Boundary Clash

菱公太

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第1章 深緋の衝撃

第12話

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 真夜中。人家から明かりが消え、道を行き交う車の音は失われる。人々の触れあいは薄れ、営みの香りは途絶える。

 人間の存在が最も希薄になる時間。霊長の座はたびたび空席になり、世の理から外れたモノたちがその席に座る。

 内と外、多と少、正と負、あらゆる境界と基準が曖昧になる暗闇。

 その最中さなかにあって、自らの形を保つことができるのは、矮小ながらも、頑強な自我を所持する者たちだけである。


 静寂が支配するアーケードを、一人の少女が歩いている。

 羽虫がたかる街灯たちに押し出された影が、四方八方に伸びては消えを繰り返していた。

 深夜という時間に加え、その奇妙な姿が少女の存在を際立たせ、同時に世界から孤立させる。

 スポーツブラとホットパンツ。その上に厚手のミリタリージャケットを羽織り、首には古ぼけた深紅のマフラーを巻いている。

 極めつけは、彼女の背負っている細長いケース。艶消し処理が施された黒い金属の塊は、まるで棺桶のようだ。

 どこからともなく風が吹いた。この国日本特有の湿度の高い空気は、少女の足元に忍び寄り、身体中に刻まれた無数の傷跡を舐めるように這い上がってくる。毎晩毎晩凝りもせず、醜悪なを彼女のもとへ届けるために。

「クサい……」

 思わず鼻を覆ったマフラーと同じ、真っ赤な瞳に嫌悪の色が浮かぶ。今夜は一段と強烈だ。

 長い間追い続けてきた獲物の痕跡だが、この形容しがたい異臭には、慣れることはないのだろう。

 顔をしかめたまま歩みを速めて風上へ向かう。やがて少女は商店街から離れ、緩やかな坂を上っていく。この先は霧ヶ山を見渡せる丘になっているはずだ。

 異臭とともに、嫌な予感が強まっていく。少女はジャケットから携帯端末を取り出し、慣れない手つきで電話を掛けた。

 ワンコールで出た相手は、いつも通りの低く落ち着き払った声で言う。

『──場所は分かったか?』

「ああ。今夜はの学校みたいだ。偶然だといいけど……」

『その可能性は低い。いよいよ、彼らも本腰を入れてきたんだろう』

 電話越しの男の声に、僅かながら緊張が走った。長年の経験上、彼の勘はこういう時に限ってよく当たるのだ。

「だとしても、アタシがやることは変わらないだろ」

『目立つようなことはするな。最優先は彼女の護衛だ』

「分かってる。……そっちは任せたよ、コダイ」

『心配するな。そんなことより、お前は自分の状況に集中しろ──』

 いつもと変わらない厳しい言葉。しかし、今夜はそれに続きがあった。


『──頼んだぞ。無理はするなよ、スカーレット』


 通話が切れる。「スカーレット」と呼ばれた少女は立ち止まると、深く息をした。目を瞑り、敵の発するニオイに意識を集中させる。

「────」

 臭気に震える体を抑えるように、スカーレットは力強く一歩を踏み出した。

 予想していた通り、ニオイの発生源は丘の上だった。目の前には「県立桐葉とうよう高校」と刻まれたゲート。

 閉ざされた門は、最後の警告と言わんばかりにスカーレットの前に立ちはだかっていた。箱を背負った少女は、軽々とそれを飛び越える。
 
 真夜中の学校。昼間は多くの生徒たちが生活し、活気に満ちているのだろう。それも今では下の街と同様に静まり返っている。

 自分たちには好都合だと、明かりのない校舎を背にスカーレットはグラウンドへと歩き出した。


 薄い月明りが照らす校庭に、三つの黒い影。

 スカーレットが臭気として感じ取っている“エーテル”の発生源たちは、銅像のように佇んで動かない。


 スカーレットは、いつもの間合いになるまでゆっくりと距離を詰めていく。月明かりのなか、だんだんと敵の細部が明らかになる。

 三体の人型ひとがた。二本の腕と足が付いているために、辛うじて人型と呼べるほど、その形はちぐはぐだ。

 主に木材や金属版、プラスチックといった廃材で形作られているそれらの造形は、作り手の趣味か材料に制限があるのか、いずれにしても醜いと言わざるを得ない仕上がりだった。

「──!」

 三体のうち、ひときわ大きな人型に目が留まる。他の二体の後ろに控えるようにして立っている巨体は、今までスカーレットが見てきたものたちとは印象が違っていた。

 二メートルを優に超える大きさ。前方に侍らせている二体は首なしであるのに対して、その顔にはマネキンのものと思われるのっぺらぼうが使われていた。加えて、その巨体から生えている右腕は地面に届きそうなほどに長く太い。

 人型たちまでおよそ二十メートル。スカーレットは立ち止まって、背負っていたケースを右手に持ち替えた。


 “ある衝動”が、今か今かとその出番をうかがっている。震える心をスカーレットは理性で押し殺した。
 

 ようやく外敵を認識したのか、巨腕きょわんの人型がスカーレットに向き直る。その動きには人間のそれに見られる筋肉の連動や予備動作が一切ない。

 糸で吊るされた傀儡くぐつのような挙動は、気色の悪い外見と相まってさらに不気味だ。

「…………」

 マフラーの下で唇が震えるのを感じる。まだ早いと、ケースに伸びる手を抑えた。

 刹那、

 視界を埋め尽くす黒い拳。死の匂いが一気に迫る。はおろか、回避すら間に合わない。咄嗟にケースを盾にする。

「──ッ!」
 
 見た目以上の大質量がスカーレットの腹部を襲った。少女の身体は軽々と校舎に向かって飛んでいく。

 吹き飛ばされた浮遊感を感じる間もなく、今度は背中に衝撃を受ける。ガラスの割れる音、コンクリートの砕ける音が遅れてスカーレットに追いついた。

「──ガハッ、──ゲホッ!」

 視界がくらむ。耳鳴りがする。呼吸ができない。感覚器官から送られる情報が渋滞して、脳がうまく処理できていない。

「ハアァ……ウッ!」

 土埃が落ち着き始めると、意識もクリアになっていく。途端に全身が悲鳴を上げ始める。

 二度の衝撃はスカーレットの骨を歪め、内臓を揺らし、筋肉を捻じっていた。痛みと近づいてくる死の匂いが、彼女の理性を弱め精神に隙間を作る。


 増大する“恐怖”は、少女が心の裏側に閉じ込めている怪物の呼び水となる。

 怪物は瞬く間に決壊しかけた理性を凌駕し、食い破ろうと暴れ出す。それを抑えつけることは、今のスカーレットには不可能だ。

 裏返ろうとする意識のなか、スカーレットは傍らのケースに手を伸ばす。震える手で、猛る獣の手綱を緩めるように、ロックを外した。

 
 土埃が舞う大穴を前に、巨腕の傀儡は動かない。初撃では仕留めきれなかったと判断し、敵である少女の様子を窺っている。

 穴の中から音が鳴り始めた。何かが振動しているような鋭い高音。

 その瞬間、土埃を切り裂いて深緋こきあけの閃光が飛び出す。カタパルトに打ち出されたかのように、スカーレットは水平に跳躍していた。

 ジャケットは脱ぎ捨てられ、その右手には先ほどまでの箱ではなくブレードが握られている。高周波の音はそこから放たれていた。


 「振戦しんせん」と銘打たれたその刃は、持ち主の恐怖を餌に灼熱を帯び、絶叫を上げながら全ての敵を切り裂く。あるじの恐怖が尽きるまで、あらゆるものを拒絶し続ける。

 赤熱する刃は尾を引いて、巨腕の傀儡に襲いかかる。

 傀儡は、今度こそ敵を仕留めようとスカーレットの頭部を狙う。

 唸る右ストレート。

 その一撃を、少女は人間離れした反射神経でかわす。炸裂した衝撃波で頬が切れた。

 すれ違いざま、少女は傀儡の懐に滑り込んで振戦を振り下ろす。
 
 交錯する両者。少女の着地と同時に傀儡の左腕が落下した。切断面が熱を持ち、焦げた匂いが飛散する。

「…………」

「────」

 再び対峙する両者。片腕を失った傀儡は相変わらず、不気味に直立している。

 対する赤い少女は全身に汗をしたたらせ、蒸気を立ち上らせていた。叫び続ける振戦越しに敵を見据える赤い目は瞳孔が限界まで開いている。外敵を前にした獣のようだ。


 恐怖が、スカーレットの心に充満していた。彼女は今、傀儡に加えて自分の内なる獣と戦っている。それは彼女の武器であり、同時に自らを傷つける諸刃の剣でもあった。

 綱引きに負けて完全に身を委ねてしまえば、元の自分には戻れない。

「フウ……」

 冷静を維持しようと大きく息をする。一瞬だって気は抜けない。

 ここにきて、今までの戦闘を傍観していた二体の傀儡が襲いかかってくる。巨腕に比べて遥かに動きは鈍い。

 スカーレットは薙ぎ払うように一閃。二体のボディは粉々に砕け散った。

「──!」

 直後、その背後から巨腕の拳が迫る。

 二体を捨て駒にしての攻撃。必殺の一撃を受け止めようと、スカーレットは振戦を振り上げた。

 衝突する刃と拳。鍔迫り合いのなか、スカーレットはゆっくりと腕を曲げて力を溜める。

 地面にめり込む足、加速する鼓動、汗の濁流。排しきれない熱。熱。

「ンッ!」

 スカーレットは力を一気に開放し、巨腕を弾き飛ばそうとする。しかし、タイミングが重なり両者共に上半身をのけ反らせた。

「クソッ……!」

 同時に生じた自分と相手の隙めがけて、お互いに最速の攻撃を繰り出す。

 高速の斬撃と打撃が、無数の火花を散らす。スカーレットの恐怖に歪んだ目元と、白い傀儡の顔面が真夜中の校庭に照らし出された。

 スカーレットは少しずつ恐怖の強度を高め、攻撃の烈度を上げる。内と外、双方からのプレッシャーが自分の存在を削っていく感覚。

 加速する自己矛盾のなか、スカーレットは極限を攻める。振戦は一層高く大きな唸り声を上げた。

 しだいに、攻防半々の剣戟けんげきに偏りが生じ始める。斬撃が、拳を凌駕していく。

「──ッ!」

 巨腕が防戦一方となったところで、ついに振戦が拳を跳ね上げた。前方に生まれた空間にスカーレットは大きく踏み込み、全身全霊で振戦を振り下ろす。

 傀儡の首元を捉えた渾身の一撃。振戦は勢いそのままに胸部の“核”ごと胴体を両断する。

 がらくたの塊となった人形はまとまりを失い、その場に瓦解していった。
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