愛憎の香鈴

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<15、愛人、潜ム>

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 藍蘭に妊娠の兆候が現れたのは、それからほどなくしてからのことである。月のものがなかなか来ないゆえ、秘術士に調べて貰ったところ発覚したのであった。流石は藍蘭様、と褒め称える声が多いのは、ひとえに腹の子が男児であると予言されたというのもある。緑蘭はそれこそ嫉妬を隠しもせず、「あれだけ淫らに種を付けてもらっていたなら当然ですわ」などと飽きもせず罵倒してきたわけだが。

「藍蘭様、お加減はどうでしょうか?まだ妊娠も初期ゆえ、お体には十分気をつける必要がございます。せっかくの御子が、流れるようなことがあってはなりませぬゆえ」

 体のだるさから部屋に篭ることが多くなった藍蘭の世話は、専ら香鈴の仕事である。思わず二人で交合ってしまってから、少々気まずいところもあったのだが。仕事は仕事、そのようなことも言ってはいられない。身体を温めるようになるべく服を重ね着し、気分が悪そうに横たわる彼女の背をそっとさすることにする。

「すまんな、香鈴。迷惑をかける」

 藍蘭は心底すまなそうに告げた。

「困ったことに、子を宿すのも慣れたはずが、毎回こうなのだ。悪阻もお産も非常に重くて困る。気分が悪いのもあるが、私は特に非常に腹が痛くなって参るのだ。腹が大きくなってきてからは、子が腹を蹴る感覚で痛みを覚えることも少なくはない。元より、あまり丈夫でもないのでな」
「出産は、女性にとっては大仕事でございます。帝はもう少し、后の身体を労わるべきなのです。悪阻で具合が悪い后を、未だに時折呼び出して慰めを要求するとは何事ですか」
「ははは。この宮中で、堂々と帝の悪口が言えるのは君くらいなものだ」

 藍蘭は言いながら、まだ膨らんでいない腹をずっと摩っている。顔色も良くない。やはり、相当痛むのは間違いないようだ。腹を下すというのではなく、とにかく子袋に強い痛みを感じてしまうのだという。悪阻の症状も人によりけりではあるが、なんともしんどそうで見ていられない。
 せめてその苦しみだけでも代わってあげたら。そう思わずにはいられない。憎らしいことに香鈴自身は子を孕んだことがない以前に、月のものさえも非常に軽い人間であった。流れる血の量さえもそう多くはない。藍蘭はそれも毎回相当苦しそうにしているので、こうして考えると何らかの疾患がある可能性も否定できなかった。残念ながらこの国の医療技術では、そこまで詳しく人の身体を調べることはできないようだったが。

「まあ、私を案じてくれるのは有難いが。それを言うのは、私の前だけにしておけよ。他の誰かに聞かれたらそれこそ一瞬にして、首と胴が泣き別れることになるからな」
「承知しております。少々不本意ではございますが」

 何度も転生し、法律が整った多くの世界を見てきているとより思うのだ。なんともこの世界の法は、人権というものを軽視しすぎている、と。何故、帝は何があってもクビにならないのか疑問で仕方ない。血筋だけを重視して、次の帝を決めようというのも実に不快な制度である。いくら実力主義の紅帝といっても、自分の後釜は己の血を継ぐ息子のみと定めているのではなんの意味もないではないか。
 その結果、こうして藍蘭に無理を強いているのである。彼女が孕むまではとにかく種をつけようと毎晩のように躍起になって彼女を呼び、孕んだら孕んだでそれでもなお自分の下半身の世話のために呼びつけるのだからなんとも酷い話だ。さすがに腹の子が流れることを恐れてか、“本番”を行うことだけは控えているようだが。それでも、裸に剥かれて胸を揉まれたり、紅帝の“下半身”を銜えて慰めさせられるというのだから実に気分が悪いことである。具合の悪い后を案じるということもできないのか、あの男は。そういう晩くらい、自分で処理をするか、あるいは他の后に頼るくらいのことをすればいいものを。
 しかも、何が腹立たしいって、紅帝は今回無事藍蘭が男子を産んでも――その次を今から考えているということである。これからも生きている限り、子を産み続けて欲しい!ということを実に明け透けに言ってくれるのだから呆れる他ない。今いる子を、丈夫に腹で育てることにいっぱいいっぱいの藍蘭であるはずなのに。そもそも、出産というものがどれほど苦痛と負担を女性に強いるか、彼はきちんと理解しているのだろうか。

「ですから藍蘭様の前でのみ、こうして愚痴を吐かせて頂いているのでございます。この国は、人権というものを尽く無視しすぎです。特に、女性の権利を軽視しすぎであると私は考えるのですが、藍蘭様はいかがでしょうか。藍蘭様への仕打ちもさることながら……他の后の方々の扱いも、帝は悪辣でございますゆえ!」

 そう。妊娠してもしていなくても、頻繁に藍蘭を呼び出すのもどうなのかと思うのだが。それは裏を返せば、ほとんど呼ばれることのない后が多く存在するということでもあるのである。側室第一位であるはずの藤蘭は、年齢が年齢であるというだけでここ何ヶ月ももう帝に呼ばれていないのだという。彼女にとって此処で生き残る唯一の道は、男子を産んで挽回することに他ならないというのに。種をつけてもらえなければ、それさえも叶わないのである。
 同時に、あの性格の悪い緑蘭に関してもそう。大嫌いな女だったが、帝の彼女への扱いに関しては流石に同情を禁じえないのだ。どうにも紅帝は、厳しい交合いを行う相手をほぼほぼ緑蘭相手に限定しているらしい。そのせいで、彼女はここのところ紅帝に呼ばれるたびに怪我をしていると聞く。女性の女陰の淵に穴を開けて飾り立てたり、あるいは大きすぎる張子を埋め込んで拡張したり。そもそも、子袋は子供が宿るための、女性のとても大切な臓器であるというのに――その口を強引に押し広げ、何かを差し込んで遊ぶというのはいくらなんでも狂気の沙汰と言う他ない。
 緑蘭はそうやって紅帝に与えられる痛みも快楽に変えて楽しむことのできる女性ではあるようだが。あのような行為を繰り返していては、いずれ子供が産めない身体になってしまうのではあるまいか。いくら緑蘭に後継を産ませたくないと思っているとしても、やり方がひどすぎるとしか言い様がない。

「紅帝様は、お后の方々のことも、私達女官のことも……道具だとしか思っておられませぬ。子を産む道具、后の世話をする道具、自分の世話をする道具。私達も一人の人間であり、意思を持ち言葉を発し拳を振るう生き物にございます。それを、何故に帝だからというだけで、あのように非道な扱いが許されてしまうのでしょうか!いくら帝であっても人を人とも思わぬ行いは罰せられるべきと、そう法律で定めるべきではございますまいか!」

 そう。一ヶ月以上も宮中にいればわかることである。香鈴が来てからの短い期間でさえ、時折女官の顔ぶれが代わっているということに。女官がやめるとしたら、その理由は大きく分けて三つ。病で仕事が続けられなくなったなどの事情か――帝に極端に好かれたか、嫌われたかだ。
 好かれた者は、場所を問わず寝所に連れ込まれ、強引に身体を暴かれて妾にされるという。逆に嫌われた者は、存在そのものが抹消される。何も言わずに突然女官が消えるとしたら、その二つのどちらかの理由しかありえない。そしてそのどっちであっても、その件に触れてはならないというのが暗黙の了解である。
 実は香鈴自身も、少々嫌な想いをさせられたことはあるのだ。帝の命令で宴を催した折、指名されて舞を踊っていたところ――近くで踊るように命じられた上、着物の裾を大きく捲り上げられたのである。
 そして、尻を触られ、「生娘か?」などとニヤつきながら問われた。その酔っ払った赤ら顔を、何度蹴っ飛ばしてやろうと思ったかしれないのである。

「そうだな。私も、先日の宴の時は大層不快であった。香鈴に、あのような嫌な思いをさせようとは」

 同じことを思い出したのだろう。藍蘭は渋い顔になって告げる。

「そもそも香鈴はまだ十五、生娘であって何がおかしなことか。あの年で、十五の娘に本気で欲情するのも考えものだと思うがな……って思ったら、よく考えたら私が手を出されたのはもっと前だった。幼女趣味め」
「ええ全く」
「しかも、一度行為に及ぶと、紅帝ときたら二度も三度もと要求するのが常なのだ。確かに果てて種をつけたはずなのに、少し時間が過ぎればすぐに復活して大きくしてくるから始末に負えない。おかげでこちらは身体を酷使されて、いつも戻る頃にはぐったりと来た。薬を盛るようになったのは、疲労困憊して反応が鈍くなった私が退屈であったからなのだろうなあ……」
「……藍蘭様」

 藍蘭の性格上、そのような閨での明け透けな話題を出すこともけして珍しくはない。しかし、今の香鈴は、そのような話をおとなしく流せるほど冷静ではいられなかった。なんせ。

「……帝との閨の話など、聞きとうございまぬ」

 もう、はっきりと自覚してしまっているからである。自分は恋愛的な意味でこの人が好きで、この人に女としても――かつての男としても欲情したということを。
 自分にはできないやり方でこの人を悦ばせることができる男に、嫉妬するのは当然のことではあるまいか。

「可愛い奴だな、君は。そんな君が、私はたまらなく愛おしい」

 そして藍蘭ときたら、そんな香鈴の頭を撫でてあっさりとそういうことを口にしてくれるのである。まるで恥ずかしがる様子もなく。
 そして、己の腹に手を当てたまま、告げるのだ。

「この子が。……君の子であったなら、良かった」
「藍蘭、様……」
「わかっているさ。私は女、君も女。君の子を、私が身籠ることなどできない。あくまで理想であり、夢のようなものだ。現実は残酷だ。何故、女同士で恋仲になり、子を作ることができないのであろうか……」
「恋仲……」
「なんだ、違ったか。あの時の告白は、聞き間違いであったか?」

 彼女の言葉に、胸が詰まり――香鈴は首をぶんぶんと振った。
 恋仲、などと言うということは。彼女は認めてくれたということだろうか、自分との特別な関係を。
 自分を、そういう存在だと思ってくれたと。そう思ってもいいのだろうか。

「君と話している時間が、私は一番楽しい。夢も未来も、君と一緒ならば見ることができる……そう思う。一番末永くいたい相手に向ける気持ちを、人はきっと愛と呼ぶのだ。あの時、薬にうかされていたとはいえ……君と愛し合えた時間は、かけがえのないものであったぞ」

 あの時――と思い出してしまい、香鈴は頬が熱くなる。思い出すだけで下半身が熱くなりそうだった。今目の前にいる藍蘭が、あの乱れた姿など想像もさせないほど理知的で気品に満ちているからこそ尚更に。

「私は帝の妻でも、誠に愛し合いたいと思う相手は君だけだ。……なあ、そんな君との未来。現実では叶わずとも……空想の世界ならば有り得てもいいはずと思うのは、罪であろうか」
「え」
「ずっと小説の続きが書けなかったのだ。君と出会って、書いてみたい展開ができてしまってな。よければ、一緒に考えて欲しい。そもそも今の私は、筆を取るのも辛い状態であるしな」

 どうだろうか、と。藍蘭は机の上の、筆と和紙を指さす。確かに、彼女はここのところ、趣味の執筆活動が完全に滞ってしまっている。読ませて貰った切ない恋の幻想小説は、恋人が死に別れて再び転生するという熱い展開が始まったところで終わってしまっているのだ。
 まるで。自分と藍蘭――クシルを暗示でもするかのように。

「生まれ変わった世界で、二人は身分も性別も超えて……愛し合うようになるのだ。幻想の中だけであっても、私は希望が見たい。君が考える、希望を知りたいのだ」

 その言葉に、香鈴はぎゅっと唇を引き結んだ。ああ、言ってしまいたい。自分は転生者で、前世よりもその前世よりもずっと前から貴女をお慕い申し上げているのだ、と。
 しかしそれは――恐らく、紅龍が危惧する“世界のバランスを崩す知識”に該当することだろう。ゆえに。

「……わかりました。私も、見とうございます……美しい恋の、幸福な結末を」

 痛みを押し殺して、笑うのである。それが己の役目であるはずと、そう信じながら。

 事件が起きたのは、それから数日後のことであった。

 側室筆頭であり、藍蘭の良き先輩であった藤蘭が突如倒れ、帰らぬ人となったのである。
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