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8.離れていても
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「よかった。じゃあ行きましょう」
浜谷は「今日はうちの会社の経費で払いますね」と店員を呼び、支払いを済ませたあと、ホテルの外へと和泉を誘う。
そういえば、浜谷とは仕事上では何度も会っているが、ふたりでゆっくり話をしたことなどなかった。
知っているのは、浜谷がDomで、和泉よりひとつ年下の二十六歳にして期待のエースであること、村井から信頼を勝ち得ていることくらいだ。
佐原だったらもっとたくさんのことを質問して相手を知ろうとするのだろう。
佐原は基本的に人が好きなのかもしれない。だから相手に興味を持つ。独りよがりで自分のことばかりの和泉とはタイプが違う。
佐原みたいになりたい、と思った。あそこまではなれなくても、もっと他人を好きになる、自分も心を開いてもいいのではないか。佐原と出会ってそんなふうに思えるようになった。
ラウンジを出てすぐ、煌びやかにオーナメントが施された大きなクリスマスツリーが目に飛び込んできた。
「もうすぐクリスマスですね。和泉さんは今年のクリスマスのご予定は?」
「クリスマスですか? 特になにも……多分仕事ですね」
ここ数年、世間の賑わいとは無縁にクリスマスを過ごしている。ひとりでケーキを食べるのも虚しくて、特別なことは何もしていない。
「一緒です。僕も仕事で。じゃあ僕と今からクリスマスっぽいことしませんか?」
「なんですか、っぽいことって……」
「まずは、イルミネーションを見て回りません?」
「いや、あの……」
「少しだけ。付き合ってくださいよ、村井さんたちが戻るまでのあいだで構いませんから」
「わかりました……」
たしかに断っても特別やることなどない。今は二十時を過ぎた頃で、和泉としてもこのまま帰宅したり会社に戻ったりする気にならなかった。ここで佐原が戻るのを待っていたかった。
浜谷とふたり、イルミネーションで彩られた街中を散歩しながらお互いの話をする。
「和泉さんて、両親いないんですかっ? すみません、まったく知らなくて」
「いいですよ、別に。事故もずいぶん昔の話ですから。そういえばこういう話、したことなかったですね」
普段、浜谷とは仕事の話ばかりだ。
「付き合いは長いのに、お互いのことあまりわかってなかったですね」
浜谷は微笑みかけてくる。
「僕の両親は冷たい人でしたよ。僕にはDomの兄貴がいまして。恐ろしく優秀なんです。例えるなら佐原さんみたいな人かな。なんの努力もしないで才能とセンスだけでトップにいるようなタイプです」
少しカチンときた。佐原は努力をしている。隣で見ていたからわかる。ケミカル事業部に来てから慣れない業務を必死で学ぼうとする姿勢は、見ていて好感が持てた。
佐原はそんな奴じゃない! と言い返したくなったが、話の筋を折ることもできずに和泉は口をつぐんだ。
「兄ばかり可愛がって、僕は『お前本当にDomか?』なんて言われちゃって。Domですが、劣等感の塊でした」
「そうだったんですか……Domも大変なんですね……」
浜谷はとても優秀だ。それでも際限なく上には上がいて、Domの社会の中でもいろいろと摩擦や葛藤があるのだろう。
「でも浜谷さんなら大丈夫ですよ。仕事もいつもミスなく完璧ですし、頼りがいありますし」
浜谷はいつも完璧だ。一字一句ミスしたところを見たこともないし、知識を間違えることもないので仕事をしていても浜谷の言葉には信頼感がある。
「本当ですか? 僕を頼りになるDomだと思ってくれるんですか?」
「はい。頼りにしています。これからも一緒にいい仕事ができたらいいですね」
ユウワ製薬との繋がりは大切だ。今日は大切な第一歩を踏み出したばかりの日で、これからもうまく付き合っていきたいと和泉は考えている。
「またそんなことを言って。和泉さんて本当そういう無自覚なところありますよね」
「えっ……?」
和泉がふと浜谷のほうを振り向いたときだった。
浜谷が和泉の腕をぐいっと引っ張り、イルミネーションで彩られた街路樹の裏の暗がりへと和泉を連れ込む。
「和泉さん。あなたSubでしょ?」
突然囁かれた言葉に、和泉は目を見開いた。
なぜそれを浜谷が知っているのだろう。この前、薬を飲もうとしたとき、和泉は咄嗟に手の中に隠した。あれだけでは判断し難いはずだ。
「Look」
浜谷から無情なコマンドがくだされた。まずい、支配される、と思ったときにはすでに囚われていた。
Domの目を見てはいけない。わかっているのに身体が言うことを聞かない。
「やっぱり。コマンドが効いているみたいですね」
悔しいが、目を逸らせない。DomのコマンドはSubにとって絶対で、抗うことはできない。
「前々からあなたはSubじゃないかと思っていたんです。それでこの前、密かに様子を見ていたらあなたはトイレで苦しそうにしながら薬を飲もうとしていた。あれは、Subがよくやる行動ですよ。あなたの年で持病の薬とは珍しい。和泉さんがSubだとしたら全部ピッタリと当てはまります」
浜谷は前から和泉のことをSubではないかと疑っていたのだ。それで密かにこちらの様子を陰から見ていて、そのことに気がついたのだ。
そして試しに和泉にコマンドを放った。
油断していた和泉はそれに囚われ、Subだということを自らの身で証明してしまった。
浜谷は「今日はうちの会社の経費で払いますね」と店員を呼び、支払いを済ませたあと、ホテルの外へと和泉を誘う。
そういえば、浜谷とは仕事上では何度も会っているが、ふたりでゆっくり話をしたことなどなかった。
知っているのは、浜谷がDomで、和泉よりひとつ年下の二十六歳にして期待のエースであること、村井から信頼を勝ち得ていることくらいだ。
佐原だったらもっとたくさんのことを質問して相手を知ろうとするのだろう。
佐原は基本的に人が好きなのかもしれない。だから相手に興味を持つ。独りよがりで自分のことばかりの和泉とはタイプが違う。
佐原みたいになりたい、と思った。あそこまではなれなくても、もっと他人を好きになる、自分も心を開いてもいいのではないか。佐原と出会ってそんなふうに思えるようになった。
ラウンジを出てすぐ、煌びやかにオーナメントが施された大きなクリスマスツリーが目に飛び込んできた。
「もうすぐクリスマスですね。和泉さんは今年のクリスマスのご予定は?」
「クリスマスですか? 特になにも……多分仕事ですね」
ここ数年、世間の賑わいとは無縁にクリスマスを過ごしている。ひとりでケーキを食べるのも虚しくて、特別なことは何もしていない。
「一緒です。僕も仕事で。じゃあ僕と今からクリスマスっぽいことしませんか?」
「なんですか、っぽいことって……」
「まずは、イルミネーションを見て回りません?」
「いや、あの……」
「少しだけ。付き合ってくださいよ、村井さんたちが戻るまでのあいだで構いませんから」
「わかりました……」
たしかに断っても特別やることなどない。今は二十時を過ぎた頃で、和泉としてもこのまま帰宅したり会社に戻ったりする気にならなかった。ここで佐原が戻るのを待っていたかった。
浜谷とふたり、イルミネーションで彩られた街中を散歩しながらお互いの話をする。
「和泉さんて、両親いないんですかっ? すみません、まったく知らなくて」
「いいですよ、別に。事故もずいぶん昔の話ですから。そういえばこういう話、したことなかったですね」
普段、浜谷とは仕事の話ばかりだ。
「付き合いは長いのに、お互いのことあまりわかってなかったですね」
浜谷は微笑みかけてくる。
「僕の両親は冷たい人でしたよ。僕にはDomの兄貴がいまして。恐ろしく優秀なんです。例えるなら佐原さんみたいな人かな。なんの努力もしないで才能とセンスだけでトップにいるようなタイプです」
少しカチンときた。佐原は努力をしている。隣で見ていたからわかる。ケミカル事業部に来てから慣れない業務を必死で学ぼうとする姿勢は、見ていて好感が持てた。
佐原はそんな奴じゃない! と言い返したくなったが、話の筋を折ることもできずに和泉は口をつぐんだ。
「兄ばかり可愛がって、僕は『お前本当にDomか?』なんて言われちゃって。Domですが、劣等感の塊でした」
「そうだったんですか……Domも大変なんですね……」
浜谷はとても優秀だ。それでも際限なく上には上がいて、Domの社会の中でもいろいろと摩擦や葛藤があるのだろう。
「でも浜谷さんなら大丈夫ですよ。仕事もいつもミスなく完璧ですし、頼りがいありますし」
浜谷はいつも完璧だ。一字一句ミスしたところを見たこともないし、知識を間違えることもないので仕事をしていても浜谷の言葉には信頼感がある。
「本当ですか? 僕を頼りになるDomだと思ってくれるんですか?」
「はい。頼りにしています。これからも一緒にいい仕事ができたらいいですね」
ユウワ製薬との繋がりは大切だ。今日は大切な第一歩を踏み出したばかりの日で、これからもうまく付き合っていきたいと和泉は考えている。
「またそんなことを言って。和泉さんて本当そういう無自覚なところありますよね」
「えっ……?」
和泉がふと浜谷のほうを振り向いたときだった。
浜谷が和泉の腕をぐいっと引っ張り、イルミネーションで彩られた街路樹の裏の暗がりへと和泉を連れ込む。
「和泉さん。あなたSubでしょ?」
突然囁かれた言葉に、和泉は目を見開いた。
なぜそれを浜谷が知っているのだろう。この前、薬を飲もうとしたとき、和泉は咄嗟に手の中に隠した。あれだけでは判断し難いはずだ。
「Look」
浜谷から無情なコマンドがくだされた。まずい、支配される、と思ったときにはすでに囚われていた。
Domの目を見てはいけない。わかっているのに身体が言うことを聞かない。
「やっぱり。コマンドが効いているみたいですね」
悔しいが、目を逸らせない。DomのコマンドはSubにとって絶対で、抗うことはできない。
「前々からあなたはSubじゃないかと思っていたんです。それでこの前、密かに様子を見ていたらあなたはトイレで苦しそうにしながら薬を飲もうとしていた。あれは、Subがよくやる行動ですよ。あなたの年で持病の薬とは珍しい。和泉さんがSubだとしたら全部ピッタリと当てはまります」
浜谷は前から和泉のことをSubではないかと疑っていたのだ。それで密かにこちらの様子を陰から見ていて、そのことに気がついたのだ。
そして試しに和泉にコマンドを放った。
油断していた和泉はそれに囚われ、Subだということを自らの身で証明してしまった。
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