夜明けのエンジェル

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<第六話>

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 対面日はついに、明日に迫っていた。
 ミリーはぼんやりとテレビを見ながら考える。今日は最後の講義に、最後の実習――基本的にいつもと変わらないスケジュールだったというのに、何一つ頭に入ってはこなかった。朝目覚めた時、涙さえ溢れそうになったほどである。
 仮に明日、御主人様に選ばれたところで。明日すぐ、引き取られるということは有り得ない。色々と準備はあるのだから、あと最低でも数日は猶予があると知っている。それでもだ。――こうして、いつもと変わらない日常を送るのが、あと何日かわからないと考えると――悲しくて苦しくて、不安に押し潰されそうになるのである。
 自分達の唯一の幸せは、素敵な御主人様に巡りあって添い遂げること。子供をたくさん作って、社会に貢献し、幸せな家庭を築くこと。そう教わってきたし、それが正しいと信じたかったのだけれど。
 ミリーは、本当は――ずっとこの場所にいて、なにも変わらずにいたいのが本心だった。お嫁に行くのも、お婿に行くのも嫌だった。だって、見ず知らずの人間のところにいきなり呼ばれて、今日から恋人として振る舞え、なんて言われても。心が、ついていくとは思えないのである。
 しかも、恋人としての関係を要求されるのなら。当然そこには、体の関係も付随してくることだろう。人間がパートナーとベッドでどう過ごすのかは知っている。子供を作ることが最大の仕事であるホープ・コードにとっては必須の知識と言えるからだ。講義で繰り返し“やり方”は習った。場合によっては、同性の恋人として振る舞うことを要求される可能性もあるため、同性同士でのやり方も知識としては知っている。
 そう、だから。そのための存在であるはずの自分のような存在が――御主人様との初夜を怖がるなんて、そんなことは本末転倒なのである。同時に――きちんと恋をしてから、相手とそういう関係になりたい、なんて。人間のようなことを願うことも。

――恋って、なんなのかな。

 丁度やっていたテレビでは。今若い子に人気だという恋愛ドラマが放送されていた。何をやってもダメダメなOLが、会社で再会した学生時代の先輩を相手に恋に落ち、ライバルたちに道を阻まれながらも成長していくという在り来たりなストーリーである。なんでも、有名な雑誌に掲載された少女漫画らしい。ここのところ、漫画の実写化が流行っているらしく、このドラマもその例に漏れないのだった。

『あたしさー、この年ですっごく後悔してることがあんのよ』

 テレビの中で。主人公のヒロインの友人である茶髪の女性が、タバコをふかしながら話している。

『あのときは恋に恋してたってのもあったし?ぶっちゃけ半分はそーゆーことへの興味もあったし?若気の至りだったとは思うけどさ。だからって、行き刷りの男に処女やるんじゃなかったよなーって。本気で好きになった相手ができて、今さら後悔してるのよ。この人に、あたしのハジメテの全部、あげたかったなぁって』

 この時間帯で、こういう会話って流してもいいものなんだろうか。子供も普通に見る時間だけども――いや、半裸のベッドシーンくらいまでならありなのかもしれない。いまいち、この国の放送コード基準がよくわからなかったりする。
 ただ、こういう台詞を聞いていると思うのだ。昔の人間は、好きでもない相手のところに嫁に行く、なんてことも珍しくなかったのだという。でも今は違う。誰もが自由に恋をすることができる。もちろん、今のご時世でも人種差別や国籍差別、同性愛の差別などはあろうが――昔よりは遥かに、恋愛がしやすくなったのも確かだと思うのだ。このあたり、講義で聞いた話や書籍などで調べた知識ではあるのだけれど。
 特に、同性愛の偏見は昔よりずっと減ったらしい。子供を作れない同性愛など異常だし不毛だ、人類を滅ぼす要因になるだけだ――という意見はまだ根強くあるものの。歴史を辿れば大昔から偉人の同性愛など山ほどあったわけで。それでも普通に人類が繁栄して今に至る以上、そんな指摘は無意味でしかないのである。
 だから、ホープ・コードの支給が免除される規定の中に。同性愛の恋人がいる、ことも含まれているわけなのだ。同性愛であろうと、恋人がいる者に別の子作りの相手を押し付けるなど、人権侵害も甚だしいということである。このあたりは、プロジェクトが発足した時にだいぶ揉めた点でもあるそうだが。
 まあ、話は逸れたのだけども。
 今のご時世は、人間なら多くの場合が好きになった相手と結婚ができるのだという。それなのに、自分達ホープ・コードには、それが許されていない。本当は――理不尽だと、思わないでもないのだった。
 自分だって本当は、恋がしたい。
 恋をして、本当に好きな相手に初めてのキスをあげて――体も心も全部、その人にあげられたらと思うのに。

――御主人様が望んだら……その人を、私は好きにならなくちゃいけないんだ……。

 恋愛は強制されるものじゃない。気がつけばそこに落ちているものだ、なんて。言っていたのは女優だったか、どこぞの漫画のキャラクターだったか。

『でもね、昭人、言ってくれたんだ。あたしがヴァージンじゃないし、昔けっこー遊んでたってこと聞いても……全然怒らなかったの。“奈々枝の過去がどうだかなんて関係ない。俺にとっては、今の奈々枝が好きになってくれるって、今の奈々枝が全部を俺にくれるって……それだけで最高に幸せだから”って。……くっさい台詞でしょ?でも馬鹿なのよね。あたしもそんな台詞でこう……さ。ちょっと涙出ちゃってさあ』

――いいな。私も……涙が出るくらい、誰かを好きになりたかったな。

 馬鹿げた願いなのはわかっていた。それでも、人間たちに当たり前に許された権利を知る度に胸が締め付けられるのである。
 この体の中には、人間と同じような温かな心臓なんて動いてはいないというのに。

「うわぁ、ちょ、ミリー?え、そのドラマ好きなのかよっ!?」

 はっとして振り向けば。そこに目をまんまるにしたクリスがいた。そのクリスの頭を持っていた冊子でパシリとシオンが叩いていく。

「いてぇ!なにすんだよシオン!」
「なにすんだよ、じゃありませんよ。貴方はいい加減思ったことをすぐ口に出すのをおよしなさい。自分が好きなものをけなされていい気分になる人はいませんよ」
「う……」

 尤もだと思ったのだろう。クリスが言葉に詰まる。シオンは慌てて言った。

「き、気にしなくていいよ!なんとなく見てただけで、特に好きとかそういうのじゃないから、ね?」

 そういえば、と思い出す。この連ドラ、前にもクリスが見て苦言を呈していたな、と。クリスはこういう、ベッタベタな恋愛ドラマが好きではないらしかった。それから、実際のところシオンも好きではないのを知っている。あまりにも非現実的だから、らしい。

「うう、それならいーけど。なんかさぁ、有り得ないよなーって思って。違和感すごいよな。だってこんな地味な女子に、学生時代少し話しただけのイケメンの先輩が惚れたはれたと声かけてくるんだぞ?どのへんが好きになったん?ていうか、この女子のどのへんにモテ要素があるの?夢見すぎじゃね?と思っちゃうわけだよ。だったらこっちの、友人の女の子の方がサバサバしてて魅力的じゃんか」
「そういうのツッコミしたら敗けですよクリス。人間の女性の多くはそういう夢を見たいものなんですから。何の取り柄もないと思っていた自分を、白馬の王子さまのごとくイケメンが見初めてくれて迎えにきてくれてひたすら愛される、というのがね。自分が愛される妄想をするのが最重要なわけですから、愛される自分の魅力を読者や視聴者に表現する手間なんて二の次なんですよ。まったく、自己愛と妄想が過ぎる女性は痛々しいだけなんですけどねぇ」
「……お前の方がずっと容赦ないと思うのは私だけか?」

 マシンガンのごとくのシオンの言葉に。自分そこまでは言ってないんですが、なクリスが冷や汗だらだらで告げる。そのやり取りが面白くて、ついついミリーは吹き出してしまった。二人は否定するだろうが、彼らのやり取りはなんていうかその――あれだ。時々ものすごく、漫才じみていて面白いと感じるのである。
 本人たちは、自分達を犬猿の仲だと言っているそうだが。ミリーからすれば、喧嘩するほど仲がいい、の典型に思えて仕方なかったりする。

「シオンもクリスもすごいなぁ、いつもそういうことまで考えてるんだもの。私はなんとなく、恋ってなんだろうなーってことしか考えて見てなかったな」

 考察することは大事。推測することも大事。自分達は人の役に立つために、あらゆる事態を予測して素早く行動しなければならない。つまり、頭を常に回しておけ、と言われているのだ。だが、ミリーはそういうところもポンコツなようで――彼らのように漫画やドラマであっても、そういう考察をすることは出来ずにいるのである。
 考えるのは嫌いではないというのに。考えるのはいつも、どうしようもないことか、くだらないことばかりなのだからしょうもない。

「や、別に私なんかすごくもなんともないけどさ。……なんかこういうドラマ見てると、そうだよな。恋ってなんだろうとか、思っちゃうもんだよな。私らには一生縁がないものだけど」

 ずきり、と。クリスの言葉にまた胸が痛くなった。一生縁がない。――わかっていた事実が、心を何度も突き刺していく。
 どうしてこんなに苦しいのだろう。恋なんて感情、知っているわけでもない。ファーストキスや処女や童貞をあげたいような相手がいるわけでもないというのに。

「確かに、人間の特権ですよね、こういうのは」

 そんなミリーに気づいているのかいないのか、シオンが続ける。

「それから。一人称も、人間にだけ許された特権ですよね。“俺”とか“あたし”とか」
「そうだなぁ。御主人様が許してくれない限り、私たちは“私”しか許されてないもんな」

 シオンはともかく。クリスの言葉にはなんというか、実感がこもっているように感じられた。クリスは、他のアンドロイドたちと比べても勇ましくやんちゃな面が強いアンドロイドだ。男でも女でもないはずなのに――まるで男の子みたいだと、そう感じることがあるのもたしかなことである。
 だから本当は。クリスは自分のことを“俺”とか“僕”と言ってみたいのかもしれない。もしかしたら――シェルも。
 ミリーは薄々感じていたのだ。女の子みたいだとミリーが言われる理由のひとつが――そばにいつもいるシェルがどこか、男っぽいように見えるからだということが。
 確かにシェルの言葉遣いは勇ましい侍か軍人のようであり、女性的とはとても言えないものである。それでも、一人称は守っているし、そういうしゃべり方の女性も現実にはいておかしくないはずだというのに――。

「あれ、そういえばシェルは?さっきまでそこにいなかったっけ?」

 ふと、いつもすぐ近くにいるはずのシェルの姿が見えないことに気づいて、ミリーは辺りを見回した。シェルに頼りすぎてはいけないものの、それでもいつもミリーが困ったら助けてくれる場所にいるのがシェルであって。その姿が見えないと、どうしても違和感を感じてしまうのである。

「シェルならさっき、高橋に呼ばれてったぞ?メンテかなんかじゃね?」

 あっちな、とクリスがスタッフルームの方を指差す。メンテナンス?そうなのだろうか。シェルの朝の数値に、特におかしなところはなかったはずなのだが。

――なんだか。嫌な予感がするな……。

 ミリーは、先程までとは種類の違う不安を感じていた。暗雲が立ち込める、とでも言うべきだろうか。底知れぬ不安の理由を、うまく説明することができない。
 嫌な予感ほど当たるものだ。――ミリーが胸騒ぎの理由を知るのは、まだ少し先のことになる。
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