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<17・満たされるもの>
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人が人を傷つけるための言葉に、際限はない。
ブスだとかバカだとか、そういう幼稚園児じみた言葉から――相手の隠しておきたい秘密を暴いたり、コンプレックスを刺激して尊厳を貶める言葉まで様々あるだろう。その多くは千愛が知りたくないし、知るべきとも思わない低俗なものばかりだと考えている。そう、そんな言葉を考えるために頭を回すくらいなら、もっと考えるべき有益なことは山のようにあるはずなのだから。
自分の自尊心を満たすために、他人を攻撃するなんて。そんなもの、復讐以上に正当化するべきではないものだと千愛は思う。ああ、惨めだとは思わないのか。誰かを貶めることでしか、己の価値を肯定できないのだと公言しているようなものだというのに。
――あんのクソ男……!
今まさに、成都を追い詰めようとしている男もまさにその類だと分かっていた。惣介はただ、認められないのだろう。自分を捨てて、別の人間に乗り換えようとする元恋人が。己が、その人間に劣っていると認めるようで。
あるいは単純に。自分の所有物が、知らず知らずに別の人間に移るのが許せないだけなのか――。
「忘れたわけじゃないよな、俺とお前、何回シたか」
いくら人気がない場所とはいえ、よくもまああんな恥ずかしい話を堂々とできるものだ。彼の髪を乱暴に掴み、揺さぶりながら。ヤクザのような所作とは裏腹に、優しくさえ聞こえる嫌らしい声で囁く。
「俺は知ってんだぜ。だって、お前のカラダ躾けたの、俺だもんな。お前が女と寝て満足なんかできるかよ。ていうか、お前だって恥ずかしいだろ?全部晒すなんてできるわけない。オンナノコみたいなでけぇ胸も、感じやすいカラダも、それから……」
す、と自由な左手が彼の腰をなぞる。露骨なまでの意図を含んだ手に、成都の体がびくりと震えた。
「お前、後ろじゃないともう満足できないもんな。今でも後ろでオナってるんだろ、どうぜ。毎回トコロテンするくらい俺に抱かれまくってたもんなあ。女抱いてそれで満足できるわけない。本気でイケるわけない。お前を満たしてやれるのはもう俺だけ。……他の誰かと付き合ったところで、お前は俺の元に戻ってくるしかねーんだよ。どんなに願っても、どうせカラダがココロを裏切るんだから」
「――っ」
「それとも何か?……どんだけカラダが疼いてもココロが繋がってれば充分だとか言わないよな?無理無理。お前がどんなに強がっても相手が許さないぜ。だって恥ずかしいだろ、そんなみっともない奴が彼氏なんてさあ。俺ならソッコー別れるね。お前よりかっこいい男も、価値ある男もいくらでもいるんだからよ……」
どれだけ、成都を辱めれば気が済むんだ。千愛は唇を噛み締めた。確かに、成都は明らかに前の恋人に調教されたのだろうなと思しき反応を示すことも少なくない。やや特殊な性癖の持ち主だなと感じる場面も多い。それを本人が恥ずかしく思っているのも分かっているつもりだ。
でも。
千愛はそれも含めて彼を愛しいと思っているし、そもそも恋愛というのはセックスが全てではない。人を愛するという大きな括りの中の、ほんの一部の愛情表現として含まれているだけのことだ。それこそ、ベッドの上でなくても愛を感じて満たされる場面などいくらでもある。実際、セックスなんかしなくても愛し合っているカップルはこの世の中に山ほどいるはずだ。それがまるで、恋愛の全てのように語る時点でなんとも寂しい男であるし――それが成都の価値の全てであるかのように言われるのも心の底から腹立たしい。
こいつは本当に成都の元彼であったのか。彼のことを本当に理解しているのか。そう思わずにはいられない。
「お前も男だから、女にぐらっと来る瞬間があるのは仕方ないよな。でも……そんなの気の迷いだってすぐ分かる。戻って来いよ。お前だって俺のカラダが恋しくなってきた頃だろ。もうずっと、可愛がってやれてないもんなあ」
その手が彼の臀部にまで伸びるのを見て、千愛は己の中の何かが切れるのを感じた。元恋人なら何を言っても何をやってもいいなんてことにはならない、立派なセクハラではないか。自分が出て行ったらますます成都に恥を掻かせるのではと思って傍観していたが、もうこれ以上は見ていられない。
意を決して、千愛が飛び出して行こうとした――まさにその時だった。
「やめて、くださいっ!」
「!」
成都が思いきり、惣介を突き飛ばしたのである。まさかここまで派手に抵抗されると思っていなかったようで、成都の髪を掴んでいた惣介の手が離れた。よろめきながら僅かに後退した男は、おいおい、とやや低い声を出す。
「何の真似だよ。まだそんな元気があるってのか」
ほんの少しの、動揺を含んだ声。そんな惣介に、成都は。
「俺のことを、なんと言ってもらっても構わないです。俺が貴方を愛していたのは事実で、貴方とそういう経験をしたのも事実ですから。でも……だからって、あの人のことまで侮辱するのは許さない」
「侮辱だあ?」
「千愛さんは」
成都は乱れた髪を直し、ぴしりと背筋を伸ばして言った。
「千愛さんは、貴方みたいに体だけで俺を繋ぎ留めようなんてしない。ちゃんと、心を満たしてくれる人です。俺みたいなみっともない男でも受け止めてくれた、笑顔を向けてくれた。……いつも大事なことを自分で決められなかった俺が生まれて初めて、たった一つを決めたいと思った相手です。俺は……千愛さんと一緒にいたい。守りたい。もう、貴方に頼らなくても俺は、大切な人の手を引いて歩けます……!」
そんな場合ではない、と分かっていたのに。きゅん、と胸が熱くなるのをどうして止められるだろうか。
ちょっとだけ、不安もあったのである。自分はどんどん成都に魅かれているのに、成都はどうなのだろうかと。酒の勢いでベッドにもつれこんでしまって、その責任感で自分と一緒にいるだけであったらどうしようと。彼は誰に対しても優しい人で、けして困っている人を見捨てられないタイプであるからこその不安。自分でなくても、彼は責任を取るために我慢してしまうに違いないと。本当の意味で恋愛しているのは、ひょっとして自分だけではないのか、と。
でも。
「俺は、千愛さんが好きです。もうとっくに、好きになってしまってるんです。貴方には感謝してます、惣介さん。でももう俺は……貴方の元には、帰らない」
そうではなかったのか。
彼も、自分と同じように――。
――その言葉、私にも……正面切って言って欲しいんだよなぁぁ……!
顔が熱くなるのを感じる。やばい、こんなこっ恥ずかしくて嬉しいことを言われてしまったら、出て行くに出て行けないではないか。千愛が顔を抑えて蹲った時。
「……ふーん」
どこか冷え切った、惣介の声が。
「ま、まだ意地張れる段階なわけだ?……まあいいや。お前なんぞに、女を守れるとは思わねえけどな。精々恥ずかしい姿晒して、捨てられないようにな?……あいつに飽きたらいつでも戻ってこいよ、たっぷり可愛がってやるから、さ」
「!」
やばい、こっちに来る。千愛は慌てて玄関の方に戻ろうとして――足元の小石にけっつまずいた。
「あ゛」
――ちょおおおおおお待って待って待って!お約束ううううう!
すってんころりん、とその場で漫画のようなコケっぷりを疲労してしまう。ついでに落ちていた空き缶とゴミ箱も蹴とばしてしまい、カランコロンガッシャン!と派手な音を立ててしまった。当然、これで向こう二人が気づかないはずもない。
「ち、千愛さん……?」
「……デバガメかよ」
呆れたような成都の声、惣介の声。さっきまでの怒りも一緒に飛んでしまった、というかそれどころではなくなってしまった千愛は、思いきり打ちつけた鼻先を擦って痛い痛いと呻くしかない。
ああ、カッコよく啖呵を切ってやろうと思った決意はどこへやら。ものすごく、恥ずかしいどころの話ではないのだが。
「ちっ……」
膝をついたまま顔を上げると、惣介はイライラと頭を掻きながら歩き去って行った。
「馬鹿が。……後悔しても遅ぇからな」
それは一体どういう意味なんだ、と尋ねることはできなかった。いや本当に、顔面から落ちるのがこんなに痛いとは。
――馬鹿はどっちだ、ばーかばーかばーか!
小学生のような悪口を脳内で吐き捨てていると、目の前にすっと差し伸べられる手が。
「だ、大丈夫ですか、千愛さん?顔打ったみたいですけど……」
「……だ、大丈夫。鼻血は出てないし……!」
「そ、それならいいですが」
ああ、若干引かれている。千愛は愛想笑いをしながらも、その手に捕まって立ち上がった。手を差し伸べて貰えるだけでもありがたいというか、なんともキュンとくるシチュエーションには間違いない。すっころんで鼻の頭を真っ赤にしていなければの話だが。
「……ごめん、話聴いちゃった。最低だね、あいつ」
駅の方に歩き去っていく男を見ながら、千愛は言う。後悔しても遅い、という言葉がどうしても引っかかって離れない。一番心配なのは、成都が過去の関係を元に脅されるのではないかということだ。今回みたいに言葉だけでも充分腹が立つが、一番心配なのはリベンジポルノのじみた行為をされることである。あの男のこと、写真や動画を持っていてもなんらおかしくはないからだ。
万が一、過去の行為に関してネットに流出させるとでも脅されたら。
ただでさえ、出来るかぎり成都は己がバイセクシャルであることを隠したいと願っているようなのに――。
「いいんです。……千愛さんが怒ってくれるだけで、俺は嬉しいですから」
千愛のスカートや裾についた砂を払ってくれる成都。
「でも、信じて欲しいです。俺、さっき言ったことは全部……本当なので。あの人とは別れるって、きっぱり決めて此処にいるので」
「……うん、信じる」
「いいんですか、そんなにあっさり。だって、俺」
「成都君のこと、恥ずかしいなんて思ったことないもん。むしろ私こそ、既にめっちゃ恥ずかしい性癖山ほど晒した気がするし」
ワケアリ彼氏であることなど、最初から分かっていた。それでも好きになったのは自分の方だ。
イケナイ秘密があるのも、実際お互い様。何も問題なんてない。それよりも。
「……そんなことより。……ありがと。さっきの言葉、嬉しかった。お返しに、私からも言わせて」
堂々とイチャつける場所ではないから、一言だけ。
「私も成都君のこと、大好き」
この場では、キスもできないけれど。それでもきっと自分たちは、心と心で繋がっている。見えなくても、離れていても、何度でも繋げる手があるから。
――だからきっと。何があっても、私が成都君を守るんだ。
誰かの横入りなんて、関係ない。邪魔させたくない。
走り出した気持ちに、嘘なんかつけないのだから。
ブスだとかバカだとか、そういう幼稚園児じみた言葉から――相手の隠しておきたい秘密を暴いたり、コンプレックスを刺激して尊厳を貶める言葉まで様々あるだろう。その多くは千愛が知りたくないし、知るべきとも思わない低俗なものばかりだと考えている。そう、そんな言葉を考えるために頭を回すくらいなら、もっと考えるべき有益なことは山のようにあるはずなのだから。
自分の自尊心を満たすために、他人を攻撃するなんて。そんなもの、復讐以上に正当化するべきではないものだと千愛は思う。ああ、惨めだとは思わないのか。誰かを貶めることでしか、己の価値を肯定できないのだと公言しているようなものだというのに。
――あんのクソ男……!
今まさに、成都を追い詰めようとしている男もまさにその類だと分かっていた。惣介はただ、認められないのだろう。自分を捨てて、別の人間に乗り換えようとする元恋人が。己が、その人間に劣っていると認めるようで。
あるいは単純に。自分の所有物が、知らず知らずに別の人間に移るのが許せないだけなのか――。
「忘れたわけじゃないよな、俺とお前、何回シたか」
いくら人気がない場所とはいえ、よくもまああんな恥ずかしい話を堂々とできるものだ。彼の髪を乱暴に掴み、揺さぶりながら。ヤクザのような所作とは裏腹に、優しくさえ聞こえる嫌らしい声で囁く。
「俺は知ってんだぜ。だって、お前のカラダ躾けたの、俺だもんな。お前が女と寝て満足なんかできるかよ。ていうか、お前だって恥ずかしいだろ?全部晒すなんてできるわけない。オンナノコみたいなでけぇ胸も、感じやすいカラダも、それから……」
す、と自由な左手が彼の腰をなぞる。露骨なまでの意図を含んだ手に、成都の体がびくりと震えた。
「お前、後ろじゃないともう満足できないもんな。今でも後ろでオナってるんだろ、どうぜ。毎回トコロテンするくらい俺に抱かれまくってたもんなあ。女抱いてそれで満足できるわけない。本気でイケるわけない。お前を満たしてやれるのはもう俺だけ。……他の誰かと付き合ったところで、お前は俺の元に戻ってくるしかねーんだよ。どんなに願っても、どうせカラダがココロを裏切るんだから」
「――っ」
「それとも何か?……どんだけカラダが疼いてもココロが繋がってれば充分だとか言わないよな?無理無理。お前がどんなに強がっても相手が許さないぜ。だって恥ずかしいだろ、そんなみっともない奴が彼氏なんてさあ。俺ならソッコー別れるね。お前よりかっこいい男も、価値ある男もいくらでもいるんだからよ……」
どれだけ、成都を辱めれば気が済むんだ。千愛は唇を噛み締めた。確かに、成都は明らかに前の恋人に調教されたのだろうなと思しき反応を示すことも少なくない。やや特殊な性癖の持ち主だなと感じる場面も多い。それを本人が恥ずかしく思っているのも分かっているつもりだ。
でも。
千愛はそれも含めて彼を愛しいと思っているし、そもそも恋愛というのはセックスが全てではない。人を愛するという大きな括りの中の、ほんの一部の愛情表現として含まれているだけのことだ。それこそ、ベッドの上でなくても愛を感じて満たされる場面などいくらでもある。実際、セックスなんかしなくても愛し合っているカップルはこの世の中に山ほどいるはずだ。それがまるで、恋愛の全てのように語る時点でなんとも寂しい男であるし――それが成都の価値の全てであるかのように言われるのも心の底から腹立たしい。
こいつは本当に成都の元彼であったのか。彼のことを本当に理解しているのか。そう思わずにはいられない。
「お前も男だから、女にぐらっと来る瞬間があるのは仕方ないよな。でも……そんなの気の迷いだってすぐ分かる。戻って来いよ。お前だって俺のカラダが恋しくなってきた頃だろ。もうずっと、可愛がってやれてないもんなあ」
その手が彼の臀部にまで伸びるのを見て、千愛は己の中の何かが切れるのを感じた。元恋人なら何を言っても何をやってもいいなんてことにはならない、立派なセクハラではないか。自分が出て行ったらますます成都に恥を掻かせるのではと思って傍観していたが、もうこれ以上は見ていられない。
意を決して、千愛が飛び出して行こうとした――まさにその時だった。
「やめて、くださいっ!」
「!」
成都が思いきり、惣介を突き飛ばしたのである。まさかここまで派手に抵抗されると思っていなかったようで、成都の髪を掴んでいた惣介の手が離れた。よろめきながら僅かに後退した男は、おいおい、とやや低い声を出す。
「何の真似だよ。まだそんな元気があるってのか」
ほんの少しの、動揺を含んだ声。そんな惣介に、成都は。
「俺のことを、なんと言ってもらっても構わないです。俺が貴方を愛していたのは事実で、貴方とそういう経験をしたのも事実ですから。でも……だからって、あの人のことまで侮辱するのは許さない」
「侮辱だあ?」
「千愛さんは」
成都は乱れた髪を直し、ぴしりと背筋を伸ばして言った。
「千愛さんは、貴方みたいに体だけで俺を繋ぎ留めようなんてしない。ちゃんと、心を満たしてくれる人です。俺みたいなみっともない男でも受け止めてくれた、笑顔を向けてくれた。……いつも大事なことを自分で決められなかった俺が生まれて初めて、たった一つを決めたいと思った相手です。俺は……千愛さんと一緒にいたい。守りたい。もう、貴方に頼らなくても俺は、大切な人の手を引いて歩けます……!」
そんな場合ではない、と分かっていたのに。きゅん、と胸が熱くなるのをどうして止められるだろうか。
ちょっとだけ、不安もあったのである。自分はどんどん成都に魅かれているのに、成都はどうなのだろうかと。酒の勢いでベッドにもつれこんでしまって、その責任感で自分と一緒にいるだけであったらどうしようと。彼は誰に対しても優しい人で、けして困っている人を見捨てられないタイプであるからこその不安。自分でなくても、彼は責任を取るために我慢してしまうに違いないと。本当の意味で恋愛しているのは、ひょっとして自分だけではないのか、と。
でも。
「俺は、千愛さんが好きです。もうとっくに、好きになってしまってるんです。貴方には感謝してます、惣介さん。でももう俺は……貴方の元には、帰らない」
そうではなかったのか。
彼も、自分と同じように――。
――その言葉、私にも……正面切って言って欲しいんだよなぁぁ……!
顔が熱くなるのを感じる。やばい、こんなこっ恥ずかしくて嬉しいことを言われてしまったら、出て行くに出て行けないではないか。千愛が顔を抑えて蹲った時。
「……ふーん」
どこか冷え切った、惣介の声が。
「ま、まだ意地張れる段階なわけだ?……まあいいや。お前なんぞに、女を守れるとは思わねえけどな。精々恥ずかしい姿晒して、捨てられないようにな?……あいつに飽きたらいつでも戻ってこいよ、たっぷり可愛がってやるから、さ」
「!」
やばい、こっちに来る。千愛は慌てて玄関の方に戻ろうとして――足元の小石にけっつまずいた。
「あ゛」
――ちょおおおおおお待って待って待って!お約束ううううう!
すってんころりん、とその場で漫画のようなコケっぷりを疲労してしまう。ついでに落ちていた空き缶とゴミ箱も蹴とばしてしまい、カランコロンガッシャン!と派手な音を立ててしまった。当然、これで向こう二人が気づかないはずもない。
「ち、千愛さん……?」
「……デバガメかよ」
呆れたような成都の声、惣介の声。さっきまでの怒りも一緒に飛んでしまった、というかそれどころではなくなってしまった千愛は、思いきり打ちつけた鼻先を擦って痛い痛いと呻くしかない。
ああ、カッコよく啖呵を切ってやろうと思った決意はどこへやら。ものすごく、恥ずかしいどころの話ではないのだが。
「ちっ……」
膝をついたまま顔を上げると、惣介はイライラと頭を掻きながら歩き去って行った。
「馬鹿が。……後悔しても遅ぇからな」
それは一体どういう意味なんだ、と尋ねることはできなかった。いや本当に、顔面から落ちるのがこんなに痛いとは。
――馬鹿はどっちだ、ばーかばーかばーか!
小学生のような悪口を脳内で吐き捨てていると、目の前にすっと差し伸べられる手が。
「だ、大丈夫ですか、千愛さん?顔打ったみたいですけど……」
「……だ、大丈夫。鼻血は出てないし……!」
「そ、それならいいですが」
ああ、若干引かれている。千愛は愛想笑いをしながらも、その手に捕まって立ち上がった。手を差し伸べて貰えるだけでもありがたいというか、なんともキュンとくるシチュエーションには間違いない。すっころんで鼻の頭を真っ赤にしていなければの話だが。
「……ごめん、話聴いちゃった。最低だね、あいつ」
駅の方に歩き去っていく男を見ながら、千愛は言う。後悔しても遅い、という言葉がどうしても引っかかって離れない。一番心配なのは、成都が過去の関係を元に脅されるのではないかということだ。今回みたいに言葉だけでも充分腹が立つが、一番心配なのはリベンジポルノのじみた行為をされることである。あの男のこと、写真や動画を持っていてもなんらおかしくはないからだ。
万が一、過去の行為に関してネットに流出させるとでも脅されたら。
ただでさえ、出来るかぎり成都は己がバイセクシャルであることを隠したいと願っているようなのに――。
「いいんです。……千愛さんが怒ってくれるだけで、俺は嬉しいですから」
千愛のスカートや裾についた砂を払ってくれる成都。
「でも、信じて欲しいです。俺、さっき言ったことは全部……本当なので。あの人とは別れるって、きっぱり決めて此処にいるので」
「……うん、信じる」
「いいんですか、そんなにあっさり。だって、俺」
「成都君のこと、恥ずかしいなんて思ったことないもん。むしろ私こそ、既にめっちゃ恥ずかしい性癖山ほど晒した気がするし」
ワケアリ彼氏であることなど、最初から分かっていた。それでも好きになったのは自分の方だ。
イケナイ秘密があるのも、実際お互い様。何も問題なんてない。それよりも。
「……そんなことより。……ありがと。さっきの言葉、嬉しかった。お返しに、私からも言わせて」
堂々とイチャつける場所ではないから、一言だけ。
「私も成都君のこと、大好き」
この場では、キスもできないけれど。それでもきっと自分たちは、心と心で繋がっている。見えなくても、離れていても、何度でも繋げる手があるから。
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