国立書籍博物館学芸員の繫雑な日常Ⅱ

勝哉道花@みちなり文庫

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Ⅰ. 学芸員、対面する

Ⅰ-Ⅳ

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「すみませーんっ」
「誰かいませんかー」

 板部と2人、声をあげながら本棚の間を歩いて人を探す。
 しかし返ってくるのは虚しいまでの無音で、人っ子ひとりいる気配は感じられない。

 しかも、思ったよりも広い部屋ではないらしく、少し歩いたところで部屋の奥にたどり着いてしまう。
 壁に沿うようにして置かれている本棚の群れが、人は1人通れるほどの幅の通路を挟んで僕らを出迎える。

「行き止まり、か」

 通路に出て周囲を見回す。やはり本ばかりで人の気配はない。

 今更ではあるが、本当にここが修復課であっているのだろうか。
 どう見ても、ただの収蔵庫だろ、ここ。道案内ナビの方が間違っていたと考える方が、まだ自然だ。

 仕方ない。一度マ宮さんに連絡を取ってみるか。
 空間端末を操作して、仕事で使うチャットツールを宙に呼び出す。

 と、

「耕閲、耕閲」

 板部が肘で僕の腕を突いてきた。

「なぁ、あれ。ドアじゃね」
「なに」

「ん」と板部が顎でさす方を見ると、確かに本棚に紛れて、ドアと思しきものが見えた。コンテナボックスを抱え直し、板部と共にそちらへ向かう。

 真っ黒な扉が僕らを出迎える。そこにあると言われなければ、壁として見逃してしまうかもしれない見た目だ。

 その前に立った途端、突然目の前に半透明の明朝体のフォントが現れた。

『書籍館修復課 工房』
『御用の方はお声がけください 書籍館修復課統括長 カミ代惇也しろじゅんや

 なるほど、つまり今の今まで歩いてきた場所は前座で、ここから先が真打と。わかりづらいわ。

 思わず渋い顔になる僕に対し、板部の方は「すげぇ、なんか秘密組織のアジトみてぇ」と目を輝かしている。

 子どもは呑気で羨ましい限りだ。あぁ、同年代だったな、失敬。

 板部がコンテナボックスを一旦床におろす。そうして意気揚々とドアをノックし始めた。
 コンコンッと、重々しい雰囲気がある見た目に反して、軽いノック音が鳴る。

「ごめんくださーい、書籍館の者でーす。書籍のお届けに来ましたー。どなたかいませんかー」
「配達業者かよ」

 板部のふざけた挨拶に、僕が辟易した――その時だった。

 ガッシャーン‼ と何かが倒れるような音が、ドアの奥から聞こえてきたかと思うと、「わーーーーーーっ‼」という悲鳴がその場に響き渡った。

「「⁉」」

 突然の事態にギョッとして、板部と2人顔を見合わせる。
 なんだ今の音と悲鳴は。あ然とする僕の横で板部がドアを開けた。

「大丈夫ですか⁉」

 勢いよく中に駆け込んだ背中に我に帰り、僕も慌ててコンテナボックスをその場におろして、室内に飛び込んだ。

 工房の名の通り、そこは正にアトリエと称すべき室内だった。

 たくさんの資材や修復用の道具と思しき物が仕舞われたラック。道具の洗い場らしき水場に、2台の大きな作業台。図工室の3文字が、僕の脳裏をかけていく。

 木屑でも舞っているのか、空気の中に粉っぽいものが混ざっているような気がした。
 が、先刻の空間と比べれば倍は空気がいい。扉近くの作業台の横に空気洗浄機が置かれていたので、きっとあれのおかげだろう。
 よかった。一応換気という概念は存在していた。

 件の悲鳴の主と思われる人物は、その作業台とは別の、もう1台の作業台の足元にいた。頭を抱えてしゃがみ込んでいる。

 髪をひとつ結びにした若い男。長い前髪が目元まで覆っているせいで顔はわからないが、僕や板部と同年代ぐらいの人物と思われる。
 着ている服も僕らと同じく、白いワイシャツに黒のパンツで、その恰好から職員の1人であることが窺える。

 唯一の違いは、エプロンを身に付けているところだろうか。
 使い古されているのか、汚れくたびれた茶色いエプロンが目につく。

 もしかしなくても、この人が僕らの探していた修復士なのだろうか。

 しかし、向こうは僕らが入ってきたことに気づいていないらしく、その場にしゃがみ込み続けている。

「ど、どどどどうしよう、せっかくカミ代さんが用意してくれた糊が……とにかく片付けを、あぁでも早く本に糊を塗らないと塗ってあるところが乾いちゃ、でも片付けないと床の上が、あぁでも本が、糊が、本が……」

「どうすれば、あぁ、どうすれば」ブツブツ呟きながら、男がその場で体を前後に揺らし始める。

 まるで、おきあがりこぼしみたいだ。
 何度突っついても起き上がってくる伝統工芸品の如く、男がぐらぐらと揺れ続ける。

「…………なんだあれ」
「さあ……」

 さすがの板部もあれには返す言葉を失ったらしい。呆然と男の姿を見つめている。

 とはいえ、このままでは埒が明かないと踏んだのか、板部が男の方へと近づいた。

「あのー……、えぇっと、その、大丈夫ですか?」

 板部がそう声をかけた瞬間、

「うぎゃーーーーーーっ‼」
「「⁉」」

 文字通り、男がその場で飛びあがった。

「だ、だめですっ! 近づかないでくださいっ‼」
「は?」

 近づかないでください、だって?

 板部がびっくりした表情のまま、足を止める。僕も突然の事態についていけず、その場で固まる。

 ふとそこで、男の周囲にある物が目についた。

 先が平たく大きい刷毛。鉄製と思しき細長い棒――重しか何かだろうか――。四角い桝のような容器に、底が浅い白のトレイに倒れた椅子と、とかく様々な道具が四方八方に散らばっている。

 どうやらさっきの物音は、これらが床に落ちた音だったらしい。
 そのほかにも、よく見ると謎の白い液体らしきものが辺り一帯に広がっている。

 なんだこれ、と顔をしかめたところで、ふと先刻の男の呟きが脳裏を横切った。

『せっかくカミ代さんが用意してくれた糊が』
『あぁでも早く本に糊を塗らないと』
『本が、糊が、本が……』

 まさかこの液体って……糊か?

「き、来ちゃだめですっ」男が必死に手を振りながら続ける。

「あ、いや、あなた達がこっちに来るのが嫌って言ってるわけじゃないんですっ、こっちに来られたらまずいから来ないでって言ってるのであって、あなた達に近づかれるのが嫌だからそう言っているわけではなくてですね、いやでもその、だからって近づいていいってわけではなくてですね、こっちに来てほしくないのは本当でして、いや、ちが、違くないけど違、あの、わざとじゃないんですっ、決してわざとじゃないんですっ、確かにちょっと集中しすぎて周りが見えていなかったのは事実ですが、でもこうなるとは思わなかったんですっ、すみません、ごめんなさい、違うんです、全部僕が悪いんですーーーーーーーーーーっ‼」

「「あ」」

 叫ぶやいなや、勢いよく土下座する男。途端、ベチャッという、可哀想な音がした。

「うわーーーーーーっ‼」

 再び男が叫びながら顔をあげる。

 長い前髪に、鼻頭に、頬に顎に。とかく顔中が糊まみれになった哀れな男が、そこにはいた。

 ……また癖のある奴が出てきた。

 ゲッソリと疲弊する僕の横で、板部が「おもろ」と小さくこぼした。
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