虎と僕

碧島 唯

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子狐再登場

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 ある夏の日に、僕はお稲荷さんで約束をひとつした。
 稲荷神社の主──可愛い子狐と。

「いーえ!
 そんなわけにはいきませんです。
 ちゃんと御礼に伺うのです!
 絶対ですよ、絶対なんですぅ!」
「はいはい、分かったよ」
「本当に、本当なのです!」

 そんな約束をしてから、何日か経った。
 守られなくても構わない、そんな約束をそろそろ忘れかけていた頃。
「こんにちは」
 散歩中に声をかけられた。
 振り向くと、知らない少女が立っていて、にこにこと僕に微笑んでいる。
「えっと──誰?」
 僕がそう言うと、少女がショックを受けたような顔をして、ぽろぽろと涙を零し始めた。
「えっ、ちょっと君……」
 泣いてる女の子に何て声をかけたらいいのか、迷って、迷った末にハンカチを取り出して差し出した。
 それが、今の僕の精一杯。
「冬樹さん酷い~」
 え?
 僕の名前を知っている?
 一体この子は誰なんだろう?
 目の前の少女をよく見てみる。
 僕より二つか三つ下だろうか、もっと下かも知れない。
 真っ白な、フリルのついたワンピースにふわふわの長い髪には赤いリボン。
 涙を零す大きな瞳は誰かを思い出させるようで──。
「冬樹さんのばかぁ~」
 泣きながら少女が僕をぽかぽかと叩きだした。
 力のまるで入ってないような、痛くもないパンチと口調に、思い出した。
「君……まさか……。
 稲荷神社の……」
「思い出してくれたんですねっ!
 よかったぁ、嬉しいですっ」
 少女が嬉しそうに抱きついて来て、僕の背中に手が触れた、と思った途端にポンッて音がして、さっきの少女の代わりにもっと小さな女の子が僕の前に立っていた。
 ──耳と、尻尾付きで。
「ああ……時間切れですぅ。
 人間に化けるのって力使いますです」
 にこにこと笑う、白い上衣に赤い袴、巫女装束の、小学生くらいの女の子。
 背中の方では、尻尾がぶんぶんと風を切っている。
「いや、耳に尻尾付きの巫女って、それは目立つだろう」
 いや小さい子のコスプレと思ってもらえるなら、それはそれで大丈夫か?
 ……やっぱりダメだ。
 こんな小さい町でコスプレなんてやってる子供なんて居ない。
 せいぜいがキャラ物のTシャツとかだろう。
「えっとですね~、冬樹さん」
 頭の中で焦っている僕に、そんな事はお構いなしと女の子はぺこりと頭を下げる。
「これからよろしくお願いします。
 母様からこれを預かって来ましたです。
 先日の御礼と、お世話になる御礼だそうです」
 僕に差し出される熨斗のついた桐箱。
「お世話って、何」
 なんとなく、意味が分かるような気がしたが、一応聞いてみる。
「はいっ、しゃかいべんきょうをして来るようにって母様から言われて、冬樹さんのお家にお世話になることになりましたです。
 改めて、よろしくお願いしますです」
 はい?
 聞いてないよ?
 なぁーんにも聞いてないよ?
 何、神様ってこんなに勝手しちゃったりするの?
 何の相談もなく、いきなり一緒に暮らしますって何だよ?
 いきなり小さい女の子が一緒に暮らすって、家族に何て言えばいいんだよっ。
「冬樹さん?」
 心配そうに見上げてくる顔に、はは……と力なく笑う僕。
「あ、普段はですね」
 ぽんっと小さい音がして、ちんまりした──初めて会った時の、子狐の姿が目の前に現れた。
 子狐の普通のサイズを知らないけど、それよりはかなり小さいんじゃないだろうか。
 ひょいっひょいと僕の身体を台にして飛び上がり、頭の上にちょこんと乗られてしまう。
『こんな感じで側に居させてもらいますです。
 霊力のある人には視えるかも知れませんけど……』
「そう……それなら他の人には見えないね……」
 拒否する理由のひとつが消えてしまった。
「学校とか風呂とかトイレは当然、離れててくれるんだよね?」
『はいっ、もちろんです。
 でもがっこうには言って見たいです』
 元気よく答えられて、思わずためいきをつく。
 こんなちんまりしたのにダメだとかは、意地悪してるみたいで言いにくいし、仕方ないか。
「わかった……よろしく……お稲荷様」
 ぽふと頭に肉球の感触があって、頭の上でふるふる頭を振ってる気配があった。
『冬樹さんの側でしゃかいべんきょうなので、今はただの稲荷見習いですっ。
 これからはミナミって呼んで下さい、なのです』
「ミナミ……ちゃん、さん……さま……、どう呼ぶ?」
 稲荷見習いって何だろう、妖怪や使い魔みたいなのとは格が違うだろうし、でも様って感じじゃないよなぁ……このもふもふの可愛い子狐さん。
『ミナミ、ってそのままでお願いしますです』
「うん、よろしくミナミ。
 あ、うち猫いるんだけど……」
 狐と猫って仲はどうなんだろう?
『虎さん、ですよね?
 仲良くしてもらえると嬉しいですぅ』
「……なんで知ってるの?」
 何でこの元お稲荷さんがうちの飼い猫の名前を知ってるのか、思わず口に出してしまった。
『えへへ、冬樹さんのお家をあちこちで聞いてたら、猫さんが虎さんの所の人だって教えてくれましたです』
「へぇ……そうなんだ」
 ひょっとして虎って猫の中じゃ有名なんだろうか。
 でも、狐と猫が普通に会話できたのか、狐って犬科だから仲悪いんじゃないかって思ったんだけど、違うんだなぁ。
 そんな事を考えながら歩いていたら、ミナミを頭に乗せたまま、家の前に着いてしまっていた。
「ただいまー」
『おう、お帰り』
 ドアを開けると、珍しく玄関で虎が出迎えてくれていた。
『ほう、その子が噂の──』
『こ、こんにちはですっ。
 これからお世話になりますです。
 稲荷見習いのミナミですっ』
 僕の頭の上で虎にお辞儀をしているっぽいミナミ。
「話が早いな虎……、いつから知ってたんだよ」
 ため息をつきながらミナミを床に下ろして靴を脱ぐ。
『猫社会では情報が早いのだよ』
 面白そうな虎の声に、またため息をついてしまう。
「僕は着替えてくるから二人で話しててくれるか?」
『はいですっ』
『では家の中を案内してやろう、こっちだ』
 虎の後をちょこちょこって感じでミナミがついていくのを見て、僕は自分の部屋に向かう。
 夏海も秋音も視えないヒトでほんっとうによかった。
 でも、ワンピースのミナミは可愛かったなぁ……、僕の周りには年下の女の子は居ないから物珍しいのもあるけど、そこらのアイドルより可愛かったんじゃないだろうか。
 ──まぁ、アイドルに興味はないからよくわからないけど。
 普段は虎にミナミを任せておいた方が社会勉強になるんじゃないだろうか、と考えて、猫の集会に混ざっている子狐の姿を想像して笑ってしまう。
「あー……お稲荷さん見習いって何食べるんだろ?」
 子狐の姿なら虎と同じでいいかなとか思いながら、これからの事を考えるとちょっとおかしくなって笑ってしまう。
「まぁ、楽しくていいんじゃないかな、可愛いしさ」
 その時の僕はのんきにそんな事を考えていたのだった。
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