僕の忘れられない夏

碧島 唯

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第九章 あの夏を、忘れない

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 日本に戻ったら、とうに新学期が始まっていて、授業に追いつくのに数日どころか一週間以上はかかった。
 季節はすっかり秋になっていて、制服も合い服に変わり、長袖になっていた。
学校に行き、塾にと毎日を過ごしていると、僕の夏休みにあった事がまるで嘘のように思える。

 結局、ニューヨークは大規模テロが起きてほぼ壊滅というのが米国政府の出した見解で、僕たちは皆、ニューヨークでの事を口外しないようにと口止めされていた。
 多分、僕の両親も詳しくは知らされていないだろう。
 僕も、あまり知られたくはない、と思う。
 僕は夏休みにニューヨークでテロに合って怪我をして、帰国が困難になっていたということに、表向きされていた。

 ルークさんがジェインさんと日本に遊びに来た時に、僕の家に連絡があり、思った通り父さんはルークさんを気に入っていて、数日我が家で過ごしてもらうことになった。
 僕は学校の休みにルークさんを連れて浅草や秋葉原を案内した。
 ルークさんは日本語も少し覚えて来ていて、片言の日本語であちこちの店で交渉したり、話を聞いたりしていた。
 秋葉原ではノートパソコンを選んで、軽くて性能が良くて日本製のものを買いたいと言われて、あちこちの大型店舗や専門店を見てまわった。
「シュウ君、東京の秋葉原は電機屋街と聞いていたような気がするんだけど、何だか不思議な光景だね」
 客にチラシを配っているメイドカフェの店員や、いかにもなキャラクターの絵入りのTシャツで歩いている人たち、どうみてもコスプレじゃないかって人たちを見て、あのルークさんが目を丸くしていたのが印象的だった。
「僕もあまり詳しくはないんで……」
 どう応えていいのか分からなくなって、ただ苦笑いするしかなかった。
 優しげな、それでいて格好いいと思われたのか、ルークさんを案内しているとあちこちの女性や店員からルークさんは声をかけられた。
 うん、こうやって見ると背も高くて、ルークさんはかなりハンサムな人だと思う。
 僕の最初の印象は茶色の大型犬、ではあるんだけど。
「あれはどういう店?」
 ルークさんが指差したのは賑やかな専門店。
 本屋のように見えるけど、ビルの看板には可愛らしい女の子のキャラクターが描かれていて、普通の本屋じゃないっていうのが見て取れる。
「多分、日本のサブカルチャーっていうんですか、アニメとかマンガの店だと思います。
 入ってみますか?」
 Oh、とルークさんに言われた気がした。
 ルークさんは一枚のメモを出して、僕に見せてこう言った。
「これを友人から頼まれてるんだけど、ここにあるのかな?」
 メモに書かれていた単語を読む。
 読んだけど、僕には何なのかさっぱり分からなかった。
「えーっと……、店の人に聞いてみましょう」
 ルークさんと店に入ると、注目を浴びてしまったが、中で本の整理をしている店員に声をかけてメモを見せる。
「すみません、これを探してるんですけどありますか?」
「……お客様すみません、何が書いてあるか分かりません」
 数瞬の後、店員が作り笑顔を引きつらせながら応えてくれた。
 ごめんなさい、メモは英語の筆記体でした。
「あ、すみません、えっと……」
 何かのアニメかコミックだろうかと思われるタイトルを口にすると、店員がにっこり笑って少し待ってて下さいと、本だか何かを探しに行ってくれた。
 待っていると両手にたくさんの本と商品を抱えて戻って来たのに驚いてしまう。
「これがお尋ねの品です」
 ついルークさんを振り返ると、ルークさんも驚いたような顔をしていて、僕にこれがいくらするかを聞いて来た。
「え、全部ですか?」
「うん、出来れば全部と言われていたんだけどね。
 困ったなぁ……こんなに持ち帰れるかなぁ」
レジの横に詰まれたそれは大量で、ここから持ち帰るだけでも大変そうな量だった。
「なんとかなるだろう」
 そう呟いてクレジットカードをレジの店員に渡していた。
 店のあちこちから、大人買いだ、とか聞こえて来て、ルークさんの趣味だと思われたようで複雑な気分だった。

 ジェインさんはといえば、母さんが彼女を気に入ったらしく、あちこちショッピングや観劇なんかに連れ出していた。
 娘が出来たみたいだと嬉しそうに買い物をしている母さんと、ジェインさんは本当に楽しそうに見えて、僕ではそういったものには付き合えないのがまたちょっと複雑な気持ちになった。

 夜に、ルークさんと僕の部屋であの頃の話をすることがあった。
 僕はずっと聞いてみたかったあの事を聞こうとして、止めた。
 退役軍人のルークさんなら、正しい対処の為に何をするだろうかと考えて、聞かない方がいいと思ったから。
 それは僕でも容易に想像がついた事で、目の前のこの優しい良い人の、別の顔を知りたくないという気持ちにさせられたから。
 その代わりに、ルークさんは料理をするのかというのを聞いてみたりした。
 ヒラヒラのエプロンは持ってないが、シンプルなエプロンは持っていて、台所で料理を作ったり菓子みたいな物を作ることはあるらしい。
 菓子みたい、というのは軍にいたルークさんにとってのそれは、嗜好品の菓子ではなく、保存食とか携帯食にあたるから、らしい。
 そういえば、ルークさんが観光していた時にぽつりと呟いた事があった。
 日本はなんて平和な国なんだろうな、って。
 僕も、それは時々思うことだった。
 ワシントンから戻って、日々を過ごす中で、平和だなって思うことがよくあった。
 ニューヨークの日々を夢に見ては、夜中に飛び起きることだって何度もあった。
「あの夏が嘘みたいに思える時があります。
 逆に、今が夢で、目が覚めたらまだニューヨークに居るんじゃないかって思う事も」
 そう僕が言うと、ルークさんは黙って頷いて、僕の頭を撫でてくれた。

 ルークさんたちが帰国する日には、両親に我侭を言って学校を休ませてもらい見送りに行った。
 初めて会った時と顔付きが違って安心したと僕の頭を撫でて、海外線のゲートをくぐっていったのが最後だった。

 時々、あの夏の事は本当にあった事だったのか、なんて考える事がある。
 本当なのは検査でつけられた、身体のあちこちの傷や痕が事実だと証明するものの、それもいつかは消えてしまう。
 僕の記憶だけが、あの夏の証しになってしまう日も遠くないだろう。
 それでも、何を忘れてもあの夏を忘れたくない、と思う。
 既に「人だったモノ」だったとしても、僕は躊躇なく銃を撃ったことを忘れてはいけない、と思う。
 それに──アリス。

 生きている者は語ることが出来るけど、死んだ者は生きている者の思い出の中に在るだけだから、忘れてはいけないと僕は思う。

 ──だから、僕は。
 あの夏を、決して忘れない──
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