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■本編 (ヒロイン視点)

3.ショートケーキみたいな部屋で

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 カフェの会計を済ませて、二人は夕暮れが迫る駅前通りを黙々と歩いた。

 目的地は琴香の頭にある。
 ハロウィン一色の街並みに見向きもせず、鳴瀬を伴ってひたすら歩く。

「せ、せんせ、無理してません? してますよね?」

 鳴瀬は、思いとどまるよう何度か声をかけてきた。
 そのたびに琴香は「大丈夫ですっ」と強く突っぱねて、ついには彼のスーツの袖を握って、引っ張って歩いた。

 目的地は駅前通りから徒歩五分、一区画裏手のラブホテルだ。
 シティホテルと違ってほんのり薄暗いエントランスを、人目を忍んで滑りこむようにくぐった。

 平日の帰宅時間であるせいか、利用客は少なく空室が目立つ。
 琴香は急いでパネルを操作して部屋を取った。

(このホテルはたしか3の倍数の部屋が良いんだ。私好みの雰囲気で、乙女ちっくだけどエロすぎなくて……)

「せ、せんせ、なんか妙に手馴れてませんか……?」

 迷わず無人機で部屋を選びカードキーを手にした琴香の後ろで、鳴瀬がぽつりとつぶやいた。

「えっ!? い、いや、あのっ、以前系列のホテルを取材させていただいたことがありまして! し、私用で利用したことはありませんから! ご安心ください!?」
「あ、ああ、そういう……」

 妙な雰囲気のまま、鳴瀬を伴ってエレベーターに乗り込んだ。
 クラシック音楽のかかった中は狭くて、背後に立つ鳴瀬の気配がびしびし伝わってくる。

 ──彼が手を伸ばせば、簡単に琴香を抱きしめることができる距離だ。
 でも視界の端にある鳴瀬の手は、触れてくるどころか、エレベーターが止まるまでぴくりとも動かなかった。


 選んだ9号室は、スイーツをテーマにした可愛い系の部屋だ。
 中心にある白く円形で大きなベッドが、なるほど、ショートケーキを模しているのだろう。

 扉を開けるなり「うわぁ」と立ち尽くした鳴瀬を見て、琴香は改めて自分のとんでもない言動を痛感したのだった。

(い、勢いで来たけど……これってセクハラ……?)

 そうだ、同意。ちゃんと同意はあっただろうか。

 ちらりと鳴瀬をうかがうと、こちらを見下ろす視線とばっちり目が合った。
 鳴瀬は困ったように頬を掻いて視線を泳がせる。

「あー……えーっと…………先生、先にシャワー浴びますか?」

 ひゃっ! と琴香は飛び上がった。

「で、では! お先に!」

 鞄も上着もそのまま脱衣所に逃げ込んで、勢いよく扉を閉める。

(き、来てしまった……本当に……ラブホテルに、来てしまった……!)

 薄い扉の向こうに鳴瀬の気配がある。
 そのせいでなかなか服を脱ぐことさえできなかった。

 こんな自分が、今からセックスをするのか。

 今日みたいに少しばかりオシャレをしていたって、美人ではないしスタイルが良いわけでもない。胸は……人並みにあるかもしれないけど、鳴瀬の性癖が巨乳とは限らない。むしろぺったんこが好きな男性もいると聞く。
 処女だけどそういうことには詳しいんだ。どうしよう、彼がそっち系だったら。

 そもそもこないだまで仕事仲間だった女に誘われても、喜んで味見してみようとは思えないだろう。鳴瀬にはひたすら申し訳ない。

 小さく震える手で結った髪を解いて、眼鏡を外す。
 ぼんやり濁った世界は琴香にとって居心地が良い。
 本当は眼鏡なんていらないくらいだ。見えすぎないほうがいい。
 人からの視線にも、自分の心にも鈍感になれる。

 ──もう引き返せないぞ。いいんだな。

 何度も自問しながら、熱いシャワーを頭からかぶった。



(下着、上下そろいのやつ着てて、よかった)

 ドライヤーを当てながらそんなことを考えて、鏡の前で頭を振る。

(違うちがう、雰囲気作りとかいらないから!)

 乾かした髪から、いつもと違うシャンプーの香りがする。
 いかにも美味しく召し上がれといわんばかりの、甘い甘い苺の匂い。とてもじゃないけど自分には似合わない、可愛い香り。
 そう、似合わないことをしている。その自覚はある。

 ──もしかしたら。
 ふと思いついた考えに、鏡の中の自分が表情を失くす。

 このドアの向こうにはもう、鳴瀬はいないかもしれない。

 琴香をシャワーへ行かせたのは、隙をみて逃げるつもりだったからか。相談にのると言った手前、はっきり断れなかったから。琴香も強引だった。

(いないなら、それでいい……むしろ、そのほうが)

 バスローブを羽織って、恐る恐る、脱衣所のドアを開ける。


 予想に反して、鳴瀬はそこにいた。
 壁際の小さなデスクにノートPCを広げてキーボードをたたいている。

「うっす。おつかれっすー」

 琴香の気配に気づいて振り返った彼は、何事もなかったように言って、パタンとPCを閉じた。

「あ……、あの、お先に、ありがとうございました……」
「いえいえ」

 普通だ。あまりに普通。
 拍子抜けしてしまって、琴香はその場にぽつんと立ち尽くした。

(このあとどうしたら……ベッドに座ればいいのか、それとも飲み物でも用意──?)

「白石先生」

 だからそれは不意打ちだった。
 思いのほか近くで聞こえた声に驚いて顔を上げると、乾かしたばかりの髪を、鳴瀬の指がそっとつまんで弾いた。

「ほんとに、ほんとーに、いいんすね?」

 真顔で念を押しすように言われて、琴香はぐっと口を引き結んだ。



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