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冷えた身体をあたためて2
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「忘れました! そんな出来事、とうに!」
「おやおや……『フェイロンの思い出になりたい』と言ってくださった、けなげなお嬢様はもういないと?」
「からかわないで……! 助けてもらったことは感謝します。謝礼もさせていただきますわ。けど、私はもう」
「はは、懐かしい」
アデルの癇癪を遮り、彼は落とすように笑った。
「こうして言い合っていると……少しばかり、昔に戻ったような気がしませんか」
「っ……!」
この静かな笑みが、どれほど恋しかったか。
懐かしさがあふれて、息が止まりそうだった。
「…………私とあなた……どんなだった、かしらね」
訊ねる必要のない問いだ。けれどなにか話していないと、間がもたない。
窓の外は雨足が強まり、ときおり強い風が窓ガラスを揺らす。
「お嬢さまが僕にうるさくまとわりついて、僕は無視する」
「最っ悪な関係だわ」
「十回に一回程度返事をすると、あなたはとてもうれしそうにしっぽを振って、ますます僕から離れなくなった。いやぁ、飼われているのはどちらだろうと、内心笑いがとまらなかったものでした」
「あなた……! そんなふうに思っていたの? まるで犬みたいだなんて?」
「かわいらしいものでしたよ。僕には友人などいませんでしたから、赤の他人であるのに妙に近しいあなたが、当時は新鮮だったのでしょう」
「妙に近しい、って……」
「純粋な好意をあらわして慕ってくれる存在が、めずらしかったのです」
「好意…………」
アデルはぎゅっと両手を握りしめた。
話しているうちに、じわじわと胸が苦しくなってくる。
あのころの彼はやっぱり、アデルの気持ちをわかっていたのだ。わかっていて、一夜だけの相手をして、そして去って行った。
(二度と会わないつもりだったくせに……どうしていま、再会してしまうの)
これが本当の偶然だというのなら、神様というものはフェイロンより意地が悪い存在だ。
(やっと忘れようと決意したところだったのに。どうして今……彼を好きな気持ちを、思い出させるの……!)
五年かけてゆっくりと鎮めてきた恋心なのに。夢にまで見た彼が、目の前にいる。昔と変わらず穏やかな声で話して、アデルを見て目を細めて笑う。その一挙一動が懐かしくて、愛しくなってしまう。
苦しさも、つらさも、だれのせいにもできない気持ちにやっと折り合いをつけて、先を見ようとしていたところだったのに。どうして、今。
(でも……こんなに苦しい私の気持ちは……この人には一生、わからないんだろうな……)
アデルはぐっと奥歯を噛み締めた。
愛しい、好きだという気持ちの裏に、どうしようもなく暗い思いが滲んでいく。
──少しは、思い知らせてやりたい。
彼にも、アデルと同じように傷ついてほしい。
甘さのあとに残る苦さがどれほど長く続くか、身をもって知ればいい。
(そうよ……どうせ手に入らない人なんだから……。それなら私も、今を楽しめばいいのよ……あのときの彼みたいに)
頭のなかの一端がすっと冷えていく気がする。
窓の外がいっそう暗くなって、激しさを増した雨が窓を強くたたく。湿った隙間風に、窓辺のランプの明かりがゆらゆらと揺れる。
濡れた窓ガラスにうつるアデルは妖艶に、男を誘うように微笑んだ。
「……フェイロン。私、素直じゃないから……いつもいつも、本当のことを言うのがへたくそで……。でも、ずっと……もう一度あなたに会いたくて」
声の震えは寒さのせい。
言葉だってすべてが嘘ではない。限りなく本音に近い演技で、罪悪感を感じる必要なんてない。
濡れたドレスが不快だから。
脱いで暖炉の前に干してしまったほうが乾きやすいだろうから。だから、だから──。
「……そう。私、あのときより大人になったわ」
アデルはドレスを飾るシルクのリボンをしゅるりと解いて、胸元をくつろげた。
結っていた髪をほどいて頭を振ると、濡れた銀髪が束になって胸元におちてくる。自分を抱きしめるようにして胸の谷間を押し上げ──アデルはふと、思い出した。
(『次に男を誘うことがあったら』。……まさか、彼のためにすることになるなんて)
濡れた袖を引き抜き、ゆっくりとドレスを脱いでいく。
下着姿になって、そのままフェイロンの座る長椅子へと一歩ずつ歩みをすすめる。
一度は振られた身なのだから、いまさら求められる自信はない。それなら……彼が拒絶する隙も与えないくらい、夢中にさせなくてはいけない。
脱いだ靴を床に転がし、脚のガーターリボンをほどいて落とした。
煙管をふかして悠然と座るフェイロンの前に立って、くるりと背中を向ける。
「コルセットを、緩めてくださる? 雨のせいで、体がとても冷えてしまった。人肌が恋しいわ。……あなたは、どうかしら?」
彼の手は動かない。アデルはそのまますとんと彼の膝の上に座って、尻を押し付けた。
「寒いの。あたためて……フェイロン」
五年前と変わらず綺麗な頬に手を伸ばす。
唇を近づけても、こちらから目を閉じることはしない。
──だって彼以外を知らないアデルはまだ、キスが下手なままなのだ。
「おやおや……『フェイロンの思い出になりたい』と言ってくださった、けなげなお嬢様はもういないと?」
「からかわないで……! 助けてもらったことは感謝します。謝礼もさせていただきますわ。けど、私はもう」
「はは、懐かしい」
アデルの癇癪を遮り、彼は落とすように笑った。
「こうして言い合っていると……少しばかり、昔に戻ったような気がしませんか」
「っ……!」
この静かな笑みが、どれほど恋しかったか。
懐かしさがあふれて、息が止まりそうだった。
「…………私とあなた……どんなだった、かしらね」
訊ねる必要のない問いだ。けれどなにか話していないと、間がもたない。
窓の外は雨足が強まり、ときおり強い風が窓ガラスを揺らす。
「お嬢さまが僕にうるさくまとわりついて、僕は無視する」
「最っ悪な関係だわ」
「十回に一回程度返事をすると、あなたはとてもうれしそうにしっぽを振って、ますます僕から離れなくなった。いやぁ、飼われているのはどちらだろうと、内心笑いがとまらなかったものでした」
「あなた……! そんなふうに思っていたの? まるで犬みたいだなんて?」
「かわいらしいものでしたよ。僕には友人などいませんでしたから、赤の他人であるのに妙に近しいあなたが、当時は新鮮だったのでしょう」
「妙に近しい、って……」
「純粋な好意をあらわして慕ってくれる存在が、めずらしかったのです」
「好意…………」
アデルはぎゅっと両手を握りしめた。
話しているうちに、じわじわと胸が苦しくなってくる。
あのころの彼はやっぱり、アデルの気持ちをわかっていたのだ。わかっていて、一夜だけの相手をして、そして去って行った。
(二度と会わないつもりだったくせに……どうしていま、再会してしまうの)
これが本当の偶然だというのなら、神様というものはフェイロンより意地が悪い存在だ。
(やっと忘れようと決意したところだったのに。どうして今……彼を好きな気持ちを、思い出させるの……!)
五年かけてゆっくりと鎮めてきた恋心なのに。夢にまで見た彼が、目の前にいる。昔と変わらず穏やかな声で話して、アデルを見て目を細めて笑う。その一挙一動が懐かしくて、愛しくなってしまう。
苦しさも、つらさも、だれのせいにもできない気持ちにやっと折り合いをつけて、先を見ようとしていたところだったのに。どうして、今。
(でも……こんなに苦しい私の気持ちは……この人には一生、わからないんだろうな……)
アデルはぐっと奥歯を噛み締めた。
愛しい、好きだという気持ちの裏に、どうしようもなく暗い思いが滲んでいく。
──少しは、思い知らせてやりたい。
彼にも、アデルと同じように傷ついてほしい。
甘さのあとに残る苦さがどれほど長く続くか、身をもって知ればいい。
(そうよ……どうせ手に入らない人なんだから……。それなら私も、今を楽しめばいいのよ……あのときの彼みたいに)
頭のなかの一端がすっと冷えていく気がする。
窓の外がいっそう暗くなって、激しさを増した雨が窓を強くたたく。湿った隙間風に、窓辺のランプの明かりがゆらゆらと揺れる。
濡れた窓ガラスにうつるアデルは妖艶に、男を誘うように微笑んだ。
「……フェイロン。私、素直じゃないから……いつもいつも、本当のことを言うのがへたくそで……。でも、ずっと……もう一度あなたに会いたくて」
声の震えは寒さのせい。
言葉だってすべてが嘘ではない。限りなく本音に近い演技で、罪悪感を感じる必要なんてない。
濡れたドレスが不快だから。
脱いで暖炉の前に干してしまったほうが乾きやすいだろうから。だから、だから──。
「……そう。私、あのときより大人になったわ」
アデルはドレスを飾るシルクのリボンをしゅるりと解いて、胸元をくつろげた。
結っていた髪をほどいて頭を振ると、濡れた銀髪が束になって胸元におちてくる。自分を抱きしめるようにして胸の谷間を押し上げ──アデルはふと、思い出した。
(『次に男を誘うことがあったら』。……まさか、彼のためにすることになるなんて)
濡れた袖を引き抜き、ゆっくりとドレスを脱いでいく。
下着姿になって、そのままフェイロンの座る長椅子へと一歩ずつ歩みをすすめる。
一度は振られた身なのだから、いまさら求められる自信はない。それなら……彼が拒絶する隙も与えないくらい、夢中にさせなくてはいけない。
脱いだ靴を床に転がし、脚のガーターリボンをほどいて落とした。
煙管をふかして悠然と座るフェイロンの前に立って、くるりと背中を向ける。
「コルセットを、緩めてくださる? 雨のせいで、体がとても冷えてしまった。人肌が恋しいわ。……あなたは、どうかしら?」
彼の手は動かない。アデルはそのまますとんと彼の膝の上に座って、尻を押し付けた。
「寒いの。あたためて……フェイロン」
五年前と変わらず綺麗な頬に手を伸ばす。
唇を近づけても、こちらから目を閉じることはしない。
──だって彼以外を知らないアデルはまだ、キスが下手なままなのだ。
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