暗殺するため敵国に来たが愚王というのは嘘で溺愛され妃に迎え入れられました

雨宮里玖

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オメガの妃

1.

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 カイルの一行は首都アウレカへと向かった。

「すごい……」

 アウレカの町は、信じられないくらいに発展していた。大きな石の建物が立ち並び、カイルが設立したという王立学校の建物もあった。
 店には活気があるし、町も人も小綺麗だ。なんだか自分が何も知らない田舎者みたいに思えてきた。



 カイルの帰還に城の者たちがズラリと出迎えている。左右に並んでカイルの姿が現れたと同時に一斉に頭を下げる姿にユリスは腰がひける。
 というのもカイルの指示で、カイルのすぐ隣を歩くように言われたからだ。
 カイルをとりまく護衛や貴族の身なりを見るとユリスは明らかに浮いている。
 そして皆の視線をひしひしと感じる。それは好意的ではなく「なんであんな奴が国王の隣にいるんだ」というような痛い視線。

「あれがオメガの妃殿下……?」
「やっぱりオメガには務まらないわよね……」

 ユリスの耳に届く声はどれもユリスの存在を否定するものばかり。
 それはそうだろう。例え法律を変えてもいきなり国の最上位となる国王の妃がオメガだなんて受け入れられないことだ。

 それにしてもユリスはすっかりカイルの妃候補になっている。ユリスとしてはそんな気はなく、明日にでもカイルの命を奪ってここを立ち去らねばならないのに。

「ユリス。何を言われても気にするな。お前には俺がついてる。この城で嫌な目に遭ったらすぐに俺を頼れ。必ず守ってやる」

 カイルはユリスの不安を察したのか、ユリスの肩を抱き寄せ、耳元でそう囁いてきた。
 そんなユリスに対するカイルの態度を見て家臣たちはざわざわしている。




「ヒイラ。ユリスの部屋は薔薇の間にせよ」

 城内で出迎えたヒイラと呼ばれる初老の男は位が高そうだ。大臣のような立場だと伺える。

「陛下、お言葉ですが薔薇の間は国王の妃のためのお部屋です。正式に妃となられてから使われるのがよろしいかと」
「いや、いい。ユリスには薔薇の間を与える。従者も相応の人数をつけろ。その他の待遇もすべてだ」
「本気ですか? それでは他の者に示しがつきません……」
「ああ。本気だ。何度も言うが俺はユリス以外の妃も側室も要らない。だからあの部屋をユリス以外の者が使う日なんて絶対に訪れない。ならば空けておく必要などなかろう?」
「か、かしこまりました……」

 ヒイラはカイルに従うべき立場だ。それ以上の意見を申すことはなく「準備をして参ります」と下がっていった。


「ユリス。とりあえずお前に部屋を与えるが、ユリスが妃となったら、王と王妃の部屋をひとつにすることも考えている。だがそれはまだ気が早いな」

 カイルは照れているのか、頬を赤らめて恥ずかしそうに視線を逸らした。

 本来国王は、たくさんの子孫を残すために妃の他、何人もの側室を抱えるのが常識だ。
 そして夜毎に国王がその日の夜伽の相手を選び、王妃や側室の部屋を訪れるものなのに、国王と王妃の部屋をひとつにしてしまったら、国王は毎晩王妃と共に過ごすことしか出来なくなるのではないか。

「ユリス様のお部屋の支度が整いました! ユリス様、どうぞこちらへ」

 ヒイラに呼ばれてユリスはミハルドを連れ、後についていった。





「これが部屋なのですか……?」

 何もかも広すぎる。応接室も、寝室も、書斎もある。専用の湯浴みまであり、専属の従者に護衛兵もつくようだ。

「はい。ユリス様のお部屋です。この部屋にあるものはすべてユリス様のものです。こちらにはお洋服も揃っています。ご自由にお使いください」

 従者のリュークがユリスにひと通りの部屋の案内をしてくれた。
 リュークは可愛らしい顔をした小柄な男だ。ユリスも身体が大きいほうではないが、そのユリスよりも更に小柄だ。

「念のため説明しておきますが、陛下とまぐわうときに必要なものはこちらの引き出しに入っております」

 寝室の引き出しのひとつには、香油や清潔な布などがしまわれていた。そんなものまで用意されていてユリスは赤面する。

「カイル様とはそんな関係ではないから」

 ユリスは否定する。

「そうなのですね。陛下の求婚をお断りなさるとは私としては信じられませんけど」

 リュークの態度は冷たい。

「ユリス様。私もオメガです。陛下が法律を変えてくださったお陰で、こんな私でもアルファと結婚をすることが許されるようになりました。ですが実際には振られてばかりです。やはりアルファの殿方はアルファの女性がいい、オメガは嫌だと言われます。そんな中、ユリス様はアルファの殿方から求婚されている。しかも相手は陛下です。それがどれだけ恵まれていることなのか気づきもしないなんて随分と傲慢なお方ですね」

 リュークは言葉こそ丁寧だが、ユリスを非難している。普通だったらカイルの求婚は二つ返事で受け入れることなのだろう。
 カイルは優しいからユリスのこと待ってくれている。だが待たれても、ユリスのカイルに対する返事は毒薬と短刀だ。カイルと結ばれる未来などない。

「リュークさんから見るとカイル様はどんなお方ですか?」

 ユリスが訊ねると「リュークと呼び捨てにしてください」と即座に言われた。

「陛下は素晴らしい国王様です。オメガもアルファも関係なく同じように接してくださいますし、私のことも褒めてくださるんですよ? 今回だってユリス様のお世話係という大役を任せてくださいました。その見返りに私の家族に家を贈ってくださったんです。うちはオメガだけの家系だったのに、あんなに立派な家に住まわせてくださって感謝しかありません」

 リュークは言葉を続けた。

「ユリス様が羨ましい。陛下に求婚されるなんて。余るほどのものを贈られて。私は妹のために薬代を稼ぐ毎日なのに……」
「妹がいるのか?」
「はい。五歳違いの妹です。流行り病にかかり、一年間も寝込んでいます」
「その妹のために働いているのか?」
「はい。でも、足りません。薬が高すぎるのです。薬さえちゃんと飲めれば治るかもしれないのに」

 ユリスは「ちょっと待て」と、レオンハルトから手渡された宝石や金貨の袋を取り出した。

「リューク。これで足りるか?」
「え!!」

 リュークは袋の中身を見て驚いている。

「これをリュークに贈る。これで今すぐ薬を買って妹のもとに届けろ」
「ユリス様、何をおっしゃるんですか?!」
「だから、薬を買ってこいと命令した」
「ユリス様、その袋の中身はナルカから持ってきた全財産ですよ!」

 ふたりのやり取りを黙って見ていたミハルドが口を挟んできた。

「そうなのか。でも私には必要ない」

 これはもともとレオンハルトが急遽ユリスに持たせたものだ。数日後にはカイルと刺し違えようとしているユリスにとってはこんなものは不要だ。

「一刻も早く妹を助けてきなさい。最善と思う治療はすべて受けさせてやるんだ。急いで戻ってこなくてもいい。私は身の回りのことは自分でできるから」

 お金で助けられるなら、妹を助けてやって欲しい。自分は任務に失敗し、セレナを助けてやることはできないかもしれないから。

「ユリス様、信じられません……。だって私は今日出会ったばかりですし、私が嘘をついているかもしれないんですよ?!」
「嘘なら嘘でいい。リュークの妹が元気ならなりよりだ」

 セレナが不貞罪に問われていることも嘘であって欲しい。牢獄に囚われているなんて伝書の間違いだったらどれだけ嬉しいか。

「ユリス様。申し訳ないですが、この宝石と金貨を使わせていただきます」
「ああ」

 ユリスは頷いた。

「こんな大金は受け取れません。ですからお借りします。時間をかけてでも必ずお返しします!」
「別に返さなくてもいい」
「いいえ。そうは参りません。薬を買って妹に届け、必ず戻ります。ユリス様。それでよろしいですか?」
「ああ。許可する」

 リュークはユリスに「ありがとうございます!」と何度も頭を下げて出て行ったが、ミハルドは反対に怒っている。


「ユリス様! あんなことをなさってはいけません! 他の従者もいるんですよ?! なぜあの者だけ特別に報酬を与えるのですか?!」
「ミハルドも何か欲しいのか?」
「いえっ、決してそういうわけではなく、平等に接せねばならないということです。それになんでも人に簡単に与えてしまっては何もかもを取られちゃいますよ」
「さっきのが全財産なんだろう? じゃあもう取られるものは何もないよ」
「ユリス様っ……!」



 ふたりが言い合っていると、銀のワゴンがガラガラと現れた。ユリスの部屋に何か届いたようだ。

「陛下からのお言葉です。『ユリス様が喜ばれますように』とのことです」

 ユリスの従者・ナターシャが頭を下げた。
 ワゴンに載っている皿の上のクロッシュ(銀の蓋)が取り除かれた。そこには色とりどりの見たことがない食べ物が並んでいる。

「これは……?」
「ケーキですが……」
「ケーキ?」

 なんだろう。国が違えば食べ物も違うようだ。

「甘くて柔らかい食べ物ですよ。とても贅沢な食べ物です」

 ワゴンに載っているのはケーキだけじゃない。
 それらひとつひとつ、ナターシャが「これはチョコレートです」「これはサンドイッチです」と説明してくれる。

「どんな味がするのだ?」
「食べたことはないのですが……貴族の方々は好んで召し上がっているので美味しいものだと思います」
「そうか……」

 ユリスもそうだが、ミハルドもこんな食べ物は見たことがないようで興味深々に覗き込んでいる。

「ユリス様。どうぞ召し上がってください」

 ナターシャはテーブルの上に手際よくケーキの皿を並べた。

「わかった。皆で食べよう。ナターシャはどれが食べたい?」
「えっ!! いえ、これは陛下がユリス様のために特別に用意されたものですから……」
「だったら私がどうしても構わないってことだよな。ほら、ミハルドは? どれが食べたい?」
「ユリス様……ご自身のお立場をお考えください」
「そんなものはないよ。アベルとカサンドラ、リリアも一緒に」

 ユリスは端に控えていた三人の従者も呼ぶ。

「もう私たちの名前を覚えたんですか?!」

 アベルが名前を呼ばれて驚いている。

「当たり前だ。ほら先に選べ。私はどれも食べたことがないからなんでもいい」

 結局従者とテーブルを囲んでティーパーティーを開くような形になった。

「ふわふわだ……」
「ふわふわですね……」

 不思議な食べ物だ。いつも固いパンと冷たいスープの食事だったから、甘くてふわふわしたものは食べたことがない。

「こんな味だったんですね……とても美味しいです」

 ナターシャもパクパク食べている。

 皆、最初のときはユリスと同じテーブルにつくことも畏れ多いと言っていたが、最後の頃にはだいぶ打ち解けてカイルの城の色んなことを話してくれた。




 
 夕食の時間になり、呼び出された場所にいくと、広くて絢爛なダイニングテーブルの前に座り、カイルが待っていた。
 カイルに促されユリスも席につく。食事をとるのはふたりきり。あとは従者がいるのみだ。

「ユリス。この城の生活は気に入らないのか?」

 食事をしながら訊かれた。カイルはなぜか不服そうだ。

「いえ、まったくそんなことはございません。むしろ贅沢過ぎるくらいです」

 足りないものなど何もない生活だ。ユリスの身に余る待遇に感謝こそあれ、気に入らないことなどない。

「じゃあなぜ、俺が選んだ従者のリュークを追い出し実家に帰したりしたんだ? リュークの何が気に入らなかった? 正直に言え」
「それは……」

 ユリスが事情を説明すると、カイルは「全財産をリュークに預けたのか?!」と驚いている。


「次に。俺がユリスに贈ったケーキを食べずに従者に処理させたというのは本当か? 甘いものは嫌いか? それとも俺が嫌いなのか?」
「いえ。私も食べましたし、とても美味しかったです。たくさんあったので皆でわけただけです。カイル様。お気遣いありがとうございました」
「従者と食事を共にしたのか?!」
「はい。私が皆を誘いました」

 何がいけないのだろう。ユリスにはカイルが驚く意味がわからない。

「ユリスは変わってるな……。だが理由はわかった。安心したよ。ここの暮らしが窮屈ではユリスに申し訳ないからな」
 カイルの表情が和らいだ。どうやら少し勘違いをしていたようだ。


「カイル様のお陰で窮屈なことなどございません。ここで暮らせたら幸せでしょうね……」

 つい本音がこぼれる。このままカイルの庇護のもと暮らせたらどんなにいいだろう。
 西国ケレンディアなら、オメガでも大切にしてもらえる。祖国を捨てていっそ亡命してしまいたい。
 だが駄目だ。ユリスひとり逃げおおせても、妹と母は犠牲となる。そうなるくらいなら自分が死んだほうがいい。

「そんな寂しいことを言うな。ユリスはこれからずっと俺のそばにいてくれていい。もうナルカに返す気はないぞ」
「カイル様……」

 カイルという男を知れば知るほど危険だ。いざという時に自分の判断が鈍りそうで怖い。

「ふわふわだ……」

 ユリスの目の前に運ばれてきたのはパンだ。触ると温かくふわふわしている。併せて出てきたシチューには、よく煮込んだ肉が入っている。肉なんて最後に食べたのはいつぶりか憶えていない。
 口いっぱい頬張ると幸せな気持ちになる。
 こんな贅沢を覚えてしまったら、以前の暮らしに不満を持つようになってしまいそうで怖い。

「ユリスは可愛いな。急いで食べたのか? 口の周りを汚してるぞ」

 カイルは席を立ってまでユリスのそばにきてユリスの口元についたものを口づけするようにして舐めとった。

「えっ……」

 今のはほとんどキスだ。従者も見ている前でよくこんな真似を……。

「ユリスとこうして一緒に食事ができるなんて信じられない。やっと俺の念願が叶った」
「そんな……」

 どうしてカイルはこんなにも愛そうとしてくれるのだろう。
 すべてを捨てて、カイルに縋りついてしまいそうで怖い。


 何が正しくて、自分はどうすべきなのだろう。頭が混乱してきた。
 この湧き上がる怖さの正体はなんだろう。ずっと抑えていた自分自身の欲望が、静かに頭をもたげてきたせいかもしれない。
 幸せになりたいという、不相応な感情が。
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