国立書籍博物館学芸員の繫雑な日常Ⅱ

勝哉道花@みちなり文庫

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Ⅰ. 学芸員、対面する

Ⅰ-Ⅲ

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 紙の本がデッドメディアになって100年が経ったことを記念――はたしてこれを記念と称していいのかは、甚だ不明なのだが――して行われた、特別展示会。

 その最中に開催されることになった本作りのワークショップを、僕は板部を含む同期達と担当した。

 正直、彼らと仕事をすることが決まった時、僕はこの企画は失敗に終わるだろうと考えていた。

 なんせ僕らの関係ときたら、まるで水と油、犬と猿、磁石のSとS、ともかく波長という波長が合わないのだ。
 これで上手くいくと思う方がどうかしている。

 だが、最後はそんな僕らの波長の合わなさがすべてをまとめた。

 それぞれに違う視点や価値観を持つからこそ、互いにはない発想を広げることができ、結果として、ワークショップは盛況の中で幕を閉じることとなった。

「そりゃあ、それぞれにメリット・デメリットはあるけど、そんなのは適材適所さ。それぞれに見合った形で協力し合えば、きっとそれが新たな文化の発展に繋がる。そうは思わないかい?」

 事が終わった後、叔父はそう自分に問いかけてきた。それを否定することは、あのワークショップを終えた後の自分にはできなかった。

 メリットとデメリット。その両方が上手く嚙み合ったおかけで、あの企画は成功したのだから――。

「別に見送ったからといって、異動の意思がなくなったわけじゃない」

 ため息をつきながら、僕は板部に返した。

「今の自分には時期尚早だと判断しただけだ。もう少しここで学芸員としての実績を詰んでからの方が、異動の際には有利だろうからな。だから考え直しただけだ」
「けど、学芸員のポストに空きが出るのって、なかなかなくね? 一度逃したら、次の機会がいつ回ってくるかなんてわからねぇじゃん」
「それは、まぁ、そうだが……」

 だから、なんだってこの男は、妙なところで的確に痛いところを突いてくるんだ。再び顔をしかめる。

 板部の言う通り、学芸員はなかなかポストに空きが出ない。
 その理由は、館に所属できる人数にある。基本的に館に所属できる学芸員の人数は、片手で数えられる程度。そのため、一般企業のように毎年新人を募集するなんてことは、まずない。

 募集がかかるのは、職員の誰かが抜けた時や若手の人材がほしい時など、なんらかの理由が存在する時が主だ。
 しかしそうしたことは、早々何度も起こらない。

 とはいえ、書籍館や電子館は国立ということもあって、館としてはそれなりの規模がある。
 勤める学芸員の人数も、地方の小さな博物館や資料館と比べたら多い。

 なにより『紙の本』は学術的な分野としては、まだまだ新しい。
 古来より文学や製本にまつわる研究は存在していたが、『紙の本』そのものが研究対象に仲間入りしたのは、つい100年ほど前だ。
 学術分野としては、まだ若く歴も浅い。

 そのため、専門の学芸員というのはまだ数が少なく、就職の競争率も他の分野と比べたら圧倒的に低い。要するに、就職しやすいというわけだ。

 電子書籍だって、どうせ従事するなら学芸員よりも、実際にそのプロセスを構築し、システムを運用できる場所に勤めたがる者の方が多い。
 基本的に人類というのは、歴史を追求するよりも作る側に回りたがる者の方が多いものなのだ。

 というわけで、募集の機会はほかよりも多い……はずだ。
 一度機会を逃したからと言って、今後絶対に機会がないとは言い切れないだろう。

 だからそう、別にこないだの同期達との仕事が意外と面白かったから残ったなんて、そんな理由で応募をやめたわけではない。

 断じて、そういうわけではないのだ。絶対に。

 僕の説明に、板部が「ふぅん」と適当な相槌をした。

 コイツ、自分から話を振っておいて、ふぅんの一言はないだろう。
 もう少し興味を持て。飽きる速度が幼子のそれだぞ。

「あ~あ、なーんで俺の周りの人達って、真面目な人が多いんだろうな~。俺なんて、今やる仕事で手一杯で、実績を積んでやろうなんて考える余裕もないよ」

「耕閲もだけど、まじめさんも真面目だしさぁ」と板部が、ここにはいない同期の名を口にした。

 途端、苦いものが僕の胸中に広がった。

「……なんでアイツの名前が出てくるんだよ」
「だってまじめさん、例のワークショップ以降、ずっと戌山いぬやま先輩の補助として付きっきりじゃん」

 戌山先輩は、僕らと同じ展示・企画課に所属する女性学芸員だ。

 館毎に異なるが、学芸員と一口に言っても、実はその役割はきちんと組織内で別れていたりする。
 人手が足りない小さな館では、逆に事務等の業務外のこともやらなければいけないと聞くが、書籍館のように大きく、多少人数にゆとりがある館は部署が細かく存在していたりする場合がある。

 展示・企画課はその名の通り、展示などの企画を立案・展開する課のことだ。
 件の戌山先輩は、書籍用紙と呼ばれる紙の分野に長けた人物で、現在は来年開催予定の書籍用紙関連の展示の準備にあたっている。

「それはそうだろう。まじめさんは戌山先輩と同じで、紙が専門の学芸員なんだから」

 まじめさん。今この場にはいないもう1人の同期。

 紙をこよなく愛する紙至上主義の女性学芸員で、電子書籍派の僕とは対照的な人物といえよう。波長が合わない代表格の同期だ。

 とはいえ、ワークショップの時は、彼女の紙に対する知識に――こう言うのは本当に癪だが――助けられたことも事実だ。
 補助の件は、そのことを知った戌山先輩が、まじめさんを引き抜いた結果のものである。

『私の知識が必要なんですって。私の、知識、が。やっぱり仕事ひとつするにしても、ただただ言われた業務をこなしているだけじゃダメね。常に向上する心を持たなくちゃ、技術も人間も腐っていくだけだわ。じゃあね、向上心のない男共。お先に次のステージへ行かせてもらうわ』

 まじめさんが先輩の補助をすることが決まった日。
 僕と板部にそう言い残し、彼女は僕らのもとを去った。

 普段から一言多い女だと思ってはいたが、まさかこんな時まで一言多いとは思いもしなかった。

 なぜ一言多い人間というのは、その一言を黙っているという選択ができないのだろう。同じ人間として甚だ疑問である。

「俺はこのまま学芸員の仕事ができんなら、出世とか異動とか、そういうのどうでもいいと思うんだけどなぁ。今のままだって、充分悪くはないじゃんねぇ」
「お前はそうなんだろうな」

 板部の気楽な発言にため息をこぼす。

 野心のやの字もない発言は、一見すれば純粋とも取れる。
 だが逆をいえば、まじめさんの言う通り、向上心がないとも捉えられるだろう。これと同類扱いされたのかと思うと眩暈がしそうだ。

 しかし一番腹立たしいのは、まじめさんだけが引き抜かれたことだ。

 あのワークショップで頑張ったのは、何も彼女だけじゃない。だというのに、なぜまじめさんだけが評価されるのか。

 僕だってリーダーとして、このアクが強すぎる同期達をまとめあげたというのに。なぜ、彼女ばかりが――。

「……とにかく、さっさと人を探すぞ。どこかに修復士の人がいるはずだ」

 わきあがる嫉妬を振り払い、腕の中のコンテナボックスを抱え直す。

 とにもかくにも、今は目の前の問題解決が優先だ。
 いつか来るであろう電子館への異動のためにも、例の収蔵品を破損させたままにしておくのは分が悪い。絶対にどうにかしなければ。

 意気込む僕に対し、板部が肩を竦めながら「へいへい」と適当な返事をした。
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