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エピローグー7
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かなかった。
母親に捨てられ、大好きだった兄とも引き離される形でここに来た彼女が、周囲の人々から心を閉ざすのに時間はかからなかった。
楓はどこへ行くでもなく、トイレと風呂以外は四六時中自分の部屋に引きこもって出てこない、典型的な引きこもりの生活をするようになった。学校に行く代わりに自力で勉強をすることもなければ、初めから部屋の中に無造作に放置されていた本に手をつけることなく、座布団の上で窓に向かって体育座りをしたまま、いつまでも微動だにしなかった。
最初は祖母も近所の住人も、部屋から出てくるよう彼女に説得を続けた。だがそれも効果がないと分かると一か月足らずで打ち切られた。
食事だけは祖母の手によって一日三食必ず用意され続けたが、それすらも半分食べるかどうかであり、完食したことは一度もなかった。食事を持ってくる度にふすまを開けて知らせる祖母は、畳の上に黒髪を這わせながら日に日に痩せていく楓を不安に思っていた。
「自分が死んだらあの子はどうなるのだろう」
それが楓の祖母の口癖になった。
その祖母は楓が十七歳の時に亡くなった。
「誰でもいいから楓の面倒を見てほしい」
それが、この女性がずっと一緒に生活してきた知り合いたちへ、肺炎で息絶える直前に伝えた最後の願いだった。葬儀は集落の住人だけでひっそりと行われ、楓の母親と孫の隆は出席しなかった。正確には、亡くなったことを伝える宛先を誰も知らなかった。当然楓も自室から出てこず、そんなことが起こっていることを知りもしなかった。
家主がいなくなった家は、集落の地主である金田家が土地ごと買い取り、今まで通りの支援を続けた。
聴覚障害者への知識がない住人たちだったが、彼女を見殺しにする気には最後までなれなかった。分からないなりに最低限の支援はしようと、集落全体で交代制を組み、四苦八苦しながら楓の面倒を見続けた。
気がついたら部屋の中の楓を確認し、気がついたら楓に食事を運び、気がついたらその日一日が終了している。のちに地主の金田は自分の孫娘に、「この時の人生は、『気がついたら』ですべてが片づいた」と説明した。長々とした文章や日記にして語るようなことがないほど、空虚で先の見えない期間だった。
そんな悪夢のような生活が終わったのは、六年後の、二〇〇九年の秋だった。
この日も楓は、何もするでもなく日の光だけが頼りの暗い部屋の奥に、まるで何かに封印されているように座っていた。
突然、誰かが床を踏む振動が彼女の尻に伝わってきた。それも集落の年寄りのように、ゆっくりと一歩一歩を確かめるような振動ではなく、力強く障害物を気にしない、巨人のような振動だった。
母親に捨てられ、大好きだった兄とも引き離される形でここに来た彼女が、周囲の人々から心を閉ざすのに時間はかからなかった。
楓はどこへ行くでもなく、トイレと風呂以外は四六時中自分の部屋に引きこもって出てこない、典型的な引きこもりの生活をするようになった。学校に行く代わりに自力で勉強をすることもなければ、初めから部屋の中に無造作に放置されていた本に手をつけることなく、座布団の上で窓に向かって体育座りをしたまま、いつまでも微動だにしなかった。
最初は祖母も近所の住人も、部屋から出てくるよう彼女に説得を続けた。だがそれも効果がないと分かると一か月足らずで打ち切られた。
食事だけは祖母の手によって一日三食必ず用意され続けたが、それすらも半分食べるかどうかであり、完食したことは一度もなかった。食事を持ってくる度にふすまを開けて知らせる祖母は、畳の上に黒髪を這わせながら日に日に痩せていく楓を不安に思っていた。
「自分が死んだらあの子はどうなるのだろう」
それが楓の祖母の口癖になった。
その祖母は楓が十七歳の時に亡くなった。
「誰でもいいから楓の面倒を見てほしい」
それが、この女性がずっと一緒に生活してきた知り合いたちへ、肺炎で息絶える直前に伝えた最後の願いだった。葬儀は集落の住人だけでひっそりと行われ、楓の母親と孫の隆は出席しなかった。正確には、亡くなったことを伝える宛先を誰も知らなかった。当然楓も自室から出てこず、そんなことが起こっていることを知りもしなかった。
家主がいなくなった家は、集落の地主である金田家が土地ごと買い取り、今まで通りの支援を続けた。
聴覚障害者への知識がない住人たちだったが、彼女を見殺しにする気には最後までなれなかった。分からないなりに最低限の支援はしようと、集落全体で交代制を組み、四苦八苦しながら楓の面倒を見続けた。
気がついたら部屋の中の楓を確認し、気がついたら楓に食事を運び、気がついたらその日一日が終了している。のちに地主の金田は自分の孫娘に、「この時の人生は、『気がついたら』ですべてが片づいた」と説明した。長々とした文章や日記にして語るようなことがないほど、空虚で先の見えない期間だった。
そんな悪夢のような生活が終わったのは、六年後の、二〇〇九年の秋だった。
この日も楓は、何もするでもなく日の光だけが頼りの暗い部屋の奥に、まるで何かに封印されているように座っていた。
突然、誰かが床を踏む振動が彼女の尻に伝わってきた。それも集落の年寄りのように、ゆっくりと一歩一歩を確かめるような振動ではなく、力強く障害物を気にしない、巨人のような振動だった。
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