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<第二十七話>
しおりを挟む“思い出だけでも頂戴なんて
安い言葉ね 私が一番分かってるの
それでも抱きしめる記憶さえ無いんじゃ
息さえできなくなりそうだから”
いつの間にか、流れるBGMが変わっていたらしい。掻き鳴らすようなハードロックから一転、ピアノがメインのバラード曲へ。
いや、これはバラードではないのかもしれない。曲調が早い。まるで駆け上っていくかのようだ。女の叫ぶような歌声が反響していく。どうやら、こちらの業界ではそこそこ有名な歌手がゲストとして呼ばれていたらしい。客の大半はステージ中央に釘付けになっている。それは、シェルの忌々しい主人も例外ではなかった。
「すげぇ、RINが来てたのか。いいよなあ、あのむしゃぶりつきたくなるような身体と声。響くわー」
ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべて、下品な妄想に浸っている男。だが、もはやシェルはその男も、流れている歌や歌手も視界に入ってはいなかった。
目の前に現れた、もう二度と会えないと思っていた――愛する存在。その前に、他のどんな事象が重要視されるというのだろう。政紀がそんなシェルの様子にまるで気がづかず、歌手のセクシーなダンスと声に夢中になっているのは、非常に幸運なことと言えた。もし気づかれたなら、シェルはもちろん、ミリーまでどうなるか分かったものではないのだから。
“愛なんて恋なんて 私達には無い特権
赦サレナイ 忌々シイ 感情がまだ飲み干せないの”
「シェル」
名前を、呼ばれた。その瞬間、シェルの身体は歓喜に震えて、指一本動かせなくなった。
だってもう、二度と会えないと思っていたのだ。こうして彼女の姿に気付いても、見えても。これがもし幻だったならどうしようとさえ、思っていたほどなのだ。
この愛しい存在が、目の前の景色が、もしも地獄に囚われた自分の妄想かバグであったのだとしたら。それが分かった瞬間、死んでしまうとさえ思った。
醒めない夢だと知った時の絶望なんて、もう嫌というほど身にしみているのだから。
「約束する。必ずもう一度、貴方を助けに行く。私なんて、頼りないかもしれないけど……やっぱり自分の気持ちに、嘘ついて生きるの、駄目なんだ。諦めるなんて性分じゃないもの」
どうして此処にいるんだ、とか。どうして全部分かってるんだ、とか。こんな姿見られたくなかったのに、とか。
言いたいことなど山ほどあったはずなのだ。それなのに、予想外すぎて、嬉しすぎて――同時に、あまりにも悲しくて。シェルは声一つ上げることができずにいた。
ただ、それでも。溢れてくる涙だけは、止めることができなくて。
「だからお願い。貴方が望んでくれるなら……どうか、信じて待ってて。……大好きだよ、シェル」
ミリーはそう言って、小さなピンバッチのようなものを手渡してきた。綺麗な青い宝石のようにも見えるそれの正体に気づき、シェルはハッとする。どうしてこれを、ミリーが。
“ブチ壊してよ 馬鹿げたルールも誰かのレールも
契約書を破る勇気も ずっと持てずにいたけど
綺麗なだけの言葉なんて求めてないから
ただ貴方の手だけ握れる世界を 明日を”
「み、ミリー、ま……」
やっと声が出たと思った時。その姿は、人ごみの中に紛れて消えてしまっていた。まるでたった今まで見ていた全てが、本当に幻か何かであったかのように。
ああ、そう。幻だと思い知ってしまったら自分は壊れてしまうだろうと、それほど絶望するだろうと思ったけれど。
手の中にある小さな石が、夢でも幻でも無かったことを教えてくれている。
『約束する。必ずもう一度、貴方を助けに行く。私なんて、頼りないかもしれないけど……やっぱり自分の気持ちに、嘘ついて生きるの、駄目なんだ。諦めるなんて性分じゃないもの』
ミリーの声を、何度も何度も反芻する。
嘘なんかじゃない。彼女はけして嘘をつかない。
『だからお願い。貴方が望んでくれるなら……どうか、信じて待ってて。……大好きだよ、シェル』
どうして彼女が自分がここに来ていることを知ったのか。どこまで自分の状況を理解しているのか。聞きたいことなどいくらでもあったけれど、今大事なことはきっとそんなことではないのだろう。
あのミリーが。いつも、自分が必死で守らなければと思っていた、小さな小さな少女が。シェルを助けに来てくれると、そう言ったのだ。それだけが今の、全てだった。
“最初を貴方にあげられないのなら
最期だけでもいい そんな事を想うの
終わりに見る景色がその瞳なら最高でしょ
息を止めてくれる腕が欲しいわ”
――私は、なんて情けないんだ。男だと思ってたくせに、これでは男らしさの欠片もないだろうが。
世間の女性は、いつか自分を迎えに来てくれる白馬の王子様を夢想することが多いのだという。実際、御伽噺のヒロインなんてそんなものだ。王国の囚われのお姫様が、悪い魔女か悪魔に誑かされ、危機に瀕してしまい、助けを求める。それを颯爽と迎えに行くのが、お姫様を愛するかっこいい王子様というわけだ。
くだらない妄想だと鼻で笑ってきた。助けを待つだけの他力本願だなんてくだらない。自分で自分を守る努力もしないなんて、女であることに甘えるなんて、情けないとは思わないのか。そうやって助けを求めた結果、愛する王子様がどれだけ苦労することになるのか。最悪、死ぬことになるかもしれないのだ。お姫様とやらはそれでいいのか。自分のせいで、愛する人がむざむざ悪い魔女に殺されても、それでも仕方ないと諦められるというのか、と。
だけど。ミリーがそのお姫様なら、きっと自分は白馬も剣もなくても助けに行ってしまうんだろうな、とも思っていたのだ。くだらない愛され妄想に浸る女達を馬鹿にしながら、ミリーにだけはそれが許されてもいいだなんて矛盾したことを考えたのは――その理由は。ああ、ずっと分からずにいたけれど。お前なら、きっと。私が助けに行かなくても、自力で魔女の城から脱出してしまうんだろうな、なんて。そんなことを思ってたからなのだ。
“夢なんて希望なんて 私達には縁はないの
羨マシイ 妬マシイ こんな心なんで捨てたいのに”
ミリーならきっと、助けなんて求めない。本当は分かっていた。ミリーが失敗するのが自分のための時ばかりで、他人に迷惑をかけるような事は絶対しないと知っていた時点で。
誰かに助けを求めるくらいなら、自分が助ける側になる。自分のせいで、助けにきてくれた誰かが傷つくなんてことは耐えられない。それがミリーだ。自分はその本質が分かっていた。だからこそ、いつもミリーを助ける側になろうと、馬鹿みたいに必死になっていたのだ。
ミリーを支えているつもりが、本当は支えられていたのは自分の方で。
だって、自分に出来ることなんてそれくらいしかなかったから。絶対に結ばれない相手。それでも心だけは全て捧げたくて、一瞬でも長くミリーの視界に入っていたくて、だから助けるフリしてお節介ばかり焼いて。
気がつけば、何もかも、身体中全部で――ミリーのことを愛してしまっている自分がいて。
――だから、今度こそは本当に。私がお前を助けたかったのに。
一番情けないのは。助けなんて要らないとつっぱねることさえ出来なかった自分自身だ。
自分を助けに来るということは、ミリーはホープ・コードの規則を破るということに他ならない。本多政紀はミリーの主ではないから、契約の力でミリーのことを縛ることこそできないものの。規則違反のホープ・コードの末路など目に見えたもの。捕まったら運が良くでも全てのデータを消されてクリーンアップされてしまう。いや、人を殺したならそんなものでは済むまい。廃棄以外にどんな未来があるというのだろう?
ミリーを危機に晒すなど言語道断だ。なら、危険を犯してでも自分は自分でこの地獄を脱出する手段を考えるべきではないか。もちろん、既にいくらでも考えてはきたけれど、ミリーを危険に晒すくらいなら自害する方法も含めて探した方が建設的だというのに。
――なんで私は、こんなに弱いんだ……!
助けなんていらない、なんて。言えなかった。
そればかりか、救われるかもしれないという言葉に甘えて――縋ってしまった、自分がいた。
ミリーを守るために、助けを拒むだけの力ももう、残されていなかったなんて。たった三ヶ月で、自分はどれだけ脆くなってしまったのか。
それとも自分は最初から、欠片も強さなんて持ち合わせていなかったのかもしれない。
“ブチ壊してよ 馬鹿げたルールも誰かのレールも
他力本願だった私を 貴方なら叱ってくれるんでしょう
綺麗なだけの言葉なんかじゃ救われないから
ただ貴方と共に笑える世界を 明日を”
こんな顔で、政紀の前に戻るわけにはいかない。シェルは無理矢理顔を拭うと、腰の部分にある緊急ハッチを開いた。メンテナンス用のボタンを収納してある小さなスペースだが、この小さなバッチくらいは収納することができるだろう。同時に、エンジニアではない政紀は知らないハッチでもある。
シェルは知っていた。ミリーから貰ったバッチの正体が、発信機であるということを。
「おい、てめえ何ぼんやりしてんだ!もっとRINの近くに行くぞ!」
「!」
間一髪。政紀が振り返った。ぐい、と鎖を引かれて前につんのめる。政紀もかなり酔っているようで、足元がおぼつかない。これなら、ミリーに気づいたということもないだろう。
――助けを求めるお姫様、なんて。一番私が嫌いなポジションだったっていうのにな。
目の前に挿した、細くも確かな光。自分に、守られヒロインなんて立場は似合うはずもない。だったら。
――信じて待つだけじゃない。考えろ。私はどうしたい?どうすれば……今ある手札で、ミリーを助けられる?
身動きできずとも、頭は回せる。ミリーの言う通りだ。諦めて屈するなんて、冗談じゃあない。
考え続けるのだ。生まれた希望を、殺すことのないように。
“ブチ壊してよ 馬鹿げたルールも誰かのレールも
冷たいだけの檻を今二人で蹴り壊すの
綺麗なだけの言葉はもう必要ないから
ただ貴方と歌える愛の歌を もう一度”
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