僕の忘れられない夏

碧島 唯

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第一章 始まりの夏

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 ニューヨークに来て、初めての朝。
 時差のせいか、夜遅くまで眠れなかったせいか、カーテンが開いたままになったベッドで服を着たまま寝ていた僕は、外が騒がしく明るくなっているのに目を開けた。
起き抜けのぼんやりとした頭が少しずつはっきりしてくると、外の音は車とかじゃなくて、悲鳴みたいな声や何かの壊れる音なんかが混ざっているのに気付いた。
 昨夜から点けっぱなしだったらしいテレビの音が聞こえて、エマージェンシーという単語が耳に入った。
「何だって?」
 さすがにその単語の意味は寝ぼけていても分かる。
 ベッドから飛び起きて、テレビを見ると、ニューヨークの主要な橋がテロにあって全て落とされたという内容をアナウンサーが話していた。
『尚、数箇所で大規模テロが行われたようで、電話も繋がらず、ニューヨーク全域と連絡が付きません。
 続報が入り次第、特別報道でお送りします。
 ワシントンより、マーサ・ブライトンがお送りしました』
 空港も橋も……?
「どういう事だよ……」
 外がさっきよりも騒がしいような気がして窓から外を見ようとしたその時、近い場所から甲高い叫び声が聞こえた。
「う……そだろ……なんだよこれ……」
 窓から見えたあちこちが血だらけの道路に、影のようにゆっくりと、左右に身体を揺らしながら歩いている血だらけの人、銃を背後に向けて撃ちながら走っている人、車が人を跳ねて回転しながらビルに激突して炎上して煙を出しているのが見えた。
「これがテロ?
 テロにしちゃあ……おかしくないか?
 これじゃあ……まるで……まるで……」
 ホラー映画かパニック映画じゃないか。
 言葉を飲み込んで、ただ窓の外の、赤く染まった景色を、僕はまだ夢を見ているのかと、呆然と見ていた。
「逃……げなきゃ……でも、どこに?」
 ここに居たら安全だろうか?
 ゴツ、ゴツン。
 ノックの音にしてはおかしすぎる音がして、ドアを開けようとして思い留まる。
「ジョン?」
 昨日挨拶したばかりの、隣の住人の名前を呼んでみる。
 ゴツッ。
 ノックというよりも身体ごとドアにぶつかっているような、音。
 一体何の音だ、どうノックしたらこんな音が出るんだ?
「……いや、わかっているはずだ、鳴海修一……。
 これはノックの音じゃない」
 じゃあ、これは、何?
 このドアを叩く音は?
 考えたくなかったけど、けど!
 外の状況から考えると、ジョンが「おはよー飯食いに行こうナルミ」と声を掛けにきたわけじゃないのだけははっきりしていた。
 いつドアがぶち破られるかと思ったら、慌てるより先にすうっと頭が冷えて冷静になってきた。
どうしようかとか考えていると、叩かれ続けているドアに小さくヒビが入って、伝わる振動も大きくなってきた。
「がぁあっ!」
 叫び声──ではない、まるで動物、いや獣が吠えてるような声がドアの向こうから聞こえて来る。
「いったいどうなっちゃったんだ。
 僕はまだ夢を見ているのか?」
 これは悪い夢だろう、と頬を抓ってみる。
「……痛っ」
 テレビは相変わらずニューヨークで大規模テロ発生などと言っていて、今ここがどうなってるのか、なんてまったく教えてくれない。
 扉に鍵がかかっているのを確認して、何か使えるものはないかと部屋の中を見渡す。
「こんな時、映画だったら銃でも引き出しにあったりするんだろうなぁ……」
 ためしにクローゼットを開けると非常袋のような物が見つかって、水と乾パンとアルミシートなんかが袋の口から見えた。
 ロープが入っているのを見つけて窓から外に出てみようかと、窓の外を見てみる。
「……今ならあの変なのも居ない……か?」
 逃げる人を追いかけていた姿も、口や服を真っ赤にして、身体を揺らしながら歩いている姿も見当たらない。
 扉を叩く音はどんどん大きくなっていて、ヒビもさっきより大きく広がって、扉から出るのはかなりヤバそうだと、ヤバいどころか、自殺行為だろって僕でも分かる。
「道路まで降りるのもヤバいかも知れないな……」
 どうしたらいい、どこに逃げればいい、と見た事のある映画やらドラマ、ゲームなんかを思い出してシミュレーションしてみる。
 下まで降りたらそこで襲われる、なんてよくあるパターンの死亡フラグだ。
 窓から出られる場所、屋上とか屋根伝いはどう……だろう。
 すくなくとも屋根なら、あいつらはよたよたしてるし、上ってきたとしてもバランスを崩すんじゃないだろうか。
「うん、そうだな……こんな時に人の多い場所に逃げるのって、ゲームとかだと確か危なかったよな」
 ドアがミシミシ言っていて、そろそろ本当にヤバいかも。
「……覚悟はいいよな、鳴海修一」
 大きく息を吐いてから行動に移す。
 非常袋のリュックを背負ってロープを握り、ベッドの足に通して二重にして持つ。
 窓からロープを出して、タオルを手袋にした手で掴み体重を支えながら、階下の屋根になった部分に下りていく。
 屋根に足がついたらロープを片方だけ持って引っ張り回収する。
 頭の中で何度もその動作を繰り返しながら降りていく。
「うわっ……!」
 屋根で足が滑って回収しかけているロープごと道路に落ちてしまい、みっともなく尻餅を付いての着地になった。
 映画やゲームの主人公みたいにはいかないな、とお尻を擦りながらひとりごちる。
 音は思ったよりもしなかったようで、慌ててロープを巻き取ると街中ではない方を目指して走り出す。
 多分、今までの僕の一生で今日ほど真剣に走ったことはない、と思う。
 昨日の公園まで走ると橋が見えたが、テレビで言ってたように爆破されたのか、煙が上がって橋は岸から少しばかり残して全てなくなっていた。
「あれ……?」
 橋の落ちたあたりで、叫びながら手足を動かして溺れているような姿が見えた。
「泳げない…のかな」
 あの叫び声や、血のついたままの顔は決して生きたまともな人間じゃないだろう。
そのまともじゃない奴が川の中でバタバタと両手を動かしている。
やがてそれは手足が動かなくなって水の底へと沈んで行った。
「そうか……、あいつら、泳げないんだ」
沈んで行くのを横目で見ながら走る。
ぜいぜいと息をしながら走り続け、公園のちょっと林になった場所で、なんとか木に登ることが出来た。
 ガサガサと木を揺らす小さな音がした時は心臓が飛び上がりそうに驚いたが、なんとか声は出さずに済んだ。
「ごめんな、しばらくここに居させてくれよな」
 小枝を揺らしていたリスに驚いてしまったのかと苦笑しつつ、声をかける。
 座っている木の枝の下に、ちょうど足を乗せる枝もあり、多分、下から見上げても僕の姿は幹や枝、繁る葉なんかで見えないだろうと少し安心する。
 少し落ち着くと、何も食べてなかったからお腹が鳴って、非常袋の中身を開けてみる。
  中身を調べてみると、食料や水のほかにも、細々と入っていて、中に小さいながらも倍率のいい双眼鏡が入っていた。
これなら、ここから周りがどうなってるか見ることが出来る。
街の方で何があったのか、双眼鏡を覗いてみる。
「酷いな……」
 公園の遊歩道には顔や服を血塗れにしてあいつらが歩いている姿が見えて、道に倒れてる人に大勢がしゃがみ込んでいる。
 病気で倒れたのだろうか、それを助けようとしてるのかなんて甘いことを思いながら、何となく気になって、倍率を上げて双眼鏡で覗いてみる。
「ぐっぇぇ……!」
 倒れた人を、あいつらが! あの口や顔を血だらけにしたあいつらが、食っている!
 吐きそうになるのを押さえるのが必死だった。
起きてから何も食べてないせいか、胃液が出て口にのなかに苦さと酸っぱさと混ざったような味がして、その苦しさに涙が滲んだ。
 僕の部屋の扉をドンドンやってたのも、ジョンだったあいつらなんだろうと気付いて、背中にぞっとするものが流れた。
「なんでだよ……、映画じゃないんだぞ……。
 昨日は普通だったじゃないか……なんでだよ……」
 ロープで幹に身体を固定して落ちないようにすると気が緩んだのか、僕は泣きながら気を失うように意識を手放していた。
 
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