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03 赤い瞳

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 聖女降臨の儀が行われる大聖堂の中は静かだった。普段なら祈りを捧げる信徒達の姿は見えず、神官達も奥に引っ込んでいるのか人気がない。侵入者であるゼノとしては、人の姿がないことに安堵する。
「誰かいたって私がどうにかするわ。並みの対抗力では防げない筈よ」
 ゼノの心を読むように、ラウラは言って笑った。門番達を一瞬で無力化した瞳を細める。
「貴女は何者だ?」
「悪魔よ」
 一言で返し、ラウラは迷いなく進む。
 門番の守る正門から中へと入り、信徒達を迎えるエントランスホールの正面には大きなステンドグラスが待っている。何色もの光が表現するのは世界を救った聖女とその従者達の姿だ。
 エントランスの左右にはそれぞれ回廊があり、左に進めば一般解放されている聖堂へ、右は神官の為の祈祷の間や、大聖堂に集められた書物の保管された図書室などがある。入室禁止の部屋は鍵が掛けられているか人が立っている。
 ラウラは右へ進んだ。長い回廊にも人の姿はない。
「何処へ向かっている?」
「神官どもが祈りを捧げる部屋。そこで貴方が待ってる」
 声を落とした問いへの答えに、ゼノは眉を寄せた。意味がわからない。
「誰かが俺を待っているんじゃないのか」
「そうよ。でも貴方も待ってる……しっ、こっちへ」
 途中でラウラは何かに気付いた様子を見せ、近くの扉を開けてゼノを引っ張り、中へ入り込んだ。倉庫らしき狭い部屋には物があふれ、人が潜んでいる気配はない。
 僅かに開かれた扉の隙間から外を窺う。しばらくすると硬質な床にいくつもの足音が響き始めた。
 神官の聖衣を着た老人を先頭に、神官や騎士を従えながらいかにも貴族然とした男性達が七人、その後ろを歩いている。
「……あれは、導師様と……国王陛下」
「後ろの貴族達がプレガーレ六家よ。降臨の儀が終わり、選ばれた聖女を探しに行くんでしょうね」
「黄金の鐘の乙女……」
 導師の言葉を伝え回っていた男の声を思い出し、呟くと奇妙な確信が胸に満ちる。それは妹のことなのだと。
「行ったわね。私達も行きましょう」
 静寂を取り戻した回廊へ戻ると、ラウラは彼らの来た方向へ進んでいく。つまりは儀式の行われた一室、祈祷の間へ。
「鍵が掛かってるんじゃないのか」
 懸念通り白亜の扉は固く閉ざされていた。これでは入れないと頭を振るゼノとは対照的に、ラウラは焦る素振りも見せない。問題ないと告げたその体は瞬く間に形状を変えていく。
「えっ、なに、えっ……」
 豊満な女性の姿が、黒く淀み溶けていく。ラウラだった影が地を這い、扉を登り、その鍵穴へ潜り込んでしばらくすると、カチリと金属音が鳴った。
 ゼノが驚いているうちに影は鍵穴から抜け出し、再び美しい女性の姿を形作る。ゼノに向けられた赤い瞳は静かに「問題なかったでしょう」と問い掛けてくる。
「ほんとに、人じゃないんだ……」
「ええ。私は悪魔……の影から切り離されて生まれたの」
 ラウラの手が扉へ伸びる。僅かに音を立てて開けられた先には、静かな礼拝所が待っていた。
 広い部屋の床には丸い紋様の刻まれ、奥には祭壇が設けられている。祀られているのは大きな水晶球だ。
 淡い金色の輝きを秘めたそれに誘われるかのように、ゼノの足は真っ直ぐに進み始める。躊躇なく。
 見守るラウラは扉を閉める。その背にはいくつもの足音が届いていた。鍵を掛けても意味はない。本当に少しの時間を稼ぐだけだ。
 けれど、扉を開ける前と同じく彼女に焦りはなかった。赤い瞳はただ一人を見つめる。その人は祭壇を前に、その手で水晶へ触れた。

 男がいた。長く黒い髪を風に遊ばせ、赤い瞳を細める。――より大きな体を少し屈めて、凛々しい顔をでれでれと溶かして笑う。
『俺の――』
 茜色に染まる空の下。何処か見知った城壁の上で、見つめ合う二つの影はゆっくりと重なり一つになる。それが常だった。彼は大切な男だ。だって彼は。
 そこでゼノの意識は途切れ、闇の底へ沈んでいった。



 ゼノが見知らぬ女と連れ立って歩いていたと聞いてから、ベルとユーグは街の北側へ向かった。その道中、自然と大聖堂へ続く階段が目に入る。いつもならひっきりなしに信徒が登り降りしているが、今日は大聖堂への参拝を禁じられているので人気がない。その為、階段を登っていく男女の姿はよく目立った。
「ユーグ! あれ!」
「……ああ。ゼノと……誰だ? あの女」
「知らない。けど袋の鼠よ。今日は大聖堂に行ったって追い返されるだけだもの!」
 二人はどちらからともなく駆け出し、ゼノの後を追った。三桁はある段数を駆け上がっていると、行く手を阻む一団と出会した。
 護衛の騎士を先頭に聖衣を纏った導師、王冠を戴く国王とその家臣六名。聖女降臨の儀を終え、聖女を迎えに出た彼らはベルを見て驚く一方、ベルとユーグは焦っていた。
 大聖堂に入れない今日、この階段を登る理由が一般人にはない。不審者でしかない二人は咎められてしまうだろう。
 逃げ出すか目線で確認しようとしていた二人に、導師は「この娘です」と嗄れた声で告げた。
「敬虔深き黄金の鐘を打ち鳴らす乙女。巡礼の聖女ベルナデッタ。神はこの娘を選ばれた」
 こちらへ、と促されたベルは逆らうことも出来ず、護衛を許されたユーグと共に階段を登った。途中で誰か見なかったか尋ねてみるが、誰とも会っていないと怪訝そうに返される。
「大聖堂に近付く者はいないでしょう……聖女は何故こちらへ? もしや啓示を受けたのでは」
「兄とはぐれたので探していたんです。大聖堂への階段を登っている姿を見付けて追いかけていたのですが」
「大聖堂には誰も来ていない筈です。門番達からも特に報告はありませんでした」
 そんな筈はないと思っても、実際彼らはゼノを見ていないのだろう。隠す理由がない。納得した様子を見せたベルは早くこの場を逃れようと頭を切り換えた。
 大聖堂の奥、儀式の間とやらに行ってお祈りをして、ゼノを探しに行きたい。もしかしたら階段を登る二人の姿は見間違いで、本物のゼノは詰所の前でベルを待っているかもしれない。
 とにかく兄に会いたかった。

 関係者以外入れない大聖堂の奥、固く閉ざされた儀式の間。先程まで祈祷を捧げていた導師により鍵を解かれ、開かれた室内の変化に気付けたのは導師くらいだった。
「なっ……」
 驚愕に顔を青くする彼に、国王が「どうした」と問う。老人の痩せ細った指先が、部屋の奥に眠る水晶球を指した。
 見慣れた人間ならすぐにわかる異変。そうでない彼らは首を傾げ、導師の答えを待った。
「御神体っ、御神体の輝きが……失われておる……!」
 黄金の輝きを湛えていた水晶球に光はなく、ただの石に変わっていた。
「御神体? 輝き?」
 儀式の間を初めて見たベルには何が何だかわからない。先程までの光景を思い出したらしい貴族の一人が水晶に秘められた光のことを教えると、ベルはもう一度水晶球へ目を向けた。
 明るくはない部屋の中に鎮座する水晶は人の頭程に大きい。透明な輝きに黄金の色はないが、価値は高いだろう。
「……聖女様、祈りをっ……祈りを待っておるのやもしれぬ、祈りを捧げれば封印の力が強まる筈……」
 御神体と呼ぶ魔王封印の要。その異変に驚愕し、混乱し、理由がわからない焦燥から導師はベルにすがる。言われるがままに祭壇の前へ立ち、毎週の礼拝と変わらぬ祈りを捧げるが水晶球に変化はない。
 落胆から肩を落とし、その勢いのまま座り込む老人の体はふるふると震えている。国王自ら膝を折って支えると家臣達もそれに倣い始めた。
「復活じゃ……」
 嗄れ、生気を失せた声が呟く。封印から光が失われた事実を前に、目をそらすことが出来ない。頭を抱えて喚く老人の姿に、彼の吐き出す予想に、その場は凍り付いていた。
「魔王が復活した! ああっ……この世が終わる……魔王、魔王が……!」
 そんな言葉を泣き喚き、しばらく身を震わせて嗚咽していた導師はピタリと動きを止めた。彼を見守っていたというか、黙って見ているしかなかった立会人達は導師が顔を上げるのを見た。
「巡礼じゃ」
 導師の目は祭壇を、祭壇の前で佇むベルを見る。突然の異変、選ばれた聖女、彼女がすべきこと。
「主はきっと聖女の巡礼を望んでおる。要に祈り魔王を再び封印せよと。そう。巡礼じゃ。使命なのじゃ」
 人々の視線は混乱に嘆く老人から、祭壇の聖女へ移っていた。予期せぬ事態に変化を促す救世主、そうでなくてはならない彼女へ。
 崖端に立たされたかのように、ベルは重い視線から逃げることも出来ず立ち竦んでいた。
 兄に会いたいと、それだけ願いながら。



「……ん」
 誰かに呼ばれた気がしたゼノが目を開けると、見慣れぬ天井が見えた。所々にしみのある布は思った以上に低く、ゼノが触れようと思えば難はない狭さだ。
 ガタゴトと振動し、時折聞こえる馬の嘶き。ゼノの側に積まれた麻の荷袋の山が、ここは荷馬車の中だと察せさせた。
「起きたのね」
 硬い床に寝そべったまま、目だけ動かして状況を判断していたゼノに声が掛かる。傍らに座り込み、赤い瞳を細める彼女の表情は柔らかい。
「ここ……」
「プレガーレから南の村に住む農夫の馬車よ。祭に出稼ぎへ来て、帰る所に乗せてもらったの」
 尋ねたいことを先に教えられ、頷いたゼノはどうやって大聖堂から抜け出したのか聞いたが、すぐにラウラの魔術だろうかと思い付いた。
「貴方の力よ」
 返事は予想に反していた。ゼノに自覚は微塵もない。
「貴方が水晶に触れた頃、儀式の間には聖女達が迫っていた。気を失った貴方は無意識に転移魔術を使って、プレガーレの街外れへ逃げたのよ」
 祭に浮かれ羽目を外した弟を連れ、遥か南の故郷へ帰りたい旅人という設定で、帰り支度をしている荷馬車へ声を掛けたらしい。
「着ていた服の上着だけ捨てたわ。騎士の制服は目立つから」
 言われて体を見ると、確かに上着がない。その下に着ているシャツはどこにでも売っているような特徴のない安物で、下衣も配給された制服だが目立つ色彩ではない薄茶色で、これだけでは騎士と思われないだろう。
「村まで乗せてもらったらさらに南、プレガーレ南端の神殿に行くわ。そこに封印があるの」
 『彼』が待っているのだと、言葉にされなくともわかった。逆らうつもりは欠片もなく、それ所か早く辿り着きたいとすら思う。
 ゼノにもわからない、説明出来ない激情が胸の奥に芽吹いていた。
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