ベスティエン ――強面巨漢×美少女の〝美女と野獣〟な青春恋愛物語

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#03: The flawless guy

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 ブラジレイロを出たレイ渋撥シブハツは、まずは最寄り駅へ徒歩で向かった。

「ハッちゃんもユーちゃんと友だちやったんやね」

「友だちちゃう」

「そうなん? お話してたのに」

 顔も名前も年齢も知っている。顔を合わせれば軽口くらい叩く。時間と情況が許せば世間話くらいはするかもしれない。しかし、決して信頼の置ける関係などではない。そもそも渋撥にとっては備前ビゼン勇炫ユーゲンという人間が直感的にいけ好かない。彼が真実善人か悪人かなどは問題ではなく、時たま見せる人を値踏みするような、秤にかけるような目が気に食わない。

「禮こそ備前と知り合いなんか俺に一言も言わんかったな」

「だって言うタイミングあれへんかったし」

 禮はキョトンとした。渋撥が何故そのような言い方をするのか全然分からないという表情で。
 渋撥としても説明する気は毛頭なかった。可愛い恋人が、あの女と見紛おうばかりに綺麗な顔をした男と自分の知らないところで知り合いだったことが面白くないのだ、などと正直に言うはずがない。

「備前は幼馴染み言うてたで」

 禮は宙に目を向けて頷いた。

「うん。感覚的には幼馴染みみたいなかんじ。道場の親善試合とかで半年・一年に一遍くらいのペースで顔合わせるかな」

「試合? 禮は備前とやり合うたことあんのか」

「ううん。ユーちゃんはいつも大将やから、ユーちゃんの相手はいっつも決まってんの」

「フツー大将言うたら一等強いヤツやろ。禮ちゃうんか」

「ちゃうよー。道場で一等強いのはお父はん。お父はん除いても、ちゃんと門下生の中にウチより強い人がいてるよ」

「禮より強いヤツがちゃんといてんならべつに禮が出らんでもええんちゃうか。試合て男だらけなんやろ。ケガしたらどうすんねん」

「だいじょぶやよ」

 禮は少々気恥ずかしそうにはにかんだ。渋撥が心配してくれていることが嬉しくて。

(こんな天使みたいな顔して男と殴り合うなんか世の中どうかしとる。禮が殴ることなんかあれへん。俺に言えば禮の敵は全部殴り倒したるのに)

 禮の実力は渋撥も充分に分かってはいるが、渋撥にとっては小さく可憐で愛らしい生物であることに変わりはない。
 渋撥から頭をグリグリと撫でられ、禮はキャッキャッと笑った。

「ハッちゃん撫ですぎ。髪の毛ぐしゃぐしゃになってしもた」

 備前の言う、禮に横恋慕しているという男の存在は気になるが、禮と触れ合って禮の笑顔を見ている間はつまらない悋気など忘れられる。白い歯を見せて無邪気に笑う禮を見ていると気分がよい。自分でも信じられないくらい上機嫌になる。




「そこのカップルー」

 禮と渋撥は不意に背後から声をかけられ、揃って振り返った。
 そこにいたのは見慣れない学生服を着た六人の男たち。渋撥が覚えがないということは、近所の学校ではあるまい。

「《荒菱館の近江オーミ》ってヤツ、知ってるか?」

 禮がソッと渋撥の顔を見上げると、眉間に深い皺を刻んで男たちを睨んでいた。ああこれは警戒態勢だと察知し、ひとまず男たちのほうへ視線を戻した。

「知ってるよなー? その白ラン、荒菱館の制服だろ。しかもオメー、見た目バリッバリに悪そーじゃん」

「荒菱館のヤツが《荒菱館の近江オーミ》を知らねーハズねー」

「オイ。ちょっと待てよ……」

 ひとりの男は目を凝らして渋撥の人相を遠目にジーッと観察した。

「眉ナシの恐ろしい三白眼の大男って、もしかしてアイツのことじゃねーか?」

「あー、確かに。眉ナシの大男なんかそうそういねーもんな」

「ヨシ。とりあえず捕まえっぞ」

 渋撥は一歩足を進め、禮を背後に隠すように彼らと対峙した。

「禮。走って逃げろ」

「イヤ」

 渋撥は眉間に皺を寄せて禮のほうを振り返った。禮は渋撥と目を合わせてもう一度ハッキリと嫌だと断言した。

「ハッちゃん残してひとりで逃げるなんて絶対イヤ」

 渋撥は手の平で禮の額をグイッと押した。

「アホ。俺ひとりやったらどうとでもなる。禮がおったらやりにくうてかなん」

 禮は大きな黒い目をウルウルさせて渋撥の三白眼を下から見詰めた。

「ウチ邪魔せえへんし。おとなしくしてるから。おねがいハッちゃん」

「ッ……」

 渋撥は口を一文字に綴じた。
 この場に於いて、禮の安全を優先して逃がそうという情況判断は正しいはずだ。これは自信を持って断言できる。しかし、禮の瞳と「おねがい」の呪文には抗いがたい。
 渋撥はハーッと深い溜息を吐いた。

「絶対おとなしくしとれよ」

 渋撥は男たちのほうへ向き直った。
 端から順に眺めてみたが、ただでさえ人相を覚えないタチであるところ、どの顔にもピンと来なかった。相手が誰であろうと臨戦態勢でいる以上は対戦は不可避。
 渋撥も臨戦態勢に突入したことを察知して、見知らぬ彼らもジリッジリッと緊張感を迫り上げる。

「行けーーッ!」

 六人の男たちが一斉に雪崩れこむようにして迫りくる。
 渋撥は一歩も退かずに先頭の男を見据えた。
 先頭の男は「おらあっ!」と気合いを入れて大きな動作で拳を振り上げた。
 渋撥の目は、男の拳の軌道を克明に捉えていた。攻撃を易々と躱し、自分もグッと拳を握った。
 ドォオンッ!
 渋撥の右ストレートが男の鳩尾みぞおちにめり込んだ。
 走りこんできた自分の加速も相俟って、到底踏み留まることなど叶わない。両膝を突いてアスファルトに前のめりに倒れこんだ。胃酸が喉まで上がってきて口から涎を垂らす。

「ゲア……ッ」

 ガキャンッ! ――渋撥は足元近くにあった男の後頭部を躊躇なく踏みつけた。
 それを見た残りの男たちは、怯んで足を止めた。

「オラ、次」

 渋撥たちはたじろいだ男たちに言い放った。

 ガゴンッ! ドボォッ! ガギャンッ!

「グアッ!」

 渋撥の一撃で大の男が吹っ飛んで地面に叩きつけられた。それを見届けている一瞬の隙に、背後に人の気配を感じて渋撥は振り返った。

「調子乗んなやコラァッ!」

 ガキャンッ! ――かなり強かに顔面を殴られた。
 しかしながら、彼には容易く折れない屈強な肉体がある。多少殴られたところでびくともせず、即座に犯人を捕まえた。服を引っ張り力尽くで俯かせた。
 ドゥンッ! ドゥンッ! ――腹部を膝で蹴り上げる度に男の身体は跳ね上がった。
 渋撥が手を離すと男はズシャアッとアスファルトの上に転がった。

「ぎゃあっ」

 高音の悲鳴が上がり、渋撥はバッと振り返った。
 禮が、手首をひとりの男に捕まえられていた。

「ビックリした……」

 敵に捕まえられたというのに、禮の口からは暢気な一言が漏れた。
 渋撥から「禮ッ!」と怒鳴られ、ビクッと肩を撥ねさせた。

「ハッちゃんごめん~~。ハッちゃんのほうに夢中になってたから気づかんくて~」

「アホか。のんびりゴメン言うてる場合かッ」

 男は禮の細い手首を力任せにグイッと引っ張った。

「ひとりずつ行くな! 何の為に頭数がいると思ってんだ! 囲めッ」

 禮を捕らえた男は、仲間に指示を出した。

「捕まえて押さえろッ」

「囲んでフクロにしちまえー!」

 男たちは一斉に渋撥に飛びかかった。
 渋撥は、亡者のように伸びてくる数多の腕を振り払っては敵たちを殴り飛ばした。しかし、然しもの渋撥も全方位に目は付いていない。近場に気を取られている隙にドスッと脇腹に蹴りが入った。
 渋撥の動きが一瞬緩まり、男たちは巨躯にしがみついて押さえた。

「オラァッ」

 ガゴンッ! ――足止めされた渋撥は顎を真面に殴られた。
 続け様に何発も拳を浴びせられた。

「ハッちゃん!」

 禮はすぐに渋撥に駆けつけたかった。しかし、手首を掴まれているからそれも叶わない。男は禮が身動きする度に手首を引っ張る。女子中学生の禮では、血気盛んな男子高校生に腕力では敵わない。

「もーッ、さっきから手痛いねんて!」

 禮は男のほうへ身体を向け、自分の手首を掴んでいる男の腕を素早く握って腰に力を入れて思い切り回してやった。

「なッ⁉」

 魔法のように身体がぐいんっと一回転したかと思うと、視界がグルッと回り、黒いアスファルトを間近に見た。ズドォンッと、男は抵抗する間もなく固いアスファルトの上に背中から落ちていた。
 痛みでハッと気づいたときには、自分より小柄な女子中学生に跨がられていた。何が起こったのか理解できず脳が一時的にフリーズしている間に、その女子中学生が拳を握っているのが見えた。

「うわあーッ!」

 ガキンッ。
 禮は確かに男の顔面に叩きこんでやろうと拳を握ったのに、腕がびくともしなくなった。
 禮が背後を振り返ると、腕を渋撥にしっかりと捕まえられていた。
 渋撥は自分を足止めした輩を必死に振り払い、禮の許へ駆けつけた。

「ぽんぽんモノ殴るなていつも言うてるやろ。禮の拳のほうがワヤんなったらどうすんねん。そんな細い手やのに」

「これくらい大丈夫やよ」

「あかん。ソイツ出っ歯やから」

「あァッ⁉ 何だとテメー!」

 組み敷かれた男は咆えたが、禮は気にせず渋撥の顔を見ていた。

「歯が当たる?」

「当たる」

 渋撥はコクンと頷いた。
 捕まえている禮の二の腕を引っ張って立ち上がらせ、男の上から退かした。
 男の視界を、渋撥の爪先がフッと地面から浮いたのが掠めた。
 ベギンッ! ――渋撥は男の鼻を爪先で蹴り飛ばした。

「うぎゃッ! ぎゃぁあーッ‼」

 男は鼻を押さえてアスファルトの上をゴロゴロとのたうち回った。
 渋撥には鼻骨を潰した手応えがあった。男の鼻から、手の平では覆いきれない黒ずんだ血が止め処なく流れ出た。
 禮は眉尻を下げて渋撥の顔を見上げた。

「ハッちゃんのヤリ方、かわいそやと思う……」

「ケンカの相手に情かけたっても何にもならん」

 渋撥は禮の腕を引いて自分の背後へと押しやった。それから、禮には大きな背中だけを見せ、身体の正面を敵へと向けた。
 殴り合いが終結したわけではない。敵は仲間の何人かを戦線離脱させられても、戦意を残している。渋撥と一定の距離を保ち、じりっじりっと攻撃を仕掛けるタイミングを計る。
 名指しでやってくるだけあって道端での偶発的な小競り合いとは訳が違う。明確に目的を持って行動していることが窺える。
 ブォォオオオッ。
 けたたましいエンジン音が近づいてきた。
 愛車のスクーターに跨った鶴榮が、風を切って此方に突進してきた。

ハツゥーーッ!」

 この場に猛スピードでスクーターが突っこんできて、敵は慌ててバラバラに散った。スクーターは敵の垣根を割って渋撥と禮の前に辿り着き、キキィッと急停止した。

「正義の味方、参・上!✨」

 鶴榮は白い歯をキランと光らせて颯爽とビッと親指を立てた。
 渋撥はそれを全無視して禮の腕を引っ張って鶴榮に押しつけた。

ツルについて行け」

「オイ、フル無視すんな。まずはワシに何かツッコめや」

「禮連れて逃げろ」

 渋撥は鶴榮の冗談には一切応えず要求だけを突きつけた。
 鶴榮は面白くなさそうに口を尖らせて禮の二の腕を捕まえた。渋撥からの要求を承諾したということだ。禮を任されたのでは断れない。

「オマエは? ワシはオマエに話あんねんけど」

「話はあとで聞く。禮逃がすほうが先や」

 渋撥と鶴榮は淡々と会話を完了し、その短い会話で互いに納得した。渋撥はクルリと背中を向け、鶴榮はそれ以上何も言わなかった。
 それは兎にも角にも「行け」という合図。それは兎にも角にも「やれ」という合図。

 禮は渋撥の傍を離れがたかった。名残惜しそうに渋撥の背中を見ながら鶴榮の後ろに跨がった。

「スグに曜至が来るハズや。それまで気張れよハツ

 鶴榮は渋撥の背中にそう言った。
 ブオッブオオオオッ。――鶴榮のスクーターはすぐにトップスピードに突入し、登場したときと同様に颯爽と姿を消した。

「曜至なんかアテにするかボケ」

 渋撥が独り言を零したあと、ジャリッジャリッと複数人の足音が聞こえた。
 足音のほうを振り返ると、路地から数人の男たちが出てきたところだった。その制服は、渋撥と対峙している男たちと同じものだ。

「お。合流成功」

「何やってんだ! 来るのが遅ェーよッ」

「こんだけいりゃあ」

「逃がさへんぞ近江コラァッ!」

 この男たちは敵の援軍だ。渋撥は最初の二、三人以降は面倒臭くなって頭数を数えるのを已めた。
 渋撥は首をグルリと回してゴキッと骨を鳴らした。

「ほんまコッパがゾロゾロと…………鬱陶しい」




 レイ鶴榮ツルエが走り去ってから幾許もなく――――。
 渋撥シブハツの視界には屍累々、学生服姿の男たちがアスファルトの上に転がった。其処彼処そこかしこから呻き声や怨嗟が立ち上る。

「ハァ、ハァ……」

 渋撥は呼吸を整えつつ口の端をグイッと拭った。何発か殴られた上に全身汗でベトベトで、気分は散々だ。
 敵を撃退したところで鶴榮に託した禮が気懸かりであることには変わりない。鶴榮のことだから禮の安全を最優先に行動するだろうが、自分の手許から離れている間は安心することなどできない。

「なッ、何なんだコイツ……バケモンかッ……!」

 アスファルトに這い蹲る男が、もう動けないくせに悪態を吐いた。
 渋撥はハッと鼻先で嘲弄した。

「オドレらアホすぎるやろ。ケンカ吹っかけようっちゅう相手のツラもよう知らんのか」

「まさか……! 本当に《荒菱館コーリヨーカン近江オーミ》……⁉」

 渋撥は何も言わずクルッと踵を返した。
 死に損ないに親切に答えてやる義理など無い。そのようなことよりも脳内は禮の行き先と安否でいっぱいだった。




「なんや、負けとるやないか」

 背後から声がして、渋撥は足を停めて振り返った。
 眼鏡をかけた坊主頭の男が、銜え煙草をして立っていた。渋撥に及ばないまでも長身の部類に入る。倒れている男たちと連中と同じ学生服を着用しているからには、この男も敵なのだろう。
 坊主頭の男は標的である渋撥のほうを見ずに、アスファルトの上に突っ伏した仲間を暢気に見下ろしていた。

「あーあ……大丈夫かァ、お前ら」

「あ……う……。能登ノトく……?」

 仲間から弱々しい反応が返ってきて、坊主頭の男は「オウ」とだけ応えた。息があることさえ確認すればまずは充分だ。一見した限り、命に別状のある負傷者はいない。
 坊主頭の男は煙草の煙を最後に深く吸いこみ、それから指でピッと弾いて道端に捨てた。

「一応、連絡もろて駆けつけたつもりやったが、ギリギリやったな」

「…………。誰やワレ」

 渋撥は、ようやく顔を上げて自分のほうを見た坊主頭の男を正視した。
 生まれ持った野生の勘か、それとも喧嘩で培った経験値の御陰か、この男が足許に転がっている連中とは格が違うと直感した。真っ直ぐにこちらを見据えてくる坊主頭の男は、街を歩けばその辺にいる破落戸ごろつきとは風格も雰囲気も異なる。この上なく挑発的な目をするくせに、悪意や敵意などまったくない。まるで、俺はお前たちとは異なる世界にいるのだとでも言うような目線。
 それは、初めて渋撥に向かってきたときの禮に少し似ていた。




「アンタが《荒菱館の近江》なんやろ」

「そうや」

「話に聞いたとおり、大したモンや。この人数をたったひとりで」

 坊主頭の男はそう言って片手をポケットの中に突っこんだ。
 ああ、これは自分に対する値踏みが始まったと思って、渋撥はウンザリという表情で首を回した。

「次から次にゾロゾロ出てきよって。オドレらァ誰やねん」

「訊く意味あれへんやろ。名乗ってもアンタは俺なんか知らんやろし、俺もアンタに興味はない」

 この言い草、この態度。今まさに殴り合いを始めようかというところなのに、自分は一段高いところに立っているような第三者の顔をする。
 自分は相手と対等ではなく、標的である渋撥にもこのケンカ自体にも価値など一切見出していないのだと、渋撥は推知した。
 価値も意味も感じていないのは渋撥も同じだ。しかし、一段高いところから見下ろされるのは胸が悪かった。

「俺が誰やて訊いとんねん、クサレ坊主」

「腕は立っても頭は良うないみたいやな。意味ない、言うてるやろ」

 渋撥は鼻血を拭い、坊主頭の男のほうへ一歩足を進めた。
 坊主頭の男は黙って渋撥の動作を観察した。

「…………」

 ジャリッジャリッと距離を縮める度に、渋撥の威圧感が伝わってくる。突き刺し、貫き殺すような、眼力と気魄。遙か遠い土地まで名前が轟くだけはある。流石に当たり前のならず者とは格が違うと、彼も《荒菱館の近江》を見定めた。

「俺もオドレなんぞに興味あるかァ。せやけどソッチは知っとって俺だけ知らんっちゅうのは不公平やろ」

能登ノト虎宗タケムネ

 渋撥と虎宗はほぼ同時に拳を握った。




  § § §




 ブォォォオオオオ。――爆音を轟かせながら鶴榮はスクーターをとばした。

「ねぇっツルちゃん! ねぇてば!」

「何や禮ちゃん」

 鶴榮は禮に話しかけられても、じっくりと話を聞く為にエンジンを止めてやるわけにはいかなかった。何処へとはまだ決めかねているが、とにかく東光トーコー高校の手が及ばない安全地帯まで禮を運ぶというのが、彼の現在の使命だ。

「ハッちゃん何で襲われたん?」

「…………」

「ウソは、言わんといてねーっ。あの人たち《荒菱館の近江》て名指しで来たさかい、ハッちゃんが狙われてるんやろーっ?」

 禮が渋撥を案ずることは当然の権利。それをやめさせる権利は鶴榮にはない。しかし、渋撥の情況を禮に開示するかは別の問題だ。
 禮に事情を説明してもいたづらに案じさせるだけだ。渋撥だって禮を巻きこむことは何よりも回避するに決まっている。

「鶴ちゃんてば!」

「スマン」

 鶴榮の回答は禮の欲しいものではなかった。
 渋撥や鶴榮の事情に禮を巻きこんではいけないと、鶴榮のコンピューターは弾き出した。

「とりあえず家まで送ってくわ」

「ハッちゃんはどうすんのっ?」

ハツはワシらの仲間が拾う。いま向かっとるさかいスグや。禮ちゃんが心配するようなことは何もない」

 スクーターは大きな橋に差しかかった。橋の緩やかな傾斜をフルスピードで駆けてゆく。
 向こう岸が見えた瞬間、鶴榮はハッとして急ブレーキをかけた。キキキィッとタイヤが鳴き、鶴榮が踏ん張った靴底が橋との摩擦で砂埃を巻き上げる。

「クソがッ」

 鶴榮はスクーターの進行方向を180度転回し、今走って来た道を戻ろうとする。
 禮は橋の向こう岸を肩越しに確認し、学生服を着た集団を見た。黒い学生服など世間に有り触れているし一瞬で見分けなど付かない。しかし、時が時であるだけに渋撥を急襲した輩と同じ学生服だと判断した。

「逃がすな! 追えぇーッ!」

 バタバタバタバタッ。 ――集団の猛ダッシュの足音が迫る。
 鶴榮は急いでスロットルを回した。しかし、スクーターが発進するより一瞬早く、追いついた男が鶴榮の後ろに乗っている禮の二の腕を捕まえた。

「待てコラッ」

「イヤやよッ」

 バキャンッ! ――禮は自由なほうの手で男の鼻っ柱を殴った。掴まれる力が弛んだ隙に腕を引き抜き、男の顎をさらに肘で打ち上げた。

「逃がさねーぞ、駿河スルガッ!」

 鶴榮は学生服の後ろ襟刳りを掴まれて引っ張られた。強引にバランスを崩され、スクーターの制御を喪失した。
 鶴榮と禮はスクーターから振り落とされた。鶴榮は地面に落ちる前に禮を腕の中に抱えこんだ。宙で上半身を捻り、背中からアスファルトに叩きつけられた。
 ガシャアンッ! ――運転者がいなくなったスクーターは独りでに前進し、蛇行し、橋の欄干に衝突して転倒した。
 禮は痛がる間もなくガバッと起き上がって鶴榮を上から覗きこんだ。

「鶴ちゃん大丈夫ッ⁉」

 あでで……、と鶴榮は後頭部を押さえて上半身を起こした。

「ワシは大丈夫や。禮ちゃんはケガあれへんか?」

「ほんまに? ほんまにだいじょうぶ?」

「こう見えて頑丈やねん。ハツほどちゃうけどな」

 鶴榮は腰を押さえて立ち上がり、禮に手を差し出した。禮が捕まると片腕でヒョイと引き上げてくれた。

「ほんまに何ともない? ウチ全体重で乗っかってしもたから~ッ」

(正直この情況ちゃうかったらもうちょっと乗ってくれとってもよかったけど)

 ――煩悩は横に置いておいて。
 鶴榮は禮より一歩前に歩み出て背中に庇い、敵と対した。
 鶴榮の前には三人の男が立っている。橋の湾曲の所為で此処からは目視できないが、端を渡りきったところにはさらに五人ほどの頭数が待ち構えているはずだ。倒れたスクーターを起こして走り去るなど目の前の三人がさせてくれないだろう。
 敵の加勢は橋を越えてすぐにやってくる。ほら、もう傾斜の頂点、橋の中央部に人影が見えた。向こう岸から、橋を越えてこちらに近づいてくる五つの頭。

「あ」

 背後から気の抜ける声が聞こえた。鶴榮は肩越しに禮のほうを振り向いた。
 禮は鶴榮の後ろからひょこっと顔を出し、五人のほうを見ていた。横一列に並んで近づいてくる男たちのなかに、見知っている顔を見つけた。




「え……」

 そこにいた人物は、伯耆ホーキ大志朗タイシローだった。大志朗は禮の存在に気づき、絶句した。
 ――こんな所にいるはずがない。
 禮と大志朗は脳内で同じことを考えた。悪い夢や他人の空似を疑いたくなるほどに、それはあってはならない邂逅であった。

「マズイマズイマズイマズイ!」

 大志朗は突然慌て始め、隣の男の陰に隠れた。その男は幸いにも大志朗よりも体格がよく、身を縮めれば隠れられないこともない。

(何で禮ちゃんがこんなトコに⁉)

「大志朗さん。どうしはったんスか?」

「伯耆さーん?」

 大志朗が足を停めた為、彼らもその場で停止して大志朗を怪訝な目を向ける。
 大志朗は眉間を指で押さえ、これが本当に現実であるのか、昼寝の続きの白昼夢ではないのかと考えこんだ。

「ちょお待て。頭こんがらがるさかい今話しかけんな。俺はいま超リアルな夢見とるんかもしれん」

「何言うてんねん。あのグラサンが荒菱館№2の駿河スルガや。もう少しで№2押さえられる大事だいじなトコなんやからしっかりしてーや」

「№2もスゲー強ェってウワサだけど女がいたら派手なことはできねーだろ。女連れが運の尽きだったな」

(その女があかんねん~! ほんま何で禮ちゃんがこんなトコに?? バリクソヤンキーの荒菱館と禮ちゃんが何で一緒におるんや⁉ ワケがわからん~~ッ)

 大志朗は男の背中からソロリと顔を出し、真っ白の学生服を着た男と一緒にいる女学生の人相を確認してみた。よく見れば見るほど禮に相違ない。

「…………」

 大志朗は自分を隠してくれる男の肩をポンポンと叩いた。

西ノ宮ニシノミヤクン。ここはキミに譲るわ」

 西ノ宮は吃驚して「ッはぁ⁉」と大志朗を振り返った。
 そうなると自分の姿が禮に晒されてしまうので、大志朗は慌てて西ノ宮の肩を押し返して壁にした。

「何言うてはんねん! ここ任されたの大志朗さんやろッ」

「それはそうなんやけどー、残念ながら俺はいま非常にマズイ情況やねん」

「何がマズイねん。こっちは人数揃ってんねんで。オマケに向こうは女連れや。こんなチャンス逃す手ナイで!」

「せやから……俺はあかんねん」

 大志朗はそう言って両手で口を覆った。
 先日、久方振りに見た禮の瞳は変わらず少しの濁りもなかった。あの瞳に見詰められるときっと、お前は何をしているのかと、何処へ堕ちたのかと、問い質されている気分になる。攘之内に説教をされても、相も変わらず自分は覚悟ができず二の足を踏んでいる。

「もおぉ~、しゃあないなァ」

 西ノ宮は仕方がなさそうに声を上げ、前方に向き直った。腕を振って周囲の仲間たちに指示をする。

「オイ。オマエらも行って駿河捕まえてこい。女押さえたら抵抗でけへんやろ」

「あかん」

 大志朗が西ノ宮の肩をバシンと弾き飛ばした。
 西ノ宮がまたしても「はあッ?」と振り返ると、大志朗は険しい表情をしていた。

「女には絶対手を出すな」

「大志朗さん?」

「女のほうに掠り傷ひとつでも付けたら俺がお前らブチのめす」

 いつもの冗談とは思えなかった。表情も声質も真剣そのもの。西ノ宮はゴクッと息を呑んだ。

「わ、分かったて……」

 西ノ宮が従順に応じても大志朗は表情を緩めなかった。眉間の皺を深くして端正な顔が険しく歪むのは迫力があり、西ノ宮は逃げるようにターゲットのほうへと顔を向けた。




「シロちゃん……?」

 レイは半ば呆然として、ポロリと取り零すように名前を呼んだ。
 鶴榮ツルエには禮が口走った単語が人名かどうかも分からなかった。だから、面前の敵たちから目を逸らさなかった。
 ツン、と禮が鶴榮の制服の袖を引いた。

「禮ちゃん。どうかしたか?」

「あの人たち……ハッちゃんとケンカした人たちと同じ?」

「そうや」

「ほんまに……?」

 禮は鶴榮の服の袖をぎゅうっと握り締めた。

「間違いない。コイツら敵意丸出しや。どいつもこいつもヤンキー臭い下品なツラしくさって」

「あァンッ⁉ バッチリ聞こえてんぞコラァ! テメーこそオッサンみたいなツラしやがって! 誰が下品だオオゥッ⁉」

「下品なツラ近づけて咆えんな、コッパが」

 鶴榮が男たちと罵り合う小競り合いをしている内に、禮の手は鶴榮の袖からスルリと落ちた。
 自分でもそうだと思っているのに、違うと言ってほしかった。彼処にいるのはよくある他人の空似だと、決して、よく知る幼馴染みの彼ではないと、誰かに言ってほしい。

「オイ」

 禮は二の腕を掴まれてハッと我に返った。見上げると厳めしい顔をした男にしっかりと腕を掴まれていた。
 禮が呆けている間に、鶴榮はふたりがかりで羽交い締めにされて抑えこまれていた。

「さっきはよくも肘打ち食らわしてくれたなクソガキ」

 男はそう言って禮の腕をギリギリと握り締め、禮は痛みに顔を歪めた。

「いった……ッ」

 男が腕を振り上げ、禮は殴られると覚悟した。捕まえられているから飛び退くことはできない。覚悟して歯を食い縛るくらいしかで
もできない。禮は咄嗟に残された腕でガードを造った。

「やめろボケェッ!」

 鶴榮は禮への攻撃を止めに入ろうと、両腕にしがみ付いている男たちのひとりを振りほどき、もうひとりを殴った。しかし、最早禮と男との間に割って入ることすら間に合わない。
 がしっ。――禮の頬を撲ってやろうと手を振り上げた男の肩を、大志朗タイシローが掴んだ。
 男が振り返ると、神経質そうな顔をした大志朗からジロッと睨まれた。

「女に手ェ出すな言うてるやろ。言葉通じへんのか、ダボが」

「ほ、伯耆ホーキさん。スンマセン……」

 男は大志朗の眼力に押されて禮の腕から手を放し、大志朗の為にその場から一歩後退した。
 禮はついに真正面から大志朗の顔を見た。この距離では見間違いようがない。やはり幼い頃からよく知る、先日偶然出会したばかりの彼だ。
 大志朗のほうは禮と目を合わせようとはしなかった。眉間に細かな皺を刻んで顔を背けた。

「シロちゃん……何してんの」

 ――名前を呼ばないでくれ。俺を見ないでくれ。こんな俺はキミには知られたくない。
 振り払おうと目を瞑るのに、自分の奥のほうから罪悪感が引き摺り出されて、その苦味が舌の上でざらつく。罪悪の味がこんなにも不快だなんて知らなかった。
 大志朗は意を決し、禮のほうへ顔を向けた。その顔には薄っぺらい笑みを貼り付けて。

「禮ちゃんのほうこそ何でそんな男と一緒におるん。そんな男と遊んでたら師範に怒られるで」

「鶴ちゃんはええ人やもん」

 禮の発言を聞いて、大志朗の笑みがピクッと痙攣した。
 鶴榮のほうへ視線を移し、睨むような目付きで見た。その目には侮蔑の色があった。

「ええ人かどうかなんか問題ちゃう。ヤンキーはヤンキーや。コイツらは俺らとはちゃう人種や」

「あ?」

 鶴榮は大志朗に向かって悪態を吐いた。
 どのような主義主張があるかは知らないが、初対面でそのようなことを言われる筋合いはない。

「ほな、シロちゃんは何なん。ここで何してんの」

「禮ちゃんには関係ないことやで。気にせんでええよ。こんなヤツと一緒にいてたら危ないよって、ホレ、家に帰り」

 大志朗は答をはぐらかしている自覚はあった。こんなに近くにいるのに、笑顔を作ることはできたのに、まだ禮の目を見ることはできない。自身の罪悪感と対峙できていない証拠だ。覚悟を決めかねている証拠だ。

「関係ないことあれへんよ。だって……シロちゃんたちがハッちゃんを襲ったんやろ」

「ハッちゃん?」

「《荒菱館の近江》……」

 大志朗はカッと目を見開いた。

「何でシロちゃんはハッちゃんを襲うん。会うたこともあれへんのに何でこんなことするんよ」

「何で禮ちゃんが《荒菱館の近江》なんか知ってんねん」

 鶴榮は親指で禮を指した。

「この子は《荒菱館の近江》のオンナや」

「はああッ⁉」

 大志朗は驚愕の声を上げた。
 否定してほしい一心で禮に目線を送ったが、禮は難しい表情をして眉ひとつ動かさなかった。だから、大志朗は禮が鶴榮のような男と共にいる理由を瞬時に理解した。即ち、自身と彼女とのポジションをも理解した。

「トラちゃんは何してんの?」

 禮が尋ねると、大志朗は「トラは」と言いかけて口を半開きにしたまま、そこから声を発さなかった。
 禮の思い出のなかで大志朗と虎宗は常にワンセット。先日、数年振りに姿を現してもやはり虎宗は大志朗は行動を共にしていた。ならば何故、虎宗は大志朗のしようとしていることを制止してくれていないのか。

「まさかトラちゃんも……シロちゃんと同じ……?」

 おそらくは禮ももう、大志朗たちと自身の立場を理解しているからこその問いかけだ。禮も大志朗も互いに否定しながら確信している。心では否定してほしいと願いながら、頭が理解してしまった。最早、敵なのだと。

 大志朗はしばらく口を噤んだ。
 それから、意を決したように前髪をガサッと掻き上げた。

「トラは《荒菱館の近江》のほうへ向かった」

 ――隠す意味はないんだ。だってもう、互いに解りきっているじゃあないか。
 突然、禮は大志朗に飛び付くようにして制服を両手で掴んだ。

「どこ!」

 禮は責めるような口調で問い質した。

「トラちゃんはどこにいてんのッ」

 大志朗は禮の手を振り払おうとはしなかった。
 性急に問い質す禮に、責められているのではなく縋りつかれていると感じた。そのような裏切られたような目をしないでほしい。この世の誰に責められるよりも、その純真な瞳に晒されるほうが、今はツライ。

「トラちゃんがどこにいてるか教えッ」

「ソレきいて、どうすんねん」

「おねがい!」

「トラの居場所が分かってどうすんねん。行ったところで……禮ちゃんじゃトラは止められへんで。トラの力は禮ちゃんもよう知ってるやろ」

 ギュッ、と大志朗の学生服を握り締める禮の力が強くなった。
 大志朗はなるべく強い語調で言った。心のなかで引き下がってくれと願った。禮がおとなしく引き下がってくれるなら、まだ取り返しが付く。自分は悪党に成り下がらずに済むと思ったのだ。
 フッ、と胸元から禮の手が離れた。大志朗は惹きつけられるように禮を見た。

「……それでも行かなあかんよ。ウチ、ハッちゃんのカノジョやもん」

「俺らを敵に回して男のほうに付くんか、禮ちゃん」

 これはとんだ責任転嫁だ。罪悪感から逃れたい一心で、責任を擦りつけようとしている。この場にいる誰よりも狡賢い生き物は、自分自身だ。
 しかしながら、そのような卑怯者を一言も非難することなく禮はただコクッと頷いた。そして、濁り澱みのない清澄な瞳を大志朗に向けた。
 そのような目で見られるから、居ても立ってもいられない気持ちになるのだ。

「その男がそんなに大事だいじか! 俺やトラを相手にしても構へんくらい自分のオトコが大事だいじなんか! 禮ちゃんと俺らはッ……」

大事だいじやよ」

 大志朗は引き下がらない禮にもどかしさを覚えて責めるような口調で言い並べたのに、禮は少しも揺らぎはしなかった。

「ハッちゃんが一番大事だいじやよ」

 そのような潔い目をしないでくれ。そのように突き放さないでくれ。急激に距離が開けてしまって二度と取り返せなくなる。急激に姿形が変わってしまって二度と立ち戻れなくなる。
 ついこの前、昔と変わらないねと笑い合ったばかりじゃないか。いつまでも変わらないままでいたいんだ。それなのに、どうしてもどうしても、過去が遠離る。

 パシッと、大志朗が禮の腕を捕まえた。

「師範がこんなこと許しはるはずがない。禮ちゃんと俺らが敵同士になんのも、《荒菱館の近江》なんぞが禮ちゃんのオトコなんちゅうのも。禮ちゃんは何か勘違いしてるだけや。よう考えてみてや、禮ちゃ――」

 ゴオゥッ!
 何かがもの凄い速さで飛んでくる気配。大志朗がハッとして禮の腕を放して素早く一歩後退した直後、ジッと何かが顎を掠めた。
 大志朗が飛んできた方向をジロッと見ると、鶴榮が拳を突き出していた。

「勝手にその子に触んなボケ。オマエがどんな関係か知らんけど、その子はツレの大事だいじなモンやねん」

「クズは黙っとれ。禮ちゃんはオマエらなんかとツルんどいてええ子ちゃうねん」

 大志朗と鶴榮は向き合って互いに険しい表情で睨み合った。
 これは一触即発、いつ始まってもおかしくないと、取り囲む男たちもにわかにピリッと緊張した。
 しかしながら、禮は意にも介さずスッとふたりの間に入ってきた。

「シロちゃん。お願いやからトラちゃんのいてるところ教えて」

「なんぼ頼まれても教えられへん、て……言うたら?」

「どーしても教えて、シロちゃん」

 禮がジャリッと地面を踏み鳴らして爪先を大志朗のほうへ向けた途端、パリッと空気が変わった。
 何かに取り憑かれたかのように、降りたかのように、禮の目付きも変わった。スイッチを切り替えるように見るも鮮やかに。

「禮ちゃん。危ないさかい下がっとき。ここはワシが」

「ゴメン、鶴ちゃん。これは多分、ウチがやらなあかんことやから」

 禮は鶴榮のほうを一瞥もせず、大志朗を正視した。
 清澄で鋭利な瞳に見据えられ、つまりは討つべき悪党だと認定され、大志朗の口からは可笑しくもないのにハッと乾いた笑みが漏れた。

「そーか。やる気か……!」

 大志朗にしても禮にしても、敵同士になるなどという現実は到底許容しがたいことに違いはない。しかし、禮のほうはとっくに腹をくくったらしい。
 ――そうか。ならば最早避けられまい。応えずにはいられまい。

 大志朗は禮を見据えたまま「西ノ宮ニシノミヤ」と仲間のひとりに声をかけた。

「グラサンのほう任したで」

「その嬢ちゃん、俺が押さえとこか? そんな嬢ちゃん相手にわざわざ大志朗さんが出んでええやろ」

「いや、俺がやる」

 大志朗の返答は早かった。
 西ノ宮は怪訝そうに眉を顰めた。小柄な女子中学生と向き合っているだけなのに、大志朗が緊張した面持ちなのが不思議だった。

「俺以外じゃ、禮ちゃんの相手は無理や」

 大志朗は独り言のようにボソッと呟いた。
 禮と大志朗は何の合図も無いのにほぼ同時に身構えた。
 相手に対して正中線を隠した構え。同じ流派の門下生、共に心身を磨き合った仲だから、まるで鏡に映したように対称だ。お互いに目の底まで覗くようにじっくりと見詰め合う。
 めまぜして禮の顔からは少女の可憐さは消失し、武人の気魄だけが両肩から立ち上る。真剣に相手と対峙するその時は、理性も情も記憶もかなぐり捨てて、武人の矜恃だけが禮を突き動かす。
 嗚呼やはり、我等は武人。全力で拳を交えるしか、答を導く方法はないのだと知る。




熒閂の最新話はクロスフォリオにて先行公開( https://xfolio.jp/portfolio/ke1sen/series/1023833 )
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