19 / 39
虎
しおりを挟むあの日は急に雨の降った夕方だっただろうか。
まだ小学生になったばかりの僕は、ダンボール箱の中で鳴いていた子猫を拾った。
雨に濡れて震えている子猫を抱きかかえて、家に連れ帰ったら怒られるだろうか、捨てて来いと言われてしまうだろうかと迷いに迷って、家に着く頃には僕もずぶ濡れになってしまっていた。
「冬樹、何やってるの?
ずぶ濡れじゃない早く家に入って……、あらそれは?」
子猫が母に見つかって、怒られるかと思ったら、僕の腕の中から子猫を抱き上げてさっさと奥に入って行ってしまった。
「やーん、かわいー。
目がくりくりしてる。
あ、冬樹、風邪引くから早くお風呂に入りなさい。
濡れた服は洗濯機の中に入れてね」
「……はぁい」
子猫を母が気に入ったみたいなのに気が抜けて、そのまま風呂場に行くと洗面器がなくなっていた。
「お母さん、洗面器がない──」
バスタオルで身体を巻いただけで母を捜すと、台所の床に洗面器が置かれ、お湯で子猫を洗っているのが見えた。
「あとで持っていってあげるから、早く入りなさい。
風邪引くわよ」
結局シャワーで身体を流してお風呂に入って待ってても、洗面器は戻って来なかった。 僕がお風呂から上がってパジャマで台所に行くと、母の腕の中でタオルで拭われていた
子猫がにゃーと鳴いていた。
そして、洗面器はその母の足元にまだあった。
「あ、茶色の縞々だったんだ」
「そうね、汚れてて分からなかったけど、綺麗な縞模様ね」
「あのね、お母さん……。
その子猫、飼ってもいい?」
「お母さんに名前付けさせてくれるならいいわよ」
僕に笑いかけて頷く母に、飼ってもいいんだと、嬉しかったのを今でも覚えている。
「あの頃は可愛かったよなぁ……小さくてふわふわしてて──なぁ、虎さん」
餌をやりながら、今ではすっかり大きくなった猫の背中に声をかける。
食事してるとこを撫でると怒られるので、背中を眺めているとしっぽの先でピッピッと返事をしているのが目に入った。
餌を食べ終わって満足したのか、前足を舐めながら僕を片目で見ている猫が立ち上がって膝の上でごろんと寝そべる。
『今でも可愛いと思うんだがねぇ、ほら撫でてもいいぞ?
それより、さん付けはやめろ。
まるでどこかのフーテンみたいに聞こえる』
鳴き声の代わりに聞こえる声は、この膝で寝そべる猫からだ。
長く生きてるからか、この家に住んでるからなのか、あの時拾った子猫は今ではすっかり人語を解する猫になってしまっていた。
しっぽが分かれているのは見た事が無いので、猫又になったのかどうかまでは確認していない。
そして、この虎の言葉が聞こえるのは今のところ、どうやら僕だけらしい。
母が付けた名前は【虎】、見事なトラ縞の模様と、その年は阪神を応援していたから、らしい。
でも、僕は覚えている。
「ちいと虎とどっちにしようかしら」
芸能人のなんとかという人の、【ちいぶらり】とか言う町を散歩する番組を見ながら母がそう呟いていたのを。
「なぁ虎、お前さ、ちいって名前と虎って名前とどっちが良かった?」
『──虎で十分満足してる』
ちら、と僕を見上げて欠伸をする猫。
撫でろというようにしっぽで催促するので、頭の後ろから背中を撫でてやる。
『──冬樹の膝も飽きたな、秋音か夏海は帰ってないのか?』
「まだだよ」
『仕方ないな、冬樹で我慢しておこう』
「──我慢ね……いいけどさ」
撫でて、足が重さで痺れそうになる頃に、秋音が帰って来た音が玄関からした。
「たっだいまー」
パタパタとスリッパの音がして、台所に来た秋音が僕の背中から手を伸ばして虎を撫でる。
「ちょっと、秋姉っ、重いだろっ」
背中に圧し掛かる重みに文句を言ってみた。
だが、重さはしっかりとあるけど、背中に当たって痛いのはアバラの感触だろうか?
にゃーと虎が鳴いて僕の膝から降りて、秋音の足元に擦り寄っていく。
「ただいまー虎ちゃん」
虎をひょいと抱き上げてぎゅっと抱き締める秋音。
『うーん、やっぱり抱かれるなら女の子だねぇ』
ごろごろと喉を鳴らす音が聞こえる、このオヤジめ。
秋音の胸でごろごろと頭を擦り付けて満足そうにしている虎、こうしていると飼い主に甘えている飼い猫にしか見えない。
『しかし、やっぱり秋音より夏海の方が抱かれ心地はいいよねぇ』
この、スケベ。
相変わらずオヤジだな、と思いながらも虎の言う通りではあると、秋音の胸元と虎の顔とを眺める。
確かに虎のいうことにも一理ある、というか、悪いが秋音と夏海の胸では比べ物にならないだろう。
あの二人は言わば両極端、巨乳と貧乳のいい例だ。
まぁ、秋音を貧乳呼ばわりはあんまりかも知れない、虎が満足そうにごろごろしているんだ、真っ平らではない──はずだ。
だから、かも知れないが虎が一番擦り寄っていくのは夏海だ。
そして、重いとうちの姉たちが虎を抱くのを敬遠されないように、体重をいつもベストにして、毎日の散歩も雨の日以外は欠かさないというのを僕は知っている。
そう、餌を入れすぎたりすると虎に怒られるのだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる