ゾルダーテン ――美女と野獣な上下関係ファンタジー物語

熒閂

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Kapitel 05

北国の饗宴 02

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 ヴィンテリヒブルク城・大広間。
 壁にはいくつもの絵画が並んで壮観だった。当然、一流の名のある画家の手による物なのであろう。床は琥珀がかった白色と木目模様の石がブロックチェックに配置され、天井は緻密かつ色彩豊かな絵で埋め尽くされている。そこから大きなシャンデリアがぶら下がり、スワロフスキーのようなものが照明を四方八方に照り返してキラキラと輝く。
 広間には幾本もの白い大きな柱が立っていた。ヴァルトラムはそのひとつに凭りかかっていた。一緒にいるのはマクシミリアンやほかの隊員たち。

 広間にやってきたフェイとビシュラは。彼らのほうへ足を向けた。
 ビシュラはヴァルトラムの前でぺこっと頭を下げた。ヴァルトラムはすでに酒を飲み始めており、グラスを傾けながらビシュラを一瞥しただけで何も言わなかった。

「よくドレスなんて持ってきてたな、ビシュラもフェイも」

 真っ先に口を開いたのはマクシミリアン。ふたりのドレス姿を頭から爪先まで目線を何往復もさせてじっくりと観察する。

「借り物だ」

「ユリイーシャ姫さまが御都合してくださいまして」

 ビシュラはヴァルトラムのほうへと目線を移した。

「歩兵長は軍服なのですね」

「正装なんざコレで充分だろ」

 ヴァルトラムはマクシミリアンたちを親指で指した。ビシュラと緋以外の大隊たちは皆、ヴァルトラム同様に揃いの軍装だった。

「わたしだけ着飾ってしまって、なんだか申し訳ないです」

「気にするな。せっかくのパーティーで、お前さんみたいな若い娘に洒落こむなってのも酷だ」

 マクシミリアンはいつもの如く何気なくビシュラの肩を叩こうとし、手を宙で止めた。ビシュラのドレスはユリイーシャからの借り物だと聞いたからだ。生地も見るからに高級そうだ。もし引っかけでもしたら、一介の兵士に弁償しきれる保証はない。

「オイ、歩兵長」

 緋は腰に手を当て、ヴァルトラムの前で仁王立ち。
 ヴァルトラムは「なんだ」と応じた。緋の顔を見ると明らかに何か言いたそう。これは面倒臭いなと直感した。
 緋はヴァルトラムと目を合わせ、自分の鎖骨の上を指でトントンと叩いて見せた。

「何がどうなったら女に噛みつこうなんて発想になるんだ。アンタの頭ん中は本当に獣か。女の身体に傷を付けるなって何回同じことを言われたら覚えるんだ。あとで話があるから忘れるなよ」

 ヴァルトラムはチラッと横目でビシュラを見た。
 ビシュラは気まずそうに肩を窄めた。

「言いつけたわけではありませんよ。ドレスの支度をするときに見つかってしまって……」

「ビシュラがすまなさそうにする必要はない。悪いのは歩兵長だ」

 緋はビシュラの両方の肩に手を置いてクルッと自分のほうへ向かせた。それから力説を始めた。

「せっかくのパーティだ、ウチの連中以外と接してみろ。どっちかというと、ウチの連中より騎士団のほうがビシュラには合っている。騎士団員はみな身元は確かだし学も品もある。きっと話も合う。歩兵長とは大違いだ。そもそも男をよく知らない内に歩兵長なんかに手を付けられたのは不運だ。歩兵長なんて本能だけで生きてる、最低に近い男だ。こんなのよりイイ男なんてごまんといる」

「フェイ。それは言い過ぎじゃ……」

 マクシミリアンの顔が引き攣った。
 緋はマクシミリアンのほうもヴァルトラムのほうも一瞥せず無視した。

「ビシュラ。酒は飲めるか」

「はい。成人しておりますので一応は」

「あー、そうだったな。忘れてた」

 緋はビシュラの身体の方向をクルッと変えさせてヴァルトラムたちに背を向けた。片方の肩に手を置いたまま歩き出した。

「いいなーって男がいたら酒の所為にしてワンナイトラブしてみろ。ここの男なんかは、イーダフェルトに戻ったら会うこともないし後腐れなくて丁度いい。ビシュラも大人の女なんだから、それくらいやったって文句を言われることはない」

「フェイ~~! それ以上は本当にヤメロ! ビシュラを唆すな! お願い!」

 マクシミリアンの懇願を背に受けながら、緋は振り返りもせずビシュラを連れて行ってしまった。


 緋とビシュラは、ウェイターからアルコールのグラスを受け取って談笑していた。ふたりの近くをトラジロとズィルベルナーが通りかかった。

「よう。トラジロ、ズィルビー」

 緋は手を上げて軽く挨拶。ビシュラはふたりに対して頭を下げた。
 ズィルベルナーは緋を見るなり目を輝かせて小走りに近づいた。

緋姐フェイチェ。今日キレイだね! スゲーキレイ! 毎日こういうカッコしてよ✨」

「バカ。こんなカッコで訓練できるか」

「服だけじゃなくて緋姐フェイチェがキレイだよ❤」

「よく似合っていますよ、緋姐フェイチェもビシュラも」

「うん。ビシュラちゃんもカワイイぜ」

 トラジロもズィルベルナーも口々に着飾ったレディを賞賛した。
 ビシュラは、ありがとうございます、と再度頭を下げた。

「よかったな、ビシュラ。自信を持って男あさりができるな」

 緋は何も包み隠さなかった。恥ずかしげもなくグラスの酒をグイッと飲んだ。
 トラジロは緋からビシュラのほうへと視線を移動させた。言ったのは緋なのに、ビシュラのほうが申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。

緋姐フェイチェだけでなくビシュラもですか。感心です」

「えッ」

「よい機会だからヴァルトラムよりもイイ男を探しなさい。何なら良さそうな若手騎士を紹介してくださるよう、私から騎士団長にお願いしますよ」

 ビシュラは慌てて頭も手もブンブンブンッと左右に振った。

「男あさりなんてフェイさんの冗談ですよッ」

「冗談じゃないぞ」

 え、とビシュラは緋の顔を見てピタッと停止した。
 緋は酒を飲んでいるのに真顔だった。これは本気であるとビシュラも察した。

「ビシュラは歩兵長以外の男を知ったほうがいいし、若いんだからイイのがいたら試しにヤッてみればいいんだ。損しない程度にな。多分トラジロだって同じこと思ってる」

「騎兵長も⁉️」

「言葉の選別はアレですが、まあ概ね。アレより悪い男を探すほうが難しいんですから、チャレンジしてみてもよいと思います」

 ズィルベルナーがハッキリしたした声で「ハイッ」と手を挙げた。

「じゃー、俺は俺は? ビシュラちゃん、俺のこと嫌いじゃないよね?」

「勿論、嫌いではありませんが、二位官を務められる方にわたくしなど……」

 緋とトラジロはズィルベルナーに冷ややかな視線を向けた。

「ずっとバカの相手をするのは疲れるぞ、ビシュラ」

「あなたでは話のレベルが合いませんよ。ビシュラが気の毒です」

 ズィルベルナーとヴァルトラムではまったくタイプが異なるが、これまたビシュラにお勧めするに適格とは思えない。その上、話が合わないという点なら、ヴァルトラムもズィルベルナーも大差ない。

「ビシュラの相手まで見つけてやらないといけないとは今夜は大忙しですね、緋姐フェイチェ

「そうなんだ。自分のために男をふたり見つけるなら楽なんだがな」

 トラジロと緋は冗談っぽく笑った。それから緋はスッと手を挙げた。

「今夜ビシュラと親密になりたいヤツはいるかーー! 三本爪飛竜リントヴルム騎兵大隊リッターでも騎士団でも構わないぞー!」

「フェイさん💦」

「寄って来たなかから選ぶほうが手っ取り早い」

 緋は恥ずかしげも無く放言した。
 ビシュラはどうしたらよいのか分からずオロオロとするしかできなかった。
 緋の呼びかけを聞いて、瞬く間にわらわらと男たちが緋とビシュラを取り囲んだ。男たちは我先にとビシュラと緋に話しかけ、自己紹介をして気を引こうとした。

「入ったときからビシュラ可愛いと思ってたんだよなァ。歩兵長の引きだから声かけなかったけど」

緋姐フェイチェ。マジでビシュラと仲良~くなっていいんスか。あとで歩兵長にぶん殴られたりしねェ?」

「それは知らん。だがまあ、バレなきゃ殴られようがないな?」

「うおおおおおおおおーッ!」

 男たちは拳を握って雄叫びを上げた。
 免罪符を得たようなつもりになっているのかもしれないが、彼らがヴァルトラムに殴られる羽目になっても緋は守ってはくれないのに。
 緋は、意気揚々とビシュラに話しかける男たちを眺めてハハハと笑った。

「本当バカだな、ウチの連中は」

「あとでどうなっても知りませんよ。あんな無責任なことを言って」

 トラジロはビシュラに群がる男たちを横目に嘆息を漏らした。我が大隊ながら惘れるくらいに単純な連中だ。

緋姐フェイチェはさー、本音ではビシュラちゃんのことどう思ってんの?」

 ズィルベルナーからそう尋ねられ、緋は「ん?」と聞き返した。

「ビシュラちゃんのこと気にかけてるなーと思ったら、アッサリ歩兵長に差し出したりするし、でも今みたいにほかの男をススメたりもするしさあ。ビシュラちゃんを歩兵長とくっつけたいの、そうじゃないの?」

 その質問の答えにはトラジロも関心があった。目だけを動かして緋の表情を見た。
 緋は黄金色の酒が入ったグラスを傾けた。

「あの子が、幸福になればいいと思っているさ。……いや、ちょっと違うか。自分の意思で決定して、悔い無く生きられればいいと、思っているかな」

「ふーん。でもそれって当たり前のことじゃね?」

 緋はグラスを回してハハッと笑った。

「お前にはそうだろうな。だが、世のなかには自分で決めるどころか、自分が何をしたいのかすらも分からないヤツもいるのさ」


 天尊ティエンゾンとアキラは大広間の上座にいた。
 上座は城の主であるヘルヴィンやユリイーシャの座。天尊が此処へ赴いたのは任務ではあるが、同時に主の友人であり招かれて応じた一等の客人でもある。城の主と共に上座にいるのは自然なことだった。
 上座には分厚いふかふかの絨毯が敷いてあり、その上に座す。天尊とヘルヴィンは片膝を立てて酒を呷った。

「ほへいちょーさんって、ビシュラさんのこと好きなんじゃないの? あんなこと言って大丈夫? 親密にって、ほへいちょーさん、怒ると恐いんじゃ……」

 通りの良い緋の声は、上座までしっかりと届いていた。
 アキラは心配そうに天尊に小声で訊ねた。
 天尊はクッと笑いを零した。アキラが言うような、人として正常な恋愛感情がヴァルトラムにも備わっていたらと想像したら可笑しかった。

「大丈夫なんだろ、フェイがいるんだ。アレのことはフェイに任せている」

 他人事だなあ、とアキラはやはり心配そうにビシュラたちのほうへ視線を伸ばした。
 アキラの目にも緋は強そうな女性に見える。もしかしたら巨大で屈強な歩兵長にだって太刀打ちできるのかもしれないが、ビシュラは到底そうは見えない。アキラの本音を言ってしまえば、歩兵長は黙って立っているだけで恐ろしい。怒り狂ったらどれほど恐ろしいのかなど、想像を絶する。

 アキラは、本人こそ気づいていないが、或る意味でビシュラよりも注目を集めていた。天尊が常に行動を共にする素性の一切が秘密の姫。騎士たちは好奇心を抑えられずチラチラと観察していた。

「あのお嬢さんフロイラインは一体誰なんだ。ニーズヘクルメギル少佐が御婦人をお連れになるなど初めてのことだ」

「あの方を連日ユリイーシャ姫様がお茶にお招きらしい。少佐のあの可愛がられ様、ニーズヘクルメギルの縁者であることは間違いないだろう」

「ユリイーシャ姫様のご婚約者・リンウーチェン様、ニーズヘクルメギル少佐御兄弟には若い従妹姫がいらっしゃると聞く。その従妹姫ではないか」

 そのような噂話が、天尊の耳には届いていた。男たちからアキラへ不躾な視線を向けられるのは面白くはないが、擦り寄ってきはしないので放っておくことにした。
 自分の隣にいるアキラを見ると、その額にキラリと光るものを見つけた。アキラの前髪を指で掬って額に手の甲を擦りつけた。

「汗をかいてるな。暑いか?」

「ん。ちょっと」

 天尊は手をスッと挙げてウェイターを手招きした。
 ウェイターが持ってきたトレイの上には足つきのコップがいくつか乗っていた。天尊はコップをひとつ選び取ってアキラに差し出した。
 アキラはそれを両手で受け取り、なかを覗きこんだ。文様入りの金属製コップの中身は無色透明。スンスンと嗅いでみても匂いもないからおそらくアルコールではないのだろう。

「これは、水?」

「ああ。これは飲んでも大丈夫だ」

 アキラは天尊が持っているコップを指差した。

「ティエンはお酒飲んでるの?」

「ん? アキラも酒が飲みたいか? 俺としてもアキラが飲んだらどうなるか興味はあるが、体に障るかもしれんからなあ」

「どうにもなりません。そもそも未成年だから飲めません」

 アキラはプイッと天尊から顔を背けた。天尊は笑いながらアキラの肩を抱き寄せた。
 ヘルヴィンは片膝を立ててリラックスした体勢で酒を傾けながら、仲睦まじいアキラと天尊を一頻り観察した。

「ティエンゾンよ。ユリイーシャから聞いたが、その娘を嫁にするんだって?」

 天尊はアキラの肩をさらに抱き寄せて御満悦の表情で「ああ」と切れの良い返事をした。

「自分の子でもおかしくない娘と一緒になるってか。お前さんにはそういう趣味はねェと思っていたがな」

「オイ。俺はそんな歳じゃないと言っただろ。アキラに老けていると思われるからやめろ💢」

 ヘルヴィンはガハハハハッと大口で笑った。天尊の向こう側にいるアキラに話しかける。

「嬢ちゃん。歳はいくつだ」

「今年、十六歳になります」

「十六だと?」

 ヘルヴィンは片眉を引き上げて天尊へと目線を送った。
 天尊にはヘルヴィンが言わんとしていることを察するのは易かった。

「アキラはエンブラだ」

 ヘルヴィンは閉口し、ユリイーシャはハッと息を呑んだ。
 ミズガルズの住人・エンブラ――――異界の少女。彼らも例に漏れず、そのような生き物を実際に目にするのは初めてだった。
 ユリイーシャはアキラを見詰める瞳をやや大きくした。

「するとアキラ様が口にできない食べ物が多いというのは」

「エンブラはアスガルトのものを何でも食べられるというわけじゃない。何が毒やアレルギーになるか分からん」

 カンッ、とヘルヴィンはテーブルの上にコップを置いた。自分と天尊の間にある背の低いテーブルだ。

「で、エンブラを嫁にするってェ?」

「そうだ」

 天尊は即答した。
 それを聞いてヘルヴィンは大口を開けて笑った。北の姫君・ユリイーシャは優美で繊細だが、ヘルヴィンはその父とは思えぬ豪快な人物だった。

「ファシャオは何と?」

「嫁を決めるのに親にどうこう言われる歳じゃない」

「普通の親ならな。だが、お前さんの親はニーズヘクルメギルの族長だ」

「親父のことなど知ったことか」

 天尊はヘルヴィンから顔を逸らしてツーンと言い放った。

(ティエンはわたしと結婚するとか嫁とかスグ言うけど、こっちの世界の人が人間と結婚するなんて、やっぱり大変なことなんだよね。たぶん、この人の反応が普通で、ティエンの言ってることは考えられないようなことなんだ。だってわたしとティエンは全然違う――……)

 天尊の顎の稜線を見上げていたアキラの目が自然と下に落ちた。
 手には水の入ったコップ。黄金色の水面には自分の顔。天尊が嫁にするなどと発言すると決まって恥ずかしがって否定するくせに、そこにある顔は少し安堵して見えた。
 天尊からの直接的な愛の告白に安心させられる。天尊が過ぎるくらいに言葉でも態度でも愛情を示すのは、自分の不安を感じ取っているからかもしれない、とアキラは思った。

 アキラ、と天尊から呼ばれてハッとした。素早く口許で笑みを作って「何?」と反応した。
 天尊は大広間の一角、両手が回らないほど太く白い柱に凭りかかる男女を指差した。

「見てみろアキラ。ビシュラが男とふたりで話しているぞ。あのままどこかに消えてヴァルトラムが怒り狂いでもしたら面白いな♪」

「面白がらないでよ」

「こんなところで女から目を離すヤツが莫迦だ。俺ならアキラから離れない」

「分かった、分かったから! 近いよッ」

 天尊はアキラの肩を抱き寄せ、頬擦りするように額を寄せた。
 アキラが嫌がると分かっていてもそうせざるを得なかった。特別綺麗に着飾ったアキラを、自分のものであるとアピールしたい思惑があった。
 ユリイーシャは天尊に気づかれないように小声で父に耳打ちする。

「御父様。ティエンゾン様は本当にエンブラのアキラ様と御結婚なさるおつもりなのよね?」

「さあなァ。可愛い顔をしちゃいるが、嫁となるとなァ」

 ヘルヴィンは頭を左右に軽く揺すった。

「アキラ様は可愛らしいだけではなくて、とても良い御嬢様なのよ。アキラ様のような方が妹姫になっていただけたら私も嬉しいのだけれど」

「ただ囲って可愛がるのと妻として娶るのとじゃ話は違う。そんなことぐれぇ、ティエンゾンも分かっちゃいるだろうが……。何考えてるんだかなァ、あの白髪の大隊長は」
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