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<2・Siblings>

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 それから、十年の月日が流れた。

「父さん!」

 バタバタバタバタ、と魔王城の石畳を足音が駆け回る。何事か、と振り向いた者達は一様に少年――ジルの姿を見て顔を赤らめた。ジル自身、凄い格好をしている自覚はあるが、緊急事態なのだから仕方ない。そう、急ぎこの城の主に確かめなければならないことがあるのだ。

「俺の衣装が見つからねーんだよ!とっておきの奴で、みんなをびっくりさせたかったってのによー!」
「ぶっ」

 かくして執務室で仕事をしていたアークは、飛び込んできたジルを見て紅茶を吹き出したのだった。十年前と全く変わらぬ美貌の魔王は、顔を真っ赤にしてジルを見、叫ぶ。

「じ、じ、ジル!なんだその格好は!!」

 十八歳のジルは、今や立派な成人男子のはずだった。しかし、どうにも己は母親そっくりの顔立ちに父親譲りの線の細さが合わさって、女性に見間違えられることも少なくないらしい。今は銀色の長い髪を結い上げ、ばっちりと化粧が施してあるから尚更そう見えるのだろう。
 それに加えて、現在はスケスケの踊り子の衣装を身に纏っているわけで。

「ふん、父さんをびっくりさせられたってことは、俺の変装スキルもなかなかレベルが上がったってことだな」

 にやり、とジルは笑って、わざと扇情的に腰をくねらせて見せる。

「城のパーティーで劇をやる予定になっててさ!それで、俺はその中で踊り子の役をやることになったわけ。で、今リハーサル中なんだけど……用意してた衣装が一着なくなっててさ。父さん、知らない?」
「知らないしそんな格好で劇に出るなんて父は許さんぞ!破廉恥な!脱げ!」
「えええ、この場所で全裸になれっての?お父上もお好きですわねー」
「じゃなくて!着替えろと言っているのだ!お前は最近悪ふざけがすぎるぞ!?」
「えー」

 顔を真っ赤にして叫ぶ父が面白すぎる。ジルはからからと声を上げて笑ったのだった。
 ジルと妹のルチルが魔王ことアークに拾われてから早十年。アークのお陰で、二人は立派(?)な若者に成長していた。兄のジルは十八歳、妹のルチルは十五歳。この魔王の森で、慎ましく暮らしているというわけである。
 この森に、あの村の人間達は来ない。
 というのも、人間達に住処を追われた魔物や人を匿ったアークが、わざと恐ろしい噂を近隣の村々に流しているからである。そう、ジルが八歳の頃に聞いていた“森の奥には人食いを楽しむ魔王の城があってー”という噂は、実はアーク本人が作ったものであったのだ。
 彼は噂を盾にすることによって、この城に逃げてきた者達を守ってきたのである。
 元々は彼自身も、人間達に迫害された魔族の一人に過ぎなかったにも関わらず。

『亡くなった父から受け継いだのが、この城と広大な森の土地だったのだ』

 彼のコルネット家は、元々魔族でありながら貴族の地位まで登りつめた一族だった。アークはその末裔というわけである。彼の父は魔族と人の融和を心から望んでいた。アークはその意志を引き継ぎ、この場所に逃げてきた魔物や人間達を一人で匿い続けてきたというわけだ。
 それが出来たのは、一族にだけ伝わっていた最先端科学技術と魔法の技術があり、アークが一族でも最高と呼ばれた魔力の持ち主だったからこそ。
 歴代の“魔族の王”の中でも、まさに最強の名を冠するに相応しい存在。それがアーク・コルネットという男であったわけである。
 しかも魔法のみならず、村を追われた見知らぬみなし子をあっさり受け入れる慈悲の心と、城に住まう者達に的確な仕事を与えて指揮を取る手腕をも持ち合わせている。それに加えて、この人目で人外とわかる美貌。そりゃあ、皆に慕われるのも当然だよな、とジルは思うのだった。
 そしてそんな彼はジルとルチルにとって、父親も同然の存在である。彼はボロキレのような姿だった自分達兄妹を、十年間立派に育て上げてくれた。感謝してもしきれない。まあ、ちょっと教育が甘かったせいで、ちょこーっと自由奔放に育ちすぎた気がしないでもないが。

「そろそろ、城も手狭になってきたからさ。もう少し新しい土地を買ったり、建物を増築したいって父さんも言ってただろ?」

 くるくるくる、と水色のスカートの裾を翻しながら言うジル。

「そのためには、多少面倒でも人間たちと交渉しなくちゃいけないわけだ。何、俺達の故郷の村ほど頑なな奴らは少ねぇと思うんだよな。きちんと人間の代表が話しに行けば、取引に応じてくれる奴らもいると思うんだ」
「それで、お前のその格好がどう影響すると?」
「場合によっては色仕掛けも大事だと思ってさ!それに偵察も必要だし、変装の技術を鍛えて貰ってんだよ、クグルマのじーさんに!」
「あんのエロオヤジ……!」

 若干キャラ崩壊気味に汚い言葉を吐くアークである。そのエロオヤジことクグルマは、兄妹が拾われたあの日にアークの従者として一緒に森の見回りをしていた男である。今年で七十歳になるはずだが、まだまだ現役とのこと。父が存命の頃からアークは世話になっているはずなのだが――いかんせん、エロいことに目がないと大変評判なのである。
 仕事に関しては、間違いなく優秀なはずなのだが。

「エロオヤジって……クグルマのじーさんが興味有るのは本物の女だけだろ?俺は違うって」

 ははは、と笑い声を上げるジルである。

「あくまで、変装の技術を教えてもらっただけ!どうすればマジもんの女に見えるかとか、逆に老人のフリをするにはどうしたらいいのかとかさー!舞台の演出だってじーさんがやってくれてんだ。ほら、この衣装をこうすると、結構股間の際どいところまで見えて扇情的で女らしく見えるからって……」
「や、やめんか!」

 ババン!と机を叩くアーク。その顔はすっかり茹で蛸である。

「ジル、お前はもう少し自分の美しさを自覚しろ!下手な女よりお前は美しいのだぞ!というか、男言葉喋って男の声も隠してないのに、今の時点でお前は充分女にしか見えんから問題なのだ!城の皆を誘惑して鼻血出させる気か!?襲われても知らんぞ!!」
「お父様ったら、そんなに警戒なさらなくても。可愛い可愛い息子がそんなに心配なんですの?ジル嬉しい!」
「女の声出すな!ていうか、声の使い分けうますぎるだろ!?」

 凄い、とジルは心の中で拍手する。まさか父が、ここまでツッコミ上手とは思わなかった。

「父さん、いい漫才師になれるぜ!ツッコミって大事だよな!」
「誰のせいだ、誰の!」

 はぁぁ、と机に突っ伏して沈没する父。普段は威厳のある魔王陛下だというのに、自分と妹のこととなると途端に凄まじい親バカを発揮してくれるのである。

「……衣装は返さないからな」

 彼は顔を上げないまま、呻くように言った。

「あんな布紙が少ないビキニを着るなんて、いくら変装でもパパは許せません……!」
「やっぱりアンタが隠してたんじゃん!つーかキャラ壊れてるぞ親父殿?」

 うーん、下にタイツとかいろいろ履くんだけどなぁ、とは心の中だけで。この調子では、衣装を返してもらうまでかなり時間がかかりそうだ。

――困ったなー。……こりゃ、ルチルに一服盛ってもらうしかないかなー?



 ***



 で。
 十五歳になった妹のルチルはといえば。

「トクサネ草をすり潰したものを、35グラムほど入れます……」

 スリスリ、とすり鉢で丁寧にすり潰した草を鍋の中に投入する女。眼鏡とマスクの奥で、女――ルチルはにんまりと笑みを浮かべる。丁寧に丁寧に、何度も何度も計算したのだ。今回は間違いないはずである。
 ルチルの隣では、同じ魔王の城で働く友人たちが熱心に実験の様子を見守ってくれていた。ルチルをはじめ、全員が白衣姿である。そう、ここは魔王城の地下。あらゆる薬を精製し、研究し、実験する専用の施設なのである。

「次に、アクタパロリアのエキスを5cc。それからチョミツルの実の汁を少々……そうですね、だいたい0.2ccといったところでしょうか」
「ルチルさんルチルさん、アクタパロリアのエキスに入れると、チョミツルの実は凄い臭いが出てしまいますよね?それに色もブルーに変色してしまいますが……そうすると薬として役に立たなくなるのでは?」
「その通り。なので、入れるのはあくまでチョミツルの汁のみ。実の欠片が入らないように注意を払ってくださいね」
「わかりました!」

 友人であり、助手である仲間たちは皆賢い。彼女たちはみんなルチルより歳上なのに、ルチルの指示をきっちりと守ってくれている。この十年で、自分はここまで実力を認められるようになったのだと思うと純粋に嬉しくなる。
 同時に、これでやっと自分も兄や父の役に立てると思うと誇らしくてならない。もう自分も十五歳。立派に仕事を任せてもらえる歳になったのだ。
 まあ、今やっている実験は――ぶっちゃけ、ルチルとその仲間たちの個人的には趣味のようなものであったが。

「これらの中に、水を500cc入れます。この時水は冷たく冷やしておいたものを使ってください。そうしないと、さっきの材料がうまく溶けません。特にアクタパロリアは、熱湯に入れると成分が分離してしまいます」

 さらに、とルチルは手近にあった瓶のキャップを取る。一見すると塩が胡椒にも見えるその瓶は、ルチルが作ったとっておきの薬だ。

「この“とっておき”の粉をちょっとばかし振りかけます。するとあら不思議、液体が一気に紫色に!」
「え、ええええ!?ルチルさーん、色がついちゃったら駄目なんじゃ……」
「ご安心ください。これは、一度沸騰させると消える色です」

 ふふふふ、とルチルは鍋をコンロに起き、点火した。青い炎がゆっくりと鍋を炙り始める。このコンロは火力が強い。すぐに鍋の中身を沸騰させてくれることだろう。

「鍋が煮えてきたら、チョロモン液を100cc入れて混ぜます。チョロモン液の苦い臭いが消えたら火を消して冷まします。最終的には冷蔵庫に入れてキンキンに冷やせば完成です。皆さん、メモはしっかり取りましたか?」
「はーい!」

 助手の女性たちから上がる、良い子の返事。そのうちの一人、緑色の肌をした魚人の少女が、うっとりとした声で言ったのだった。

「この薬があれば……愛しいあの方の心を射止めることも可能と言うわけですねっ!ああ、楽しみです!」

 そう。ルチルが今まさに作っていたのは惚れ薬というものである。惚れ薬ならまだ良くて、過去にはテンションが爆上がりになる薬とか、勃起や愛液が止まらなくなるくらいエロエロになっちゃう媚薬とか、人が七色に光り輝いて空を飛んでっちゃう薬とか――まあとにかく、ヤバイ薬を大量に精製してきているのだった。
 何故そんなものを作るのか?
 決まっている。ルチルが楽しいからである。

「喜んでくれて、ルチルはとっても嬉しいです」

 ニコニコと、ジルの妹は笑顔で語る。
 薬を使った誰がどうなろうと関係ない。自分は、みんなに求められている楽しい薬を作ることが目的なのだから。

「そんなわけで、可能ならベッドに直行できる媚薬もルチルがセットで作りますよ。どうですか?」
「ほ、本当ですかルチルさーん!最高!大好き!!」
「うふふふふ」

 変装(女装含む)と演技の天才である兄、ジル。
 そしてマッドサイエンティストと高い薬の天才、ルチル。
 十年前拾われた兄妹は、その斜め上の才能をいかんなく発揮して――今、魔王城で立派に働いているのであった。
 少々、というかかなり魔王アークこと父の胃痛の種になっている気がしないでもないが、それはそれである。
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