暁に散る前に

はじめアキラ

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<3・イライラ。>

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――あああああもうあんのワガママ妃いいいいい!

 イライライライラ。
 女官になってから僅か一週間。映子は苛立ちながら、ドタドタと廊下を早足で歩いていた。すれ違う他の女官たちが、何事かと自分を振り返るが気にしていられない。不本意だが、とにかく不本意だが、それはもう凄まじく不本意ではあるが。今の自分が最優先するべきは、仕えている第一妃・蓮花の命令を真っ先にこなすことなのである。

『そろそろこの紫の帯にも飽きてきたところなのだ。もっと赤味が強いものを纏いたいものだな』

 朝食後。今日も今日とて、蓮花が気まぐれを発動させた。突然帯の色が気に入らないから代えたいと言い出したのだ。

『そうだなあ……久し振りに、クチの花の模様のあるやつがいいな。赤地に、金色の花と花びらが散っているやつだ。二年ほど前に隣国から献上されたものであるが、久しぶりにアレが見たくなってなあ。うむ、皇帝陛下もどうせ存在など忘れているだろうし、久しぶりにお披露目するのも悪くなかろう。あれを取って参れ。問題は倉庫のどのあたりに仕舞われているのか、私もさっぱり覚えていないということであってな。というわけでお前、夕餉の時間までに探すと良いぞ』

 確かに、自分の仕事は蓮花の身の周りの世話をすることである。康子から割り振られるあらゆる仕事よりも、蓮花の命令もしくは帝の命令が最優先されるのは間違いない(というかもう、初日からそれを見越して康子からは共通の仕事が少ししか割り振られていないという状況である。どうやら、このドタバタぶりは蓮花付きの女官の恒例であるらしい)。しかし、だからといって突然帯を新調したいから倉庫の奥から探して来いとは何事か。
 勿論、それがすぐに見つかる代物なら何も問題ないのだが。初日に後宮をしっかり案内された映子はよく知っているのである。妃が頻繁に使う着物や帯の類ならば自室に保管されているが、そうでないものは奥の倉庫にひとまとめにして仕舞われているのだということを。
 それらの管理も、一部女官の仕事ではある、のだが。いかんせん、貴族や隣国からの貢物に、着物や反物の類は非常に多いのだ。価値が高いからというのもあるし、その装飾の華美や意匠がそのまま帝への忠誠心の表れとなるということもあるだろう。
 要するに。帳簿をつけて管理するのも限界があるのである。はっきり言って、“大体二年くらい前に献上されたアレ”とか曖昧に言われただけではほぼ探しようがないのだ。

「あ、あら映子さん。どうしたの?」

 倉庫に辿りつくと、倉庫内にいた別の女官が目をまんまるにして告げた。映子はげっそりした顔で、かくかくしかじか、と状況を説明する。

「つかぬことを伺いますが。……蓮花様の、二年前に献上されたというその赤字に金の花の帯とやら、どこにあるかなんてご存知ないですよ、ね?」
「……ごめんなさい。その、蓮花様のお召し物は特にすんごい量なもので……」
「デスヨネー……」

 ああああ、と絶望的な面持ちで、まるで柱のごとくずらずらと並んだ桐箪笥達を見上げるしかない映子である。
 この山の中から目当てのものを探し出すのに、一体どれだけの時間がかかるのか――正直見当もつかないというのが本心だった。



 ***



 自分は女官であり、後宮内での身分は妃と比べて圧倒的に低い。そんな映子が、文字通り“箪笥をひっくり返して探す”なんてことが許されるはずもない。自宅で自分の私物ならばいくら派手に散らかしても許されようが、ここは後宮で触る品は全て妃たちの所有物なのだ。一つ取りだしては綺麗に畳み直して戻し、ということを繰り返していては当然時間がかかるのも明白なのである。
 唯一の幸いは、第一妃である蓮花の物は可能な限り一部の箪笥にまとめてあったということであったが、それでも探し当てるのにはとんでもない時間をかける必要があった。実際帳簿にあった場所からは見つからず、最終的には他の妃の着物に紛れていたというのだから管理の杜撰さも浮き彫りになろうというものである。今の管理者の責任だけではないのだろうが。

――そもそも、センスが悪いったらないのよ!

 ぷんすこと怒りながらも、帯を手に蓮花の部屋まで戻る映子。

――あの人の青系の着物に、こんな赤い帯が似合うはずないじゃないの!組み合わせおかしいでしょ、それなら着物の方も着替えなさいよっての!

 どうせ着替えを自分に手伝わせる気もないのだ、あの女は。みょうちくりんな着物と帯の組み合わせで帝と妃たちの前に出て、みんなの笑いものになってしまえばいいとさえ思う。表向き派手に笑うことなど第二妃たちからはないのだろうが、それでも見えない場所での評判を落とすことはできるだろうから。

――ほんと腹立つわ!なんで帝は、あんなワガママ女が好きなのかしら!!

 絶対に蹴落としてやる、あんな奴。心の底からそう誓う映子である。確かに美しいが、ただ美しいだけで他に何の取り柄もないではないか。子供がいるのならともかく身ごもる気配もなく、他の妃たちとの仲も悪く、明らかに後宮内をギスギスした空気にさせている元凶である。
 その上、生まれも実に卑しいと来た。本当に、そんな女によりにもよってこの国の帝が目をかける理由がまったくもってわからなかった。結局、美人なら何をしても許されると言うことなのだろうか。

――確かに私は貴女の御付きの女官ですけど!だからって、貴女のワガママだけ聴いていればいいって立場じゃないの!これから夕餉の支度とか掃除とかもいろいろあるんですからね!!

 一週間経ってもまったく慣れやしない。腹を立てつつ蓮花の部屋まで来たところで、映子は危うく中から出てきた一人の女性とぶつかりそうになったのだった。

「!」
「あ、ご、ごめんなさいっ!」

 帯を落とすことだけはギリギリ免れるが、逆に相手に尻もちをつかせてしまった。慌てて謝ったところで相手の正体に気づき、映子は青ざめることになる。
 黄色を基調とした着物にやや短い茶髪。同じ色の瞳の女性。――第九妃である、縁花えんかではないか。

「え、ええええ縁花様!も、申し訳ございませんわたくしとしたことが!」

 よりにもよって、妃を突き飛ばしてしまうなんて。慌てる映子に、縁花ははっとしたように顔を上げて“お気になさらないで!”と叫んだ。

「前を見ていなかった私が悪いのです、気になさらないで。……ごめんなさいね」

 彼女は映子を咎めることも全くなく、さっさと立ち上がると逃げるようにその場を立ち去ってしまった。一体どういうことなのだろう、と困惑する映子。今、彼女は確かに蓮花の部屋から出てきたような。

――確か、第九妃の縁花様って……。

 大抵の妃は上昇志向が強く、隙あらば第一妃の座に付き、男児を産んで権力をわが物にしたいと思っている者が少なくない。しかし、その中でも第九妃である縁花は珍しく、かなり大人しくて臆病な性格らしいということでも有名だった。よく言えば物静か、悪く言えば引っ込み思案。没落貴族の家から嫁いできたらしいと聞いているし、それならば家のために何が何でも名誉を手に入れようと瞳をギラつかせていてもなんらおかしくないはずなのだが。
 いつもオドオドしていることもあってか、彼女は蓮花とは別の意味で他の妃と折り合いが良くないという話だった。特に現在の第二妃とは非常に仲が悪く、事あるごとにいじめられいるらしいと専ら噂である。まさか、第一妃である蓮花にもイビられているのだろうか。だとしたら、気の毒としか言いようがないが。

「おい、いつまで扉を開けたまま突っ立ってるんだ」
「あっ」

 彼女が走り去っていた廊下の奥を見つめていると、部屋の中から蓮花の呆れたような声がした。映子は慌てて帯を抱え直すと、そのまま入室して扉を閉める。
 相変わらず、蓮花は寝具の上で退屈そうに煙管をふかしていた。――妃が望めば、趣向品の類は帝が許す限りいくらでも頂戴できるらしいという話だが。それにしても、換気もせずに煙管を吹かすのは頂けない。

「帯、持ってきましたけど」
「そうか。思ったより早かったな。その棚の上に置いておけ」
「感謝の言葉もないのですか。……ていうか今すぐ身に着けないのですか」
「言っただろう。貴様の前で着替えをするつもりはないとな」
「……そーですか」

 こっちの方が身分が低いとはいえ、ありがとうの一言くらい言ったらどうなんだ。帯を棚の上に置くと、映子はつかつかと窓に歩み寄って思いきり押し開く。これくらいの勝手で蓮花が怒ることもないということは、この一週間ですでに分かりきっていることである。

「……何故、縁花様がこちらにいらしてたのです?ご友人だったのですか?」

 つっけんどんに尋ねてやれば、さてなあ、と彼女は気にしたようすもなく煙を吐いた。

「貴様にはどう見える?私と縁花の関係は」
「縁花様が、他の妃の方々とあまり折り合いが良くないことは存じています。……まさか蓮花様まで、縁花様を苛めてらっしゃるのではないでしょうね?確かに蓮花様が最も地位が高い妃でらっしゃるのは事実でしょうけど」
「ふむ、そう思うなら、そういうことにしておけ。私の性格が悪いのは貴様も既によく知っているであろう?」

 自分で言っちゃうのか、それ。
 そして詳細を説明する気がまったくないのは目に見えている。縁花をいじめているというのが事実でないなら否定すればいいし、事実であったとするならばそれをはっきり言ってもなんら問題はないはずだ。どうせ、たかが女官の映子に蓮花の行いを止める権限などあろうはずもないのだから。

「……皆様が、最終的に第一妃の座を目指し、同時に男児をお産みになって権力の座を狙っていることは百も承知です」

 ていうか自分もそうだし、と映子は心の中だけで。

「しかし、それでもある程度の交流を持ち、親しくなることだって可能ではありませんか。むしろ、ある程度仲良くしておいた方が後宮内の空気も気持ちの良いものとなるでしょう。何故、貴女はそうなさらないのです。ご自分がどのような評判を貰っているか、わかってらっしゃらないわけではないでしょうに」
「いい質問だ。さすが私が目をかけた女官、歯に衣着せぬ物言いが実に心地よいぞ」
「おちょくらないでくださいよ」

 呆れる映子に、そうだなあ、と蓮花は天を仰ぐ。

「単純なこと。私は嫌われ者で構わぬし、誰かに好かれようなどとは微塵も思っていない。そして、この国の行方さえ興味はない。……どうせ願っても祈っても、私の思うままになることなど何一つないのだから。……帝が、愚かな秘術を求め続けていることも含めてな」

 秘術?と映子は眉を顰めた。残念ながら蓮花はそれ以上何も語ってはくれなかったが、以前どこかで耳にしたことがあったのを思い出したのである。
 この国には、かつて神が与えた不可思議な術が眠っている。それを記した書が国のどこかに封印されている、と。
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