妹が聖女になったと思ったら俺は魔王の待ち人だった件

鳫葉あん

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04 救世の悪魔

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 ゼノはプレガーレの都に生まれてから、街の外へ出たことはなかった。要請があれば騎士は国内各地へ派遣されるが、ゼノには経験がなかった。
 旅をする理由も余裕もなく、ゼノの時間はベルと街を守る為に費やされてきた。だからだろうか、幌馬車の隙間から覗く緑の景色に高揚を覚え、遠くに見える貧しい農村すら新鮮に思えた。プレガーレの外で目に入るもの全てが、真新しくて仕方ない。
 側にいるのがベルではないという違和感も、時間と共に薄れていく……所か、ラウラこそ昔からそこにいたのだと、頭の中で誰かが教えてくれる。
「だって本当だもの。私は貴方とあの方の為に生まれてきたの」
 ラウラに感じる懐古を伝えると、得意気に頷かれた。
「あの方?」
「貴方を待っているお方よ」
 そう言われて浮かんだのは大聖堂の奥に秘められた水晶に触れてから見た夢の中。懐かしい景色の中で自分に微笑む黒髪の男だった。尋ねてみると肯定されるが、それ以上のことは教えてもらえなかった。
「私から全部話すと『運命的じゃない』とか怒るだろうから」
「ええ……?」
 それより、と話を変えるラウラは妹のことを聞いてきた。
「離れ離れになるけれど、不安はないの? 拐うように連れ出した私が言うのも何だけど」
「ベルには親身になってくれる人がたくさんいるし……俺がいなくても変わらないよ。ユーグも面倒見てくれるだろうし」
「そうかしら」
「うん。騎士も……辞めたというか逃げたみたいなもんだよな。もうプレガーレには戻れないかな……」
 呟いてみると、それ程後悔のないことに驚いた。生まれ育った故郷で、大切な人のいる帰るべき場所の筈なのにゼノの心はそこにない。
「多分、それ以上に会いたいんだ。あの赤い瞳の彼に……ラウラと同じ色の目だね」
「そうね。綺麗な目でしょう」
 うん、と頷いた所で馬車が停まった。外を見ると農村の中に入っており、小さな民家の前に停められている。ラウラが外に出るのに続くと馬車の持ち主である農夫も降りており、礼を言って財布からいくらか払う。
 農夫と別れ、長閑な農村を眺めながらラウラの背を追う足は南へ進んでいる。このまま村を出るのか尋ねると頷いて返された。
「ここから神殿へはそう遠くないの。神殿には巡礼者向けの宿があったと思うし、野営することになっても貴方は守るわ」
 凛とした声は可愛らしいのに、頼もしい力強さがあった。
「うん。頼りにしてるよ」
 そう返したのは本当にゼノなのか、ゼノではない誰かが声にさせたのか。わからないけれど不安はなかった。
「……はやく。会いたいな」

 農村から一時間程歩き、ゼノとラウラはプレガーレ南端の神殿へ辿り着いた。大聖堂程ではないが巡礼者の姿が見られ、礼拝は開放されているらしい。
「大聖堂みたいに、やっぱりあの水晶は隠されてるのかな……」
 呟くゼノにラウラは自分の目を指し示した。そうするしかないかと頷き、二人は巡礼者に紛れて神殿へ入る。
「下調べはしてあるから何処に行けばいいかはわかってるの。私一人なら影に戻ればいいだけなのだけれど、貴方はそうはいかないから」
 言いながら、ラウラは神殿の奥へ迷いなく進んでいく。時折遭遇する神官達は一般信者立入禁止区域へ入ってきた侵入者へ注意しようとする前に、ラウラの目を見て木偶人形になっていた。
 そうして問題なく進んだ先、固く閉ざされた扉を大聖堂の時と同じくラウラが開き、辿り着いた一室。広い部屋の奥に設けられた祭壇に、黄金に輝く水晶が祀られていた。
 ゼノが触れると水晶は呼応するように輝きを強め、ゼノの体は崩れ落ちる――前に、ラウラによって受け止められる。
「……次は何を見るのでしょうね。お休みなさい」
 ゼノの目は閉じられ、安らかな寝息が聞こえてきた。



 ゼノはプレガーレの王城にいた。黒いローブを翻し、堅牢な城を進む。その顔はゼノよりいくつか年上で、少年から脱した大人の顔をしているが顔の作りはゼノだった。
「ゼノ!」
 呼び止められ、振り返ると兵士が一人駆け寄ってくる。よく知った間柄、幼馴染みである彼はこれからゼノの行う儀式を知っており、その表情は暗く険しい。女性達が見惚れる端正な顔が台無しだ。
「何だ? ユーグ」
「なぁ、逃げようゼノ。お前とベルくらいなら俺が何とか守ってみせる。だから」
「…………ありがとう。でも、もう決めたことだから。私がいなくなった後のベルを頼むよ」
 最後くらい笑顔で別れようと、薄く微笑むゼノの心を察してくれたらしい。ユーグは悔しげに、くしゃりと笑って送り出してくれた。
 親友と別れ、ゼノは足を進める。王城の奥、地下に造られた大広間。特段何に使うか決められているわけではないその部屋の床には巨大な魔法陣が描かれている。儀式の為にゼノが描いたのだ。
 部屋の隅にはゼノと同じ黒いローブ姿の人間が数十人佇んでいる。その中の一人が進み出て、ゼノへ声を掛けた。
「ゼノ様。お待ちしておりました」
「ええ。待たせて申し訳ない。皆は……残すことはないかな?」
 ゼノの問いに彼らは静かに頷く。ゼノも唯一の心残りである妹と話を済ませ、この場へ戻って来ていた。
「それでは……始めようか」
 ゼノが魔法陣の中央へ立つ。他の面々は丸い陣を囲むように並び立ち、目を閉ざして静かに祈り始めた。ゼノだけは古語で連なる呪文を唱え、儀式を進めていく。
 彼らは贄だった。救国の英雄となる人柱だった。誰もがこれから死ぬのだと理解し、諦めていた。そうしなくとも死ぬだけなのだからと。
 石灰で描かれた魔法陣から黒く淀んだ何かが滲み始めても。誰も悲鳴を上げることなく、ただ一息に殺してくれと願いさえした。

 プレガーレは危機に瀕していた。国家間の同盟が前触れなく破られてしまう時代に、隣国を征服し肥大し続ける軍事国の次なる標的に選ばれてしまったのだ。
 国境を破られ、王都へ向けて歩みを進める侵略者に敵う兵力はなかった。無抵抗に降伏しても老人と男は皆殺しにされ、女は子を生まされ、子は奴隷へと洗脳される。他の国々がそうされたように、プレガーレもそうなってしまう。
 神に祈っても侵略者へ雷が落ちることはない。無惨に死に、支配されるだけの未来に絶望する中、魔術兵を取り纏める若き兵長であるゼノは城の書庫から一冊の禁書を見つけ出した。
 悪魔を喚び出す儀式手順が事細かに記されたそれに、ゼノはすがった。国王へ直訴し、諦めきっていた彼は「好きにしろ」と禁忌の儀式を許した。部下達に協力を求めると頷く者は多かった。
『来たれ、漆黒の闇。我を贄とし我と契りを結びたまえ』
 禁書のままに呪文を紡ぐ。魔法陣から溢れる淀みは黒い霧のように地下室を包み込んでいたが、不思議と恐怖や不安はなかった。
「……えっ、」
 唐突に、何かがゼノの指に触れた。それは誰かの手で、冷たいそれがゼノの手に絡むように添えられ、握り包まれる。
 ゼノの背後に誰かが立っていた。それなりに背丈のあるゼノよりさらに高い、背中越しにも逞しさがわかる体は男のものだ。空いていたもう片方の手も握られ、驚き固まっているゼノの顔に冷たい誰かが頬を擦り寄せた。
「契ろう。我が贄。我が主」
 ゼノを囲い立つ部下達も、流石にいきなり現れた謎の男に驚き、ざわめいていた。得体の知れない存在に引っ付かれ、狼狽えながらもゼノは聞かなくてはならない問い掛けをする。
「貴方は誰?」
 男は背後から動き出し、ゼノの前へ立った。長い黒髪から覗く赤い瞳は、ただゼノを見つめている。
「俺はハウレス。お前の喚んだ救いの悪魔。お前の敵を皆殺しにする者だ」
 そして、と続けた言葉にゼノは耳を疑った。
「贄たるお前の伴侶になる」
 契りを誓うように、ハウレスはゼノへ顔を寄せ、唇を重ね合わせた。

 ハウレスは言葉の通りにした。救いの悪魔としてその身に宿る力で侵略者を討ち払い、プレガーレに平穏を戻した。
 そしてゼノの伴侶として、四六時中引っ付いては甘い顔と言葉を捧げた。いつしかゼノも同じように返し始めた。自分達を助けてくれたハウレスを、たとえ悪魔だとしても感謝し、慕うようになっていった。

「ハウレスって安上がりだよね。貴方を喚ぶ時、部下達だけじゃ足りないだろうって……この国全てを巻き込んでも仕方ないと思ってたよ」
 国を救う為に国を捧げる。それ程して喚び出せるかどうか、と考えていたゼノだったが、実際はゼノ一人が贄となった。それも食い殺されるだけの贄ではなく、愛し愛される関係になった。
「お前じゃなかったらそうしてたかもな。というかそれなら集団無理心中するつもりだったのか。お前は」
「……だって。このままだと死んだ方がマシな目に合うだけだったから。老人と男はね、見せしめと娯楽の為に苦しんで殺されるんだよ。親子同士で殺し合わせたり、猛獣の檻に入れられたり、奴らの貴族様なんかが人を殺してみたいから一人寄越せって玩具にしたり」
「いい趣味をしている。女は種付けして民族浄化だったか?」
「そう。誰でも何でもしていい奴隷になる。性的な意味だけでなく、家事労働も押し付けてね。子供は奴隷教育を施して、反抗的なら殺すだけ。従うなら生きた兵器にして前線送りにするんだ」
 そうなるくらいなら全員一緒に死んでしまった方がいいのではないかとすら思っていた。
「……でも、私達は生きてる。貴方が奴らを殺してくれたから」
「うん。俺はお前の為にお前の敵を滅ぼそう」
 物騒な言葉と裏腹に、見つめ合う二人は甘い雰囲気を纏っている。茜色に染まる空の下、王城の外壁の上で語らっていた二人の影は一つに重なっていく。
「……どうして私は殺さなかったの?」
「好みそのものだったから。その姿も……その魂も。何もかもが」
「ふふっ」
 口付けの後で尋ね、その答えに嬉しそうに微笑むゼノを見て。悪魔は端正な顔を溶かして笑う。彼らの正体と性別を気にしなければ、仲睦まじいだけの二人だった。

『私達は出会うべきじゃなかった』
『貴方を喚び出したのは間違いだった……』
 優しい記憶の終わりに、ゼノの呟きが聞こえてくる。深い後悔を含んだ声は、悲しくて仕方なかった。
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