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<12・大槻家のキッチンにて。>
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人参は一口大に切って皿に入れ、ラップをかけて蓮司でチンしておく。その間に、自分はさくさくとジャガイモの皮を向いて、適当サイズに切ったそれを水を入れた硝子ボウルに浸しておくのだ――人参がゆで上がったら次はジャガイモの番なのだから。水をつけるのを怠ると色が変色してしまう、というのは料理初心者でも知っているようなお約束だろう。
玉葱は形が残らない方が出汁になって美味しいと思っているので、祥一郎はみじん切りとまではいかないまでもやや細かめに切ることにしている。肉よりも先に、油をしいたフライパンの上にひっくり返した。カレーの場合、玉葱は完全に飴色になっていないと美味しくない。子供の頃、そのへんを怠って玉葱を半煮え状態にしてしまった結果、レアものである“美味しくないカレー”を作り上げてしまった記憶があるからだ。
両親は笑って全部食べてくれたが、顔がどこか引き攣っていた。今でも思い出す、小学生の時の苦い記憶である。
「作り始めてから訊くのもなんだけどよ、お前本当にカレーでいいのかよ。材料的に、他にもいろいろ作れそうだったけど」
祥一郎はキッチンから顔を出し、光流に問いかける。
「しかも、米切らしてるからレンジでチンするごはんになるんだぞ?」
「いいですよ。僕、お米の美味しいのとか美味しくないのとかよくわかんないですし、チンするご飯も好きなんで」
「……米の味の違いがわからねーとか、お前結構可哀想だな」
「うっさいですよ、もう!」
有りがたいことに、祥一郎の家と光流の家はそう遠くはない。町内で、徒歩二十分くらいの距離である。なし崩しに彼を家に連れてきてしまってから、何が食べたいか訊いてみればなんとカレーだという。最近、レトルトのカレーしか食べてないから人の手作りカレーがいいのだとか。
「僕は君のカレーがいいんですって。……むしろ、僕の方こそ申し訳なく思ってます。カレーって言うほどお手軽料理じゃないってことくらい、僕だって知ってるんですよ」
リビングで、クッションにぼふっと顔を埋めながら言う光流。それ、俺がいつも適当に枕にしてるやつなんですけど、と祥一郎はちょっと照れてしまう。結構臭いが染みついているだろうに、本人は平気なんだろうか。
「具材切って、煮込んで、どう短縮しても美味しくしようと思ったら三十分はかかるじゃないですか。初心者に教える料理の代表格だけど、でも手軽なものじゃない。……それをいきなり作ってくれるって、君は本当にお人よしですね」
「うっせぇよ。約束を反故にすんのが嫌だっただけだ。この間はその、家に来てくれつーの断っちまった、し」
あの時断ったのは、なんとなくあのまま家に行ったらヤバイことにしかならないような気がしたからだ。多分、向こうも承知だったのだろう。ナニがって、ナニが起こるようなことが。良い雰囲気になりつつあったというのは祥一郎もわかっているのである。
それが駄目だったわけでもなければ、嫌だったわけでもない。どちらかというと、自信がなかったし怖かったというやつである。――なんせ、祥一郎は童貞だ。一人でイロイロやったことはあるけれど、それでも本番の経験は一度もない。恋愛よりも大事なことがあって、それに集中しまくっていたら完全に機会を逃してきたというクチである。
恥を、晒したくなかった。
そして無理やり酷いことをして、傷つけたくもなかった。たとえそれを人は臆病と言うのだとしても、己の気持ちが恋かもはっきりしていないうちに、性欲だけで暴走するなんて論外だと思ったのである。
「何でカレーが良かったんだよ。……あ、茶だけ入れておいてくんね、ティーパックのやつでいいから。そこの食器棚の三段目に入ってる。ポットは食卓にもう出してあるから」
「はーい」
光流にお茶の準備だけ頼みつつ、自分は手を動かす。今日は安いビーフカレーなので、肉もそこまで丁寧に火を通す必要はない。表面を少しかりっと焼いたら、あとは玉葱と一緒にゆっくりとあっためていくだけでいい。
いつも不思議だった。玉葱って、どうして炒めるとこんなに良い匂いになるのだろう。肉の匂いとマッチしてなんとも食欲をそそる。生の状態ではあんなにつーんとした刺激臭だというのに。飴色になってきたところで、まとめてお湯を入れて置いておいた隣の鍋に投下していく。フライパンが空になったところで、電子レンジでゆでられていた人参をフライパンに広げて炒める。その間に、ジャガイモが入った水入りボウルをレンジの中へ。
既にキッチンは、いろんな美味しい匂いでいっぱいになっている。換気扇ちゃんと回ってるよな?とついつい確認してしまうほどに。
「カレーって、その人の味が出るから好きなんです」
ティーパックの袋を破りながら、光流が言った。
「入れる具とか、煮込む時間とか、細かいやり方とかが人によって全然違うでしょ?その人の拘りが顕著に出やすい料理だと思うんですよね、初心者向けなんて言われるレシピだからこそアレンジする人もいるし」
「市販のカレー粉使ってるだけだぞ?」
「そのカレー粉だって、どれ使うかに好みが出るでしょ?甘口と中辛混ぜる人もいれば、中辛だけで作る人も辛口だけの人もいる。あと、カレー粉の種類によって味も辛さも全然違うじゃないですか。今日は、君の好みの味付けが知りたいんです。それって、君のことを知るってことだと思うから」
なんていうか、と彼は続ける。
「僕も、君のことが知りたいんですよ。……君が僕のことを知りたいって、そう思ってくれたように」
危ない。
鍋とフライパンを火にかけているのに、悶絶しそうになった。壁に額をつけて、祥一郎は思わず呻く。
――いっっっっっっちいち、可愛いこと抜かすんじゃねええ!マジで、襲うぞ、コラ!
いや、実は自分が襲われる側になるなんてこともあるんだろうか。別に双方でタチネコが決まっているわけでもない。彼が相手ならネコでも――いや、やっぱりやめよう、絵面がキモすぎる気がする。
――なあやっぱりこれ、俺、こいつのこと好きなのか?そうなのか?なんかもう、一挙一動気になり過ぎててキモくね俺!?
悶々としながら、どうにか人参を炒め続けた。煩悩をかき消そうと頑張り過ぎた結果、隣の鍋が噴いてしまったのはここだけの話である。
***
両親がいないことが多く、半一人暮らし状態が長くなっていた祥一郎は家事スキルを一通り備えていた。最初はカップ麺などでしのごうとした時期もあったが、要するに早々に飽きたのである。それなら、面倒でも自分でご飯を作るのに挑戦してみるか、と思って中学校になるくらいから一人で料理の練習を始めたのだった。
料理はいい。というのも、頑張った成果が目に見えるからである。作ったものを食事として食べられて満足感が得られれば、また次も頑張ろうという気になるのだ。気づけば、簡単なものならひとしきり作れるようになっていた。カレーライスや麻婆豆腐、から揚げ、エビフライといったくらいなものだけれど。
「……お前ある意味すげえな」
で、出来上がったカレーを二人で食べながら、祥一郎は呆れて告げたのである。
「今完全に一人暮らしだろ。三月下旬にはもう今の家に引っ越してきてたっつーじゃん。それからずっとカップ麺とコンビニ弁当とレトルトでよく凌げてたな……金の問題抜きにしても、飽きねえの?」
「しょうがないじゃないですか、不器用なんですから。洗濯とか掃除は見よう見まねでもなんとかなりますけど、料理って長年積み重ねたもんでしょ?僕は料理の才能がないです、間違いなく」
「具体的には?」
「目玉焼きを焼こうとして消し炭が錬成されます」
「どんだけ!?」
何でこう、料理が下手な人間ってみんな似たような失敗をやらかすのだろう。大抵、生焼けか焼きすぎ、そして余計なものを投入して(だからなんで料理下手ほど妙なアレンジをしたがるんだ!)味がカオス化するのである。目玉焼きが焼けないレベルで、よく一人暮らしをやろうと思ったものだ。
「……それで一人で頑張ろうと思えるお前の度胸がすげえよ」
思わずぼやいてしまった。
「お前、そんなに前の町にいたくなかったのか?組城町って、今じゃそんな治安悪いとこもないだろ」
彼がどうしても医者になりたいとか法律家になりたいとか、そういう志があって日照大学に入らなければいけなかったというのならわかる。日照大学は、組城町と隣接する場所から正反対、この町のはしっこにある大学だからだ。徒歩で行き来するには、微妙に遠かったことだろう。
だが、彼は“特に何かなりたいものがあるわけではない”“だから資格とかが取れるわけでもないのに文学部にいる”みたいなことを言っていなかっただろうか。自分にはどちらかというと地元、それも春華高校の近辺から逃げたくてこちらに来たのではと感じてしまうのだが。
「……僕は、組城町で……正確には、春華高校で酷いことをしてしまいましたから」
光流の手元で、スプーンと皿がぶつかって小さく音を立てた。
「何もかも忘れたくて、逃げて、でも遠くに逃げる度胸もなくて。それで、大学を言い訳にしてこっちの町に来たってかんじです。ついでに、昔の自分とは全然違う自分になるために、大幅にイメチェンもして。眼鏡って慣れるとコンタクトより全然楽なんだなって感じてるところですよ、うっかりつけたまま寝ちゃうなんてこともないし」
「そういや、昔は眼鏡かけてなかったんだっけ」
「はい。そっちの方がカッコいいと思ってたんですよね。……まあ、内面が変わらなければ、眼鏡だろうとコンタクトだろうと全然意味はないんですけど」
なんだか、今日の彼は随分と気持ちが沈んでいる様子だ。せっかく連れていって貰ったカフェで、自分が余計なことを訊いてしまったからだというのはわかっている。どうやら、それほどのことが昔彼の身にはあったらしいということも。
――お前、春華高校で何があったんだ。あの灰崎ルイとは、どんな因縁があるんだ。文化祭のミスコンとやらに関係してんのか?
ぐるぐるといろんな思考が、頭を巡る。とりあえず、カレーを一口食べた。ジャガイモが溶けすぎていなくて丁度いい塩梅。自分好みの、中辛よりちょっと辛めの味付け。光流も、気に行ってくれただろうか。
ああ、カレーのことを考えたら、ちょっとだけ落ち着いた。
「……なんつーか、俺、うまく言えねーけど」
不器用なりに、言葉をまとめる。
「俺は、今のお前しか知らないからアレだけど。……変わりたいって思って、変われる人間ってそう多くないもんだろ。お前は、前の自分を捨ててまで、死ぬ気で勉強してこんなクソ難しい大学に合格してまで……なんつーか、生まれ変わろうとしたんだろ。それって、すげえかっこいいことじゃないかって思うんだけど」
「祥一郎君……」
「俺はまだ、自分を変えるとか、ちゃんと考えたこともねーし。そういう勇気を持ってる今のお前って、充分魅力的だと思うつーか、なんつーか」
どうしよう、語彙が残念すぎる。もう少しなんとかならないのか、自分。祥一郎がそこまでぶつぶつと呟いた時だった。
「……そっか」
光流は笑って、ぽつりと言ったのだった。
「だから、祥一郎君が作ってくれるカレーは美味しいんですね。人のことそうやって、思いやれるから」
「……俺が、俺の好きな味付けしてるだけだっつーの。考えすぎだ」
「そうでしょうか」
ぱくり、と一口頬張る。そして溢れる笑顔。
「うん、やっぱり美味しい」
それは、一人だけで料理を作って食べているだけでは得られないものだった。祥一郎は思い出す。初めて仲間を家に呼んで、手料理を振舞った時に見たみんなの笑顔のことを。
自分にも誰かを喜ばせることができるのだ、と思った瞬間の嬉しい気持ちを。
「……料理作る人になるのとか、有りかな」
本気で言ったわけではないが、その言葉は光流にもばっちり聞こえていたようだった。
「めちゃくちゃ人の役に立てる仕事ですね、素敵じゃないですか」
「……そうかよ」
まだ何かが見つかったわけでもないし、自分にそこまでの力があると思っているわけでもない。それでも、祥一郎は思うのだ。
今目の前にある笑顔を守りたい。守れるようなことが、将来できるようになればいいと。
玉葱は形が残らない方が出汁になって美味しいと思っているので、祥一郎はみじん切りとまではいかないまでもやや細かめに切ることにしている。肉よりも先に、油をしいたフライパンの上にひっくり返した。カレーの場合、玉葱は完全に飴色になっていないと美味しくない。子供の頃、そのへんを怠って玉葱を半煮え状態にしてしまった結果、レアものである“美味しくないカレー”を作り上げてしまった記憶があるからだ。
両親は笑って全部食べてくれたが、顔がどこか引き攣っていた。今でも思い出す、小学生の時の苦い記憶である。
「作り始めてから訊くのもなんだけどよ、お前本当にカレーでいいのかよ。材料的に、他にもいろいろ作れそうだったけど」
祥一郎はキッチンから顔を出し、光流に問いかける。
「しかも、米切らしてるからレンジでチンするごはんになるんだぞ?」
「いいですよ。僕、お米の美味しいのとか美味しくないのとかよくわかんないですし、チンするご飯も好きなんで」
「……米の味の違いがわからねーとか、お前結構可哀想だな」
「うっさいですよ、もう!」
有りがたいことに、祥一郎の家と光流の家はそう遠くはない。町内で、徒歩二十分くらいの距離である。なし崩しに彼を家に連れてきてしまってから、何が食べたいか訊いてみればなんとカレーだという。最近、レトルトのカレーしか食べてないから人の手作りカレーがいいのだとか。
「僕は君のカレーがいいんですって。……むしろ、僕の方こそ申し訳なく思ってます。カレーって言うほどお手軽料理じゃないってことくらい、僕だって知ってるんですよ」
リビングで、クッションにぼふっと顔を埋めながら言う光流。それ、俺がいつも適当に枕にしてるやつなんですけど、と祥一郎はちょっと照れてしまう。結構臭いが染みついているだろうに、本人は平気なんだろうか。
「具材切って、煮込んで、どう短縮しても美味しくしようと思ったら三十分はかかるじゃないですか。初心者に教える料理の代表格だけど、でも手軽なものじゃない。……それをいきなり作ってくれるって、君は本当にお人よしですね」
「うっせぇよ。約束を反故にすんのが嫌だっただけだ。この間はその、家に来てくれつーの断っちまった、し」
あの時断ったのは、なんとなくあのまま家に行ったらヤバイことにしかならないような気がしたからだ。多分、向こうも承知だったのだろう。ナニがって、ナニが起こるようなことが。良い雰囲気になりつつあったというのは祥一郎もわかっているのである。
それが駄目だったわけでもなければ、嫌だったわけでもない。どちらかというと、自信がなかったし怖かったというやつである。――なんせ、祥一郎は童貞だ。一人でイロイロやったことはあるけれど、それでも本番の経験は一度もない。恋愛よりも大事なことがあって、それに集中しまくっていたら完全に機会を逃してきたというクチである。
恥を、晒したくなかった。
そして無理やり酷いことをして、傷つけたくもなかった。たとえそれを人は臆病と言うのだとしても、己の気持ちが恋かもはっきりしていないうちに、性欲だけで暴走するなんて論外だと思ったのである。
「何でカレーが良かったんだよ。……あ、茶だけ入れておいてくんね、ティーパックのやつでいいから。そこの食器棚の三段目に入ってる。ポットは食卓にもう出してあるから」
「はーい」
光流にお茶の準備だけ頼みつつ、自分は手を動かす。今日は安いビーフカレーなので、肉もそこまで丁寧に火を通す必要はない。表面を少しかりっと焼いたら、あとは玉葱と一緒にゆっくりとあっためていくだけでいい。
いつも不思議だった。玉葱って、どうして炒めるとこんなに良い匂いになるのだろう。肉の匂いとマッチしてなんとも食欲をそそる。生の状態ではあんなにつーんとした刺激臭だというのに。飴色になってきたところで、まとめてお湯を入れて置いておいた隣の鍋に投下していく。フライパンが空になったところで、電子レンジでゆでられていた人参をフライパンに広げて炒める。その間に、ジャガイモが入った水入りボウルをレンジの中へ。
既にキッチンは、いろんな美味しい匂いでいっぱいになっている。換気扇ちゃんと回ってるよな?とついつい確認してしまうほどに。
「カレーって、その人の味が出るから好きなんです」
ティーパックの袋を破りながら、光流が言った。
「入れる具とか、煮込む時間とか、細かいやり方とかが人によって全然違うでしょ?その人の拘りが顕著に出やすい料理だと思うんですよね、初心者向けなんて言われるレシピだからこそアレンジする人もいるし」
「市販のカレー粉使ってるだけだぞ?」
「そのカレー粉だって、どれ使うかに好みが出るでしょ?甘口と中辛混ぜる人もいれば、中辛だけで作る人も辛口だけの人もいる。あと、カレー粉の種類によって味も辛さも全然違うじゃないですか。今日は、君の好みの味付けが知りたいんです。それって、君のことを知るってことだと思うから」
なんていうか、と彼は続ける。
「僕も、君のことが知りたいんですよ。……君が僕のことを知りたいって、そう思ってくれたように」
危ない。
鍋とフライパンを火にかけているのに、悶絶しそうになった。壁に額をつけて、祥一郎は思わず呻く。
――いっっっっっっちいち、可愛いこと抜かすんじゃねええ!マジで、襲うぞ、コラ!
いや、実は自分が襲われる側になるなんてこともあるんだろうか。別に双方でタチネコが決まっているわけでもない。彼が相手ならネコでも――いや、やっぱりやめよう、絵面がキモすぎる気がする。
――なあやっぱりこれ、俺、こいつのこと好きなのか?そうなのか?なんかもう、一挙一動気になり過ぎててキモくね俺!?
悶々としながら、どうにか人参を炒め続けた。煩悩をかき消そうと頑張り過ぎた結果、隣の鍋が噴いてしまったのはここだけの話である。
***
両親がいないことが多く、半一人暮らし状態が長くなっていた祥一郎は家事スキルを一通り備えていた。最初はカップ麺などでしのごうとした時期もあったが、要するに早々に飽きたのである。それなら、面倒でも自分でご飯を作るのに挑戦してみるか、と思って中学校になるくらいから一人で料理の練習を始めたのだった。
料理はいい。というのも、頑張った成果が目に見えるからである。作ったものを食事として食べられて満足感が得られれば、また次も頑張ろうという気になるのだ。気づけば、簡単なものならひとしきり作れるようになっていた。カレーライスや麻婆豆腐、から揚げ、エビフライといったくらいなものだけれど。
「……お前ある意味すげえな」
で、出来上がったカレーを二人で食べながら、祥一郎は呆れて告げたのである。
「今完全に一人暮らしだろ。三月下旬にはもう今の家に引っ越してきてたっつーじゃん。それからずっとカップ麺とコンビニ弁当とレトルトでよく凌げてたな……金の問題抜きにしても、飽きねえの?」
「しょうがないじゃないですか、不器用なんですから。洗濯とか掃除は見よう見まねでもなんとかなりますけど、料理って長年積み重ねたもんでしょ?僕は料理の才能がないです、間違いなく」
「具体的には?」
「目玉焼きを焼こうとして消し炭が錬成されます」
「どんだけ!?」
何でこう、料理が下手な人間ってみんな似たような失敗をやらかすのだろう。大抵、生焼けか焼きすぎ、そして余計なものを投入して(だからなんで料理下手ほど妙なアレンジをしたがるんだ!)味がカオス化するのである。目玉焼きが焼けないレベルで、よく一人暮らしをやろうと思ったものだ。
「……それで一人で頑張ろうと思えるお前の度胸がすげえよ」
思わずぼやいてしまった。
「お前、そんなに前の町にいたくなかったのか?組城町って、今じゃそんな治安悪いとこもないだろ」
彼がどうしても医者になりたいとか法律家になりたいとか、そういう志があって日照大学に入らなければいけなかったというのならわかる。日照大学は、組城町と隣接する場所から正反対、この町のはしっこにある大学だからだ。徒歩で行き来するには、微妙に遠かったことだろう。
だが、彼は“特に何かなりたいものがあるわけではない”“だから資格とかが取れるわけでもないのに文学部にいる”みたいなことを言っていなかっただろうか。自分にはどちらかというと地元、それも春華高校の近辺から逃げたくてこちらに来たのではと感じてしまうのだが。
「……僕は、組城町で……正確には、春華高校で酷いことをしてしまいましたから」
光流の手元で、スプーンと皿がぶつかって小さく音を立てた。
「何もかも忘れたくて、逃げて、でも遠くに逃げる度胸もなくて。それで、大学を言い訳にしてこっちの町に来たってかんじです。ついでに、昔の自分とは全然違う自分になるために、大幅にイメチェンもして。眼鏡って慣れるとコンタクトより全然楽なんだなって感じてるところですよ、うっかりつけたまま寝ちゃうなんてこともないし」
「そういや、昔は眼鏡かけてなかったんだっけ」
「はい。そっちの方がカッコいいと思ってたんですよね。……まあ、内面が変わらなければ、眼鏡だろうとコンタクトだろうと全然意味はないんですけど」
なんだか、今日の彼は随分と気持ちが沈んでいる様子だ。せっかく連れていって貰ったカフェで、自分が余計なことを訊いてしまったからだというのはわかっている。どうやら、それほどのことが昔彼の身にはあったらしいということも。
――お前、春華高校で何があったんだ。あの灰崎ルイとは、どんな因縁があるんだ。文化祭のミスコンとやらに関係してんのか?
ぐるぐるといろんな思考が、頭を巡る。とりあえず、カレーを一口食べた。ジャガイモが溶けすぎていなくて丁度いい塩梅。自分好みの、中辛よりちょっと辛めの味付け。光流も、気に行ってくれただろうか。
ああ、カレーのことを考えたら、ちょっとだけ落ち着いた。
「……なんつーか、俺、うまく言えねーけど」
不器用なりに、言葉をまとめる。
「俺は、今のお前しか知らないからアレだけど。……変わりたいって思って、変われる人間ってそう多くないもんだろ。お前は、前の自分を捨ててまで、死ぬ気で勉強してこんなクソ難しい大学に合格してまで……なんつーか、生まれ変わろうとしたんだろ。それって、すげえかっこいいことじゃないかって思うんだけど」
「祥一郎君……」
「俺はまだ、自分を変えるとか、ちゃんと考えたこともねーし。そういう勇気を持ってる今のお前って、充分魅力的だと思うつーか、なんつーか」
どうしよう、語彙が残念すぎる。もう少しなんとかならないのか、自分。祥一郎がそこまでぶつぶつと呟いた時だった。
「……そっか」
光流は笑って、ぽつりと言ったのだった。
「だから、祥一郎君が作ってくれるカレーは美味しいんですね。人のことそうやって、思いやれるから」
「……俺が、俺の好きな味付けしてるだけだっつーの。考えすぎだ」
「そうでしょうか」
ぱくり、と一口頬張る。そして溢れる笑顔。
「うん、やっぱり美味しい」
それは、一人だけで料理を作って食べているだけでは得られないものだった。祥一郎は思い出す。初めて仲間を家に呼んで、手料理を振舞った時に見たみんなの笑顔のことを。
自分にも誰かを喜ばせることができるのだ、と思った瞬間の嬉しい気持ちを。
「……料理作る人になるのとか、有りかな」
本気で言ったわけではないが、その言葉は光流にもばっちり聞こえていたようだった。
「めちゃくちゃ人の役に立てる仕事ですね、素敵じゃないですか」
「……そうかよ」
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