黒須澪と誘惑の物語

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<17・ジュミョウ。Ⅲ>

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 向こうは果たして、光邦の尾行に気づいているのかいないのか。暑苦しい黒いスーツ姿でも、涼しげにてくてくと道を歩き続ける。

――ホテルってこっちの方なのか?なんか人気のない裏路地入ってくんだけど。

 一度も振り返らないし、周囲を警戒している様子もない。あんまりコンビニから離れられると戻るのが大変になるんだけど、と思ったところで唐突に青年は立ち止まったのだった。どうやら携帯電話が鳴ったらしい。ポケットからスマホを取り出すと、操作しながらビルとビルの間に入っていく。まるで、襲ってくれと言わんばかりではないか。

――ひょっとして、俺がついていってることに気づいてて、誘ってんのか?

 世の中にはマゾな趣味を持つ人間もいるし、自分の力を過信してドツボにハマる人間もいるものだ。光邦はコンビニのエプロンのポケットに突っ込んだロープを再度確認しつつ、彼のあとに続いた。路地の突き当り、薄暗いゴミ捨て場のような場所で彼は一人電話をかけている。

「由羅さん、もうすぐ帰るって言ったじゃないですか」

 彼は少し困ったような声で、電話の向こうの相手と話していた。ゆらさん、というからには相手は女性なのだろうか。まあ、苗字ということも考えられなくはないが。

「……まあ、ちょっと退屈してるのは確かですけどね。先日高校に潜入してみた時も、引っかかってきたのは動画を見て儀式を真似ようとした素人集団だけでしたし。……あの学校にも何人か、宗教二世はいたはずなんですけど、そっちを調査することはできませんでしたしねえ」

 何の話をしているんだろう、と光邦は首を傾げる。潜入、なんて話をしているし、ひょっとしたら警察か何かに所属しているのだろうか。

――まあ、どうでもいいか。

 普段の自分なら。そんな公的機関の人間に擬態しているなら、手を出すとそういう意味でも面倒になる――それくらいのことは気にするはずだった。しかし、今は後に自分が逮捕されるかもしれないことさえ“どうでもいい”と思うほど気分が高揚している。
 あの、馬鹿げた寿命が本物かどうか。
 こいつが本当に人間ではない何かなのだろうか。
 そして人間ではないなら――人間の手で殺せるのかどうか。
 それを試したくて、仕方ない。長い髪が揺れるたび、白いうなじが見えるたび、誘われているような気がしてならないのだ。

――ロープ、持ってきたけど。それよりももっと。

 下半身がどくどくと熱を持っているのがわかる。誰かを殺す、人ではないものを殺して特別な存在になる。それがこんなにも興奮することだとは、思ってもみなかった。光邦はゆっくりとその背中に近づいていく。

「そろそろ京都から、別のところに移動しますかね。沖縄とか北海道にも行きたいですけど、費用の面が……富士山観光くらいが精々でしょうか。ああいう場所には、霊的なものが集まりやすいと言いますし。……ああ、わかってますよ、嵐山は外せないんでしたっけ。しかし、観光と調査ってなかなか両立しませんねえ」

 何も気づかず、電話を続ける青年。あと、少し。あと――。

「……そうですね。ええ、ええ。じゃあ、由羅さん、今からそっちへ」

 穏やかな声は、中途半端に途切れた。光邦がその細い頚に手をかけ、一気に締め上げたからである。光邦の体格は成人男性としては少し大きい程度だが、それでも十分だった。彼の首は、女性並の太さしかなく、暴れる力もさほど強いものではなかったからである。しかもこちらは背後を取っている。襲撃者の顔さえ、確認することは叶わないだろう。

「が、はっ……!」

 苦しげにもがく手からスマートフォンが落ちる。向こうから“澪さん?どうしましたか、澪さん!?”と呼びかける少女の声が聞こえてくるが無視だ。ふうふうと荒い息を吐きながら、気づけば彼の尻にいきりたったものを押しつける格好となっていた。柔らかな頚を締め上げ、気道を塞ぎ、その命を搾り取るようにじわじわと奪っていくこの感覚。気づけば完全に勃起していた。セックスよりも気持ちのよいことがあるなんて、今まで想像もしていなかったことである。
 力なく光邦の指を引っ掻いていた、澪というらしい青年の手が――やがてだらり、と垂れ下がった。低く呻き声を上げて、思わず着衣のまま絶頂する光邦。ああやっちまった――と多少程度の理性が戻ってきたのは、息絶えた彼の体を路地裏に投げ捨ててからのことだった。

――ああ、やべえ。ほんとに、ほんとに殺しちまった。

 なんて恐ろしいことを。これで自分は犯罪者だ。そう、人間らしいことを考えられたのは、それが最後だった。
 濡れた股間が、再び熱を持ちそうになる。ぐったりと倒れた死体を前に、思わず唇の端を持ち上げる光邦。

――はは。なんだよ。悪魔だか人外だか知らねえが……普通に死ぬんじゃねえか。

 澪の頭上に、もう寿命の数字は見えない。普通に死ぬ――いやきっと、自分が特別な存在だから殺すことができたのだ。なんという達成感だろう。なんという快感だろう。これできっと、自分はもう誰にも馬鹿にされない存在だ。邪神殺し、なんて最強ではないか。

「は、はは……はははははっ!」

 死体が見つからなければ、基本的に犯罪というものは立証されないものである。
 煮えたぎった頭で、光邦は考えた。とりあえず死体を隠してから、後でまたどこかに埋める方法でも考えればいいや、と。



 ***




 事態が動いたのは、その翌日のことだった。
 いつものバイトの時間。コンビニの裏の自販機で飲み物を買っていた光邦に、声をかけてきた人物がいたのである。

「すみません、あのコンビニの店員さんですよね」

 それは、茶髪にボブカット、丸顔の小柄な少女だった。中学生か高校生くらいの年齢だろう。美人ではないが、充分可愛らしい顔立ちである。ただ――彼女の顔と声に、光邦ははっとさせられたのだった。

――こいつ!あの時、澪とかいう男と電話してたやつじゃねえか!

 あの電話の通りなら、由羅、という名前なのだろう。
 こいつも邪神か何かか、と思ったが、その頭上に浮かんでいる数字に特におかしな点はない。今十六歳くらいだとしたら、残りの寿命が八十二年というのは人よりちょっと長い程度だろう。この少女は、多分人間だ。ただ――あの澪に“友人”と呼ばれていたあたり、警戒するべき相手であるのは間違いないが。

「……はい、そうですが?」

 コンビニのエプロンを身に着けているので、コンビニの店員であることがわかっているのはなんらおかしくはない。作り笑顔で返事をすれば、彼女はやや硬い表情で“実は”と告げた。

「昨日、私の大切な人あそこののコンビニを訪れたと思うんです。買い物すると言ってましたから。……そして、そのまま行方不明になってしまって。電話にも出ないし、ホテルにも戻っていないようなんです。何かご存知ありませんか?」
「行方不明ですか?それは心配ですね」
「はい。しかも、私の電話の途中で襲われたような変な音も入ってて……まだ警察には言っていないんですけど」

 警察に言っていない。なんとまあ、好都合なことであるか。

――馬鹿な奴だな。

 自分が地味なフツメンで、人にさほど警戒されない外見であることを光邦はよく理解していた。しかもまだ二十歳なので、どうあがいてもムサいおっさんの領域ではない。若くて地味な見た目の中肉中背の男、は暑苦しくて太った見た目のオッサンよりはるかに警戒心が下がるものなのだ。勿論、女性よりは気を付けられるものだろうが、それがよく見かけるコンビニ店員ならさらに補正がかかることだろう。

――お前の目の前にいるやつが、お前の大事な“ミオサン”を殺したんだよ。のこのこ出てきやがって。

 あの電話の相手が、澪を探しに来るくらいのことは予想していた。ただ、警察にまだ通報していないのは嬉しい誤算である。――捕まるかもしれないならば、その前に少しでも多く楽しんでおきたい。人外殺しのあとに普通の人間を殺す、なんて順番が違うような気がしないでもなかったが。

「その、どのような見た目の方ですか?特徴的な外見の方なら覚えているかもしれません」

 営業スマイルで告げれば、由羅は少し考えてから行方不明の人物の特徴を言った。長い黒髪、身長はたぶん170cmくらい、金色の眼、白い肌、外見年齢は二十歳くらい。やはり間違いない、自分が縊り殺したあのバケモノだ。
 人外への興味が、いつの間にか完全に“もっと人を殺したい”衝動へとすり替わっている。自分でも気づいてはいたが、それを止めようとは思えなかった。せっかく目の前にか弱そうな少女という美味しそうな餌が現れたのに、みすみす逃がす手などあるものか。

「……実は、休憩時間の時に声をかけられましてね」

 我ながらよく口が回るものだ、と感心しながら告げる。

「観光客だから、あまり道が分からないというので。道案内をさせていただいたんです。……その時別れた場所まで、ご案内しましょうか?」

 澪を殺した、あの路地裏まで誘い込めばいい。あそこなら多少悲鳴が聞こえても、争う音が出ても誰も駆けつけてこないのは証明済みである。

「本当ですか?助かります、ありがとうございます!」

 由羅は心底ほっとした様子で、ぺこりと頭を下げてきた。少し前の自分なら、いじらしいなとか、助けてあげたいなと思ったかもしれない。だが。
 今目につくのは、彼女が頭を下げた瞬間に見えた、白いうなじのみ。澪の頚を絞めた時の、指に、掌に伝わるやわらかな感触を思い出していた。ぎゅうぎゅうと命を搾り取り、弱くなる鼓動を感じるめくるめく快感を。ああ、この華奢な少女なら、あの青年の頚よりさらに絞めやすそうだ。ただし、とても脆いだろうから力加減には気を付けなければいけない。うっかり頚骨を折って即死させてしまったらつまらないからだ。頚を絞めて殺す快感は、じわじわと呼吸が止まる感触を楽しんでなんぼなのである。

「休憩時間中なので、今なら大丈夫ですよ、どうぞ」

 親切で無害な店員を演じながら、光邦は内心ほくそ笑んだのだった。
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