虎と僕

碧島 唯

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 虎――3

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 よく晴れた日曜日、ちょっと本でも買いに行こうかと出かけてみると、近所の家にあった椿の枝が折れているのに気付いた。
 家の人は留守のようで、でもそのままにしておくのも木がかわいそうだと思い、カバンを探ると予備のハンカチが見つかった。
「大丈夫……かなぁ」
 多分、大丈夫だよな、と折れた枝を繋いでハンカチでぐるぐると巻いて固定して応急処置にしてみた。
 上手く行けばちゃんと枝がくっつくかも知れない。
 それに、枝にハンカチが巻いてあれば、家の人も気付いて枝をちゃんと手当てするだろう。
 ともかく、これで折れた枝がちゃんとくっついて花を咲かせてくれるといいんだけど、と椿を後にした。
 あそこの椿は薔薇みたいに花びらがたくさんあって綺麗なんだよなぁ。
 香りで咲いてるのに気付くことはないけど、目を楽しませてくれるピンクの花が綺麗だし、何と言っても小さい頃から見ていた木だ。

 本屋では欲しかった本は発売日が遅れてるのか、売り切れなのか、見つからず、がっかりとしていた所で雑誌を買いに来た夏海に会い、そのまま買い物の荷物持ちにと連れ出された。
 本屋で雑誌を一冊と、スーパーでにんじんとタマネギ、じゃがいも、牛肉その他を買ってエコバッグに入れて持たされる。
 花屋の前で、僕には何の花だか分からない鉢植えを買おうかどうしようか迷う夏海に、これ以上は持てないから、と言うと思ったより重いらしい鉢植えは諦めたみたいだ。
 でも、夏海は可愛いものとか綺麗なものとか、花とか好きみたいで、こういうとこは女の子……いや、女の人なんだよなぁって実感する。
 秋音とは姉妹でもやっぱり違うんだよなぁ。
 だけど、僕と一緒の時にウインドーショッピングはカンベンして下さい、ホントお願いします。
 買い物は終ったのに、アクセサリーショップの前で立ち止まって、キラキラした宝石やらを見つめて溜息をついたり、洋服屋でワンピースを見つめて似合うかな、とか言いながら首を傾げたり、いいかげんエコバッグの取っ手が手に食い込んできてる。

 そんなこんなで、思ったよりも遅くなってしまった帰り道、昼間に手当てした椿のある道にさしかかった時に、それは起こった。

 落ちかけた陽が空を赤く染めて、僕の影と、隣を歩く夏海の影を長く道に伸ばす。
 人気のない道で僕と夏海と、その影だけが動く、そんな幻想的な、絵のように見える時間。
 ふいに歌うような声が聞こえて、塀の上を跳ねているように歩く影に気付いた。
「……塀の、上?」
 思わず声が出てしまって、塀の影がピタリと止まる。
 夏海は夕焼けに染まる町並みを見ていて、何も気付いていない。
「綺麗な夕焼けねぇ……ほら、空の色があんなに綺麗」
 塀の上を気にしてる僕にとっては、能天気なことを言ってるとしか聞こえない。
 塀の上を軽々と飛び跳ねるって、そんなのヒトじゃないだろう!?
 なんで気が付かないんだよ、空気だって変じゃないかー!
 ゆっくりと気付かれないように塀の上に顔を向けてみる。
 緊張した僕とは対照的にのんびりとしている夏海。
 何も気付いてない夏海を横に、ゆっくり、そう、ゆっくりと塀で跳ねてるモノに焦点を合わせていく。
 数秒か、数十秒か、数分にも感じた時間。
 塀の上に見えたのは、僕を不思議そうに見つめている老婆の姿。
 老婆は夏海に気付いてないのか眼中にないのか、僕だけを見ていた。
 老婆なのに薄いピンクの着物に、緑の帯を締めていて、簪は綺麗な緑色の珠になったのを髪に差していた。
「……な……っ」
 そんなバカな、と叫びそうになった、が、出たのは空気だけで擦れた声すら出なかった。
 慌てて夏海に気付かれないように口を押さえると、老婆がぴょーんと塀から地面に降りて、僕の方へと跳ねながら近づいて来た。
 どうしよう、逃げた方がいいのか?
 夏海を連れてるし、荷物は重いし、走れないぞ?
 老婆とばっちり目が合ってしまったし、見えてないフリも今更遅い。
 何より、僕の方にまっすぐ飛んで来る老婆との距離は、もうあと五mもない。
 見ていたことにも気付かれた。
 夏海は相変わらずのほほんとしていて気付いてない。
 何をするつもりなのか、悪意があるのか、無いのかも、まったく分からない恐怖に目を瞑りそうになった、その時。
 僕の目の前まで来た老婆が、僕の顔を穴があくほど見つめていた。
 息をしたら息がかかるような、まるでキスする直前のような近すぎる距離。
 僕は心の中で(うわぁああああ! 近い! 近い! 近すぎる!)と叫んでいた。
 ふいに気配が少し遠ざかったような気がして薄く目を開けてみる。
「え?」
 僕から一mほど離れた場所で老婆が僕を見つめて微笑んでいた。
 にこにこと嬉しそうな顔をして、僕にぺこりとお辞儀をするとひょいひょいと来た方向に、塀へと跳ねて、塀の上に軽々と飛び上がり、もと来た方へと戻って行った。
 最後に一度振り返り、僕にまたお辞儀をすると塀の中へと消えてしまった。
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