かつて一夜を共にした皇子様と再会してしまいまして

紺原つむぎ

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あの夜を辿って

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 触れるだけのキスして、唇は離れた。

(あの夜……フェイロンはどうやってキスしてくれたっけ……)

 夢に見るくらい忘れられなかったのに、いざ本物の彼を目の前にすると記憶はどんどん上書きされてしまう。
 もう一度とアデルが彼を引き寄せれば、フェイロンは紫煙がたちのぼる煙管を手に持ったまま、されるがままに口づけを受け入れる。

(苦い……キスって、こんなだったかしら……)

 こうして膝の上にいるアデルを力で押しのけないのだから、拒絶はされていないのだろう。
 それはそれで不満がある。彼は旅の道中、いったいどれほどの数の女にこうやって迫られ、寝たのだろう。
 想像するだけでおなかの底がぐらぐら煮え立つ気がした。

「フェイロン、もっと……ちゃんと、抱きしめて」

 けっきょくコルセットは自分で緩めた。フェイロンの腕を背後から自分のおなかに回させ、そっと撫でる。
 ──どうしたら彼を夢中にさせられるのだろう。
 それは五年前のあの夜にも思ったことだった。

 アデルはふりむきざまに彼の頬に触れ、ふたたびキスをねだる。
 唇が触れてから目を閉じる。漆黒の瞳がどんな反応をするのか、見返す勇気はなかった。

 触れあった唇を少し開いて舌を差し出すと、触れたフェイロンの唇が薄く開いた。

(……応えて、くれた……?)

 おずおずと舌を差し入れ、あたたかい彼の口内に侵入する。
 とろりとした唾液を絡めとって味わう。もっと深く、結ばれたい。アデルは欲張って彼を引き寄せた。

「ん……ぅ……」

 逃げる舌を追ううちに、唇は深く深く合わさっていく。
 狭い口内での追いかけっこに夢中になっているうちに、アデルは彼を長椅子に押し倒していた。

「ん……はぁ……っ」

 ぐいと口をぬぐう。フェイロンの長い黒髪が扇のように椅子の上に散って、アデルのぬれた銀の髪は彼のまわりを守るように覆ってしまっている。
 ここで世界を切り取れたらいいのにと、ぼんやり思った。

「……ねえ、もっと欲しくないの?」

 たぷんと揺れる乳房を腕で押し上げ、アデルは精一杯に彼を挑発した。
 無感情な漆黒は動かない。アデルは腰を落として、彼の下半身に自分のそこを押しつけた。

「それとも……不能になってしまったとか?」

 ひどく傷つけたい。
 抱きしめたい。求められたい。突き放したい。

 ぐちゃぐちゃな頭のまま、彼の身体に指を這わす。この服の脱がせ方はなんとなく覚えている。

「っ、あん」

 不意に、つん、と煙管の先端で胸の頂きをつつかれた。わざとじゃない動き。
 声を恥じて口を押さえると、フェイロンはますますからかうようにそこをつんつんと突き続ける。

「もう……! や、めなさいよ……」

「挑発に乗ってあげただけですよ」

 フェイロンは嘘っぽい笑顔を貼りつけたままアデルを見上げた。

「不能、なるほど不能ね……。誰にそしられようと気になりませんが、あなたに言われると少々堪えます」

「他の人にも言われたことがあるの? ……最低だわ」

 傷つきたくない、傷つきたくない。
 アデルは他の女性の影を振り払うみたいに首を振って、彼の上にぴったり身体をつけて寝そべった。

「昔の女に会って、少しは興奮したのね?」

 にこりと笑ってやれば、フェイロンの指がぎゅっと強く尻を握りつぶすように掴んでくる。

「いっ……!?」

「やれやれ、ずいぶん小生意気な口をきく女になって」

 呆れたような声音にむっとして、アデルはフェイロンの頬をぎゅっとつねった。

「そりゃ、私だって……いろいろあったの。あなただって、そうなんでしょう?」

 ほかの女も抱いたのだろうと、直接問いただすことはできなかった。

「いろいろ……ねェ?」

 フェイロンは呟き、じっとアデルの瞳を見返した。
 その瞳がどこかさびしげに見えて、アデルはいっときのあいだ、彼への嫉妬心や愛憎を忘れてじっと見つめ合ったままでいた。

「……あなたにはどんなことがあったの?」

 聞いてもいいことだろうか。話してくれるだろうか。
 訊ねてしまってから不安になる。少しでも拒絶されるのが怖い。彼が離れそうになるのが怖い。
 フェイロンは尻を撫でていた手を離し、アデルを自分の上からどけた。

「フェイロン」

「いろいろありましたよ。……五年だ。五年もあれば人は変わる。身体も、心も」

 そう独り言のように呟くフェイロンの、どこが変わってしまったのだろうか。
 頭から足の先までつぶさに眺めても、意地の悪い微笑みや美しい顔立ちは記憶のまま。
 そのなかでなんとなく、アデルを見つめる瞳の色の深さに目がとまる。

(いま、彼は何を思っているんだろう……。聞いたら、答えてくれそうな……そんな違いがある……?)

 彼はもっと、わざと人にトゲを放って距離をおきたがる青年ではなかっただろうか。アデルに対しても、誰に対しても。
 人助けをする能力があってもそれを使わず秘めているかんじの、厭世的なところがあったはず。

(今の彼は……五年前より、ずっと素敵だ……)

 鋭利な美貌はそのままに、雰囲気が落ち着いたかんじがする。
 旅の苦労のせいなのだろうか。それがアデルの知らない五年分による変化なのだとしたら──。

「フェイロン……見ないで、お願い」

 そっと両手で彼の目元を覆う。

「それ以上、私のことを見てはだめ」

 アデルの花の盛りはとうにすぎた。彼はますます大人の男になったのに、自分ときたら何が変わっただろう。
 勢いで誘惑しておいて、5年たってしまった身体に幻滅されたらと考えると逃げ出したくなる。

 けれどフェイロンは目を隠されたまま、アデルの動揺すらわかっていると言うかのように口元だけで微笑んだ。

「こういうのがお好みであれば、付き合ってもいいですよ」

「こういうのって」

「め・か・く・し……」

 吐息混じりのからかう声音でフェイロンが呟く。
 彼は身を起こすと、長椅子の下に落ちていたアデルのガーターリボンを拾い上げ、切れ端を指でつまんで広げた。

「結んであげましょうね」

「えっ? あっ、わ、私を……っ!?」

「おや、僕にするつもりで? くく、僕を縛ろうなんて十年早い」

 彼の顔が近づいて来たかと思ったとたんに、何も見えなくなる。頭の後ろでリボンがぎゅっと結ばれると、自分の香水と、フェイロンの煙草の香りがまじった匂い──そしてたえまなく降り続く雨の音と、2人の吐息しかわからない。

「こちらのほうが、相手の匂いや、触れた肌の質感をよく感じることが出来るでしょう」

「そ、そんなつもりじゃ……痛っ」

 耳朶を噛まれて、アデルは身震いした。抱き込まれるようにして彼の両腕に包まれている。冷えた身体が一気に熱を取り戻していく。

「やっ、首は、くすぐったい……っ」

 フェイロンの唇は首筋を下り、鎖骨をなぞって、胸の谷間にたどり着いた。やわらかな肌をきつく吸われる痛みに息を呑む。

「ッ、痛い、ってばぁ……!」

「お嫌で?」

 表情は見えないけれど、声が楽しそうだ。人を痛めつけて喜ぶなんて彼の人間性を疑ってしまう。けれどアデルだって本当は、心から嫌ではないのだ。

「あなた……相手のことを噛んだり舐めたりするのが好きなの……?」

「好き、とは」

「だって……前も、舌で」

 言って後悔する。フェイロンにとってはアデルとの一夜なんて、何人、何十人と相手をしてきたうちのたった一晩のできごとかもしれない。事細かに覚えているのはアデルばかりなのかも。

「前も……? ……なるほど」

 フェイロンの体重を受けて身体が傾ぐ。咄嗟に伸ばした手は彼に掴まれ、アデルはそっと長椅子に横たえられた。

「つまり……以前も今日も同じことばかりで、芸がない男だ、と?」

「ちっ、ちが、そうじゃなっ……あ、あ……あぁっ」

 さっき噛んだばかりの胸の傷を舐めた舌は、そのまま胸の輪郭をなぞり、たどりついた先端を口に含んだ。

「はぁっ……だめ、フェイロン……私、それ……んん……っ!」

 視界を閉ざされているせいか、触れられるところすべてが敏感に快感をひろう。
 指先で肌をなぞられ、舐められ、吸い上げられて。
 ちゅ、という音をたてて彼の唇が離れるまでずっと、アデルは息を乱して身体を跳ねさせた。

「あの夜を辿るのも良いし……お望みどおりにいたしますよ」

 アデル、と。
 声は優しく、肌を這う舌の動きは的確にアデルを追い詰めていく。
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