ポンコツ半魔の契約書

鳫葉あん

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 リーフには日常が戻っていた。
 獣の暮らす森の中、母の建てた小さな家で寝起きし、畑の世話をして獣を供に朝の散策をする。
 普段なら母を手伝って魔道具作りをする所だが、素材を用意してくれる母が未だに旅行から帰らないので森で採れる素材でしか作れない。
 リーフ一人が食べるくらいなら畑の野菜で充分で、もし足りなければ森の恵みを探せばいい。森の外へ買い出しに行く必要はない。
 何もすることがなくなってしまったら、リーフを見つけたら駆け寄ってじゃれついてくれる獣達を相手に暇を潰して心を慰めれば時間はすぐに過ぎていく。
 寂しいことなんてないと自分に言い聞かせるリーフのもとへ客が訪ねてきたのは日常に戻った三日目の昼。ドレスの裾が汚れてしまいそうなことも厭わず、古びた小さな家の扉を叩いたのはベアトリクスだった。


「なかなか強い結界ね。入り込むのに苦労したわ」

 ふう、と息をつくベアトリクスを迎え入れ、作ったばかりの果実水を出してやると美味しそうに飲み始めた。

「結界……ああ、ニウェウスさんも言ってたような」
「あら。知らないのかしら。この家近辺はとても強い、認識や侵入阻害の結界が張られてるわ」

 そんなことが出来るのは一人だけだ。

「多分母です。魔獣避けかな。昔、僕が襲われたから」
「まあ!」

 リーフが五歳程の頃、父母が目を離した隙に森の奥へ迷い込んでしまったことがあった。ただの獣達は小さな半魔を見ても距離を置くか、心配するように近付いてくるだけだったが、魔獣は違った。
 明確な悪意を持って這い寄り、鋭い牙と研がれた爪でリーフの肌に食らいつき。

「激昂した母に退治されて。普段は僕に謝ったりするような性格じゃないのに、その時ばかりは怒りながら、目を離してごめんねって謝られて。何だかずっと覚えてるんです」
「素敵なお義母様なんでしょうね」

 微笑む姿はたおやかな美しい女性にしか見えないのに、相変わらずベアトリクスと目が合うと背筋が冷える。ようやくその理由がわかってきた気がした。

「……ベアちゃんみたいな悪魔だよ」
「まぁ。お話が合いそう」


 ベアトリクスは満足したのか、しばらく話をすると帰っていった。途中で探った城の――レックスの様子は特段変わりないらしい。
 安堵するような寂しいような。身勝手なことを思いながら帰り支度を始めたベアトリクスを玄関で見送る。

「突然ごめんなさいね。貴方の住む森が見ておきたかったの」
「いえ……お気に召しました?」

 ええ。と頷く。

「認識阻害と……それに紛れた侵入妨害の結界には驚いたけれど。入り込めたならわけないわ」

 何がと問う前にリーフの足元で何かが這い回る。目を向けると何ら変哲のないロープが蛇のように静かに、リーフの足へ纏わりついていた。

「これはっ」
「ええ。ええ。リーフさんを戒めなさい」

 魔力を込めて造られた道具だった。意思を与えられたロープは主の言う通り、リーフの体を締め上げていく。
 両腕ごと包み縛られたリーフが抵抗してもロープはびくともせず、悲しげな目を向けてくる魔女には元から勝てる筈がない。

「大人しくしていたら悪いようにはしないわ」

 リーフを一瞬でこの森へと帰した転移魔術が発動される。瞬く間に何処かへ飛ばされたリーフはてっきり、彼女の主たるレックスの元へ連れてこられたのだと思っていた。

「ベアトリクス。本当にこいつなのか?」

 飛ばされた先の内装や調度品を見れば高貴な存在の部屋だとわかるが、レックスの部屋より雰囲気が悪い。品々の質は良くても何だかちぐはぐとしていて――センスがないのだと思った。
 ロープに縛り上げられ、虫のように転がるリーフを見下ろすのは部屋の主なのだろう、見知らぬ男だった。顔立ちは整っているように見えるが美しい母を見て育ち、最近ではレックスやニウェウス、そしてベアトリクスを見ていたリーフの肥えた審美眼では尖ったもののない男に感じられた。

「ええ。レックス殿下と契約を交わしたお方です。殿下は彼の命令には逆らえません」
「ベアちゃ…………ベアトリクス、貴女は」
「……ごめんなさい」

 何に対してなのか、謝罪を口にするベアトリクスを見上げるリーフの体が蹴り飛ばされた。近くに置かれた椅子へぶつかり、痛みに呻くと罵声が飛んでくる。

「俺の女に気安く話し掛けてんじゃねえぞ!!」
「……」

 痛む体を必死に動かし、どうにか視界に男を入れる。額に筋を立てて憤る男に抱き寄せられたベアトリクスは無表情にリーフを見下ろしていた。

「酷いことをしないで」

 顔色は変えず、そのくせ凍える瞳はリーフの心配をしている。彼女の心が気に入らない男は吊り上がった眉をさらに上げ、リーフを睨んでくる。

「ベアトリクスさんには恋人がいたんですね。知らなかったな」

 痛みに呻きながら言葉にする。とにかく状況を――ベアトリクスと目の前の男の正体、目的。この場を切り抜ける道を探したかった。
 見つからなければリーフなんて容易く殺されてしまうだろう。
 気安く言葉を吐くなと蹴られでもするかと思ったが、男は『恋人』というワードに満更でもない顔をしている。

「……彼はもう一人の王子様。相応しき地位を弟に掠め取られようとしているピゲル殿下よ」

 森に引きこもって生きてきたリーフは世間に疎い。王子の名や姿すら知らなかったのだ。
 けれどレックスの兄という存在は知っている。王位継承を争っているのだと、ニウェウスに教えられたことは覚えている。

「私はね、お手伝いをしてるの。未来の魔王陛下の為にね。貴方を傷付けるのは本意ではないけれど、彼がそう望むのなら……従うしかないわ」
「ベアトリクスは俺の為なら何だってするってことだ」

 ベアトリクスの華奢な体が、得意気な顔をしたピゲルの腕に抱き寄せられる。随分と気に入っているらしい。

「……まさか。魔封じの腕輪も」

 ベアトリクスの腕と知識なら簡単に作れるだろう。思わず呟いた予想への答えは言葉の代わりに沈黙と微笑みで返される。
 
「ピゲル殿下。貴方に聞きます。僕に何をさせたいのですか」
「決まってるだろ。あのムカつくレックスと交わした契約書。権利を俺に譲渡しろ。出来ないとは言わせないぜ。なぁベアトリクス」
「ええ。契約書に命じれば権利の譲渡は可能です。そうでしょう?」

 魔道具に精通しているベアトリクスに嘘はつけない。
 契約書は絶対だ。交わしたが最後、主の命令に従わされる。主である権利を他者へ譲り渡されたとしても、下僕に逆らう術はない。
 悪魔の生み出した契約書に規則はあっても倫理はない。ただ主の命令があるだけで、それがどれだけ身勝手であっても遂行されなければならない。
 仕方がないのだと言い聞かせて、観念した様子のリーフは項垂れた。今からすることが恐ろしい。

「ロープを外すか、僕の服の中から契約書を取り出して下さい。僕の契約書は僕の手で触れないと命令を書き加えられません」
「そうなのか?」
「……ええ。そういった作り方になっている物もあるわ。ロープを外しましょうか。私と貴方が半魔に劣るわけもないし」

 ね、とたおやかに微笑まれれば男は頷き、ベアトリクスはリーフの拘束を解いた。ただ一言「戻りなさい」と命じるだけで生きたロープはリーフから外れ、ベアトリクスへ向かって這い進み、足に纏わりついてスカートの中へと隠れてしまう。
 自由になったリーフは胸元を探り、契約書を取り出した。リーフとレックスを繋ぐ契約書はリーフの指先が触れた途端、命令を待ちわびるかのように魔力を滲ませていく。

 契約書を掴む指先に力を込める。
 リーフの顔が険しく歪んでいく理由を、目の前の男はどう受け取っているのか。彼女は何を察しているのか。
 前者はきっとリーフが惜しんでいると思っているのだろう。広い魔界でも最高位の力を誇る下僕を手放さねばならないのだと。
 リーフは言葉を吐いた。何度も迷って、流されそうな心を引き止めて選んだ言葉を。

「炎よ! 契約書を燃やし尽くせ!」

 母に誉められたことのある、数少ない魔術の一つ。リーフは指先から小さな火種を生み出し、契約書は炎に包まれみるみるうちに黒く焼け焦げていく。
 契約者であるレックスの魔力に守られた契約書は炎で焼けず水で湿らず刃ですら刻めない――リーフの意思が加わらなければ。
 リーフが燃えろと命じれば燃える。水に溶けろと願えば溶ける。手で破ろうとすれば薄絹のように容易く裂ける。
 リーフの手からこぼれ落ちた炭。契約書のなれの果てを、ピゲルは呆然と見つめている。目の前の半魔が何をしでかしたのか、すぐには理解が出来なかった。
 それでも思う通りにいかなかったことは明白で、それだけわかればすぐに怒りがわき上がる。ピゲルの感情のままに蹴り上げられたリーフを、呆けたベアトリクスの目が追う。
 何度も何度も思いっきり。癇癪をぶつけるままに蹴られ、芋虫のように丸まって耐えようとするリーフを見て。
 ベアトリクスの金の瞳はキラキラと輝き、口角は吊り上がる。もう取り繕うことは出来なかった。

「やっぱり! 貴方って最高だわ!」

 ゆっくりと。高いヒールに包まれた足を一歩一歩動かし、近付いていく。
 蹴られ過ぎて体に力を入れられなくなり倒れ込んだ、憐れな姿の半魔を目に。虫の息のリーフをゴミクズのように蹴飛ばし続けるピゲルの元へ。
 終わりにしようと動いていたベアトリクスは一足遅れた。いつの間にか室内に入り込んだ者によって、獲物は奪い取られてしまった。

「あら。契約がなくなった瞬間に来ていたら、リーフさんの苦しみは薄らいだのではないかしら」

 リーフを蹴り続けていたピゲルは侵入者達によって床へ這いつくばらされている。両手を背に回す形でニウェウスに取り押さえられ、リーフを掻き抱くレックスは殺意を隠さず笑った。

「俺に意地悪した仕返しだよ」
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