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Ⅰ. 学芸員、対面する
Ⅰ-Ⅱ
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なんだこの埃臭さは。まるでとてつもない年月、掃除が行われていない倉庫の中にいるようだ。人がいる部署の空気とは思えない。
だがその理由は、目の前に広がる光景を前に、すぐに察することができた。
そこにあったのは、大量の書架だった。
天井までに届くほどの高さを誇る、大量の書架。その中は、どの段数も指を入れる隙間もないほどにびっしりと本で埋め尽くされている。
まるで、1階と2階の図書館を、そのままここに移動させたかのような光景だ。
見るからに相当な量の本があるが、しかしそれだけでは終わらない。どの本棚の足元も、半透明のコンテナボックスで埋まっている。
開けっ放しの蓋から見える中身は、やはり本、本、本、本、本――……。
「うっわ、すっげぇ量。もしかしてこれ、全部修復待ちの本?」
板部がコンテナボックスを抱え直しながら、入ってすぐのとこにあった書架へ近づいた。
興味深げに、書架の足元に置かれたコンテナボックスを覗き始める。
僕も「だろうな」と返答をしながら、彼の後に続いて部屋に入った。
そうして板部と同じコンテナボックスの中を覗き、
「うっ」
黴くっさ‼ 反射的にコンテナボックスから後ずさった。
埃っぽいくせに、どこか酸っぱく、それでいて甘ったるさも感じる奇妙な香りが、僕の鼻腔を刺激している。
匂いというよりも臭いといった方が正しいかもしれない。劣化した紙が放つ強烈な香りに、思わず目じりに涙がたまる。
仕事柄、古い本には多く携わってきたつもりだ。この手の香りを嗅いだことだって、別に一度や二度ではない。が、ここまで酷いものは初めてだ。
むせそうになるのを堪えつつ、改めてボックスの中を見てみれば、酷い有り様の本達が目についた。
黄色や茶色いシミがまだら模様のように染みついたもの、黄色く色褪せ、元の色がよくわからなくなった表紙、ボロボロにひび割れ、表紙の溝部分からカスのようなものが出ているもの、そもそも背表紙なんてもの自体なく、かろうじて糸で表紙と本文が繋がっているものなどなど、例を挙げるだけでキリがない。
なるほど、空気の悪さはこれが原因か。
これでは、たとえ換気をしたところで、すぐに元の木阿弥になってしまうだろう。
「紙の本は壊れやすいっていうけど、こんなに劣化が激しくなるもんなんだなぁ」
板部が感心したようにぼやいた。
「うっわ、これ見てよ、耕閲。表紙がぐにゃぐにゃに歪んでらぁ。こっちのは表紙がネズミに齧られたみたいにボロッボロだぜ。うへー、耕閲ってまだマシな壊し方したんだなぁ」
「人聞きの悪いことを言うな」
「壊してないって言ってんだろ」と板部を睨みつける。「うひゃー、怖い怖い」と板部がふざけながら僕から距離を取った。
「なんでそんなに、頑なに壊したことを否定するのかねぇ。壊しちゃったもんは仕方ないんだから、もう素直に受け入れた方が早いじゃん」
「そ、それは……」
思わぬ問いに言葉が詰まった。
言うべきか言わぬべきか。逡巡するも、上手い言い訳が浮かばない。
どうやら、会話のセンスにおいては、僕も上司ことをあまり言えない人間だったらしい。
小さくため息をつき、同期の問いに答えを返す。
「…………展示物を破壊したなんて経歴があったら、館異動の際に差し支えるだろ」
「え~、耕閲。まだ電子館への異動考えてたの? とっくに諦めたと思ってたわ」
面白くなさそうに口を尖らせる板部。
イラッと来る態度に、思わず「誰が諦めるかっ」と反射的に僕は怒鳴り返した。
「諦めるとか諦めないとか以前の問題だっ。僕は元々、書籍館じゃなくて電子館への配属希望者だったんだからなっ」
『電子館』。正式名は、国立電子歴史博物館。
書籍館と同敷地内にある、書籍館の対にあたる博物館だ。書籍館が過去の遺物を保存する場所なら、電子館はこれから紡がれる歴史を記録していくための施設といえよう。
これからの文化の発展を願い、そして今ある文化を後世へと残すために作られた、電子書籍専門の博物館だ。
当初僕は、この電子館への入職を希望していた。理由は、電子書籍に従事する仕事に就きたかったから。
僕は元来紙よりも、電子の方が好みなのだ。
どうせ就くなら、自分がより興味があることに関わりたいと思うのが、人間というものだろう。
だが、蓋を開けたら、待っていたのは書籍館だった。
しかもそれが、現書籍館館長である叔父の手によるものだと判明した日には、もう眩暈がする思いであった。
「うちの方が人手足りなくてね。甥くん、紙の書籍についても勉強はしてたでしょ。ま、これも経験ってことでひとつさ」
そう妙齢の男性から、可愛くもないウィンクつきで言われた甥の気持ちを、誰か察してほしい。
「でも結局、この間の電子館の学芸員募集は見送ったんでしょ」
「それはそうだが……、って、待て。なんでお前がそれを知っている」
そのことは、僕と館長の2人しか知らないはずだ。ギョッとして板部を見返すと、「なんでって」と板部が不思議そうな顔をした。
「羊皮館長が言ってたぜ?『甥くん、残ってくれるって言うから用意した応募用書類いらなくなっちゃった~』『板部くん、シュレッダーかけといて~』って」
「あんの羊野郎」
丸焼きにでもしてやろうか。脳裏に浮かんだ、羊のような髭を蓄えた丸々とした体型の叔父の姿に、思わず怒りが口から迸った。
板部の言う電子館の学芸員募集とは、ひと月前に締め切られたばかりの電子館の求人のことである。
新規学芸員の採用。電子館配属希望者である僕には、まさに天からの恵みに等しい求人だ。
しかし結局、僕はこの応募を見送ることにした。
きっかけは、募集が締め切られる直前に担当した企画にある。
だがその理由は、目の前に広がる光景を前に、すぐに察することができた。
そこにあったのは、大量の書架だった。
天井までに届くほどの高さを誇る、大量の書架。その中は、どの段数も指を入れる隙間もないほどにびっしりと本で埋め尽くされている。
まるで、1階と2階の図書館を、そのままここに移動させたかのような光景だ。
見るからに相当な量の本があるが、しかしそれだけでは終わらない。どの本棚の足元も、半透明のコンテナボックスで埋まっている。
開けっ放しの蓋から見える中身は、やはり本、本、本、本、本――……。
「うっわ、すっげぇ量。もしかしてこれ、全部修復待ちの本?」
板部がコンテナボックスを抱え直しながら、入ってすぐのとこにあった書架へ近づいた。
興味深げに、書架の足元に置かれたコンテナボックスを覗き始める。
僕も「だろうな」と返答をしながら、彼の後に続いて部屋に入った。
そうして板部と同じコンテナボックスの中を覗き、
「うっ」
黴くっさ‼ 反射的にコンテナボックスから後ずさった。
埃っぽいくせに、どこか酸っぱく、それでいて甘ったるさも感じる奇妙な香りが、僕の鼻腔を刺激している。
匂いというよりも臭いといった方が正しいかもしれない。劣化した紙が放つ強烈な香りに、思わず目じりに涙がたまる。
仕事柄、古い本には多く携わってきたつもりだ。この手の香りを嗅いだことだって、別に一度や二度ではない。が、ここまで酷いものは初めてだ。
むせそうになるのを堪えつつ、改めてボックスの中を見てみれば、酷い有り様の本達が目についた。
黄色や茶色いシミがまだら模様のように染みついたもの、黄色く色褪せ、元の色がよくわからなくなった表紙、ボロボロにひび割れ、表紙の溝部分からカスのようなものが出ているもの、そもそも背表紙なんてもの自体なく、かろうじて糸で表紙と本文が繋がっているものなどなど、例を挙げるだけでキリがない。
なるほど、空気の悪さはこれが原因か。
これでは、たとえ換気をしたところで、すぐに元の木阿弥になってしまうだろう。
「紙の本は壊れやすいっていうけど、こんなに劣化が激しくなるもんなんだなぁ」
板部が感心したようにぼやいた。
「うっわ、これ見てよ、耕閲。表紙がぐにゃぐにゃに歪んでらぁ。こっちのは表紙がネズミに齧られたみたいにボロッボロだぜ。うへー、耕閲ってまだマシな壊し方したんだなぁ」
「人聞きの悪いことを言うな」
「壊してないって言ってんだろ」と板部を睨みつける。「うひゃー、怖い怖い」と板部がふざけながら僕から距離を取った。
「なんでそんなに、頑なに壊したことを否定するのかねぇ。壊しちゃったもんは仕方ないんだから、もう素直に受け入れた方が早いじゃん」
「そ、それは……」
思わぬ問いに言葉が詰まった。
言うべきか言わぬべきか。逡巡するも、上手い言い訳が浮かばない。
どうやら、会話のセンスにおいては、僕も上司ことをあまり言えない人間だったらしい。
小さくため息をつき、同期の問いに答えを返す。
「…………展示物を破壊したなんて経歴があったら、館異動の際に差し支えるだろ」
「え~、耕閲。まだ電子館への異動考えてたの? とっくに諦めたと思ってたわ」
面白くなさそうに口を尖らせる板部。
イラッと来る態度に、思わず「誰が諦めるかっ」と反射的に僕は怒鳴り返した。
「諦めるとか諦めないとか以前の問題だっ。僕は元々、書籍館じゃなくて電子館への配属希望者だったんだからなっ」
『電子館』。正式名は、国立電子歴史博物館。
書籍館と同敷地内にある、書籍館の対にあたる博物館だ。書籍館が過去の遺物を保存する場所なら、電子館はこれから紡がれる歴史を記録していくための施設といえよう。
これからの文化の発展を願い、そして今ある文化を後世へと残すために作られた、電子書籍専門の博物館だ。
当初僕は、この電子館への入職を希望していた。理由は、電子書籍に従事する仕事に就きたかったから。
僕は元来紙よりも、電子の方が好みなのだ。
どうせ就くなら、自分がより興味があることに関わりたいと思うのが、人間というものだろう。
だが、蓋を開けたら、待っていたのは書籍館だった。
しかもそれが、現書籍館館長である叔父の手によるものだと判明した日には、もう眩暈がする思いであった。
「うちの方が人手足りなくてね。甥くん、紙の書籍についても勉強はしてたでしょ。ま、これも経験ってことでひとつさ」
そう妙齢の男性から、可愛くもないウィンクつきで言われた甥の気持ちを、誰か察してほしい。
「でも結局、この間の電子館の学芸員募集は見送ったんでしょ」
「それはそうだが……、って、待て。なんでお前がそれを知っている」
そのことは、僕と館長の2人しか知らないはずだ。ギョッとして板部を見返すと、「なんでって」と板部が不思議そうな顔をした。
「羊皮館長が言ってたぜ?『甥くん、残ってくれるって言うから用意した応募用書類いらなくなっちゃった~』『板部くん、シュレッダーかけといて~』って」
「あんの羊野郎」
丸焼きにでもしてやろうか。脳裏に浮かんだ、羊のような髭を蓄えた丸々とした体型の叔父の姿に、思わず怒りが口から迸った。
板部の言う電子館の学芸員募集とは、ひと月前に締め切られたばかりの電子館の求人のことである。
新規学芸員の採用。電子館配属希望者である僕には、まさに天からの恵みに等しい求人だ。
しかし結局、僕はこの応募を見送ることにした。
きっかけは、募集が締め切られる直前に担当した企画にある。
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