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5.ゆらぐ気持ち

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 午後になり、今日やるべき仕事が順調に終わっていることを実感しホッとする。佐原が仕事を受け持ってくれたのもあるが、和泉の体調がすこぶるよくて、仕事がはかどるのも要因のひとつだ。

 この調子なら今日は残業なしで帰ることができるだろう。今日は仕事のあと佐原の誘いに乗らなければならないが。



「和泉! これの修正の仕方、教えて」

 蔵橋に呼ばれて「はい!」と和泉は席を立ち、蔵橋のデスクへと向かう。蔵橋は和泉が作成した医薬品製造工程の管理マニュアル資料と睨み合いの格闘をしている最中だった。

「これからは俺も和泉の仕事、覚えるから。今まで仕事押し付けるようなことしてたんだな……ホントごめん」
「いいえ。これは俺の仕事ですから。でも仕事の共有はいい案だと思います」

 和泉も以前から思っていた。担当がひとりしかいないのは、例えば和泉が急に倒れたときなどに引き継ぎもままならない状況になり、対応に問題が生じるのではと懸念していたからだ。

「そうだよね。ごめんねありがとう。……えっと、これは?」
「これはですね……」

 蔵橋と一緒に仕事をしてみれば、すごく優しくて賢い人だということがわかる。仕事の覚えがめちゃくちゃ速いし、明るくて、機転が効くから話が面白い。蔵橋は典型的な商社マンタイプだ。

「あー! 頑張った! 和泉、ちょっと休憩っ!」

 仕事がひと段落したところで、蔵橋に「なんか飲もう」と誘われた。蔵橋について行き、リラックスルームでいつもの銘柄のカフェラテを飲む。

「蔵橋さんて、佐原と前々から知り合いなんですか?」

 ずっと聞いてみたいと思っていた。佐原がこの部署にやってきたときからふたりは親しげに話をしていたから。

「うん。あいつとは大学が一緒。俺の二年後輩」
「そうだったんですね」

 蔵橋の経歴は国立大学の経済学部卒だ。佐原も蔵橋と同じ大学にいたとは知らなかった。

「佐原はマジやべぇよ、あいつはずっと首席。大学卒業してから仕事して、途中で海外行ってMBAだろ? あんな優秀な奴がどうしてうちの会社にわざわざ入社してきたのかマジわけわからん」
「そうですね……」

 総合商社とはいえ、ここは中堅だ。佐原の経歴ならもっと上を目指せたのではないかと首をかしげてしまう。

「しっかもなんでケミカルに来るんだよ、エネルギーやってりゃいいじゃん。あっちでずっと営業やってて一位なんだから」
「それは俺も思いました。なんででしょうね」
「今度あいつを居酒屋に呼び出してガンガン飲ませて問い詰めてやろうか? 俺たちふたりで聞き出してやろうぜ!」

 蔵橋はニヤニヤと嬉しそうだ。その様子からは佐原のことを気に入っていることがわかる。理由をつけて佐原と飲みに行きたいだけなのかもしれない。

「蔵橋さんがいれば、佐原も喋るかもしれませんね」

 蔵橋に強引に迫られてたじろぐ佐原を想像しただけでおかしくなってきた。あの佐原が慌てるさまをこの目で是非見てみたい。

「マジで飲みに行こう! ついでにあいつに彼女がいるか聞いちゃう?」

 今の佐原にはDom/Subのパートナーはいないということだけはわかっている。パートナー以外に彼女を持っているDomもいるが、佐原はそんなふうな男には思えなかった。

 そういえば今までの佐原の恋愛遍歴は聞いたことがない。いつから今の相手に片想いをしているのだろう。

「佐原って、大学のときに彼女はいたんですか?」

 これは完全に和泉の興味本位だ。
 蔵橋が佐原のことをどこまで知っているかはわからない。でも佐原が構内で有名人だったとしたら何か知っているかもしれない。

「んー。どうなんだろ。佐原はめちゃくちゃ言い寄られてたのに、誰とも付き合わなかった。実は大学の奴らが知らないところで内緒の相手がいるんじゃないかって噂だった」
「えっ?」
「だってあいつDomだぜ? Domなら普通Subのパートナーがいるはずじゃん、身体もたないから。実際Subにも言い寄られてたし、佐原ならフリーってことないだろ」
「はい……」

 そのとおりだと思う。DomもSubもパートナーなしに生きていくのは苦しい。薬があっても抑えきれない欲と体調不良に苛まれるのは楽じゃない。



「今、佐原はやばい噂流れてるから」
「やばい噂、ですか?」
「そう。うちの会社の幹部とデキてるって噂」
「えっ?」
「佐原をこの会社に連れてきたのも、その幹部の女らしい。社内恋愛だから隠してるのかもしれないけど、仲良すぎるんだよ。この前もわざわざフロアに降りてきて佐原を呼びにきたんだって。変だろ?」

 たしかに入社二年目の平社員を呼びに来る幹部、という構図は不自然だ。それを見た周りが変に思うのもわかる。

「その幹部が誰か、聞いてもいいですか?」

 気になる。佐原の噂の相手が誰なのか。佐原はもしかしたらその人に片想いをしているのかもしれない。
 好きだからこの会社に誘われて入社した。好きだからその人にパートナーがいてもそばにいたいと思っているのではないか。

「あくまで噂だからな」

 蔵橋は辺りを見回してから「耳を貸せ」と和泉の耳元に唇を寄せる。

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