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忘れようと思う
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◇◇
(は~~~~……、夢で思い出すなんて……)
アデルは寝台から身を起こすと、痛むこめかみを押さえてしばらく呻いた。
静かな部屋に、窓ガラスを打つ雨音だけが聞こえる。今朝も雨が降っているらしい。
(まちがいなく、あの絵葉書のせいだわ)
ここしばらく、気にならないようになっていたのに。
(フェイロンがいなくなってから、ちょうど五年だと、気づいてしまったからね……)
差出人のない絵葉書が届くようになって、五年。
つまり、フェイロンがこの家を去ってからそのくらいの年月がたったということだ。
今よりずっと世間を知らなかったアデルにとって、彼は新しい世界を教えてくれる師のようでもあり、気兼ねなく話すことのできる友のようでもあった。
けれど彼は、十代の世間を知らない小娘が盲目的に愛するには、毒のありすぎる男だった。
圧倒的な知識量と世渡りのうまさがフェイロンの魅力で、アデルはそんな彼に手のひらで転がされていることはよくわかっていた。
振り返ってみれば、彼との思い出はいつも書斎か、庭の木陰。語り合う話題もほとんどが勉学のこと。
彼は身の上を語らなかったから、どんな経緯でクラランテ家に来たのかも、どのような人生を送ってきたかも知らなかった。
それでも人は、人を好きになれる。
自分が想うのと同じくらい彼に愛されたかったのに、初めての恋は戸惑いばかりで、アデルはどうしても素直になれなかった。好意をちらつかせればするりと逃げてしまう人だと、なんとなく感じていたせいもある。
──せめて最後の夜だけでも、本音を言えたら。
そしてどんな手を使ってでも、彼の記憶に残りたかった。
そのためにはこの身を使って誘惑するくらい、簡単にできた。
(やっぱりふられちゃったけど……ね)
たった一夜の甘い思い出に支えられて、五年。
いいかげん、自分の執着心にも辟易してきたところだ。
(けど、フェイロンもフェイロンだわ……こんなカードばかり送ってきて……忘れさせてくれないんだもの……)
どうして名前を書いてくれないのか。ひとことも添えてくれないのか。
何を思ってこんなカードを送ってくるのか。
たぶんどこかで元気にしているのだろう。
けれど、それ以外は何もわからなかった。
彼が去ったあとの最初の一年は、とにかく苦しかった。
もしかしたら今にも彼が会いに来てくれるんじゃないかという期待で心は忙しなく、持ち寄られる縁談は端から断り、だんだんと社交に身が入らなくなっていった。
二年目になると、怒りがわいてきた。
届く絵葉書には相変わらずアデルの知らない世界の一遍が描かれている。きっと彼はそこにいるのだろうに、アデルをつれていってはくれないのだ。
「燃やしてちょうだい、アンバー」
三年目のある日、耐えられなくなったアデルはこれまで届いた絵葉書の束を執事に押し付けて言った。
「もう、目に入れたくないの」
21になったアデルは、留守がちな両親の代わりに領主名代としての権限が与えられ、考えるべきことがたくさんある時期でもあった。
いつまでもいなくなった人間にとらわれたままの子どもではいられないと、自分でも理解していた。
それを理由に、彼を忘れたかった。
「よろしいのでしょうか、お嬢様」
「『旦那様』よ、アンバー」
「……かしこまりました、旦那様」
老執事は絵葉書の入った箱を持ち去った。
アデルの胸に、ぽっかりと空白ができた気がした。彼がいなくなってから三年分の、恋心。
いま、ようやく捨てられた。──捨ててしまった。
(……フェイロン……)
アデルをからかう笑顔。本を読んでいる時の真剣な横顔。
ときどき名前を呼んでくれるときの、ひっそりした声。うっとりするような甘いキス。肌でじかに感じた、彼の体温……。
(忘れたいのに……!)
「……っ、待って、アンバー!」
アデルはドレスの裾を持ち上げ廊下を駆けて、階段を降りていくアンバーを急いで呼び止めた。
「……燃やすのは……やめておきます。鍵をかけて……目の届かない……少し、遠くに置くことにする」
「かしこまりました。ただいま、そのようにご用意いたします」
旦那様と、そのときばかりは彼が素直に言ってくれたおかげで、届いた絵葉書はいまだにアデルの机に保管されている。
(私、五年も……待ってたんだわ……)
寝台をおりたアデルは、窓ガラスに額をつけてため息をついた。
ガラスにうつる自分が涙を流しているように見えるのは、雨のせい。本物のアデルは泣いてなどいない。もう、何年も前に涙は出なくなってしまった。
「……たぶん、少し落ち着いたんだと思う。あなたの絵葉書を見ても、ようやく普通に過ごせるようになった……私の初恋は、終わったと思ってもいいかしらね」
記憶の中の彼は、「馬鹿ですねぇ」とガラスごしにアデルを笑う。
ひどい男だ。妄想の中ですら優しく甘やかしてくれない。
それでも……ずっとずっと、彼のことが好きだった。
「私、結婚するのよ」
フェイロン、と。アデルの声は早朝の静かな雨音に溶けた。
(は~~~~……、夢で思い出すなんて……)
アデルは寝台から身を起こすと、痛むこめかみを押さえてしばらく呻いた。
静かな部屋に、窓ガラスを打つ雨音だけが聞こえる。今朝も雨が降っているらしい。
(まちがいなく、あの絵葉書のせいだわ)
ここしばらく、気にならないようになっていたのに。
(フェイロンがいなくなってから、ちょうど五年だと、気づいてしまったからね……)
差出人のない絵葉書が届くようになって、五年。
つまり、フェイロンがこの家を去ってからそのくらいの年月がたったということだ。
今よりずっと世間を知らなかったアデルにとって、彼は新しい世界を教えてくれる師のようでもあり、気兼ねなく話すことのできる友のようでもあった。
けれど彼は、十代の世間を知らない小娘が盲目的に愛するには、毒のありすぎる男だった。
圧倒的な知識量と世渡りのうまさがフェイロンの魅力で、アデルはそんな彼に手のひらで転がされていることはよくわかっていた。
振り返ってみれば、彼との思い出はいつも書斎か、庭の木陰。語り合う話題もほとんどが勉学のこと。
彼は身の上を語らなかったから、どんな経緯でクラランテ家に来たのかも、どのような人生を送ってきたかも知らなかった。
それでも人は、人を好きになれる。
自分が想うのと同じくらい彼に愛されたかったのに、初めての恋は戸惑いばかりで、アデルはどうしても素直になれなかった。好意をちらつかせればするりと逃げてしまう人だと、なんとなく感じていたせいもある。
──せめて最後の夜だけでも、本音を言えたら。
そしてどんな手を使ってでも、彼の記憶に残りたかった。
そのためにはこの身を使って誘惑するくらい、簡単にできた。
(やっぱりふられちゃったけど……ね)
たった一夜の甘い思い出に支えられて、五年。
いいかげん、自分の執着心にも辟易してきたところだ。
(けど、フェイロンもフェイロンだわ……こんなカードばかり送ってきて……忘れさせてくれないんだもの……)
どうして名前を書いてくれないのか。ひとことも添えてくれないのか。
何を思ってこんなカードを送ってくるのか。
たぶんどこかで元気にしているのだろう。
けれど、それ以外は何もわからなかった。
彼が去ったあとの最初の一年は、とにかく苦しかった。
もしかしたら今にも彼が会いに来てくれるんじゃないかという期待で心は忙しなく、持ち寄られる縁談は端から断り、だんだんと社交に身が入らなくなっていった。
二年目になると、怒りがわいてきた。
届く絵葉書には相変わらずアデルの知らない世界の一遍が描かれている。きっと彼はそこにいるのだろうに、アデルをつれていってはくれないのだ。
「燃やしてちょうだい、アンバー」
三年目のある日、耐えられなくなったアデルはこれまで届いた絵葉書の束を執事に押し付けて言った。
「もう、目に入れたくないの」
21になったアデルは、留守がちな両親の代わりに領主名代としての権限が与えられ、考えるべきことがたくさんある時期でもあった。
いつまでもいなくなった人間にとらわれたままの子どもではいられないと、自分でも理解していた。
それを理由に、彼を忘れたかった。
「よろしいのでしょうか、お嬢様」
「『旦那様』よ、アンバー」
「……かしこまりました、旦那様」
老執事は絵葉書の入った箱を持ち去った。
アデルの胸に、ぽっかりと空白ができた気がした。彼がいなくなってから三年分の、恋心。
いま、ようやく捨てられた。──捨ててしまった。
(……フェイロン……)
アデルをからかう笑顔。本を読んでいる時の真剣な横顔。
ときどき名前を呼んでくれるときの、ひっそりした声。うっとりするような甘いキス。肌でじかに感じた、彼の体温……。
(忘れたいのに……!)
「……っ、待って、アンバー!」
アデルはドレスの裾を持ち上げ廊下を駆けて、階段を降りていくアンバーを急いで呼び止めた。
「……燃やすのは……やめておきます。鍵をかけて……目の届かない……少し、遠くに置くことにする」
「かしこまりました。ただいま、そのようにご用意いたします」
旦那様と、そのときばかりは彼が素直に言ってくれたおかげで、届いた絵葉書はいまだにアデルの机に保管されている。
(私、五年も……待ってたんだわ……)
寝台をおりたアデルは、窓ガラスに額をつけてため息をついた。
ガラスにうつる自分が涙を流しているように見えるのは、雨のせい。本物のアデルは泣いてなどいない。もう、何年も前に涙は出なくなってしまった。
「……たぶん、少し落ち着いたんだと思う。あなたの絵葉書を見ても、ようやく普通に過ごせるようになった……私の初恋は、終わったと思ってもいいかしらね」
記憶の中の彼は、「馬鹿ですねぇ」とガラスごしにアデルを笑う。
ひどい男だ。妄想の中ですら優しく甘やかしてくれない。
それでも……ずっとずっと、彼のことが好きだった。
「私、結婚するのよ」
フェイロン、と。アデルの声は早朝の静かな雨音に溶けた。
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