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■本編 (ヒロイン視点)

レッスンじゃない1

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「作業、終わりました?」
「うわあああああ!?」
「……なぁんかこのやりとり、前もしたような気がするっすけど」

 濡れた髪を拭きながら、シャワー上がりの鳴瀬が笑っている。

「すみませんっ、ああもう、騒がしくしてごめんなさい……」
「いえいえ、集中されてましたね」

 作画用ディスプレイを覗き込む鳴瀬が、満足気に頷いた。

「この調子なら、無事に終わりそうすね」

「安心しました」と笑うこの表情はあれだ、編集としての顔だ。

「デビュー以来、健全納期の白石先生が『鳴瀬と付き合ったせいで原稿落とした』なんてことになったら、エチプチ編集部の先輩たちに絞め殺されるのはまちがいなく俺っすからね……」
「ひっ……それだけは……気をつけないと……!」
「大丈夫。俺も今まで以上に気をつけますから」

 なんて頼もしい。感激して振り返った目前に、男の胸板がある。琴香は頬を押さえてパッと顔を逸らした。

「半・裸ッ……すみません男物の着替え、なくって……!」

 ワイシャツは脱いだらしく、肩にバスタオル。下は──スーツのスラックスをもう一度着たらしい。

「女性の一人暮らしに男物があるほうが考えちゃいますよ、俺」
「そ、そうですね、そうでした」

 冷めてしまったキャラメルフレーバーの珈琲を、アイスコーヒーにして鳴瀬に手渡す。ミルクは無し、砂糖は多めに入れてある。

「ありがとうございます」

 ごくごくと飲み干す鳴瀬の横顔を、こっそり盗み見る。

「なんか、ホテルに行ったときのこと、思い出しますね……あのときは……緊張して、頭真っ白でしたけど」
「俺だって緊張してましたよ」

 氷だけになったアイスコーヒーのグラスをくるりと回して、鳴瀬は呟いた。表情は和やかだ。

「ま、今だって緊張してますけど」

 ほら、と琴香の手を掴んで、自分の胸にあてる。

「ね」

 そうやって首を傾げるのは、非常にずるい。

(かわいーっ、なにこれどんどん好きになるよ……!?)

 自覚してからもどんどん深みにハマっていく。鳴瀬の声を聞くだけで胸の奥がぎゅーっとなる。新しい表情が見られるたびに、感激して見とれてしまう。

(まだまだ、私の知らない鳴瀬さんがいるんだろうなぁ……)

 ふと見上げると、濡れた前髪の隙間からのぞく瞳と目が合った。
 今にもしたたり落ちそうなしずくをぬぐってやろうと、とっさに手を伸ばす。その手首を掴まれる。そのまま鳴瀬の顔が近づいてきた。

「ん……」

 重なりあって、離れる。鼻先が触れ合うくらいの距離で見つめ合う。たしかに彼の瞳の中に自分がいて、それが嬉しくて、恥ずかしい。

「な、鳴瀬さん……眼鏡、はずしていいですか……」

 鳴瀬は目を細めて笑った。

「もう『勉強』じゃないですもんね。どうぞ」

 言いながら、鳴瀬が眼鏡を引き抜いてくれる。そのまま背中に腕を回されて、額どうしがこつんとぶつかった。

「……もう少し、しても?」

 何か言うより先に、彼の唇が言葉を塞いでしまう。

「……ん、…………は……」

 珈琲の香りのする吐息が、濡れた唇に吹きかかる。呼吸を整えながら何度も合わさってくる唇に、うっとりと身を任せる。

(キス、気持ちいい……)

 好きだなと思う。キスも、抱きしめられるのも好き。

「……先生、どこでしたいですか」
「ど、どこって」
「寝室を使いたくなければそこのソファでもいいっすよ」
「……そこでは、ちょっと……ちゃんと、ベッドで……」
「ん」

(そ、そっか、私が案内しないとなのか……!)

 鳴瀬の手をおずおずと引いて、リビングから廊下に出る。閉め切っていた寝室の空気はヒヤリと冷たい。ここに他人を招くのは初めてだ。
 電気をつけずにセミダブルのベッドまで手を引いていくと、ふっと鳴瀬が笑った。

「先生のにおい、しますね」
「や、やだ、その言い方、なんか」
「好きっすよ、甘くてかわいい」
「ひぇ」

 琴香は頬を押さえてひそかにうめいた。
 だめだ、これ以上この人に喋らせたらだめだ。ときめきでしんでしまう。まだキスしかしてないのに、この先もあるのに。

「やだやだまだしにたくない……」
「先生? こないだ俺が買ってきたやつ、あります?」
「えっ? あ……あり、ます……」

 琴香は逡巡して、クローゼットの引き出しからそれ・・を取りだした。

「こ、これのことですか……」
「よかった。出番がありましたねぇ」
「あの、でも、鳴瀬さん……私、……ピル飲んでるから、その……」

 もじもじと指をこまねいて、ちらりと彼の反応を伺う。

「な、なまでも……いいですよ」

 ぴしり、と今度は鳴瀬が固まる番だった。

「……いや。いやいやいや」
「でも……男の人ってそっちのが気持ちいいって聞くし……」
「漫画の知識を! 鵜呑みにしちゃいけません!」
「ひえっ! そそその通りですけどぉ……」

 たしかに琴香の知っている知識なんて、『見せる』ために作られたものだ。エンターテイメントのセックスだ。
 やっぱりいわないほうがよかったか。やっちゃったなーとしょんぼりしていると、鳴瀬は「いや、すみません」と頭をかいた。

「違うんです。たぶん俺が……もたないから」
「……と、いいますと……?」
「初めての子の前でがっつくようなかっこ悪いところ見せたくないという男のプライド的な抵抗」
「それは、別に……」

 むしろがっついてくれたほうが嬉しいのに。
 と、さすがにそこまで明け透けに希望を言う事はできなくて、琴香はそわっと視線を彷徨わせた。

「わかりました。鳴瀬さんにおまかせします」
「ぜひ、またの機会に。今日は、もっとゆっくり……じゃ、だめすかね」
「だめじゃないです!」

 ゆっくりってどんなだろう。どきどきする。
 期待に満ちた琴香のまなざしに苦笑を返して、鳴瀬は「普通ですよ」と肩をすくめた。

「特殊技能とか、もってないすからね」
「だ、大丈夫です……どんなものでも、鳴瀬さんがいいです……」
「……やっぱ天然に煽るんすね、先生は」

 こつんと額が合わさる。
 この人の、照れて困ったような笑い方も、今日初めて見た。

「……大事にします」
「はい……」

 目を閉じてキスを受け入れる。気持ちよくて、すぐ夢中になってしまう。




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