夜明けのエンジェル

はじめアキラ

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<第十一話>

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 近付いてみればわかる。本多政紀は、特に大柄でもなければ小柄でもない、特に体格ががっしりしているんけでもない普通の男だった。ただ、態度がやたらとでかいし声もでかい。服は派手だし、ボディーガードと父親まで引き連れている。二十三歳で参加という時点で何か訳ありなのだろうが――いずれにしても、いい年をした大人とは思えない態度だった。
 ミリーは嫌悪感を顔に出さないように努める。シェルと違って、自分はすぐ思ったことが顔に出てしまうタイプだとわかっていた。それで実際失敗したことなど何度でもある。

「俺ぁホンダネットワークスの後継者だぜ?俺がその気になればこんな会社、潰すことも買収することも簡単だってことを忘れんなよ?……あぁ、それとも馬鹿な機械人形サンは、うちの会社の名前も知らねーってかぁ?」

 どうやら、シェルの態度がお気に召さなかったらしい。シェルの腕を掴み、唾を飛ばしながら怒鳴っている政紀である。でかいだけじゃなくて汚い声だな、とミリーは思った。声質が、ではない。煙草と酒に焼けている上、常に誰かに罵声を飛ばしてばかりの人間の声だと感じたのだ。喉が枯れている。自らを大きく見せるために無駄に声を張り上げているせいだろう。――ミリーは一瞬で結論付けた。こいつ、自分が一番嫌いなタイプだ、と。

「残念ながら知っている。世界第三位のソフトウェア開発会社だ。最近では自動車産業の方にも手を出したそうだな。ナクタ自動車を買収したんだろう。それと、ニューヨークに新たな支社を作るつもりらしいがとんだ強気だな。ニューヨークには自動車産業世界第一位のウェンダス社の本社があったはずだが。付け焼き刃の知識と技量で返り討ちに合わなければいいな?御曹司殿」

 対してシェルは涼しい顔だ。ぺらぺらぺら、と知識を披露して政紀を唖然とさせている。ホンダネットワークスの情勢についていつの間に調べたのだろうか。確かにシェルはいろんなことに興味を持つタイプだし、興味があればとことん追求して調べることも珍しくはないのだけれど。

「て、てめぇ……!経営のことなんざ何も知らねーくせに……!!」
「それは貴様も同じだろう。父親も可哀想に、ここまで努力して大きくした会社を、貴様のような道楽息子に継がせなければならないとは。二代目が馬鹿なせいで会社が傾くというのはよくある話だな。そうやって自分を大きく見せるために人の揚げ足を取ることに躍起になっている暇があったら、父親の爪の垢でも煎じて飲んだらどうだ?」
「この野郎!言わせておけば!クズ人形が、人間サマにナメたクチ聞きやがって!!」

 男が眼を血走らせ、拳を振り上げた。危ない、と思うより先に体が動いてしまう。相手はお客様で、大企業の御曹司で、逆らってはいけない相手――そんなことは一瞬にして、ミリーの頭から消し飛んでいた。

「やめてっ!」

 素早く、シェルの腕を掴んでいた御曹司の左手首を払って手を離させ、殴らんとしていた右手を掴んで止めていた。――落ちこぼれといえど、ミリーも戦闘訓練を修了したホープ・コードである。運動もろくにしていないボンボン男を制止するくらい、訳のないことだった。

「ちっ!邪魔してんじゃねぇよチビ!どけ!」
「どきません!……貴方はまだ、シェルのご主人様でもなければ私たちの誰のご主人様でもない!対面日はあくまで、貴方がた人間が我々ホープ・コードを選ぶ日です。貴方がたが客なら私達は商品……購入前に傷つけることは禁止されています。貴方も社会人ならわかりますよね!?ホープ・コードは高額です、いくら大企業であっても、一千万円超の弁償はかなり痛手なんじゃないですか!?」

 一気に捲し立てる。本当は、こんな方向からこの男を論破することなんてしたくはない。自分達は商品でしかないなどと言いたくない。自分達の価値をお金で表したくなんてない。こんな奴を――お客様だなんて、呼びたくはない。
 それでも。――シェルが傷つけられるよりは、ずっとマシだ。

「シェルが……私の友達が失礼なことをしたなら、私から謝罪します。申し訳ありませんでした。でも、だらって暴力はダメです。いくら貴方がお金持ちでも、たとえ大統領や総理大臣であったとしても、守るべきルールはあるはずです。他のお客様のご迷惑にもなります。どうか、ご理解ください」

 敬語で喋ることなんてほとんどない。こんな奴に丁寧に接してやるなんて本当に屈辱だ。でも、それで丸く収まるというならいくらでも頭くらい下げてやる。――自分がシェルのためにしてやれることなんて、これくらいしかないのだから。

「……ちっ、偉そうにしやがって、チビが」

 周囲の客たちの視線に気がついたのだろう。辺りを見回した後、政紀は舌打ちをするとその場に唾を吐き捨ててスタスタと歩き去っていった。ミリーはほっと胸を撫で下ろす。いざとなったら、怪我をさせない範囲で実力行使も辞さないつもりだったが――そんなことをすれば、この会社全体に迷惑がかかってしまうこともわかっている。あくまでそれは、最終手段だった。自分達を縛るのはなにも、ご主人様との契約だけではないのだから。
 そうならなくて良かった、と。心底ほっとしたミリーの耳に。

「……余計な真似を」
「え?」

 はっとして振り向く。今のは、シェルが言ったのか?

「余計な真似をするな、ミリー。あんな男に頭を下げる理由なんぞない。そんな価値もない相手だ。図星を刺されて向こうが勝手に怒っただけだというのに」
「でも、シェル……」
「そもそもあいつが、まだ契約もしていないというのにこの場でヤらせろなどと馬鹿なことを言い出すのがいけないんだ。恥知らずめ。腕を振り払っただけであの激怒ぶり、父親もさぞ頭が痛いだろうよ」

 そういうことだったのか、と納得する。同時に政紀のことがますます嫌いになった。なんなのだ一体。まだ正式に契約を結んでもいない、しかも公の場で、仮に冗談だとしても品が無さすぎる。あれで本当に二十三才の社会人なのだろうか。そりゃ、シェルが怒るのも無理はないことだろう。
 でも。――だからといって、あんな言い方をしては。火に油どころかダイナマイトを投げ込むようなものではないか。

「……私も、シェルが悪いだなんて思ってないよ。もちろん、私だって悪くない。だけど、大企業の息子なのは確かでしょ?下手に怒らせたら、本当に高橋さん達に迷惑がかかっちゃうよ」
「わかってる」
「じゃあなんで……」
「………」
「ちょっと、シェル?どうしてそこで黙るの」
「………」
「ねぇってば」

 明らかに、ミリーの問いに答えたくない様子だった。これは、シェルのよくある癖だ。答えづらい質問をされた時、どうすればうまく切り抜けられるか考えて考えすぎて――結果答えが出てなくて沈黙になるパターン。いつも頭の回転は早いはずなのに、時々こうしてフリーズするのがシェルなのである。
 つまり――ミリーは何か、シェルの隠しておきたい事情に無意識に触れていたと、そういうことなのだろう。

――というかシェル……なんかすごく、イライラしてない?

 ミリーは困惑する。シェルの性格だ、あんなクズ男にセクハラ発言かまされて不快でなかったはずがない。あんな奴に屈するのが嫌だから口撃したんだ、と言われたならとりあえず理解はできるしシェルらしいなぁと思って終わりだ。でも。
 何故それを言わずに黙っているのか。しかもイライラしている対象があの男だけではなくて――どうにもミリーに向けられているように思えてならない。
 何故だ。一応助けたつもりであったというのに。感謝されたいとは言わないが、そこまで怒りを向けられる覚えはないのだが。

「……たら、どうするんだ」
「え」
「………たのに」

 よく聞こえない。シェルはぼそり、と何かを言って、やがて。

「……奴に憎まれるくらいが、丁度いいんだ。私が、憎まれなければ意味がない。……頼むから余計な真似をするな、ミリー」

 意を決したかのようにそう告げて――シェルはくるりと背を向けて歩き去っていってしまった。まるでミリーから逃げるように。ミリーは混乱する。憎まれなければ意味がない?どういうことだ。まさか、シェルはわざと政紀を怒らせたのか?
 それにさっきの台詞は。

――「お前が狙われたらどうするんだ」「せっかくうまくいっていたのに」って。そう言ったように、聞こえたけど…。

「ミリー!もう、置いていかないでよ!」

 パタパタと足音が近付いてくる。つぐみだった。ミリーははっとして、次に冷や汗を掻いた。つい、シェルのことで頭がいっぱいになってしまって、せっかく声をかけてくれた“お客様”を置き去りにしてしまった。ホープ・コードとして最悪の対応だ。

「ご、ごめんなさい!わ、私つい頭に血がのぼって……!」
「いや、いいけどさぁ。ていうかあんた、あんな動きが出来るんだね。どんくさいように見えて結構やるじゃん。それに……」

 ちらり、とつぐみはシェルが歩き去った方向を見る。

「友達思いなのは、良いことだよ」

 そう言って貰えるのは嬉しいけれど。醜態を晒した自覚がある以上手放しに喜ぶこどできない。ミリーは曖昧に笑っておくに留めた。

――シェル、もしかして……あの御曹司に絡まれることも、予めわかってた……のかな?

 胸の奥がもやもやする。シェルの考えがわかりそうでわからないこともそう。シェルを怒らせてしまったこともそう。つぐみを置いて暴走してしまったこともそう。――後悔だとか不安だとか疑問だとか、とにかくそんなもので胸の奥がぐちゃぐちゃになって、非常に気分がよろしくなかった。
 胸の奥に溶けたモチが詰まったまま、息をする度にひっかかるような――言うなればそんな感覚である。何かを見落としている気がするのに、それが何なのか見当さえつかないのだ。

「ミリー?大丈夫?顔色悪いけど……って、アンドロイドも顔色悪くなったりするんだから、今の技術って凄いよねぇ……って褒めとくべき?」
「あ、いや、その……」

 そんなに分かりやすく不安げな顔をしていだろうか、自分は。ミリーは慌てて取り繕うとした。――料理も戦闘も何もかも苦手な自分が、それ以上に苦手なことではあったのだけど。

「だ、大丈夫!大丈夫だよ、なんでもない!」

 繰り返し、繰り返し。それはほとんど、自分に言い聞かせる言葉である。つぐみはそれ以上突っ込んで聞いてくることはなく、それが非常に有り難かった。
 日常の崩壊は、すぐそこまで迫ってきている。否応なしに、選択の余地さえなく。
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