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小石につまづいて
しおりを挟む「着替えるわ」
化粧台の椅子に腰かけたアデルが声をかけると、控えていた侍女たちが洗面器と湯を持ってかしずいた。
いつもなら、顔を洗って、白いリネンの夜着を脱ぎ、あつらえてもらったばかりの新しいドレスに着替えればずいぶん気分が晴れるものなのだけど、今日はそう簡単にいきそうもない。
──今日はこれから国境の視察を兼ねて、新しい婚約者と初めて顔を会わせるのだ。
23になって嫁ぎもしないアデルにクラランテ領主名代という役目を与えた両親は、数年前から仕事ついでの諸国漫遊に出かけてほとんど家へは帰ってこない。
女領主としての生活はどこかの家に無理やり嫁がされるよりよっぽどいいのだけれど、周囲はアデルのことを変わった女だとみているに違いなかった。
十代の頃は山ほどあった縁談をすべて断り続けた結果、二十を過ぎたころにはすっかり話を聞かなくなり、行き遅れたアデルの交友関係といえば仕事関係のものばかり。
そんななかで申し込まれた、青天の霹靂ともいえる縁談だった。
相手は、隣国ペイスン国の男爵家の次男だと聞いている。アデルの4つ年上で──つまりはフェイロンよりも年上の男性ということだ。
結婚にあたって相手がフレイル国へ移住することを承諾してくれ、アデルはこのままのクラランテの女領主としての生活続けられる、というところが、アデル側の婚約の決め手だった。
そして婚約者自身に探りを入れても、平凡な善人らしいところも良かった。行き遅れてしまった自分にはもったいない相手に思われた。
両親はとくに意見はないらしく、縁談についてはアデルの意志に任せてくれている。
雨が上がり夏がくれば、アデルは休みを利用してペイスンへ長期滞在の旅に出るつもりでいた。
あちらの空気が肌に合いそうなら、そのまま夫と暮らす住まいを探してもいいかもしれないという考えもある。
いいかげん潮時なのだ、と。
(いつまでもこの国にいるからいけないのかも……ずっとこの家にいるから、忘れられないのかもしれない……)
住まいを変えれば、あの絵はがきも届かなくなるだろう。
夫となる人と暮らせば、アデルはまだ新しい恋ができるかもしれない。今度こそ、一人で抱える恋でなければもっといい。
そもそも、伯爵令嬢の自分は馬車の車輪がごろごろと道をころがるみたいに、目の前に敷かれている道を順調に進めばいいだけのはずだった。
ふと、そこにあった輝く小石に──フェイロンという男に躓きさえしなければ。
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