僕の忘れられない夏

碧島 唯

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第五章 希望の砦

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 マリアと、Zから隠れながら、逃れながら、辿りついたビル。
 高層ビルのどれかだろうと、アリスは三つのビルの名前を言っていたが、それのどれかなのか、それとも違うビルなのかは僕にはよくわからなかった。
 ともかく、防護柵のようにしてある1階部分の様子で、中に人が居るのだろうと思えて、何とか中にと潜り込んだら、(もちろん柵は壊さずにだ)見張りで居た人たちに見つかって銃を突きつけられた。
 階段で何階上ったのか、足が棒になりそうになった頃、ここで待つようにと言われた部屋はホテルのラウンジのように見えた。
 ともかく、生きている人たちに出会えたことで、僕は目の前に希望が見えた気がして気分が明るくなっていた。
「お待たせしました。
 私がここを纏めているルーク・トエインです。
 君たち……二人だけでここに?」
 現れた男の人は僕よりもずっと大人で、優しそうなその目で僕たちを見て、驚いた顔をしていた。
「そうです、ここの灯りの合図を見て、それで──」
 ──言葉につまってしまう、ここに来るまでにあった、──初めてアリスと合図を見た時の事を思い出しかけて、頭を振る。
「そうか……それは大変だっただろうね。
ここには少しだが食料もあるし、なんといっても水が使えるし、温かいお湯もある。
 君たちを歓迎するよ」
 ルークさんに手を差し出されて握手をする。
 ルークさんの後ろには大人もいれば、僕とそう年の変わらない──ひょっとしたら年下の──男の子もいて、ここなら安心して眠れそうだと胸を撫で下ろす。
 マリアはお湯があると聞いて嬉しそうにしている。
 ひょっとしたらお風呂やシャワーはムリでも、お湯で身体を拭いたり出来るかも知れないと思うと僕も嬉しくなってしまった。
 皆にマリアと僕とが紹介され、一人ひとりに握手をして声をかけられていると、何だか本当に生きてる人たちと居るんだと実感できて、つい涙腺が緩んでしまった。
 頭をぽんっと撫でられて、誰だと思ったらルークさんで、いい人だなぁ……とつくづく思った。
この人がリーダーならきっと、皆安心だなと思えた。
 ルークさんの側に居たジェインという女性はマリアにこっちに来るようにと言って、部屋を出て行くと他の人たちも居なくなって、ルークさんと僕と二人きりになってしまった。
「シュウ君、少し話をしよう」
 こくりと頷くと僕はルークさんの言葉を待った。
「今このビルでは……なんとか奴等の侵入を防いで、小さなコミュニティを作っている。
 野菜も何とか自給できないかと、屋上で実験中なんだ。
 私のやり方に不満のある奴もいるようだが、基本的には皆で力を合わせて助けを待とうという方向で動いている。
 けれど、ここに篭って防戦一方ではいずれ食料も燃料も尽きると言う意見もあって、それに賛同している者たちもいる」
 ああ、うん。
 それはそうだろう、人数が居れば備蓄だってたくさんいるだろうし。
「彼らはこのビルの一角で我々の立ち入れない場所を作ったりしている。
 そこには君も彼女も立ち入らない方がいい。
 私も、彼らが何をそこでしているのか把握出来てないんだ」
 その場所がどこにあるかもよく分からないと教えてくれ、気をつけるようにと言われた。
そうか、さっきのは僕に忠告する為にマリアを連れて行ったのか。
 ということは──女性には特に危険なんだろうか?
「その、彼らは男ばかりだったりするんですか?」
「いや、少しは女性もいたようだが……元々彼らのグループはどういったらいいのか…ストリートギャングに近い、といったらわかってもらえるだろうか」
 一瞬耳を疑った。
 ストリートギャングなんて言葉をこの真面目で、頼れそうな人から聞くことになるとは、と軽くショックを受けながら、ああそれならZに攻撃なんてことも思いつくはずだと納得してしまう。
「ひょっとしてストリートギャグよりも悪い……とか?」
「そうだな……、もし普通のニューヨークでなら絶対に会いたいとは思えないね」
 質問を暈されたということは、悪いどころじゃないのかも知れない。
 近寄らない方が身の為なんだろう。
「君たちの部屋には後でジェインが案内するからとりあえずはそこで……」
「ちょ、ちょっと待って下さい。
 僕たち(・・)の、って?」
「……そうだけど、何か問題でもあるのかい?」
 ああ、ルークさんの視線が、君たちは恋人同士なんだろうって僕を見てる気がしする。
「僕たちは偶然一緒になって、ここを目指してただけで、そういう関係でもないし、特に親しいわけではないんです」
 きょとんとしたルークさんの顔を、この人もこんな可愛い表情もするんだなと、思わずじっと見つめてしまった。
 ルークさんの茶色の瞳と髪が、なんとなく毛足の長い大型犬を思い起こして、ちょっと気持ちがあったかくなってしまう。
「すまない、てっきり恋人同士なんだと思っていたよ。
 なら、そうだな、個室っていうのは出来ないから、男女で分けたグループ部屋に入ってもらおうかな」
「ルークさん、マリアはそれでいいと思います。
 僕は……、僕はマリアが落ち着いたら、──ここを出て行こうと思ってます」
 ずっと、生きている人たちの所に来たいと目指していたのに、落ち着ける場所に漸く辿り着いたというのに、僕は──ここを出て行くって言葉を口にしていた。
「シュウ君……君は……」
「そう──決めたんです」
 そう、あの時から。
 意識をし始めたのはあの夜、アリスの夢を見てからだけど、本当はずっと思ってたのかも知れない。
 以前のアリスと、同じ道を歩むことを。
「そうか……、残念だね」
 ルークさんは寂しそうにそれだけ言って、黙って僕の肩に優しく手を置いた。

「あ、シュウ!」
 ジェインさんと歩いていたマリアが僕を見つけて手を振っている。
 今まで見ていたのとは違って、明るい笑顔がやけに眩しい。
 こんな笑顔はチェリージャムを手に入れた時以来だろうか。
 駆け寄ってきたマリアはここに来るまでに汚れたり破れたりしたワンピースの変わりに、動きやすそうなTシャツとジーンズに着替えていて、髪も後で邪魔にならないように編んでいた。
 その後ろで編んだ長い髪は僕にアリスを思い出させた。
「それじゃあ後で、マリア」
 ジェインさんが僕とマリアに軽く手を振ると廊下の向こうへと歩いて行き、僕とマリアだけになった。
「シュウ、すごいんですよ、ここ」
 嬉しそうにマリアが僕に話し出す。
「お風呂が使えるんです、私お風呂なんて久しぶりで感動しちゃいました」
 ああ、それでマリアから何だかいい匂いがするんだ。
「服もほら、似合います?
 ジーンズとTシャツなんて初めて着たんですよ」
「ああ、よく似合ってるよ。
 マリア、ここでうまくやっていけそう…かな」
「ええ、ジェインも他の方も、皆親切にして下さいますし、大丈夫だと思います。
 でも、どうしてそんな事を聞くんですか?」
 マリアは大丈夫そうだと聞いて安心した。
聞いた僕を不思議そうに見つめているマリア。
 マリアに言わなくては、僕はここを出て行くんだと。
「マリア、僕は……ここを出て行こうと思ってる」
 一瞬、マリアの目が大きく見開いて、僕の腕に手をかけて揺さぶってくる。
「シュウ、どうしてですか?
 あなたがここに連れて来てくれたんですよ、あなたがここを目指してるからって」
 ああ、そうだよマリア。
 僕はここに来ようとしていた、ここに来たかった。
 生きた、僕以外の人がまだ居るここに。
「うん、ここに来たかったし、ここに連れて来たのも僕だけど……」
 僕は気付いてしまったんだ。
 ──あいつら、Zが憎いって事に。
「それに……、ひょっとしたら助けを待ってる人を助ける事が出来るかも知れない、君みたいに」
 ──誰かを今度は僕が助けたい、という気持ちも本当で。
 でも、それもひとつの言い訳でしかないってことも僕は知っていて──。
「だから、君が大丈夫なら、僕を笑って行かせてくれると嬉しいな」
 マリアの目がまっすぐに僕を見つめている。
 どうして、と今にも涙を零しそうな表情で、僕を見つめている。
「……私に、シュウを止める権利はありません」
 悲しげな声に胸が痛む。
「……明日、行くよ」
「……はい」
 マリアが暗い顔をするので話を変えようと、少し一緒に歩こうかと誘ってみる。
 マリアにはこれから住む場所の探索になるだろうし、僕はといえば漸く訪れた日常を少し味わいたい気持ちになったのかも知れない。
 明日からは又神経を張り詰めた日々に身を置くのだから。
 ルークさんやジェインさんはいい人だ、あの人たちがいるならマリアは大丈夫だと思いながらも、ルークさんのいう一部の人たちが気になって、僕が居なくてもマリアが安全か確かめたくなったのもあった。
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