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<10・狼の悲劇>

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 “七匹の子山羊”の狼たる彼は――全くの赤の他人ではなかったが、取り立てて親しい存在というわけでもなかった。彼は涼貴の所属するサッカー部、そのOBであったのである。怪我で故障してプロを早期に引退することになり、自分達のコーチとしてやってきた青年だった。
 なお、涼貴はサッカー部員だが選手ではなくマネージャーである。見た目通り、運動することが得意ではなかった涼貴は、観察力を生かしてマネージャーと主務を兼業していたのだった。初めて彼と出会った時、何だか不思議な気配がするなとは思ったがそれだけである。その時はまだ、涼貴も力に目覚めてはいなかったから尚更だ。
 けれどきっと、後の反応を見るに――向こうには、涼貴が何者であるのかわかっていたのだろう。ある時サッカー部のメニューについて相談していた折、涼貴は彼にこんなことを尋ねられたのである。

『なあ、瀬良。お前さ、狼と七匹の子山羊って知ってるか?』

 その時涼貴は――なぜそんな話題が出てきたのかわからないまでも、素直に感想を漏らしたのである。

『知っていますが。あまり好きな童話ではないですね』

 奇しくもそれは、凛音が言ったのとほぼ同じ感想だ。

『狼は子山羊達を食べてしまいましたが、それは彼が狼である以上仕方のないことです。彼は森の嫌われものであったがゆえに、死んだときは子山羊達のみならず森の仲間達に大喜びされてしまいますが……嫌われものであった理由はただ、彼が肉を食べるからというだけのこと。肉を食べなければ死んでしまう狼に対してあまりにも酷なことです』

 子山羊達も不憫だが、強いて言えば母と狼の区別もつかなかった可哀想な頭を恨むしかないのである。あるいは、狼が迫っているとわかっていながら、子山羊達にしっかりとした対策を言い渡すこともせずに出掛けた母山羊に問題があったと言うべきか。
 狼は、狼でしかない。子山羊達を食べたのも快楽殺人などではなく、食べなければ自分が飢えて死ぬというそれだけの、人間達が争うよりも遥かに真っ当な理由である。

『母山羊には狼に報復する権利も、子山羊達を助ける権利もありました。それはいい。でも、それならば彼が眠っている間に一思いに殺してしまえば良かったものを。何故あのような、拷問としか思えぬ残酷な行為に及んだのか理解に苦しみます。そして嫌われものがいなくなったと喜ぶ森の仲間達。まるで個を淘汰したがる社会の縮図でも見るようです』

 あの物語を見てここまで捻くれた感想を抱く者もそう多くはないのかもしれないが。とにかくその時は流れで、極めて率直な己の意見を述べたのだった。聞いた時彼――小松陣こまつじんは、かなり呆気に取られた様子で――やがて爆笑される羽目にはなかったのだったが。

『はっはっはっ!おま、面白ぇなあ。いやいや、初めてそんなこと言う奴に出会ったわ。子山羊が可哀想だとか狼が可哀想だとか、お母さん残酷――ってくらいの感想はよくよく聴くんだけどな。そうかそうか、なるほどなぁ』
『何故そんな質問を?話が見えないのですが』
『あーごめんごめん。ちょいとな、お前には似た匂いがしてさ……訊いてみたくなっちまって』

 うだなぁ、と。精悍なスポーツ刈りの頭の青年は。逞しい腕でかりかりとこめかみを掻きながら語ったのである。

『俺はな、知ってるんだ。本当の……七匹の子山羊の物語ってヤツ。全ての物語には須く罪があるが……この七匹の子山羊も例に漏れないんだ。語られてる内容もそれなりにエグいが、実際はそれ以上なんだぜ?』

 昔々。北の森に大食いで、乱暴者の狼がいた。狼は毎日自分が食べていくだけで精一杯で、仲間と言うものがいなかった。他の狼達とも不仲な上、獲物を人一倍食ってしまう彼は彼らに嫌われ、元々住んでいた森を追い出されることになるのである。
 襲われ、怪我をした狼は。命からがら南の森へと逃げ込んだ。ああ自分はここで死ぬのか――そう思って力尽きようとしたその時。狼を、小さな影が助けてくれたのだそうだ。
 それが七匹の子山羊のうち、末弟にあたる一番小さな少年だった。南の森には狼がいなかったこともあり、彼は狼が肉食の恐ろしい存在だとは知らなかったのである。
 彼は倒れていた狼を見て、何の疑いもなく家に連れて帰り、手当てをしてくれたのだった。それは狼にとって生まれて初めての、誰かに優しくされた瞬間であったのである。

『狼は子山羊に感謝して……そこで初めて、獲物としか見ていなかった草食動物達にも心があり、生活があったことを理解したんだ。その日をきっかけに、狼はその小さな子山羊と仲良くなる。彼の仲間を食べるわけにはいかない……狼はその日以来、狩りをほとんどしなくなった。特に、南の森では一度も草食動物を食べなかったんだ』

 しかし、勿論彼は肉食動物であり、どれほど本人が望んでも木の実だけを食べて生きていくことはできない。北の森を追い出され、南の森でも狩をできなくなった狼は次第にやせ衰えていくことになる。
 だが、腹は減っていても彼の心は満たされていた。子山羊の兄達とも親しくなり、母山羊がいない隙を狙って遊んだりもしていた。生まれて初めてできた大切な友達のためならば、死んでも構わないと狼は思うようになっていたのだ。
 だが。幸せは、長くは続かなかった。
 ある時いつものように子山羊達の家を訪れた狼は、家の鍵が開いていることに気づく。そして、鼻腔をつくあまりにも嗅ぎ慣れた臭い。ドアの向こうには、最も見たくはなかった恐ろしい光景が広がっていた。――家の中は大量の血と、食い散らかされた子山羊達の遺体でいっぱいになっていたのだから。

『北の森の獲物を取り尽くした狼達が、南の森を襲ったんだ。北の森に程近い場所にあった山羊の家が真っ先に襲われた。……当然、狼の一番の親友だった小さな小さな山羊の末弟も』

 世界に伝わる童話では、狼が襲ってきた時一番下の子山羊は時計の中に隠れて生き延びる。しかし本来の物語では、生存者は誰もいなかったのだ。
 首だけになってしまった小さな友達を抱き抱えて狼は嘆き――心の底から悔やんだ。こうなったのは自分のせいだと。よくよく考えてみれば、食料不足ゆえに北の森を追い出された自分である。いずれ彼らが攻めてくるのは目に見えたことだったではないか。何故それが予想できなかったのだろう。
 いや、それだけではない。
 もし彼らが、狼という存在を危険なものと認識していたら。少なくとも誰かしらが対策をして――全滅という結果だけでも免れられたのではなかろうか。彼らが狼という存在に、警戒心を抱かなくなってしまったのは何故?
 決まっている――自分の存在があったから、だ。

『その直後、母山羊が帰宅。怒り狂った母親に殺人犯と勘違いされた狼は、飢えて痩せ細った体では抵抗できずに撃ち殺された。……これが、本当の狼と七匹の子山羊の物語。狼の、罪の話だ』
『罪?この話の狼のどこに罪があったと?』
『あったのさ。……狼が寂しさゆえに、子山羊達と友達なんかにならなければ……きっと彼らが死ぬことはなかったんだから。狼は最後まで、乱暴者の嫌われものであるべきだったんだよ。そう考えるなら童話は正しいな。狼が死ぬことで、少なくとも子山羊達や他の森の仲間達は救われたんだから』

 この時、まだ涼貴は陣が背負ったものを何も知らなかった。彼が何故、こんな話を自分に聞かせたのかどうかということも。
 けれど、涼貴には――彼の目が酷く淋しそうなものに思えてならなず。なにか、とてと大切な答えを探しているように感じて仕方なかったので――。
 言ったのだ。自分が思ったことを、これまたはっきりと。

『その考え方には、賛成しかねます。……綺麗事だと言われても僕は……誰かが要らない世界なんて、必要ない。そう言える自分でいたいのです』

 狼が消えれば。狼が悪役ならば。狼が嫌われていればハッピーエンド。
 何故そんな結末が正しいのだろう。何故童話より、その“原典”の方が悲劇だなんていうことになるのか。だって。

『殺された子山羊達はきっと、狼のことを恨んでなどいなかったはず。……優しい狼と友達になれた子山羊は、きっと幸せだったと思います。狼が必要とされたから、友達になったからバッドエンドになった?そんなの悲しすぎるじゃないですか』

 誰が、何を失敗したのかはわからない。
 けれどそうやって友達になったことは、温かな時間を得たことはきっと――過ちなどではなかったと、涼貴はそう思うのだ。

『誰も間違えなくても、逃れようのない悲劇はある。最後が残酷だとしても……所詮物語は結末がすべてと言われても。僕は、その最期だけが物語の本質だとは思いませんし……狼の罪だなんてもっと考えませんね。貴方は違うのですか?』

 きっと、彼はそうやって背負ってしまった前世の記憶に苦しみ続けていたのだろう。涼貴の言葉を、果たして陣がどのように受け取ったかはわからない。
 ただ彼は――くしゃりと顔を歪めて、そっかぁ、と泣きそうな顔で笑ってみせたのか。

『そっか。……そぉかぁ。……うん、そうなのかもな。ありがとな……瀬良』



 ***



「この、すぐ後のことでした。僕らが、魔法の手下に襲撃を受けたのは。目覚めていなかった僕は実質巻き込まれたようなものでしたけどね」

 まだ一週間の付き合いである凛音に、ここまで詳しく話をするつもりでなかったのだけれど。それでも、涼貴が全てを話そうと思ったのは――自分なりの後悔や苦悩を、どうにかして吐き出したかったからかもしれない。
 その襲撃で、涼貴は力に目覚めたが。――あと少しそれが早かったならと、思わずにはいられないのだ。何故なら。

「彼は僕を守って、酷い傷を負いました。病院に担ぎ込まれて今は……意識不明で眠っています。もしかしたら一生目覚めないかもしれません」
「そんな……」
「彼は過去を、清算したかったのでしょう。僕を守ることによって……守れなかった前世を。そんなことには、なんの意味もないとわかっていても」

 目覚めた涼貴の不意打ちを受けて、手下を追い払うことには成功したが。その代償は、けして安いものではなかったのである。
 涼貴に出来たことは一つだけだった。彼の代わりに――自分が、魔王の目論みを阻止すること。同じような犠牲者を出さないために戦うと誓うことだけだったのである。

「……優しい、狼だったんだな。その人も」

 凛音は目を伏せて、感想を述べる。

「私が言うのもなんだけど。……その人も、後悔してないと思うよ。お前を助けたこと。勝手だとは思うけどさ」
「そうですね、だから憎たらしいんですよ。そもそも……」

 そこまで言いかけて、涼貴ははっと声を上げる。反転し、音がしないはずの鳥籠の中で――何か別の、足音のようなものが聞こえた気がしたからだ。
 そう、それは前にどこかで聞いたことのあるような――。



「見つけたよぉ?」



 そして。
 災厄は突然、予兆もなく襲ってきたのである。
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