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第3章 お米には七人の神さまがいるんだよ
6.それはとてつもなく穏やかで心豊かな時間で
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学祭明けの日曜日。
今日も風が心地いい好天で、そろそろラベンダーが満開だ。
柚月がいそいそと天陣山へ向かうと、公武は相変わらず既に約束の斜面で待っていた。
「乙部先生から連絡をいただきました。東北の大学へ出張だそうで。お忙しいですねえ」
「静かでいいんですけどね」
「そんなことは」
いいつつ公武はレジャーシートへおにぎりの入った容器を置いた。柚月もその隣へ弁当箱を広げる。
「ではよろしくお願いします」と公武に勧められて、「あら?」と柚月は首をかしげた。
「証拠写真を撮らなくてもいいんですか?」
ああ、と公武は苦笑する。
「もういいといわれました」
「信頼してもらえたってことですね」
「どうでしょうか。僕にそんなつもりはなかったんですが。どうもその、ひとつの画面におにぎりと僕、それに柚月さんが映るのがお気に入らないようで」
「証拠写真なんだから仕方ないでしょう?」
「そうなんですけど」
巌からすると、「なにが悲しくて毎回、娘がほかの男と楽しく弁当を食っているイチャコラ画像を見なくちゃならんのだ」というところらしい。
自分でいい出しておいて、この言い草である。
「勝手な父ですみません」
「いえいえ。乙部先生が心配なさるのも当然です。こんなに素敵な柚月さんなんですから」
「え」と動きを止めると、自分の発言に我に返ったらしい公武が、「あ、いやその」とあわてて「まずこちらからお願いできますか?」と容器を差し出した。
うなずいて、はむっと頬張る。塩昆布がたっぷりと入っていた。
「食べ応えがありますねえ。優しい味わい。好きな味です」
「よかったー。柚月さんにそういっていただけて安心しました。実はこれを食べた上司に『インパクトが薄い』といわれまして。進歩がまったくないかと不安でした」
「優しい味わいなのが上司の方のお口に合わなかったんでしょうか」
「ですが僕は柚月さんのおにぎりを目指したいんです」
「公武さんが思っていらっしゃるわたしのおにぎりって?」
「口に含んだ瞬間、ふわっとして、噛むほどに身体へしみ込むおにぎりです。食べ進むにつれて元気になれる」
聞いているうちに頬が赤らんでくる。
「上司のいうこともわかります。そういうあいまいな味はキャッチコピーをつけにくい。夏ですし、濃い味付けが求められます。塩味を強くですね。そのうえで、柚月さんの味わいも譲りたくないんです」
「大変そう」とほうっと息をはく。
「柚月さんのおにぎりに出会ってしまいましたから」と公武は笑い、「それでこういうのを作りました」と別の容器を差し出した。
「さきほどのものより、さらに塩味を利かせたものと、柚月さんのテイストを濃くしたものの二種類を作りました。試していただけますか?」
容器をのぞき込む。見た目はさほど変わりはない。二種類のおにぎりを交互に頬張る。……困った。違いがわからない。
眉間にしわをよせていると「駄目でしたか」と公武は肩を落とす。
「わたしの握るものと比べるのなら、お伝えできることがあります」
「そ、それは?」
「公武さんがおっしゃるように、わたしのおにぎりはふんわり握るのが特徴です。それでは物足りないと上司の方がおっしゃるなら具の量を増やすのはどうでしょう」
柚月は最初の容器を手に取る。
「最初にいただいたおにぎり、塩昆布がたっぷり入っていて楽しかった。それをより強調するのはどうですか? わたしはおかずも作るのでおにぎりの具のボリュームに気を配りませんでしたが、おにぎりだけで満足できるたっぷりな具にするのはどうでしょう」
「確かに。柚月さんに近いふわっとしたおにぎりにたっぷりの具材だったらメリハリがあっていいですねえ」
「ああでも、コンビニのおにぎりでもたっぷり具材のものがありますね。新鮮味にかけちゃうかなあ」
いいえ、と公武は大きく首を振る。
「基本的に米の握り方が違うので問題ありません。柚月さんの握り方に近いようにふんわりと握る技術力があるのがウチの強みなんです」
しかも、と公武は誇らしそうに続ける。
「再生可能エネルギーを使ってです」
「普通の電源とかがいらないってことですか?」
「ソーラーパネルからの太陽光発電やモバイル式の風力発電も対応可能なんです。パワフルなモバイル蓄電池も開発しているんですよ」
「ロボットだけじゃないんですねえ」
「とはいえ、技術力はあっても僕が使いこなせていないので、柚月さんのおにぎりにはまだまだ程遠いわけですが──」
うなだれた公武の腹が、ぐうう、と鳴った。
「すみません」と顔を赤らめる公武の声に、柚月も「すみません」と声を乗せた。
「わたしばっかりいただいていました。公武さんも召しあがってください」
「まだ大丈夫で──」
「今日のお弁当は甘―い玉子焼きにチーズハンバーグ、レンコンのきんぴらにブロッコリーのおかか和え。おにぎりもいくつか握りました。デザートは梅シロップ白玉です」
「いただきます」
即答する公武をクスクスと笑う。
弁当箱を差し出すと、公武は真っすぐにおにぎりへ手を伸ばした。梅のおにぎりだ。
「くうっ。やっぱり柚月さんのおにぎりは最高です」
目尻に涙まで浮かべて食べ進める。
「これに梅倍増とかチーズとかおかかが入っていたらインパクトありますよね」
混ぜご飯にしても面白いし、サイズを特大にするのもいい。弁当を食べ進みながら二人であれこれアイデアを出していく。
ひといき食べ終わって公武は「幸せだなあー」と間延びした声をあげた。
「こんなふうにアイデアが出て、ぐいぐいカタチになって、しかもこんないいお天気のもとで考えをまとめられるなんて」
そこまでいって柚月へ笑みを向ける。
「柚月さんのおかげです。ありがとうございます」
「わたしも楽しいです」
「お礼をさせてください。なにがいいですかね。金銭では乙部先生に怒られそうですし。女子高生が喜ぶものってなんでしょうか」
うーん、と顎へ手を当てる公武へ「だったら」と柚月はカバンを引きよせる。そして参考書を取り出した。
「物理を教えてください」
「へ?」
「明日から定期テストで。いまいちよくわからないところがあって。工学博士の公武さんならおわかりかなあって」
「テスト前だったんですか? だったら今日は勉強していたかったでしょうに。無理をいいまして申し訳ありません」
ええとどこですか? と公武は参考書をのぞき込む。
ああそれはこうしてああして、と公武はスラスラと説明をしてくれた。わかりやすい。さすが京都の大学を卒業した人だ。
ひととおり教わると、今度は柚月が上気した顔で空を見あげた。
「すごい達成感です。スッキリです。父に聞いても『どうしてこれがわかんねえんだよ』で喧嘩になっちゃって。ありがとうございました」
「お役に立ててよかった。僕でよかったらいつでも尋ねてください」
はい、と柚月は笑みを広げる。頼もしい。
実は──昨日、今日とずっと陽翔のことを考えていた。
考えるほどにどうしたらいいのかわからなかった。そして考えるほどに公武の存在が大きくなっていった。今日もこうして頼りがいがあると、ますますそう思ってしまう。
陽翔くんのことは嫌いじゃない。だけど、付き合いたいとかそういう思いは、どうしてか湧いてはこなかった。陽翔くんと二人で並んで歩く姿が想像できない。
だけど、と隣を見る。
「どうかしましたか?」
公武の声に小さく首を振る。ただぼんやり空を眺めて、お弁当を食べて、いつまでもこうして一緒にいられたらなあ。一緒にいたいなあ。
……わがままかなあ。
今日も風が心地いい好天で、そろそろラベンダーが満開だ。
柚月がいそいそと天陣山へ向かうと、公武は相変わらず既に約束の斜面で待っていた。
「乙部先生から連絡をいただきました。東北の大学へ出張だそうで。お忙しいですねえ」
「静かでいいんですけどね」
「そんなことは」
いいつつ公武はレジャーシートへおにぎりの入った容器を置いた。柚月もその隣へ弁当箱を広げる。
「ではよろしくお願いします」と公武に勧められて、「あら?」と柚月は首をかしげた。
「証拠写真を撮らなくてもいいんですか?」
ああ、と公武は苦笑する。
「もういいといわれました」
「信頼してもらえたってことですね」
「どうでしょうか。僕にそんなつもりはなかったんですが。どうもその、ひとつの画面におにぎりと僕、それに柚月さんが映るのがお気に入らないようで」
「証拠写真なんだから仕方ないでしょう?」
「そうなんですけど」
巌からすると、「なにが悲しくて毎回、娘がほかの男と楽しく弁当を食っているイチャコラ画像を見なくちゃならんのだ」というところらしい。
自分でいい出しておいて、この言い草である。
「勝手な父ですみません」
「いえいえ。乙部先生が心配なさるのも当然です。こんなに素敵な柚月さんなんですから」
「え」と動きを止めると、自分の発言に我に返ったらしい公武が、「あ、いやその」とあわてて「まずこちらからお願いできますか?」と容器を差し出した。
うなずいて、はむっと頬張る。塩昆布がたっぷりと入っていた。
「食べ応えがありますねえ。優しい味わい。好きな味です」
「よかったー。柚月さんにそういっていただけて安心しました。実はこれを食べた上司に『インパクトが薄い』といわれまして。進歩がまったくないかと不安でした」
「優しい味わいなのが上司の方のお口に合わなかったんでしょうか」
「ですが僕は柚月さんのおにぎりを目指したいんです」
「公武さんが思っていらっしゃるわたしのおにぎりって?」
「口に含んだ瞬間、ふわっとして、噛むほどに身体へしみ込むおにぎりです。食べ進むにつれて元気になれる」
聞いているうちに頬が赤らんでくる。
「上司のいうこともわかります。そういうあいまいな味はキャッチコピーをつけにくい。夏ですし、濃い味付けが求められます。塩味を強くですね。そのうえで、柚月さんの味わいも譲りたくないんです」
「大変そう」とほうっと息をはく。
「柚月さんのおにぎりに出会ってしまいましたから」と公武は笑い、「それでこういうのを作りました」と別の容器を差し出した。
「さきほどのものより、さらに塩味を利かせたものと、柚月さんのテイストを濃くしたものの二種類を作りました。試していただけますか?」
容器をのぞき込む。見た目はさほど変わりはない。二種類のおにぎりを交互に頬張る。……困った。違いがわからない。
眉間にしわをよせていると「駄目でしたか」と公武は肩を落とす。
「わたしの握るものと比べるのなら、お伝えできることがあります」
「そ、それは?」
「公武さんがおっしゃるように、わたしのおにぎりはふんわり握るのが特徴です。それでは物足りないと上司の方がおっしゃるなら具の量を増やすのはどうでしょう」
柚月は最初の容器を手に取る。
「最初にいただいたおにぎり、塩昆布がたっぷり入っていて楽しかった。それをより強調するのはどうですか? わたしはおかずも作るのでおにぎりの具のボリュームに気を配りませんでしたが、おにぎりだけで満足できるたっぷりな具にするのはどうでしょう」
「確かに。柚月さんに近いふわっとしたおにぎりにたっぷりの具材だったらメリハリがあっていいですねえ」
「ああでも、コンビニのおにぎりでもたっぷり具材のものがありますね。新鮮味にかけちゃうかなあ」
いいえ、と公武は大きく首を振る。
「基本的に米の握り方が違うので問題ありません。柚月さんの握り方に近いようにふんわりと握る技術力があるのがウチの強みなんです」
しかも、と公武は誇らしそうに続ける。
「再生可能エネルギーを使ってです」
「普通の電源とかがいらないってことですか?」
「ソーラーパネルからの太陽光発電やモバイル式の風力発電も対応可能なんです。パワフルなモバイル蓄電池も開発しているんですよ」
「ロボットだけじゃないんですねえ」
「とはいえ、技術力はあっても僕が使いこなせていないので、柚月さんのおにぎりにはまだまだ程遠いわけですが──」
うなだれた公武の腹が、ぐうう、と鳴った。
「すみません」と顔を赤らめる公武の声に、柚月も「すみません」と声を乗せた。
「わたしばっかりいただいていました。公武さんも召しあがってください」
「まだ大丈夫で──」
「今日のお弁当は甘―い玉子焼きにチーズハンバーグ、レンコンのきんぴらにブロッコリーのおかか和え。おにぎりもいくつか握りました。デザートは梅シロップ白玉です」
「いただきます」
即答する公武をクスクスと笑う。
弁当箱を差し出すと、公武は真っすぐにおにぎりへ手を伸ばした。梅のおにぎりだ。
「くうっ。やっぱり柚月さんのおにぎりは最高です」
目尻に涙まで浮かべて食べ進める。
「これに梅倍増とかチーズとかおかかが入っていたらインパクトありますよね」
混ぜご飯にしても面白いし、サイズを特大にするのもいい。弁当を食べ進みながら二人であれこれアイデアを出していく。
ひといき食べ終わって公武は「幸せだなあー」と間延びした声をあげた。
「こんなふうにアイデアが出て、ぐいぐいカタチになって、しかもこんないいお天気のもとで考えをまとめられるなんて」
そこまでいって柚月へ笑みを向ける。
「柚月さんのおかげです。ありがとうございます」
「わたしも楽しいです」
「お礼をさせてください。なにがいいですかね。金銭では乙部先生に怒られそうですし。女子高生が喜ぶものってなんでしょうか」
うーん、と顎へ手を当てる公武へ「だったら」と柚月はカバンを引きよせる。そして参考書を取り出した。
「物理を教えてください」
「へ?」
「明日から定期テストで。いまいちよくわからないところがあって。工学博士の公武さんならおわかりかなあって」
「テスト前だったんですか? だったら今日は勉強していたかったでしょうに。無理をいいまして申し訳ありません」
ええとどこですか? と公武は参考書をのぞき込む。
ああそれはこうしてああして、と公武はスラスラと説明をしてくれた。わかりやすい。さすが京都の大学を卒業した人だ。
ひととおり教わると、今度は柚月が上気した顔で空を見あげた。
「すごい達成感です。スッキリです。父に聞いても『どうしてこれがわかんねえんだよ』で喧嘩になっちゃって。ありがとうございました」
「お役に立ててよかった。僕でよかったらいつでも尋ねてください」
はい、と柚月は笑みを広げる。頼もしい。
実は──昨日、今日とずっと陽翔のことを考えていた。
考えるほどにどうしたらいいのかわからなかった。そして考えるほどに公武の存在が大きくなっていった。今日もこうして頼りがいがあると、ますますそう思ってしまう。
陽翔くんのことは嫌いじゃない。だけど、付き合いたいとかそういう思いは、どうしてか湧いてはこなかった。陽翔くんと二人で並んで歩く姿が想像できない。
だけど、と隣を見る。
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