよ? すぐさま戸田さんが木野さんの襟首をむんずとつかみ、会場の中まで引っ立てて行った。この辺の呼吸はさすがに絶妙だ。
「服を引っ張るな、服を」
「うるさい。とっとと行くぞ」
 普段よりはおとなしくしているものの、基本的にはいつもと変わらない木野さんと戸田さんに続き、俺達は葬儀の本会場へ入った。

 正面に、白い菊の花で飾られた立派な祭壇があった。真ん中に掲げられている遺影は、うちの高校の文化祭での公演での写真だ。県総祭の前哨戦のような感じで、観客には好評、俺達も手応えを感じたステージだった。
 菅原さんは舞台には上がらない裏方専門だったけど、一緒に舞台を創り上げて行く大事な仲間だった。木野さんもよく言っている──「舞台ってのは、板に立ってる奴だけのもんじゃねーぞ」って。
 うちの演劇部のサイトやブログには、積極的に裏方スタッフの写真を載せるようにしている。この遺影はその中の一枚だ。ネット方面を担当している後輩部員の工藤がここ最近の写真の中から何枚か抜き出し、みんなで話し合って選んだものだ。改めて見ても、いい顔をしている写真だった。
「菅原さんのあんな顔、もっと見たかったね」
 小さい声で次美が言った。俺は無言でうなずいた。
 二列に並んで、焼香をする。木野さんも、この時ばかりは神妙な表情で手を合わせている。
 会場の片隅では、菅原さんのご両親が参列者に挨拶をしていた。と、俺達の姿を見つけ、菅原さんのお母さんがこちらに近づいて来た。
「この度は、どうも……」
 木野さんが頭を下げた。
「木野君……拓巳のことでは、本当にお世話になりました」
 お母さんも、深々と頭を下げる。
「俺は大したことはしてません。むしろ、拓がこんなことになるのを、みすみす許してしまった。申し訳ありませんでした」
 こんな悲痛な眼を木野さんを見たことが、今まであったろうか。
「事件のことだけじゃないわ。あの子があんなに笑えるようになったのは、全部木野君と戸田君のおかげよ。すっかり心を閉ざしてしまっていたあの子を、積極的に誘いに来てくれたり、時には他の子から守ってくれたり」
 小学校の頃に転校して来た菅原さんに、ずっと付き合って来たのが木野さんと戸田さんだ。いじめが原因で心を壊してしまった菅原さんが、普通に高校生活を送れるようになったのは、ひとえにこの二人の力があってこそだ。俺がその経緯を知ったのは高校に入ってからだし、詳しいことはあの事件まで知らなかったけど、三人が積み重ねて来た時間の重さはそばにいれば判る。
「あの子ね、よく言っていたのよ。『木野は時々思いもつかないような突拍子もないことをするから、一緒にいて楽しい』って」
「そう言えば……」
 朝子さんが口を開いた。
「例の、木野君と戸田君の入れ替わり計画。あれを『面白い』って言って、真っ先に協力したの、菅原君だったわね」
 そうだ。菅原さんは、あの計画を成り立たせるために、木野さん達と一緒にあちこちに頼み込んで回ってた。悪ふざけとしか思えなかったあれが、結局は菅原さんを殺した犯人をあぶり出すきっかけになった。なんか皮肉というか、複雑な気持ちになる。
「──俺は」
 木野さんは、言った。
「あいつの笑った顔が見たかっただけです」
 ……これは、この人の何よりも正直な言葉だ。いつもはハッタリをかましたり、デタラメやデマカセを言ったりもするけれど、この人は根っこのところでは決して嘘はつかない。
「皆さん、最後に拓巳に会ってやって下さい」
 お母さんの言葉で、俺達は菅原さんの遺体が納められた棺に向かった。司法解剖から帰って来た菅原さんの遺体は、殺された際の傷口もちゃんと処置してあって、まるで眠っているように穏やかな顔をしていた。ふと気づくと、横で次美が手で顔を覆って涙ぐんでいる。俺は手を伸ばして、次美の頭をそっと撫でた。よしよし。
「そーいうことを何のてらいもなくフツーに出来るとこが、おまえの憎ったらしいとこだよな」
「放っといて下さい」
 半ば冷やかすような木野さんの言葉に、俺はそう答えた。ていうか、さすがに俺でも、次美以外の女の子にはこういうことはしませんよ。次美はれっきとした俺の彼女だし。まあ、男は男らしくあれ、強くあれ、女性に優しくあれと母親に言われ続けて育ったのは確かだけど。
「てかさぁ、おまえも泣いてもいいんだぞ?」
「え?」
「どーせおまえのおふくろさん、『男は涙を見せるな』とか時代錯誤なこと言ってんだろうけど、悲しい時に泣くのは男も女もないからな」
 確かに、そういう風にも言われていた。だからって、はいそうですかと簡単に泣けるはずもなく。
「……泣きませんよ」
 今はね。
 木野さんは、ふーん、と生返事をした。

 木野さんの姿が見えないのに気づいたのは、お坊さんの読経が終わった辺りだろうか。最初はトイレにでも立ったのかとも思ったが、いつまで経っても帰って来ない。
「逃げやがったな」
 戸田さんは端的に表現した。
 念のため、トイレとかあちこち見て回ったが、木野さんは何処にもいなかった。服の切れっ端すら見つからない。
「変なんですよね」
 次美が首をかしげた。
「スタッフの人に木野さんいないか訊いてみたんですけど、誰も見てないって言うんです」
「マスコミが来てるから、勝手に部外者が入って来ないように、従業員用の出入口には気をつけてたらしいわ。そちらでも見た人はいないようね」
 朝子さんも言う。
 それならば、ということで、俺と戸田さんは正面の出入口に向かった。来た時に会った、受付の女性に訊いてみる。
「あの、すみません。うちの生徒がここを出て行きませんでした?」
 受付の人は少し考え、答えた。
「いいえ、星風の生徒さんは見かけませんでしたけど」
 え?
 それじゃ、木野さんは本当に何処からどうやって出て行ったんだ。まだこの中の何処かに隠れてる? それも考えにくい。
「あの、来た時に記帳して行った人なんですけど。通ってません?」
「はい。通っていません」
 この人が嘘をついている様子はないし、嘘をつく必要もない。
「行くぞ」
 戸田さんが言った。そのまますたすたと外に出ようとする。俺は受付の人に軽く頭を下げ、戸田さんに続いた。
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