かつて一夜を共にした皇子様と再会してしまいまして

紺原つむぎ

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雨の邂逅1

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◇◇


 長雨に濡れた街道を、アデルを乗せた馬車は軽快に走り抜けた。
 クラランテ家を出て国境の街までは半刻ほどかかる。

 この春は、フレイルでも周辺国でも長雨が続いている。
 雪解け水が増すころでもあるから、水害はますますひどい。新聞でも各地の被害が報告されている。

 今日、これから視察に向かう隣国ペイスンとの国境付近では大橋が流されるほどの水量になっていると伝え聞いた。

 ペイスンと言えば、水の国とも言われるほど河が多い国だ。かの有名な大水車とやらももしかしたら、大雨の影響を受けているかも知れない。

(あの絵葉書が届いて、まだ数日しかたっていない……ペイスン付近にはフェイロンがいるかも……なんて考えている場合ではないわ)

 一抹の不安がよぎるものの、彼は旅から旅の生活で一か所にとどまらない人だから、とっくに移動をしているだろう。

 それに、もし、万が一どこかですれ違ったとして。
 彼はとうに、アデルの人生とはかかわりのない人なのだ。


 国境近くの街は降りしきる雨のなかでも活気にあふれ、人通りも多い。
 交易がさかんであるゆえに異国人も多く、フレイルの王都ではほとんど見ることのない黒髪の者もごまんといる。

 アデルはつい、馬車の窓に貼りつくようにして道ゆく人々を凝視してしまった。長い黒髪を結った後ろ姿を見つけるたびにドキリとして、その人物の顔を確かめたくなってしまう。

(……馬鹿だわ……。忘れるって、決めたのに)

 手に持つ扇子をぎゅっと握りしめて、アデルはようやく視線を窓の外から引き剥がした。

(こんなところに彼はいない。私はいったい、何を未練がましく5年も待っていたんだろう……二度と会えないでしょうと、自分で確認したのに)

 けれどアデルはこの5年の間、どんな素敵な男性に求婚されても彼と比べてしまっていた。
 彼の方が物知りで、おしゃべりが上手で、皮肉屋で、冷静で、アデルに容赦がなくて、でも優しい……。

 きっと一生、彼を想う以上の恋はできないんだと気づくのに、こんなに時間がかかるなんて。

 今すぐ忘れることができないなら、秘めるしかない。
 新しい婚約者には申し訳なく思うけれど、貴族の結婚にはありがちな話だと聞く。
 それに、アデルは少なくともフェイロンのことを忘れたいと思っているのだ。

(……そうよ、フェイロンのことなんて、忘れるんだ。もう、たった一枚の絵葉書に心を乱される生活なんて……)

 ──早く、家を出よう。

 アデルはようやく答えを見つけた気がした。
 あの家にいるからいけないのだ。彼と過ごした思い出の場所で、いつまでも彼を待ってしまう。

 両親だってきっとそれほど寂しがらないだろう。 国境近くに新しい屋敷を建てて、そこで夫と暮らしながら領主名代としての仕事をしたっていい。

(……そのためにも、この縁談が無事にまとまるよう、努力しなくちゃ)

 アデルは深いため息をついた。
 吸い込む空気は雨で冷たくじっとりと湿っている。

「っ、危ないッ!」
「っ!?」

 御者の叫びと、馬の甲高い嘶きと。
 天と地がひっくり返ったみたいな衝撃が身体を襲って、アデルは侍女といっしょに椅子から転がり落ちた。何が起きたのか、しばらくわからなかった。 

「お嬢さまっ、お怪我はありませんかっ」
「え、ええ……何が、起きたの」

 すっかり腰が抜けてしまった侍女とアデルが椅子にしがみついたままでいると、箱馬車の扉が開かれ、雨に濡れた御者が青い顔を覗かせた。

「子供が、急に飛び出して来まして、ブレーキが雨で滑り……」
「まさか、轢いてしまったの!?」
「い、いえ、はい、あの」

 アデルは御者を押し退けて、雨が降る道に飛び降りた。
 見れば、子どもが道のまんなかにうずくまっている。アデルはドレスが泥に濡れるのもかまわず裾を持って走り、子どものそばに膝をついて抱き起こした。

「あなた、大丈夫っ?」
「あ……あう……」

 騒ぎを聞きつけた人たちが集まってきて、アデルと子どもを少し遠巻きに見守っている。

「けがをしたのね? ああ、ひざを……痛いわね、わかるわ。私も何度もこけたことがあるから……。でもあなた、不幸中の幸いよ。きっと骨は折れていないわ。ごらんなさい、手も、脚も、よく動くでしょう。ほかに熱をもっているところもなさそうね……。けど、念のため早くお医者さまに診せましょう。親御さんは近くにいらっしゃるかしら。すぐに謝罪とご説明をするわ」

 アデルの腕の中で、子どもは小さく首を横に振った。

「パパとママ……お仕事で……いない……僕、お外で遊びたくなって……ずっと雨だから……」
「そうなのね。では先にお医者様にかかりましょう。大丈夫、私があなたに付き添うわ」
「お、お姫様が……?」
「近くに、お医者様のおうちがあるか知っているかしら」
「わ、わかんない……」
「そうよね……少し時間がかかるかもしれないけれど、一緒に探しましょうか」

 アデルは少年の手を握って、にっこりと笑ってやった。
 すると、ずっと表情をかたくしていた子どもは涙をぐいとぬぐって、しっかり頷いた。

「偉いわ。さぁ、立てるかしら」
「……痛い、かも」
「大変。けど、私じゃ抱えられないし……」

「──もし。そこのお嬢さん。急ぐようなら、僕が診ましょうか」

 人混みの喧騒のなか、なぜかその声ははっきりとアデルの耳に届いた。

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